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メイプルロード  作者: いてれーたん
黄金週間
33/110



 帰りの電車では運よく三人並んで座ることができた。地元の駅に着くまでの十数分間、茜ちゃんと茉希ちゃんが話しているのを余所に、俺はまた一人で窓の外を眺めていた。


 今日だけで、いろんなことがありすぎた。男だったときのクラスメイトに会ったり、水着を選んで買ったり、茉希ちゃんが俺の事情を知っていることを知らされたり、ナンパ男に遭遇したり、菊池さんに助けられたり、談笑したり。ほら、数えると片手じゃ足りない。そういうわけで、ちょっと一人で出来事の整理をしたかった。


 考え事をしていると、ふと欠伸が漏れてしまう。そういえばトイレの前で寝かけて、それからも眠気を払拭できていなかった。睡魔に抗えずに目を閉じて、それでも意識を保ったまま思考だけを巡らせる。このままだったら、気づいたら寝てしまっていたってパターンになりそうだ。


「あ、もしかして楓ってば寝てる?」

「ほんとだ。いいよ、疲れただろうし、寝かせてあげよ?」

「そうね。水着選びだけでも本人はクタクタだったのに、ナンパに拉致られそうになったりして大変だっただろうから」


 茉希ちゃん、水着に関してはあなたが無理矢理……いや、今は甘んじて二人の優しさを受け入れて、反論するのはやめよう。


「ねえ、茜」


 不意に茉希ちゃんの声のトーンが下がった。今までのお喋りの雰囲気じゃない、真面目な話をする時の口調だ。


「何、茉希ちゃん」

「あんたさ、無理してない?」

「無理って、何?」

「何ってことはないでしょ。三年付き合えば、友達の気持ちくらい少しはわかるわよ」


 茜ちゃんが無理をしている? 茉希ちゃんの言葉に俺は目を開けそうになって、やめる。起きていることがバレたら今の会話が有耶無耶になりそうだ。聞きたいなら、このまま寝たふりをして……。


「楓が事故に遭ってから、あんたがどんな状況だったか、聞かされたでしょ」


 俺が事故に遭ってから、そろそろ四週間が経つ。その当時、俺は記憶の抽出と継承の治療の後で三日間、昏睡状態だった。茜ちゃんがどんな心境でいたのか、想像に難くはない。でも、それからかなり時間が経っている。茜ちゃんはとっくに立ち直っていると思っていた。


「確かに最近の茜は、端から見れば今まで通りに見えるよ。でも、アタシを誤魔化せると思わないで」


 長い付き合いだからとどこかに慢心もあったのかもしれない。俺の前では茜ちゃんも弱みを見せなかったし、自分のことでいっぱいで、気遣う余裕もなかったのは事実だ。茉希ちゃんの言う通り、茜ちゃんがまだ傷ついたままの可能性だってあったのに。


「茉希ちゃんは優しいね」


 茜ちゃんが呟くのと同時に、電車が減速して揺れた。寝た振りとはいえ力を抜いていた俺は、不自然に体勢を保つ訳にもいかず、慣性の法則のままに茜ちゃんにしなだれかかった。


 最低限の勢いを殺して、そっと頭を茜ちゃんの肩に乗せる。小柄な女の子の茜ちゃんの肩は、頭を支えるのも大変なんじゃないかと 思うくらい華奢だった。


「無理はしてないつもりなんだ。わたしはこれ以上ないくらい、今は充実してると思ってるから。もしつらいとしたら、何がつらいかわたしにもわからないよ」

「そんなのわかってるはずでしょ? だって茜は楓のことをずっと」

「どうしようもないことは、どうしようもないんだよ」


 茜ちゃんの意味深な言葉の後、沈黙が下りた。電車の音と、乗り合わせた人達の話し声。視界が閉じられた俺に入ってくるのは耳からの音と、茜ちゃんに触れている感触だけ。その触覚に今、茜ちゃんの手の温度が加わった。前触れなしに茜ちゃんは俺の手を握ったのだ。


「心配しないで。後悔してないわけじゃないけど、もう後ろ向きに考えるのはやめてるから。今わたしができることを全力でやる。じゃないと、わたしを助けてくれたお兄ちゃんに何もできないもんね」

「……茜はそれでいいの? 本当に後悔しない?」

「先のことはわからないよ。でも、今はそうすることしか、わたしにはできないから」


 力を込めて俺の手が握られている。痛くはないけど、心地よさは感じられなかった。茜ちゃんが何を考えているのか、まったくわからない。


 会話の内容から察するに、茜ちゃんは知らず知らずのうちに無理をしているかもしれない。そう思った茉希ちゃんが、心配して話を持ち掛けた。なぜこのタイミングなのか、理由があるとすれば、俺に聞かれたくなかったからだ。


 茜ちゃんが無理をするのは、茜ちゃんを助けた俺が事故に遭って女の子になったのを、自分のせいだと思っているからだ。それを俺に知られるのを避けるために、居眠りしたこのタイミングで話をしたのだ。俺が知れば茜ちゃんとの関係がこじれるかもしれないと、茉希ちゃんはそう考えたんだろう。


 もう何度目になるかわからない。俺はこの時でも、自分の無力さを思い知ることしかできなかった。一番に茜ちゃんの傍にいたはずなのに、茜ちゃんの気持ちをまったく考えていなかったことが情けない。男としてだけじゃなく、兄としても姉としても、茜ちゃんを守る存在だとは胸を張って言えない。俺はいったい何をしていたのか。


「楓が知ったら何て言うだろうね」

「言わないで」

「わかってるわよ。……誰も、何も救われないんだから」


 電車が止まり、扉が開く音がした。駅のアナウンスが遠く聞こえた後、また扉が閉まって、電車が発進する。二人はそれ以上、何も言葉を交わさなかった。






 茉希ちゃんとは最寄り駅で別れて、俺と茜ちゃんは夕飯の買い出しに向かった。ペイスで済ませてもよかったのだが、満員に近い電車に乗ることを考えると、荷物を増やすのは面倒だったのだ。帰り道から少し逸れたところにスーパーがあるので、そこに寄ることにした。


「ねえ、今日は何が食べたい?」


 茜ちゃんはいつものように夕飯の献立を聞いてくる。その笑顔は俺が男だった時と何ら変わらないかのように見えた。茉希ちゃんが無理をしていると指摘しているのを聞いていなければ、わからない。


「茜ちゃんは食べたいものないの?」

「わたしは何でもいいかな。お兄ちゃんと一緒なら」


 平然とそんなことを言ってくる。何も知らない男だった時の俺なら、この台詞の後ろにある茜ちゃんの気持ちなど、考えもしなかっただろう。でも今は、女の脳特有の鋭い勘がある。茉希ちゃんが気づけて、俺に気づけないはずはなかった。


 そう、ちょっと気を遣えば、簡単に気づいたはずだったのだ。

 茜ちゃんの気持ちも、俺がとるべき行動も。


「肉じゃが食べたいな」


 俺の返答を聞いて、茜ちゃんは嬉しそうに頷いた。


「お兄ちゃんのちゃんとしたリクエスト、久しぶりだね」

「優柔不断で悪かったよ」

「でもいいの。わたしのほうこそ決められないから、お兄ちゃんが決めてくれれば」

「茜ちゃん」


 言葉を遮るように名前を呼んだ。驚いたように、茜ちゃんは立ち止まる。


「全部、ってわけにはいかないよ。俺が勝手に決めちゃいけないこともある。だから、大事なことはちゃんと自分で決めてほしい」

「何の話をしてるの?」

「作りたい夕飯もやりたい遊びも行きたい場所も。本当は全部、茜ちゃんが決めていいことなんだよ」


 茜ちゃんが悩んでいる姿を見たことがない。見せないようにしているのか、あるいはその選択を俺に頼っているのか、どちらかしか考えられなかった。もし後者だとすれば、いつかきっと後悔する日が来るかもしれない。茜ちゃんが俺のせいにしなくても、俺は責任を感じられずにはいられない。


 悪く言えば、そういった責任を俺に押し付けるな、と言っているようなものだ。だけど、その責任を押し付けて逃げている茜ちゃんにも非はあるはずだ。


 怒っているわけじゃないし、茜ちゃんの気持ちもわからなくはない。だからこそ、俺はそれが間違いに等しいことだと気づいている。


「他に選択肢はないんだよ」

「それは茜ちゃんが選択肢を狭めているだけだよ」


 俺の言葉には答えずに、茜ちゃんはまた歩き始める。






 夕飯を食べて風呂も済ませた後、明日の準備が捗らずにベッドに身を投げた。


 ここまで茜ちゃんとの会話はない。いつもはお喋りが尽きない食卓も、今日に限っては静かだった。


 気まずくはあった。でも、俺はしっかり見届けないといけない。茜ちゃんが自分の進みたい道を決めるのを、最後まで。


「お兄ちゃん」


 ドアの向こうから茜ちゃんの声がした。声量からして、ドア越しに立っているのがわかる。


「どうしたの?」

「うん……今日、一緒に寝ていい?」

「いいよ。入っておいで」


 俺がベッドの上に座り直すのと、茜ちゃんがドアを開けるのは同時だった。


「よかった。断られたらどうしようって思っちゃった」

「そんなことしないよ」


 茜ちゃんを突き放したいわけじゃない。血の繋がりがなかった以前も、姉妹になった今でも、俺にとっては大切な存在だから。


 悩んでいるなら相談に乗ってあげたい。迷っているなら考えてあげたい。困っているなら助けてあげたい。


 でも茜ちゃんも一緒に向き合ってくれないと、意味がないんだ。

 歩いて行くのは、茜ちゃんなんだから。


 俺たちは背中合わせに布団に潜り込んだ。俺は壁際で、いつものように抱き枕を隣に抱いて寝る。明かりも消して暗闇の中、茜ちゃんはぽつりと言った。


「お兄ちゃんはわたしのこと、嫌いになったと思ってた」

「どうして?」


 いつも俺のことを気遣って、助けてくれる妹を嫌いになるはずがない。


「俺は怒ってないし、茜ちゃんを責めてるつもりもないよ。ただ、茜ちゃんは俺のことを気にしすぎて、自分のことを抑え込んでいるんじゃないかって、心配になったんだ」

「だって、お兄ちゃんが事故に遭ったのは」

「茜ちゃんのせいじゃないよ。きっと誰も悪くなかった。だから、それで自分を責めることはないし、むしろ色んなところで俺を助けてくれることを、胸を張って言っていいんだよ」

「そんなふうに考えられないよ……」


 茜ちゃんの声に嗚咽が混じり、触れている背中が震えていた。


「選択肢なんてないんだよ。だって、どれを選んでもわたしは後悔したまま。お兄ちゃんを事故に巻き込んだ事実は、絶対に変わらない」


 誰も、何も救われない、そう言った茉希ちゃんの言葉を思い出す。俺は抱き枕から手を離して、茜ちゃんのほうに寝返りを打った。泣いている茜ちゃんの顔がすぐ目の前にきた。


 小さい頃は茜ちゃんが泣くところを何度も見たことがある。転んで膝を擦りむいた時も、お気に入りのキーホルダーをなくした時も、茜ちゃんは俺にしがみついて泣いていた。小学校低学年の遠い昔のことだ。


 いつかのように、茜ちゃんの頭を自分の胸元に抱き寄せた。それだけでは泣き止まないともわかっている。あの時と違って、今の茜ちゃんを泣き止ませる方法がわからない。


「茜ちゃん、俺はどうしたらいい?」

「嫌わ、ないで」


 縋るように、茜ちゃんは答えた。


「ずっと、一緒にいてほしい。そしたらわたし、頑張れる」

「無理はしないでよ」

「無理じゃない……ううん、無理だとしても、させてほしい。それでわたしは少しだけ救われる気がするから」


 その言葉を最後に、茜ちゃんは俺の胸に顔を埋めたまま静かになる。しばらくして、静かな寝息が聞こえてきた。


 茜ちゃんが何に悩んでいるかも、何を望んでいるのかも、俺にはわからないままだ。ただ、茜ちゃんは俺に嫌われたくない一心でいることは伝わってきた。そんなことをしなくても俺は嫌ったりしないし、茜ちゃんから離れていく気もないのに。それをいつか、はっきりした言葉で伝えようと決意して、俺も目を閉じた。


 茜ちゃんが救われると言うなら、俺はしばらく見守っていこうと思う。誰も救われなくても、茜ちゃんだけは救われて欲しい。暗闇のなかでそうなりますようにと祈りながら、俺は眠りについた。



やっとゴールデンウィーク一日目終了です('ω')

なげえ……ながすぎる……


何もない日はすっ飛ばして、変化がある日だけ書き連ねようと思います。

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