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メイプルロード  作者: いてれーたん
黄金週間
37/110

長い髪は泳ぎづらい



 ほんわかと湯気の立つペペロンチーノを黙々と食べていると、横からつんつんと肩をつつかれた。俺がそっちを向くと同時に、フォークに巻き付けられたクリームパスタが目の前に突き出される。


「はい、お姉ちゃん、一口どうぞ」

「……あー、えっと、これは?」

「ほら、あーん、して? あーん」


 ご覧のとおり、昼食中に機嫌がほぼ元に戻った茜ちゃんである。ご機嫌であればあるほどいいことなんだが、ここまでは予想外だった。急に「あーん」とか言われても、びっくりするやら恥ずかしいやらで次の言葉が浮かんでこない。


「あ、あーん……」


 結局、断れずにクリームパスタを開けた口に入れてもらうと、茜ちゃんはこれ以上ない嬉しそうな顔で微笑んでいた。


 こんなことで喜ぶなら、と俺もフォークにペペロンチーノを巻き付けて、茜ちゃんに「あーん」してやる。


「ほら、お返し。あーん」

「えっ、あ、あーん……」


 自分から始めた癖に俺よりも照れる仕草をした茜ちゃんは、しかし拒むことはせずに口を開ける。パスタを口の中へ入れてフォークだけを引き抜いた。


「辛くない? 一応、唐辛子っぽいのは避けといたんだけど」

「うん、おいふぃ」


 咀嚼しながら、満足そうに笑顔を見せる茜ちゃん。プールに来たばかりの沈んだ様子はなく、むしろご機嫌だった。

 それを見てほっとした俺は、自分のパスタを食べようとフォークを持ち直す。


「……?」


 視線を感じてゆっくり顔を上げると、蚊帳の外だった三人がじっとこっちを見ていた。


「どうかしたか?」

「いやいや、仲睦まじいわーって思って」


 面白がるでもなく、呆れたように言ったのは茉希ちゃんだった。本心でそう言ったわけではなく、含みのありそうな言い方だ。


「別にこれくらい普通だろ」


 双子とはいえ高校生にもなって、と言われると少し恥ずかしいが、茉希ちゃんが冷めた目をするまでのことではない。いつもなら遠慮なく何でも口にするくせに、今に限って何も言わない茉希ちゃんの態度が何故か癪に障った。


 茜ちゃんの機嫌が良くなったことに喜ぶことも忘れて、俺は逆に気分を悪くしてしまった。これ以上空気を悪くしたくないから言及はしないが、茉希ちゃんはいったいどういうつもりだろう。今日はやたらと、茜ちゃんに対する風当たりがよくない。あえて辛く当たっているとしても、だ。


 茜ちゃんは大丈夫だろうか。そう思って表情を盗み見ると、何事もないかのようにクリームパスタを食べ続けていた。それから俺の視線に気づいて、笑顔で首を傾げる。


「どうかしたの?」

「い、いや、パスタ美味しかったからさ」

「ほんと? じゃあもう一口いる?」

「うん、貰おうかな」


 別にみんなが見てたって恥ずかしくない! と自己暗示をかけながら、再び俺は口を開ける。それを咀嚼して、お返しにまたペペロンチーノを一口あげた。


 そんなことを繰り返しているうちに俺たちはもちろん、みんなの皿が空になった。お腹が膨れたところで少し寛ぎ、これからのことを確認する。


 透と翔太はこのまま俺たちと別れて、ウォータースライダーの列に並ぶ。俺たちは一度更衣室へ戻って、ロッカーに荷物を預け直す。二人が終わり次第、流れるプールで合流して、そこからは五人揃って遊ぶ。それが現時点で予定として決まっていることだ。


 レストランの支払いを済ませて、すぐに二人はウォータースライダーの列の最後尾を目指して向かった。透はかなりのはしゃぎっぷりで、持っているビーチボールをぶんぶん振り回している。危ないから、預かればよかったかな。


「楓もスライダー行きたかった?」

「いや、遠慮しとくよ」


 俺は別に構わないんだが、確か茜ちゃんはこういうのが苦手だったはずだ。ウォータースライダーといえば水の流れる滑り台だけど、ここのはかなり大掛かりで、チューブが渦を巻いたり急な角度で曲がったりしている。メリーゴーランドで酔った経験のある茜ちゃんが楽しめるアトラクションではなさそうだった。


 茉希ちゃんや茜ちゃんを置いて行くのも気が引けるし、なら純粋に楽しめる人だけで行ったほうがいい。なので、興味はあるが今回はパスだ。その代わりに流れるプールを満喫できるなら、それで十分だと思った。


 俺たちは荷物を預けに更衣室へ向かった。タオルや財布、上着も入れてしまって、しっかり施錠をする。鍵も失くさないように、コードみたいな紐を手首に通した。


「あ、お姉ちゃん。ちょっと動かないで」

「うん? どうしたの?」

「お団子解けかかってるから、括り直すよ。ごめん、少しだけ上を向いて?」

「こう……?」


 後ろ髪を背中に垂らすイメージで上を向くと、茜ちゃんの手がせっせと動き始めた。


「難しいなら無理にお団子じゃなくてもいいのに」

「楓ほど長いとそうはいかないわよ」


 横で見ていた茉希ちゃんが代わりに答えた。


「あんたの髪、自分の腰くらいまで届くでしょ? 泳いでるときにプールのどこかに引っかかったら大変よ。人が多くて混んでたら、誰かに絡みついたりすることもあるわ」

「それは危ないな」

「でしょ? だから楓の場合、単に括るだけじゃなくて丸く纏めるの。いわゆるお団子になっちゃうわけ」

「ふーん」


 女の人――というよりは、髪の長い人が大変なんだな。今は俺の髪を纏めようとしてる茜ちゃんが大変そうだ。でも俺は括り方がわからないから、指示通り更衣室の天井を見つめることしかできてない。このお団子ヘアーは茉希ちゃんが教えたらしいから、見てるだけじゃなくて手伝ってくれれば早く済むのに。


「茜ちゃん、大丈夫?」

「うん、もう少しだよ……っと」


 最後に毛束を大きく撒いて、ようやく完成した。少し湿気を含んで髪が重くなっていたから、最初の時より手こずっていたらしい。


「どうかな、茉希ちゃん」

「上出来ね。楓もなかなか似合ってるわよ。唯一不安があるとすれば……」


 うーむ、と唸りながら俺の髪と顔をじろじろ眺める茜ちゃん。それからすっと離れて、にっこり笑顔で言ってのけた。


「また変な男が楓にちょっかい出しに来ないか、それが心配ね」

「うげ」


 思わず顔を顰めて妙な声を出してしまった。変な男にちょっかいといえば、つい昨日経験があることだ。危うく連れ去られそうになった俺としては、声をかけてくる男は恐怖の対象でしかない。今日はそれを追い払ってくれた菊池さんもいないのだ。


「そんな深刻に考えなくて大丈夫よ。アタシたち三人で動いていれば、一人の時よりはナンパしづらいはずだし、いざとなったら巡回してるプールの係員さんもいるから」

「そ、そうか……そうだな」

「まぁ、混雑に紛れて触られないようにはしないといけないけどね」


 触る――って痴漢のことか! そうか、声をかけてくるほうはまだ対処できるけど、前触れなく触ってくる奴だって考えられる。十分気をつけなくちゃ……。


「もし触られたらアタシに教えなさい。一時期だけど、透と一緒に柔道してた時があったから、その辺の男どもには負けないわよ。茜もわかった?」

「うん」

「その時は頼むな、茉希ちゃん」

「任せなさい。さあ、注意事項はここまでにして、そろそろプールに戻りましょうか」


 頼りがいのある美人の背中について、俺たちは更衣室を後にした。






 茉希ちゃんの忠告を守って周りを警戒していたおかげか、ナンパや痴漢に遭うことはなかった。途中から流れるプールにいるのはほとんどが家族連れだと気付いて、過剰に気を張るのをやめて遊ぶことに集中した。


 遊ぶと言っても、相変わらずの混雑のためにはしゃぐことはできなかった。せいぜい水流に流されながらゆっくりとプールを巡り、リラックスしながらお喋りするのが関の山だった。どの道髪が解けるのが怖くて泳げなかったし、濡れると後で大変だからちょうどよかったかもしれない。まったりと泳いだおかげで、茉希ちゃんと茜ちゃんの雰囲気も穏やかになったし、これはこれで楽しかった。


「あ、あれ二人じゃない?」


 茉希ちゃんが指差す先に、プールサイドを歩く透と翔太の姿が見えた。二人が戻ってきたってことは、思ったより時間が経っていたんだろうか。楽しい時間ってあっという間、不思議。


「こっちだよー!」


 茜ちゃんが手を大きく上げて二人の気を引いた。運よくすぐに二人はこっちに気づいて、人だかりを掻き分けながら近づいてくる。


 プールサイドを歩いて来る二人を見ていて、おや、と思った。透が常に自分の水着を掴んで離さないのだ。その水着は腰回りに隙間ができていて、手を離せば下にずり落ちてしまいそうだった。


「やー、参った参った」


 ようやく俺たちと話せる距離になった透は、下がり眉で笑いながら水着を掴み直した。


「どうしたの、それ」

「それがさ、スライダーって最後はプールに突っ込んでくだろ? その時の衝撃でゴムが切れちゃったみてーなんだ」

「ということは、もう泳げないの?」


 俺が言うと、みんなの視線が透に集まる。透は気まずそうに視線を逸らした。


「その、なんだ。俺はもうスライダーに行けたから満足なんだよな。だから先に着替えて外で待っとくわ。時間はまだまだあるし、お前らはまだ泳ぐだろ?」

「でも、透くんだけ別行動っていうのは……」

「そうね、みんなで来た意味がないわ」


 茜ちゃんと茉希ちゃんは顔を見合わせて悩み始めた。

 まだ昼過ぎくらいで、泳ぐにも時間はたっぷりあった。けれど、二人も言うように透だけがプールで遊べないのは可哀想だ。


「アタシたちもプールは満喫できたし、透を一人にするのもあれだから、一緒に出ましょうか」

「いいんだぞ別に、泳ぎたかったら泳いでも」

「混んでるから言うほど泳げないもの。それにプールの外でも遊べるでしょ? せっかくみんなで来てるんだから、みんなで楽しまなきゃ」


 茉希ちゃんがプールサイドへ上がる。透はちょっとバツが悪そうな顔をしたが、素直に「悪いな」と頭を下げた。


「別にあんたが謝ることじゃないでしょ。運が悪かっただけよ」

「そうだよ、透は悪くないから。ほら、早く着替えに行こう。えっと、出口付近にいればわかるよね?」

「ええ、そこで待ち合わせしましょ」


 翔太の言葉に茉希ちゃんは頷いて、男二人は更衣室へ向かって行った。


「さ、アタシたちも行きましょ。あっちより着替えに手間取るんだし、早く行かなきゃ」


 頷いて、俺と茜ちゃんもプールから上がった。茉希ちゃんを先頭にして縦の列になり、人混みの隙間を縫いながら更衣室へ向かう。


「たっ?」


 その途中、茜ちゃんと俺の間に入り込んできた人にぶつかってしまい、派手に尻もちをついた。


「ご、ごめんなさ……あれ」


 目を開けた時には、すでに人混みに紛れてぶつかったのが誰かすらわからない。しかし、謝りもせずに行ってしまうなんて失礼な人もいるもんだ。ちょっと腹が立つ。


「お姉ちゃーん、どこー? 大丈夫ー?」


 少し遠くから茜ちゃんの声がしたので、大声で返事をして立ち上がる。相変わらず人ばかりで茜ちゃんの姿は見えないけれど、声のおかげで方向はわかった。

 俺は急いでその方向を目指した。



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