最新技術で性転換
「じょ、冗談じゃないですよね?」
常識で考えてみよう。素人目線だが、あの事故から助かったのは多分奇跡だ。おじさんの尽力もあってこそだと思う。真っ先に言うべきは感謝の言葉であるはずだ。
しかし、目の前の出来事は常識ではあり得ない。整形や肉体改造の次元を超えている。
「これが冗談だったら、君は今ここにはいない。救急車が来た頃には、すでに君は死んでいた。骨折八十ヶ所、臓器もミンチ状態、両足は引き摺られて原型を留めていなかった。中でも最悪だったのは脳の損傷だな。後頭部を打ち付けて頭蓋骨が陥没し、粉々の破片が脳を――」
「も、もういいです! とにかく、助からなかったのはわかりましたから!」
「ああ、如何なる蘇生措置を施しても不可能だった。茜の話では、事故直後はまだ意識があったという話だから、即死じゃないことが奇跡のようなものだ」
凄惨な光景を想像してしまい、思わず青ざめる。茜ちゃんも思い出したのか、俺より遥かに顔色がよろしくなかった。しかし、俺には気分を悪くして黙り込んでいる暇はない。聞きたいことは山ほどあるのだ。
「じゃあ、どうして俺は生きているんですか? それもこんな姿で」
「うむ。端的に言うと、記憶の移植によるものだ」
「記憶の移植?」
言葉をそのまま反芻すると、おじさんは大仰に頷いた。
「損傷があった君の脳から生前の情報を取り出し、新たな脳に移したのだ。その身体は茜のコピーでな、脳にはまだ人格や記憶といった情報がない状態だったんだ。その空っぽの脳に、君の記憶をすべて上書きしたというわけだ」
「茜ちゃんのコピー? クローン人間ってことですか?」
「まあ、簡単に言うとそうなる。記憶の継承と合わせて、人間が永遠の命に近づく技術にして、私の研究成果の集大成だ。しかしながら、まだ世間には発表に至っていない」
信じられずに手鏡の中の自分を見る。茜ちゃんに負けず劣らずの美少女は、確かに彼女の面影を思わせた。けど、まったく一緒ってわけじゃない。髪の色や癖、長さが違うし、眉の太さや下がり具合も顔の雰囲気を変えている。ただ、姉妹と言われれば納得してしまうくらいには似ていた。
「クローンと言っても、完全なるコピーじゃない。その身体は茜の遺伝子をベースにしているが、個体としては別物なんだ。双子程度の相違があると考えてくれ」
「はあ……なんかややこしいですね」
「というわけで、君は今や身も心も女になったというわけだ」
「いや、心はまだ男のままですから!」
そこを否定して何になる? とでも言いたげな目で俺を見下ろすおじさんは、気を取り直すように一つ咳払いをした。
「ともかくだ、身体の説明は一旦置いておいて、今後の話をしよう」
おじさんは俺の小さい手から手鏡を取り上げると、再び白衣のポケットにしまう。
「まず、君の立場は非常に難しいものだ。背格好や年齢、性別まで変わってしまったのだから、別人だと思われて当然なのだが、もし生き返ったことを説明しても、同一人物としては受け入れてはもらえないだろう。勝手に生き返らせておいてなんだが、そこは理解してくれるだろうか?」
言葉は難しいが、おじさんの言いたいことはわかる。事故で死んだ人間が生き返ったなんてありえない。しかも外見が跡形もなく変わってしまっている。信じてくれる人は少ないし、それなら説明しないほうがいい。
「そうなると、俺は別人として生きていくことになるんですか?」
「残念ながらな。君が生き返ったことを公言すれば混乱を招く。だからこのことは、ここにいる私たちと、君のご両親との間だけの秘密だ。止むを得ず世間に発表する時もあるかもしれないが、やり直しの人生を穏便に過ごしたいなら、あまり大っぴらに話さないことだ」
「わ、わかりました」
「それと明日からは検査とリハビリを受けてもらう。まあ、念のためだ。問題がなければ三日程度で退院もできるだろう。今後の生活についても、明日には君の母親が来てくれるそうだから、一緒に話し合おうと思う」
「母さんが?」
この場にいない第三者であれば、この状況に疑問を覚える人もいるかもしれない。俺の看病に付き添っている人は血縁者ではなく、幼馴染とその父親なのだ。息子が交通事故で死んだとなれば、真っ先に親が飛んでくるはずだと思うだろう。でも、これには理由がある。
俺の両親は海外を転々として活動する医療団の一員なのだ。自然災害や武力紛争、各地で流行する疫病のニュースの裏で、人知れず医療活動をする団体にいる両親は、年に一度帰って来れるかわからないくらい忙しい。お盆、年末はよく電話がかかってくるが、最近はめっきりだった。
ずっと会ってなかった母さんが俺のために帰ってくると聞いて、嬉しくないわけがない。その安心感もあって、ようやく落ち着くことができた。
「とりあえず、今は休んでおくといい。夜までは茜にいてもらうから、何かあったら言うんだ。私は仕事が残っているので失礼するよ。茜、楓くんのことは頼んだぞ」
「うん……」
茜ちゃんが小さく頷くと、おじさんは病室を出て行った。今更気づいたがここは個室のようで、残された俺は茜ちゃんと二人っきりになる。彼女は椅子に座って俯いていて、まだ立ち直れていない。そりゃ、目の前で俺が死んだところを見たんだから、相当ショックを受けたんだろう。
「……茜ちゃん」
「な、何? 具合悪い?」
「いや、そうじゃないけど……」
何か話しかけようとしただけなのに、過剰に心配される始末だ。まともに話をしようにも、この雰囲気を何とかしなきゃ。
「鏡あるかな? もう一回見ようと思って」
「あ、えっと……」
茜ちゃんは椅子の下にあった学生鞄から、折り畳み式の手鏡を取り出して渡してくれた。何か見たことあるなと思っていたら、さっきおじさんが持っていたものとデザインが似ている。父子で揃えているんだろうか。
手鏡を開いて俺の顔を見る。やっぱりさっきと同じ美少女が映っていた。そのまま頬を触ると、鏡の中の娘も同じ仕草をする。抓ってみると当然痛い。ベタな方法で夢じゃないことを確かめてから、今度は顔の隅々を観察してみる。
なるほど、茜ちゃんのクローンと言われれば、似ているところが多い。今の俺のほうが茜ちゃんより髪が長く、多分胸も大きめだけど、見た目の雰囲気は茜ちゃんだ。姉妹という表現も的を射ている。
今の彼女が少し成長したら、こんな感じになるかもしれない。そんなことを思いながら茜ちゃんのほうを見ると、目が合った。鏡と睨めっこする俺を見ていたらしく、驚いた彼女は咄嗟に目を逸らした。
「えっと、ごめんね。わたしの身体しか用意できなくて……。本当なら前と同じお兄ちゃんの身体を作ってほしかったんだけど、お父さんができないって。クローンでも、成長するのにかかる時間は普通の人と変わらないみたいなの。ある程度まで育ってた身体が、わたしのしかなかったんだ」
「そ、そうなんだ……」
躊躇いがちに話す茜ちゃんに、そんな気の抜けた返事しかできない。俺を生き返らせるためには止むを得なかったんだろう。よく考えるとおじさんにもそうだが、茜ちゃんにも助けられたってことじゃないか。茜ちゃんのこの身体がなければ、俺は生き返る方法がなかったんだから。
「ありがとう、茜ちゃん。おかげで俺、生き返ることができたよ」
「わ、わたしのほうこそ!」
茜ちゃんは椅子から立ち上がり、ぐっと顔を近づけてきた。生前でもこんなに顔が近くに来たことはなくて、さすがに俺も驚いてしまう。構わず、茜ちゃんは続けた。
「わたしのほうこそ、お兄ちゃんにお礼を言わなくちゃいけないの。お兄ちゃんが庇ってくれなかったら、あの時絶対にトラックに轢かれてた。そしたらわたしが死んでたんだよ」
「……それじゃ、お互い様なんだね」
暗い顔をした茜ちゃんの頭に手を添えて、ゆっくり撫でる。生前の時からの癖で、血は繋がってないけど、茜ちゃんとは本当の兄妹みたいに過ごしてきた。妹を安心させるにはどうすればいいか、心得ているつもりだ。
今の茜ちゃんの頭は俺の手に余る。ずっと妹だって思ってたけど、彼女も立派に成長しているんだ。
「大きくなったね、茜ちゃん」
「違うよ、お兄ちゃんが小さくなったんだよ」
「ああ、そっか……」
自分の手を見つめると、確かに身体に比例するようにサイズが縮んでいる。「ほら」と差し出してきた茜ちゃんの手と重ねてみると、ほとんど同じ大きさだった。
茜ちゃんを宥めていたおかげで、客観的だったせいか、俺は冷静で穏やかだった。女の子に変わってしまったことは確かに一大事だけど、それ以前に生き返ることができた事実がある。不幸中の幸いだと自分を納得させることで、茜ちゃんの前では落ち着いていられた。