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メイプルロード  作者: いてれーたん
黄金週間
31/110

救世主、菊池さん



 男から逃げるようにトイレから離れて、俺は菊池さんに連れて行かれるがまま、「Radiant Flower」に来ていた。店先の花の鉢を避けて中に入っていく菊池さんに、俺も後ろから続く。ここに来るまでずっと手を繋いだままだった。


「おはようございます」

「おはよう、菊池君。あら、楓ちゃんと一緒だったのね」


 にこにこして店内の商品を見回っていた柊さんが、俺を見るなり小さく驚いた。


「お、おはようございます」


 言ってから、俺はバイトでも何でもないので、普通に「こんにちは」で良かったなと思った。さっきの出来事から頭がまだ追い付いていないのだ。


「楓ちゃん、先に着替えてくるよ。しばらくここにいるかい?」

「はぅ、はい」


 変な返事になったけど、肯定の意は汲んでもらえたようで、菊池さんは俺の手を離すと「Staff Only」と書かれた扉の奥に行ってしまった。


「今日はどうしたの? 楓ちゃん一人?」

「い、いえ……さっきまで友達と一緒で……」

「そうなの? じゃあどうして菊池君と一緒に?」

「あぅ、それは……」


 二人っきりになったところで、柊さんに質問攻めされる。そりゃまあ、組み合わせとしては珍しいのかもしれないし、何よりバイトに女の子引っかけてくるように見えない菊池さんだからだろう。


 答えに窮していると、店内にお客さんが入ってくる。柊さんは答えを諦めて、お客さんの対応に向かった。その直後、「あっ」と声を上げるのが聞こえた。


「いらっしゃい、茜ちゃん」

「こんにちは。おに……お姉ちゃん来てませんか?」


 会話の内容に驚いて目を向けると、柊さんと茜ちゃんが挨拶を交わしているところだった。


「来てるわよ~、あそこに」

「あっ、お姉ちゃん! もう探したんだから!」

「ご、ごめん……」


 携帯で連絡しておくべきだったのに、すっかりそれを忘れていた。俺は茜ちゃんに怒られながら、頭を垂れて反省の意を表す。


「どうして一人でここに来たの? 言ってくれればみんなで寄ったのに」

「いや、ちょっと色々巻き込まれちゃって……ここに来たのも、自分の意思じゃなくて成り行きで」

「わかるように言ってよ。とにかく今から茉希ちゃんを呼ぶから、言い訳はその後でね」

「い、一緒じゃないの?」

「お姉ちゃんが帰ってくるかもしれないし、行き違いにならないように待ってもらってるの。携帯も反応なかったし、本当に心配したんだからね」


 言われてスカートのポケットから携帯を出すと、着信履歴が七件ほど。どれも一分おきだが、マナーモードのせいで気づかなかった。これはまた、二人に頭が上がらない。事の展開に青くなっていると、エプロンをつけた菊池さんが戻ってきた。


「お、茜ちゃんも来たんだね。いらっしゃい。もしかして楓ちゃんと一緒に来てたのかい?」

「こんにちは。ええ、そうなんですけど、お手洗いの前で待ってるって言ったのに、お姉ちゃんったら勝手に移動しちゃうから……」


 それを聞くと、菊池さんは気まずそうに頭を掻いて、茜ちゃんに謝った。


「それは知らなかった。実は楓ちゃんをここに連れて来たのは僕なんだよ。ちょっと変な奴に絡まれてたから、ほうっておけなくてね」

「えっ、そうなんですか? 変な奴って?」

「うーん、どう説明したものか。僕も途中からしか見てなかったし……」


 ちら、と菊池さんが俺のほうに視線を送る。俺も説明しろと言われたら難しい。どう言ったものか悩んでいると、のしのしと一人のお客さんが店の中に入ってきた。肩を怒らせて真っ直ぐ俺に向かって進んでくる。顔は鬼の形相へと変貌しているが、茉希ちゃんに間違いなかった。


「かえでえぇぇ、アンタってやつは!」

「ひぃ!」


 さっき感じた恐怖なんて遊びみたいに思えた。竦みそうな足を動かして、何とか菊池さんの後ろに隠れる。部外者がいることを察知した茉希ちゃんは、ふと冷静になって歩みを止めた。が、眇めた目は相変わらず鋭く俺を睨みつけている。


「えっと、二人のお友達かな?」

「そうです、茉希ちゃんって言います」


 答えたのは本人ではなく、茜ちゃんだ。菊地さんは茉希ちゃんに向き直って名乗った。


「初めまして、僕は菊池誠悟。大学生で、この店でアルバイトをしています。こっちは店長の柊です」

「よろしくね~」


 にこにこといつもの緩んだ顔で手を振る柊さん。この人だけはこの店の植物が全滅でもしない限り、取り乱したりしない気がする。


「えっと、鈴原茉希です。二人とは友達同士で、同じクラスです」


 状況が把握できていない茉希ちゃんだったが、初対面で礼儀がないのはまずいと思ったらしく自己紹介をする。そしていろんな人に視線を巡らせた後、最後に俺を見据えてこう言った。


「とりあえず、どういうことか説明してくれない?」






 店の中で五人も固まって話すわけにはいかず、俺たちは場所を変えた。関係のない柊さんだけがお店に残り、一旦菊池さんもエプロンを外して、ペイスの二階のフードコートまで移動した。


 昼時は過ぎていたが、軽食を食べる人たちでなかなかに混んでいた。それでも運よく四人が座れる席を確保し、俺と菊池さんでことの顛末を二人に話した。


「――ってことは、楓はナンパされてたってこと?」


 茉希ちゃんが身を乗り出して言った。改めて言われると恥ずかしくて、答える代わりに頷いて肯定した。


 菊池さんはいつものように駐車場二階にバイクを停めて、「Radiant Flower」に行くところだった。その途中でたまたま、トイレの前で揉めている俺を見かけて、気になって声をかけたらしい。トイレはペイスのテナントスペースと駐車場を繋ぐ連絡通路の近くだったから、運が良かった。


「つまり、運が悪かったらその変な奴に連れて行かれていたかもしれないのよね?」

「……かも、しれない」


 もちろんついて行く気はなかったけど、あの状況で菊池さんが声をかけてくれなかったら、一人で逃げ出せたとは思えない。


 あの時、俺は恐怖でほとんど抵抗できなかった。あの男は力で敵わないことを俺に認識させた上で、優しそうな言葉と笑顔で誘導しようとしたんだ。さもなければ痛めつけるぞ、という暗喩な脅しを悟った俺は無意識に、この人の言うことを聞かなくちゃ、と考えそうになった。


 掴まれた左の手首が痛むような感じがして、右手で覆った。


「ごめんね、楓」


 驚いて顔を上げると、茉希ちゃんが頭を下げていた。怒りで鼻息を荒くしていた時とは別人だ。


「アタシの配慮が足りなかった。楓を狙う男どもは学校だけじゃないのに、それを忘れてたわ」

「わたしもあの時、強引にでも一緒についてくるように言えばよかった。そうしてればお姉ちゃん、怖い思いをせずに済んだのに」


 続けて茜ちゃんも謝ってくる。俺は慌ててかぶりを振った。


「いやいや、何も二人が謝ることじゃないだろ? 男を追い払えなかった俺自身にも落ち度はあるんだし……」

「確かに楓が無防備なところにも問題はあるけど、元は楓を一人にしちゃったアタシたちのせいなのよ」

「そんなことないって。俺が勝手に一人で待ってるって言ったんだから」


 俺が、アタシが、と言い合いの平行線になりかけて、菊池さんが待ったの声をかける。


「まあまあ、結果的に無事だったんだし、こうして何もなかったことを喜ぼうよ。お互いの負い目については、次から気をつければいいんだからね」


 今回の救世主である菊池さんの言葉には、誰も異議を唱えられない。みんなが口を閉じて一拍の沈黙の後、再び菊池さんが言った。


「状況説明できたし、僕はそろそろお店に戻るよ。みんなはどうする?」


 聞かれて三人で顔を合わせて、茉希ちゃんが答える。


「もう少しここで話します」

「わかった。じゃあ、三人とも気をつけて帰るんだよ」

「あっ、あの」


 立ち上がった菊池さんを、俺は慌てて呼び止めた。


「迷惑じゃなければ、後でまたお店に寄ってもいいですか?」

「ん? ああ、いいよ。いつでもおいで」


 振り返った菊池さんが笑ったのを見て、俺はほっと胸を撫で下ろした。断られたらどうしようと、一瞬不安になったのだ。菊池さんがフードコートから出ていくのを見届けて、茉希ちゃんが口火を切った。


「本当に楓が無事でよかった。菊池さんっていい人ね」

「うん、いい人だよ」


 茜ちゃんがはっきり答えると、俺も頷く。それを見た茉希ちゃんは深く溜息をついた。


「ごめん、ちょっと自己嫌悪。最初ね、あの人が楓を連れまわしたんじゃないかって疑っちゃったんだ。それを謝るどころか、楓を助けてくれたお礼も言いそびれた。なんかアタシ、駄目だわ」

「そんなことないって。第一、俺自身も菊池さんにお礼言ってないし……だからまあ、さっき咄嗟にお店に行っていいか聞いたんだけどさ。だから、茉希ちゃんが落ち込むことはないだろ」

「友達を助けてくれた人なのよ? それなのに疑ったりお礼言わなかったり、失礼じゃないの。まあ、アタシも後でお店に行って、ちゃんと言うけど」


 俺が頷くと同時に、茜ちゃんが何かを思いついて手を打った。


「ねえ、お礼の印に、何かお菓子とか持って行くのはどう?」

「あ、それいいかも」


 落ち込んでいた茉希ちゃんが徐々に復活し始める。当初の雰囲気に戻りつつ、どんなお菓子を買って行こうかという話題に移っていった。ラッピングが可愛いのがいいとか、あまり高すぎるものは気を遣わせるから駄目だとか。最終的に、話しているだけでは埒が明かないと結論が出て、三人揃って一階の食品売り場へ向かった。



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