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メイプルロード  作者: いてれーたん
黄金週間
30/110

声をかけられて


 俺たちがレストランを出る頃には三時になろうとしていた。明日のプールのことや学校のことでお喋りもして、たっぷり一時間もレストランで過ごしていたのだ。


「なーんか甘いもの食べたいわね」

「さっき昼飯食ったばかりだろ」

「いやいや楓くん、そこは別腹ってやつだよ」


 確かにおやつ時だが、俺たちはたった今お腹を満たしたばかりだ。ところが茉希ちゃんの言う通り、別腹は存在するらしい。甘いものと聞いたとたん、俺の満腹感が少し和らいで、ちょっとしたものなら食べられる気がしてくるのだ。


「不思議なもんだなぁ」

「どうしたの?」

「いや、なんでもない」


 お腹をさすっていると茜ちゃんが不思議そうに聞いてきたので、俺は苦笑して誤魔化した。


「それで、美味しいパンケーキを出してくれる喫茶店があるんだけど、二人とも行く?」

「茉希ちゃんが行きたいなら、ついて行くけど」

「わたしも行きたい。あ、ちょっとその前に……」


 不意に茜ちゃんが通路の上をきょろきょろと探し始めた。


「どうかしたか?」

「うん、先にお手洗いに行きたいなって……あ、あっちだね」


 どうやらトイレへの案内板を探していたらしい。矢印はこの先のエレベーター付近にトイレがあることを差していた。ひとまずそこまで移動する。


「アタシも一緒に行くわ。楓はどうする?」

「あー、俺は出入り口近くで待ってるよ」


 俺は近くに設置されたベンチに座って、二人を見送った。


 そういえば女子ってなぜかトイレに入る時は複数人だよな。俺も女の身体だが、一緒に行く理由はよくわからない。学校では誰かが付き添ってくれるけど、集ってくる男子さえいなければ特に一人でも問題ないし。身体が理由じゃないなら、心理的なものなのかなあ。


 どうでもいいことを考えていると、いつもの眠気が襲ってきた。気を抜くとすぐこれだ。今日は寝坊したとはいえ、睡眠不足を取り返す時間がなかった。おまけに食べたばかりで、満腹感から普段より瞼が重く感じられる。ベンチの座り心地はよくなかったが、あまりに手強い睡魔に頭を垂れそうになった。


「ねぇ、キミ」

「っ……!」


 突然、かけられた声に身体がびくりと反応した。やばい、ちょっと寝てたかもしれない。もしかして誰かに見られたか? 反射的に顔を上げると、知らない男の人が立っていて、人のよさそうな笑顔で俺を見下ろしていた。


「キミ、なんだかヒマそうだね。一人なの?」

「え? ああ、えっとその」


 間違いなくこの人には寝落ちしそうなところを見られていた。恥ずかしさと焦りでパニックになり、何を尋ねられているのかもすぐには頭に入ってこない。


 そもそもこの人誰だよ。第一印象は「チャラそう」の一言だ。茶髪で片耳にピアスをしていて、腕にバングルを嵌め、十字架のチョーカーも首から下げている。服はパッと見ならオシャレなのに、アクセサリーや染髪のせいで遊び人感が溢れている。それと座っているから錯覚かと思ったけど、生前の俺より背が高い。


 混乱してても観察する時はすごく冷静だ。女の人の脳ってすごい。


「今ちょっと待ってるところで……」


 客観的になったことで少し混乱が収まり、男の人の質問に答えられた。


「ああ、なるほど。カレシ?」

「友達です」

「そうなんだ。じゃあさ、お願いがあるんだけど」

「……何ですか」


 にこにこと作ったような笑みを浮かべて話してくる男に、俺は不信感を持ち始めていた。そもそも「じゃあ」ってなんだよ、取ってつけたような会話の繋ぎが胡散臭い。


「この辺りにパンケーキの美味しい喫茶店があるんだけどさ、オレちょっと迷っちゃって、良かったら一緒に来てくんないかな?」


 初対面なのに、なんでこんなに馴れ馴れしいんだろう。見たところ年は同じくらいなのに……いや、逆だ。向こうは俺のほうが年下だと思ったのかもしれない。追い払いたかったけど、いい言葉も言い訳も見つからなかった。仕方なく、俺の中での妥協案を言ってみる。


「友達が戻って来てから行く予定だったんで、一緒になら案内できると思いますよ」

「いやいや、待ってたら席埋まっちゃうよ。すごい人気のお店らしいんだ。だからさ、今から行こうよ」


 そう言って手を差し伸べてくる優男モドキ。その実、こっちの事情はお構いなしだ。友達待ってるって言ってんのに。


「大丈夫だよ、携帯で連絡すれば。それに今から行っておけば、早いうちから友達の分まで席が取れるよね。ほら、だから行こうよ」

「いや、あの、俺も道は知らないんです。そういうお店があるってさっき友達に聞いたばかりだから……」


 一瞬だけ男の人が目を丸くした。あっ、と思って口を塞ぐが、出てしまった言葉は戻らない。その仕草を見て男の人は目を細めて屈み、低い声で尋ねた。


「へぇ、珍しいね、自分のことを俺って言うなんて」


 睨んではいない。でもなぜか、威圧されていることはわかった。男の人の静かな凄みに耐えかねて、俺は声を絞り出すように聞いた。


「癖、です……気にしないでください」

「そう言われても気になるよ」


 ぐっと迫るように顔を近づけられて、俺は咄嗟に顔を背ける。でもそれは間違いだった。耳に吐息がかかるような距離で、男がさらに低い声で囁いた。


「ねぇ、向こうでちょっと話そうよ。キミに興味が湧いてきた」


 背筋がぞくりと震えた。不意に身体の力が抜けて、おまけに何も考えられなくなる。男から離れたくても逃げ道はなく、椅子の背凭れに追いつめられた。


 不意に左腕が引っ張られる。いつの間にか男が手首を掴んでいて、初めは優しく、動かないとわかると力を込めてぐっと引っ張ってきた。


「っ、痛い!」


 振りほどこうとするも、力の抜けた身体では敵わない。身体を丸めるように抵抗するが、逆に俺自身が男に引き寄せられた。連れて行かれる、頭では理解していても、身体が麻痺したように動けない。


「おいで。一緒にくるんだ」


 手を引かれる先で、男が口元を三日月に歪めていた。手首を握る手はきつくて痛いままだ。さらに力を込められたらどうなるんだろう。言うことを聞かなければ骨を折る、そう脅されている気がして、抵抗を諦めかけたその時。


「楓ちゃん?」


 あまり聞いたことのない呼び方だったけど、よく聞いたことのある声だ。そしてそれは、間違いなく俺を呼んだものだと理解して、はっと我に返る。


「……やっ!」


 空いていた右手を使って力づくで男の手を振りほどき、勢いのまま両手で男の身体を突き放す。気のせいかもしれないが、男の手が緩んでいたのも幸いした。抜けていた力が戻ったことを確かめて、俺は椅子から立ち上がり、転びそうになりながらも無我夢中で逃げようとする。


「ひゃっ!?」

「うわっと!」


 数歩足を踏み出した刹那、不注意で前方の誰かとぶつかってしまう。視線を男に向けていたせいだ。ぶつかってしまった誰かの大きい胸板と腕に、俺は包まれるように受け止められた。


「楓ちゃん、だよね? 大丈夫?」

「う、あ……?」


 言葉にならない声を漏らしながら顔を上げると、見覚えのあるお兄さんが心配そうに俺を見つめていた。


「き、菊池さん」

「やっぱり楓ちゃんだ。急にどうしたの、あの人は知り合い?」


 菊池さんが尋ねながら視線を俺の後ろにいる男に向ける。その時になってようやく俺は、自分の置かれていた状況を自覚した。


 いったい男は今、どんな表情をしているのか。さっき感じた凄みを思い出して、突き飛ばしてしまったことが急に怖くなった。


「し、知らない人です。さっき急に声をかけられて、喫茶店行こうって言ってきて」

「……なるほど、そういうことか」


 納得したような言葉を漏らして、菊池さんは不意に俺の身体を引き寄せた。さっきの男とは違い、引っ張る感じはない。あくまで優しく俺の身体を隣に移動させる。


 くるりと方向転換した先に、さっきの男がいた。人のよさそうな笑みは見る影もなく、怒りの炎を瞳に映して菊池さんを睨みつけている。自分に向けられていないのに、思わず竦み上がった。


「大丈夫だよ」


 菊池さんの手が優しく俺の肩を抱き寄せる。ぴったりと密着する形になって、自然と俺の手は菊池さんの身体にしがみつく格好になっていた。それに吸い寄せられるように男の眼球が動く。


「おいで。もう目を合わせちゃだめだ」


 菊池さんが自分ごと俺の身体を方向転換させ、男に背を向けさせた。そのまま離れるように、人の往来に紛れ込む。遠くで男が舌打ちするのが聞こえた。



2015/11/25 微修正

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