三日目、おじさんの帰宅
茜ちゃんと観覧車を降りた後、遊園地の入場ゲートの前で茉希ちゃんたち三人と合流した。
二人で別行動したことを謝罪した後、駅に向かって歩き始める。茜ちゃんはどこかすっきりした表情で、透や翔太と今日のことを談笑しながら先頭を歩いていた。その一番後ろを歩いていた俺の隣に、茉希ちゃんが歩幅を合わせて並んだ。
「茜、踏ん切りがついたのね」
「……そうみたいだ」
少し前にいる三人に聞こえるか聞こえないかの声で、茉希ちゃんと会話する。
「お昼までとは別人みたいよ。本当、よかった」
「救えたわけじゃないけどな。茜ちゃんのためにしなきゃいけないことを、俺なりに選んだつもりだ」
「ねえ、今更なんだけど」
隣に視線を向けると、茉希ちゃんと目が合った。微笑んでいたけど、真剣な眼差しが俺を捉える。
「楓にとって、茜は何?」
一瞬だけ質問の意図を考えたが、それで答えが変わることはなかった。
「大事な妹だよ。今までも、これからも」
「そう。じゃあ、あんたの選択はきっと、間違ってなかったと思うわ」
茉希ちゃんは目を俺から外して、前を行く茜ちゃんの後姿を追った。何もかも見透かして悟るような目のせいで、やけに大人に見えてしまう。
けれど、見透かされることが怖いとは思わなかった。茉希ちゃんはいつも俺や茜ちゃん、みんなのことを考えている。そして悩みや心配事を見抜いては、力になろうとしてくれるからだ。
だから、「間違ってなかった」という彼女の言葉は、茜ちゃんの笑顔と同じくらい安心をもたらした。
「茉希ちゃんはすごいな」
「全然すごくないわよ。あたしはあたしにできることをやっているだけ。今回の茜のことだって、最後は楓が決めないといけなかった」
「けど、何もしてないわけじゃないだろ。茉希ちゃんがいなかったらまだ悩んでたと思う。少なくとも俺だけじゃ無理だった。まったく、情けない『お姉ちゃん』だよ」
「そんなことないわよ。楓は充分、茜のことを考えてる。悩んだのだって結局そういうことでしょ?」
そうかな。悩むばっかりで気づいてあげられなかったことや、それで傷つけたこともあったかもしれないのに。
立派だと言われても、俺自身にその自覚がないから、素直に受け取れない。
浮かない顔をしていると、茉希ちゃんは少し笑って言葉を続けた。
「茜の顔を見ればわかるわよ。楓のことをちゃんと慕ってる。これからあんたが頑張れば、ちゃんと立派な『お姉ちゃん』になれるはずよ」
茜ちゃんの細かな表情の変化に気づけることが、茉希ちゃんのすごいところだと思う。俺もこれからは負けないつもりだけど、当分は彼女が友達として傍で支えてくれそうで、安心できそうだ。まだまだ女の身体や生き方に慣れてない俺にとっても、非常に頼りになる存在でもある。
いつまでも茉希ちゃんに甘えるわけにはいかないけれど、もうしばらくはお世話になるだろう。そしていつか恩返しできるように、今のうちにしっかりと『お姉ちゃん』にならなくては。
次の日、俺は定期健診のために病院を訪れていた。正確にはおじさんが車で迎えに来てくれたので、連れてきてもらったと言ったほうがいいか。
運転するおじさんと助手席に座った俺は、世間話という形で近況報告をした。昨日プールへ遊びに行ったことから始まり、友達の三人のこと、最近の睡眠状態のことも話した。
「抱き枕である程度改善したのか。やはり何か精神的な要因があったのかもしれないな」
睡眠不足の意外な解決方法におじさんは驚いていたけど、この身体の不具合ではなかったことに安心しているようだった。
「だとすれば原因は何なのだろうな。一度、医師の診察を受けてみるか?」
「診察、ですか?」
「そうだ。精神医学や心身医学は、私もかじった程度で詳しくはない。だが、専門の医師なら病院にもいるし、私のコネで信頼できる医師を紹介することもできるぞ」
俺はちょっと考えた。真っ先に浮かんだのが、検査・治療費のことだ。入院やリハビリ、検査を受けてきたにも関わらず、一度もそれを支払った覚えがない。おそらくおじさんが負担しているのだろう。
そう考えると、身体のため念のためと言って無暗に診察を受けていいものだろうか。今のところ体調の悪化を招いているわけでもないし、抱き枕のおかげで生活に支障をきたさない程度に改善されている。
「まだ精神的な問題とは言い切れませんし、今は眠れていますから、そこまでしなくても大丈夫じゃないかと」
「そうか? まあ、気にならなくなったというのなら、診察も急ぐものではないだろうしな」
おじさんはあっさりと引き下がって、ハンドルを右に切る。車は総合病院の駐車場へと入るところだった。定期健診は今回で二回目だけど、検査内容は前と変わらないんだろうか。おじさんが車を停めるまで、そんなことを考えていた。
「ねえ、茜ちゃんって体重何キロ?」
「な、何? 急にどうしたの」
「いや……」
俺は尋ねた手前、言いづらい理由に言葉を濁して顔を背けた。
「もしかして、お姉ちゃんふとっ――」
「太ってない! ちょっと体重の数値が増えてただけ! 本当にちょっとだけ!」
検診結果は、思った通り「異常なし」だった。が、俺には一つ看過できない結果が出た。
……そう、お察しの通り、体重の増加だ。先週も体重は量ったのだけれど、その時も以前量った時と比べて増えていた。つまり、このまま増え続けると確実に太る。現在進行形で太っている。これは何とかして対策を立てなければ。
男の時だったら「なんだ、体重が増えたくらい」と軽く考えるはずだったのに、この違いは自分でも驚きだ。これも考え方が女よりになっている証拠なのかもしれない。
「それで、お姉ちゃん何キロだったの?」
「茜ちゃんが先に言ったら、言う」
「今日の晩御飯、カボチャとマカロニのクリームグラタンにしよっかなあ。お姉ちゃん知ってる? マカロニって高カロリーのくせに腹持ちが悪い食材なの。カボチャも野菜だけど同じなんだよねー。だからお姉ちゃんはお腹空かないように、たくさん食べなくちゃね?」
「生意気言いましたごめんなさいだからそんな恐ろしい夕飯メニューはやめてくださいお願いします」
姉を脅すとは、なんて恐ろしい妹! けれど、中途半端な「お兄ちゃん」だった時と比べれば、姉妹としてだいぶ打ち解けているように感じる。だからってダイエットしようって時にグラタンは勘弁だ。仕方なく、耳打ちで今の体重を教えた。今は二人だけなんだけど、耳打ちにしたのは何となくだ。
「わたしとそんなに変わらないよ?」
「でも茜ちゃんのほうが軽いんでしょ?」
「うん、そうだけど」
「はあぁ……」
姿も身長もほとんど一緒なのに、俺のほうが重いってショックだ。茜ちゃんより軽くなろうとは思わないけど、せめて同じ重さになりたい。
「でも無理だと思うよ? だって、お姉ちゃんのほうが大きいんだもん」
「大きくないだろ? 身長も体型もほとんど同じなんだから」
「違うよ。ほら、そこだけ」
茜ちゃんが指差したのは、俺の胸にある脂肪の塊。つまりおっぱいだ。話の脈から考えても、茜ちゃんより重いのはこんなのが身体についてるせいだろう。
「そういえば肩こりも最近酷いんだよね」
「あまり言わないほうがいいよ。嫌味にしか聞こえないから」
「そんなこと言ったって事実だし」
「今日の夕飯はじゃがいもたっぷりのクリームシチューにしようかなあ。パンを付け合わせにして食べれば無限にカロリー増やせるよ?」
「ごめんなさい二度と言いませんだからそんな夕飯やめてください」
なんだか打ち解けた茜ちゃんは腹黒な一面を見せつつある。これ以上は体重を増やすわけにはいかないので、何としても夕飯はカロリー低めにしてもらわなければ。全力で頭を下げた俺に、茜ちゃんは「冗談だよ」と言って続けた。
「でも、食べ物だけじゃ駄目だと思う。本気で痩せたいなら、それなりに運動もしないと」
「うぅ……そこまでしなきゃいけないかなあ……」
「体調管理とは感心するが、あまり過度なダイエットは健康を損なうぞ」
リビングのドアを開けて、風呂上がりのおじさんが顔を出した。
定期健診を終えた俺とおじさんは、午後になって北見家へ帰宅した。おじさんは明日まで休みが取れたらしく、久々に家でくつろぐことになったのだ。その手始めとしておじさんは一か月ぶりにお風呂に入ることにした。もちろん病院の宿舎にもお風呂はついているから、ずっとお風呂に入っていないわけじゃない。あくまで北見家のお風呂に入るのが一か月ぶりなのだ。
「お父さん、いつから聞いてたの?」
「茜たちが騒いでいるのが洗面所まで聞こえていたんだ。それよりも楓くん、身体のことで心配ならまず私に言って欲しい。睡眠不足にしてもダイエットにしても、その身体は不確定要素が多すぎるんだ。些細な異変でも様々なことを検証しなければならなくなるからな」
「うぐぅ……それじゃあ、ダイエットは……」
「食事制限など言語道断。だが、運動なら無理をしない程度にするべきだろう。習慣づけられるならなお良い」
「運動かぁ……」
おじさんに言われて考えてみるが、ぱっとできるものが思いつかない。言われてみれば運動らしい運動なんてしていないし、スポーツも授業くらいでしかやったことがない。習慣づけられるとしても、俺の発想力では毎朝ランニングくらいしか思いつかなかった。
「まあ、何にしても自然体が一番だ。ある程度に規則正しく生活していれば、健康などと意識せずとも体調を崩すことはまずないだろう。特に楓くんの場合は、本来あるべき体型に近づいているところでもあるのだからな」
「本来あるべき体型って?」
「その身体は肉体的に成長途中なのだ。年齢で考えてもそのはずだぞ。そんな時期に食事制限や不規則な生活をしてしまうと、将来どんな弊害が起きてしまうかわからない」
「な、なるほど……」
何にも考えずにこの身体で過ごしてきたけど、体調管理には少し気を使うべきか。研究段階のこの身体は何が起こるかわからない。健康そのものの生活をしていないと、もし何か体調不良になった時に、それが普段の生活の賜物なのかクローンの不具合なのか、見分けがつかないと困るもんな。極端な話、俺の命に関わる問題だ。
「さっきも言ったが、自然体で構わない。過敏に健康を意識するようでは返ってストレスになることもあるからな。今まで通り生活すれば良い。それで何かあったら、医者である私が治療に当たろう」
不安になる俺をおじさんが気遣ったのがわかった。俺はダイエットを諦めて、おじさんに頷いた。
まあ、痩せるのはともかく、太らないように適度に運動しよう。何か続けられそうな運動を頭に思い浮かべながら、俺はリビングを後にした。
前の話の区切りを間違えてしまったので、後日編集・改訂予定。
物語の内容の大筋は変更しないのでご安心ください。