ミラージュウォーターパーク
体調不良で長いこと空いてしまった(;つД`)
亀ペースですが、また更新頑張ります
茜ちゃんと茉希ちゃんのおかげで、俺は目のやり場に困ることもなく水着に着替えられた。露出が少ないせいで恥ずかしくない、これならいける。最後に自分の姿を念入りに見て、変になってるところがないかチェックする。
「大丈夫だよ、お姉ちゃん。ちゃんと着れてる」
「え、ほんと? わっ!」
茜ちゃんが教えてくれたのはいいのだが、後ろから抱きついてきたのは予想外だった。衝撃が軽かったおかげで、バランスは何とか崩さずに踏みとどまる。
「もう、びっくりした」
「えへへ、ごめん。お兄ちゃんすっごく似合ってて可愛いから、つい」
「つい、って……」
呆れたように茜ちゃんの言葉を反芻する。でも、茜ちゃんがこういうスキンシップをしてくるのはかなり珍しい。
それもただ抱きついているわけじゃない。身体を密着させているため、背中に控えめな膨らみとか、つるつるした脚が擦れ合う感触とか、全部感じてしまう。
「あ、あの~、茜ちゃん?」
「うん、ちょっとじっとしててね」
思わぬ返答を受け取った直後、茜ちゃんはふっと身体を離す。あれ、と思っている間に髪が纏められ、一つの尻尾になった。いわゆるポニーテールだ。
「プールに入るなら髪は纏めておかないとね。痛くない?」
「う、うん、大丈夫」
ぎこちなく答える間も茜ちゃんの手はまだ動いている。ぐ、と後ろに引っ張られたかと思いきや、髪がくるくると巻かれたようだ。
「よし、終わったよ」
「ありがとう」
お礼を言うものの、髪がどうなっているのか確認できない。髪の重さが頭の後ろに集中している。感覚を頼りにうなじから上へ触っていくと、髪が丸く纏められていた。
「これ、どうなってるの?」
「お団子ヘアーだよ。茉希ちゃんに教えてもらったんだ」
「ほえー、これがお団子か……」
身の回りでこれをする女子は見かけたことないけど、写真で見た時もややこしそうだったから、まさか自分がすることになるとは思わなかった。
「さ、そろそろ行こう? みんな待ってるよ」
「うん」
頷いて、持って行く荷物を纏める。タオルとその他諸々をポーチに入れて、上着を腕にかける。最後にロッカーの鍵をした。
入ってくるときは目を瞑っていてわからなかったけど、ロッカーの中もすごい混雑だ。狭い空間にひしめく人と匂い。長くいすぎると酔ってしまいそうだ。
「お兄ちゃん、連れて行くよ?」
「ああいや、大丈夫みたいだ。出口近いし、意識して見なければ平気」
「そう? 過保護すぎた、かな?」
「そんなことないよ。なんていうか、案ずるより産むが易し、って言うだろ? 過剰に意識しなかったら案外大したことないし、慣れていけばいずれ気にしなくてもよくなりそうだ」
深刻に考えてたけど、実際はやってみれば何てことはないんだ。周りは女子、自分も女子、ノープロブレム。もちろん他人をまじまじと見ようとは思わないし、見られたくもない。それさえ守っていれば、変に意識しなくてもやっていける。これなら女としても生きていけそうだ。
「うん、それはよかった……」
自信が満ちた俺の後ろから、茜ちゃんは消え入りそうな声で言った。
温水プールといえば室内を思い浮かべるが、ミラージュウォーターパークは天井が解放されていて、高い壁があることを除けばほとんど屋外と同じだった。春の気温は水着の格好では寒くて、上着を肩に羽織っていても身震いしてしまう。
「二人ともおっそーい」
先に外に出ていた茉希ちゃんが頬を膨らませていた。もちろん透と翔太も水着に着替えてプールサイドに来ている。駅と同様、またしても俺たち二人が最後だった。
「なに、髪で苦戦してたの?」
「そんなことないよ。茜ちゃん上手だった」
「そう? ならいいわ」
茉希ちゃんは案外あっさりと興味を逸らしてしまう。逆にそれは上手くできているということでもあるんだろう。そして、男二人は俺のお団子に興味津々だった。
「お団子初めて見たよ。難しいの?」
「俺がやったんじゃないからわからない」
「水に入ってほどけたりしないよな? なんか、即席麺みたいに」
「んなわけあるか!」
翔太はともかく、透は馬鹿っていうか失礼だ。女の子の髪に向かって言うことじゃない。案の定、茉希ちゃんに後頭部を拳骨されていた。
「とりあえず二人とも、あっちでシャワー浴びてきなさい。その後はみんなで準備運動よ」
「わかった。行こう、茜ちゃん」
「うん……」
荷物と上着を茉希ちゃんたちに預けて、俺たち二人はシャワーに行った。
シャワーは更衣室の入口の隣にあって、左右に仕切りがあった。いきなり水を被るのはまずいので、出てきた水に手足から慣らそうと思ったのだが、触れてみて温かかった。シャワーも温水らしい。拍子抜けして、頭から被った。
お団子が水を吸って重くなったが、ほどけてはいないようだ。軽く確認して茜ちゃんと合流し、みんなの元へ戻った。
「ねえ、楓」
茉希ちゃんが近くに来て、俺に耳打ちした。
「茜の元気がないけど、何か知らない?」
「……やっぱり、そう思うか?」
気づいてはいた。朝からの様子と比べるとあからさまで、スルーするのもそろそろ無理がありそうだった。
「心当たりとかないの?」
「ないわけじゃない……でも、確信が持てないな。間違ってたら余計に落ち込ませるかもしれないし」
「じゃあ、下手なことは言わないほうがいいわね。できるだけ、普段通りに話しかけましょ」
「わかった」
俺が持っている心当たりとは、昨日茜ちゃんが言っていた言葉だ。茜ちゃんが俺に望むことは、俺が茜ちゃんを嫌わないことだ。でも、茜ちゃんを嫌いになった素振りはしていない。心当たりはあるけれど確信が持てないとは、そういうことだ。
ただ、この場合の解決方法は単純だ。俺が茜ちゃんのことを嫌っていない、その意思を示せばいい。つまり、一緒にプールを楽しめばいいのだ。
「それで、二人は何してるんだ?」
「ああ、翔太がボール膨らませようとしてんだけど」
「はぁ、はぁ……、上手く、いかないんだよね」
答えた本人が息を荒くしながらも、また空気を吸ってビーチボールに送り込む。頬はめいいっぱい膨らんでいるけど、肝心のボールはぺちゃんこのままだ。肺活量、足りないんじゃないだろうか。
「ちょっと貸してみてよ。俺が膨らませてみる」
「え」
俺は返事を待たずに翔太からボールをもぎ取ると、息を吸って穴に口をつけようとした。
「だめっ!」
突然、横から割り込んできた茜ちゃんが、俺の手からボールをひったくる。
「あ、茜ちゃん……?」
思ってもみなかったことに、俺の頭が追い付かない。茜ちゃんの行動もそうだが、血相の変え方にも驚いた。
「こ、こういうのは男子に任せるものなの! だから、お姉ちゃんは手を出したらだめだよっ」
「……茜の言うことも一理あるわ。てことで透、あんたがやりな」
「結局かよ。めんどくせー」
茜ちゃんからビーチボールを手渡されて、今度は透が息を吹き込む。さっきとは違って、見る見るうちに膨らんでいった。
「あ、あれー? 何で俺の時は膨らまなかったんだろう?」
「翔太、これ噛んでなかったろ? だから空気入らないんだよ。軽く噛みながら息を吹いたほうが膨らむんだぜ」
「ああ、そういう仕組みだったんだ」
二人の会話とは真逆に、こっちの三人の間にはぎこちない空気が立ち込め始めていた。茜ちゃんは気まずそうに俺から目を逸らしていて、茉希ちゃんは眉間に指を当てて唸っている。俺は何が何だかわからずに戸惑うだけだった。
「いや、楓が天然なのは今に始まったことじゃない……むしろこれまでのことから考えればあり得る行動だったわけだけどさ。まさか、まだ何かわかってないっていうのは、ちょっとね」
「やっぱり、俺がまずかったの?」
「まずかったも何も、この場でわかってないの、あんただけよ」
半信半疑で透たちに視線を投げてみたが、二人とも一秒と待たずに目を逸らしてしまった。
「楓ってば、本当に女の子って自覚ある? あんたが気にしないことでも、周りが気にすることなんてたくさんあるのよ。育ちのせいにして放っておくと、いずれ後悔するわよ」
「き、肝に銘じておく……おきます」
茉希ちゃんの剣幕に圧されて、俺は敬語に改めながら首を縦に振った。怒ると茉希ちゃんは怖い。でも、なんで怒られてるのかはまだピンと来なかった。
「あと、茜も」
唐突に水を茜ちゃんに向けて、同じ口調で茉希ちゃんは続けた。
「今日中にはっきりさせて。じゃないと、いつまでも引き摺るわよ。どうしようもないことだとわかっているなら、ちゃんと踏ん切りをつけなさい」
「茉希ちゃん、何を言って」
俺にはさっぱり意味が分からない言葉だった。茜ちゃんに怒っていることだけがわかる。でも、そんなにきつい口調で言わなくたっていいじゃないか。
「わかってるはずよ、傷つくのは自分だって。このままでもいいことなんかないって。だから、茜のためを想って言ってるの。アタシにはそうやって、背中を押してやることしかできないわ」
茉希ちゃんは昨日、俺の部屋に入ってきた時と同じ空気を纏っていた。厳しい言葉だけど、それは大事な友達に一歩を進ませるためのものだ。同情して傍にいてやることなら誰だってできる。それを敢えてしないで、前進させようと愛の鞭を振るうのが茉希ちゃんだ。
俺も昨日は、茜ちゃんに自分で道を選んで歩んで欲しいと思った。もしかしたらそのあと押しになるのは、寄り添うことしかできない俺の存在ではなく、茉希ちゃんの何よりも友達を想う言葉なのかもしれない。
「おいおい、せっかく遊びに来てんのに、空気悪くすんなよ」
「……そうね、ちょっと熱くなりすぎたわ。ごめん」
「ほれ、楓も茜も暗い顔すんな。ボールもできたし、遊ぶとしようぜ」
透の言葉に雰囲気が軽くなる。ちょっと救われた気になりながら、茜ちゃんに声をかける。
「行こう、茜ちゃん」
「……うん」
表情は晴れていない。茉希ちゃんの言葉を引きずっているのかもしれないけど、何も今じゃなくたっていいはずだ。せっかく楽しみに来ているんだから。
帰るまで時間はたっぷりある。俺は気持ちを切り替えて、目の前のプールを目指して歩き始めた。