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メイプルロード  作者: いてれーたん
生まれ変わった日
4/110

リハビリ、検査、特訓?

 茜ちゃんが落ち着いたことで、ぽつぽつと今のことについて話をしてくれた。


 俺が事故に遭って死んだのは今から三日前で、死体の葬儀は済んでいるらしい。母さんの指示で骨ではなく骨粉を壺に入れて取ってあるそうだ。俺自身はこうして生きているし、骨を貰って埋葬するわけにもいかないから、コンパクトにしたんだそうな。人の身体になんてことを、とは茜ちゃんの前では言わないことにした。


 火葬の前に俺の脳から情報を抽出する作業が行われた。元が損傷した脳だったため、かなり危険な賭けだったらしい。そもそも抽出した状態ではその情報が完全なものかどうかわからないのだ。生きた身体に移し、人格と記憶を確認して初めて成功だと言えるらしい。結果、奇跡的に俺の人格と記憶はこの身体に受け継がれ、無事に成功したということになる。


 今回の転生で、俺は人生の運を使い果たしたんじゃないだろうか。そう思ったのは、話の途中でトイレに行きたくなったときだ。慣れない身体では一人で歩くことができず、茜ちゃんの肩を借りてトイレに向かった。


 初めは茜ちゃんが男子トイレに入ってくるのかと心配していたけれど、そんなことはなかった。なぜなら今は俺も女で、二人で一緒に女子トイレへ入ることになったからだ。そしていざ個室の便座に座らされ、用を足そうとするも、どこに力を入れたらいいかわからず悪戦苦闘。我慢の限界を超えて出てしまった時は、「ひゃああああああ」とか変な声を出して一瞬放心してしまった。茜ちゃんがずっといたので恥ずかしいやら情けないやらで、ちょっと涙目になったりもした。


 どうやら生き返れたことはよかったが、想像以上にこれからの生活に苦労しそうだ。トイレに行って帰ってくるだけでこの疲労。身体が変わっただけだと舐めていた。


 でもその日の特筆すべきトラブルはそれくらいで、夜になると茜ちゃんが帰っていき、疲れていた俺は消灯時間の前にいつの間にか眠ってしまった。




 次の日からはリハビリが始まった。茜ちゃんにトイレに連れられた時からわかっていたが、身体が変わると普段の動きもかなり勝手が変わる。手足の長さと目視で測った距離が一致しないせいで、よく転んだり手が空振りしたりすることがあった。慣れてくると普通に歩けるまでにはなったが、階段は三日間、手をついて四足歩行で上がらなければ必ず躓いた。何度か向う脛をぶつけてしまい、ここでも涙目である。


 同じく始まった検査だが、前日と同じような質問と、機械や体液採取による精密検査のオンパレードだった。何度も台に載せられて頭部をスキャンされたり、注射で採血や脊髄液の採取をしたり、リハビリと同時進行で体力的にきつかった。


 記憶や人格については説明も受けたけれど、一般人の俺にはほとんど理解できなかった。機械で脳をスキャンしたところで、今の技術では記憶や人格に異常があるなんてことはわからない。だから質問や簡単な筆記試験のようなもので判断するしかなく、病院でのテストは二日間に及んだ。ならなぜ機械で調べるのか疑問になったが、これも念のためらしい。


 驚くべきことはこの検査やテスト、すべて北見のおじさんが一人でやってくれたことだ。クローン技術をなるべく公にしないためとはいえ、かなり病院を好き勝手使っている気がする。機械を動かすのもかなりお金がかかったんじゃなかったか? おじさんほどにもなると、私用であっても黙認されるんだろうか。何にしても、おじさんの行動力には脱帽した。元々俺のための検査なので、感謝せずにはいられない。


 大変なことはまだ続く。茜ちゃんからは女の子としての生活の仕方のレッスンを受けていたのだ。女の子の生活は男とは全然違う。身体の知識から普段の仕草、身嗜み、言葉遣い、果ては気持ちの持ちようまで、茜ちゃんは熱心に教えてくれた。俺はと言えば知るだけでなく、実践で身につけなければならず、休む暇もなかった。しかし、茜ちゃんもわざわざ俺のためにこうして世話をしに来ている。実際これからの俺には必要なことで、ないがしろにはできなかった。


 結果的にリハビリが長引き、入院生活は二週間に及んだ。その間、茜ちゃんにはみっちり女としての在り方をご鞭撻してもらったのだが、結局は経験と慣れが必要で、最低限の生活ぐらいしか習得できなかった。仕草や言葉遣いはまだまだ直りそうもないし、実は直す気もない。言葉遣いから人は変わると言うし、「俺」という一人称をやめてしまうと、俺じゃなくなってしまいそうだったからだ。


 身体はもう俺のものではないし、その上内面を変えようものなら、俺の痕跡はなくなってしまうのだ。それじゃ結局死んだのと一緒だ。


 だから俺は茜ちゃんに悪いと思っても、男っぽい口調や仕草を直す気にはならなかった。


 そして目覚めてから二週間が経ち、ようやく母さんが病室を訪れる目処が立った。当初は一日で帰ってくる予定だったが、交通の便が予想以上に滞り、日数がかかってしまったらしい。なんでも安全の都合上、飛行機が飛べなかったとかなんとか。一体我が母はどこから帰ってきたんだろうか。父さんはまだそこにいると思うと、息子としては心配でもある。でもそうやって親の心配ができるということは、時間の経過とともに精神に余裕ができたからだろう。


 でも今日は、自分のことを考えていかなければいけない。それを話し合うために母さんはわざわざ帰ってくるのだから。






 病室で茜ちゃんに髪を弄られながら、俺はそわそわと落ち着かなかった。


 女の子になって慣れないことばかりで、髪を弄られるのもそうだし、トイレもようやく慣れてきたところだ。着替えはまだまだで、男だった俺がブラジャーやショーツを付けるのが精神的につらい。ボタンも左右逆だったりと、色々と骨が折れる。入院中なのでお風呂はまだまともに入っていないが、浴室で四苦八苦する様は想像しやすかった。


「お兄ちゃん、どうしてほしい? リクエストある?」

「そんなこと言われてもなあ……」


 髪の括り方なんてよく知らないし、聞かれても困る。長い髪がちょっと鬱陶しいから括ってほしいと言っただけなのだが、「ただ括るだけは駄目だよ」とのこと。


「俺、茜ちゃんがいつもやってるのしか見たことないし」

「でもそれすると、わたしとお兄ちゃんの見分けつかなくなるんじゃない?」

「そうなのかなあ。そんなに似てるのかなあ」


 自分と他の人の区分ができるせいで実感は薄いけど、俺と茜ちゃんは確かに似てる。同じ髪型をしたら、他の人にはそっくりに見えるかもしれない。でも、俺はちょっと賭けてみたくもなった。姿が変わり、茜ちゃんと同じような髪をしてても、母さんなら俺だとわかってくれるんじゃないかって。


「いいよ、茜ちゃんと一緒で。括るの初めてなんだし、それなら茜ちゃんとお揃いがいいな」


 思ったことを言ってみると、俺の髪を梳いていた茜ちゃんの手が止まる。どうしたんだろうと気になっても、髪が引っ張られるのは嫌だし、振り返れない。


「どうしたの? 茜ちゃん?」

「う、ううん、ごめん。ちょっと放心しちゃって……」


 呼びかけると戻ってきたようで、茜ちゃんは髪から手を抜いて、ブラシを取った。


「いいの? わたしのと一緒で」

「うん。今日もだけど、茜ちゃんに似合う髪型だから」

「え、そ、そう、かな……」

「そうだよ。いつも思ってたんだ。だから、今の俺にも無難に似合うんじゃないかな」

「あ……うん、そうだね」


 ん? なんだか茜ちゃんの声のトーンが若干下がった気がするけど、気のせいかな。放心したり、ちょっと言動がキョドったり、まだ不安定なのかな。そう心配したのは数秒で、すぐに茜ちゃんがブラシで俺の髪を整え始めたので、何も聞かないでおいた。


 茜ちゃんより長い髪を左右に分けて、片方ずつゴムで縛る。俺も一度自分でやったんだけど、慣れないせいか意外と難しかった。一つに束ねるのも、髪がくしゃくしゃになったり、束ね損ねたりして上手くいかなかったのだ。それが茜ちゃんにやってもらうと、しっかりと女の子のヘアスタイルになる。何かコツがあるんだろうな。習得する気はないけど。


「わたしも髪、伸ばそうかな……」


 黙々と髪で尻尾を作っていた茜ちゃんがぽつりと呟いた。


「長くしたいの? 今でも充分長いと思うけど」

「お兄ちゃんは、髪の長い女の子は嫌い?」

「他の娘や茜ちゃんを見る分にはいいよ。でも女の子になったからわかるけど、長い髪って大変でしょ? オシャレとか拘りとか、そういう理由がないなら手入れが大変なだけだし、伸ばす必要がないと思うんだよなあ。俺なんか切りたいくらいだし」

「えっ、駄目だよ!」


 突然茜ちゃんが叫ぶように言って、耳元で聞いた俺は飛び上がるくらい驚いた。


「ど、どうして?」

「だって、こんなに綺麗なんだもん。切るなんて勿体ないよ」


 俺には髪の価値なんてわからないが、無碍に切るものでもないことは知っている。髪は女の命という言葉もあるくらいだし、よくない発言だったかな。ただ、髪を褒められたところであまり嬉しくはないんだけども。


「茜ちゃんがそう言うなら、考え直すよ」

「あ……ううん、やっぱりお兄ちゃんの好きにしていいよ。折角長くて綺麗だから、本当に勿体ないって思っただけ。男だったお兄ちゃんには慣れないだろうし、邪魔かもしれないから……」

「わかった。でも、しばらくはこのままでいくよ。生活に支障が出たら切るようにする」

「うん。……はい、できたよ」


 鏡の中には仲睦まじく見える美少女姉妹が、同じ髪型で映っている。俺が話し方を変えてしまったら、本当に茜ちゃんと見分けがつかないかもしれない。俺は複雑な表情で、鏡を介した茜ちゃんに「ありがとう」と言った。



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