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メイプルロード  作者: いてれーたん
黄金週間
27/110

逃避衝動


 電車で三駅ほど移動して、そこから出るペイス直行便のバスに揺られること十分。俺は今月で三度目となるペイスへの来訪を遂げた。最初に来てから二週間ほどなのに、やけに訪れる頻度が高い。それなのに飽きることはなく、まだ回れてない場所もある。今日はその一つである、水着売り場へ向かった。


 大量の女性用水着がある売り場に来るや否や、俺は思わず気が引けてしまった。下着売り場ほどのピンクな雰囲気ではないが、女性の大事な部分を隠す布と言うことに変わりはなく、後ろめたさがあるのは隠せない。


「楓、どうしたの? もっと奥に行かなきゃ」

「お、おう……」


 早くも浮き足立つ俺の手を掴んで、茉希ちゃんはぐんぐん引っ張っていく。俺の真横をたくさんのビキニが通り過ぎ、目の前にはワンピースタイプの水着、振り返るとスクール水着。なんでこんなとこに。いや、水着売り場だから当然だけど、これだけ浮いてる気がする。


「もしかしてそれがいいの? 楓ってマニアック?」

「違うから。見てただけだから」


 茉希ちゃんに目ざとく気づかれて、俺は早口で否定する。というか着る側もマニアック認定されるのか、それは初めて知った。何の役にも立ちそうにないけど。


「とりあえず、わたしたちのを先に決めちゃおうよ。お兄ちゃんのはその後ね」

「お楽しみは最後に取っておいたほうが得よね。その分、時間をたっぷり取れるんだし」


 二人の意見は合致して、すぐに行動に移すべく俺を置き去りにして水着選びに行ってしまう。どうか二人ともじっくり悩みますように。その間、俺もある程度は慣れておこうと水着売り場を歩き回ることにした。


 こうして見て回ると、水着だけでも本当にいろんな種類がある。売り場面積からしても男より女のほうが多いし、そもそも男物の水着なんて下に履くだけのものしかないから、柄と色以外はどれも似たり寄ったりだ。


 比べて、女物は上下に分かれるものと一緒になっている物でまず二分、そこからさらに細かく種類が分かれていて圧倒的に多い。おまけに男と違って重ね着、重ね履きもする。俺にとっては理解できない世界だ。多分、水着に対する認識が違うからだろう。男にとっては単純に水泳するための装備だが、女にとっては同時に自分の身体を魅せるためのファッションでもあるのだ。


 常に自分を魅せ、周りの視線を気にする、それが女という生き物らしい。これは茜ちゃんの受け売りだ。


 自分を魅せるということに対してはあまり実感は持てていないが、最近はやたらと身嗜みを気にするようにはなった。周りからの視線を感じた時に「変な格好をしていないか」という不安を拭うためでもあるが、そうでなくても家を出る時は必ず自分の格好を鏡に映すようになった。今どんな服を着ているのか、どんな体勢でいるかすらも、常に気にかけている自分がいる。身体に釣られて頭のほうも、徐々に女に近づいている証拠だった。


 かといって俺はどうすることもできない。もう男として生きられない以上、女になっていくのは仕方のないことだと割り切ろうとしている。意味のない焦燥感や虚脱感はあるけれど、本当にどうしようもないのだ。ブラをして、スカートを履いて、身嗜みを気にして。この前は生理も来た。もう自分が男のプライドを維持していても、得られるものは何もないのだ。


 きっと男の俺は、あの事故の時にもう――。


「あの、お嬢様、どうかされましたか?」

「へっ?」


 店員の女の人が近づいてきて、俺の顔を心配そうに窺った。ああ、「お嬢様」って俺のことか。慣れない呼び方だけど、呼ばれていることは自覚できた。


「お連れ様はどこでしょう? 逸れてしまわれたのですか?」

「いえ、ただ別行動をしているだけで……」


 どうしてそんなことを聞かれるのかわからなかった。やたら心配そうに食いついて来るので、慌てて首を振る。不意に、店員さんの顔が、景色が滲んでいることに気づいた。


 はっとした。そしてすぐ、どうして、と思った。融通の利かない自分の身体に動揺して、焦りと怒りも混じってぐちゃぐちゃになる。無我夢中でその場から駆け出し、トイレの個室に駆け込んだ。


 不安がいっぱいでたまらない。俺が何なのかも、どうすればいいのかもわからない。自分が泣いていることに気づいた瞬間、そんな黒いものが胸を圧迫して、身体が小刻みに震え始めた。


「……だめだって。はやく、もどらなきゃ……っ」


 二人に心配かけまいと、我慢するって決めたばかりだ。一人で悩んで、周りを巻き込まないようにしようって。


 自分が自分でなくなっていく。その恐怖が目の前に突き付けられるたびに、こうして涙を止めようとしなければならない。これも慣れていくだろうか。そしていつか、泣かなくてもいいようになるだろうか。


 俺は涙が止まるまで、自らの膝に顔を埋めて嗚咽を漏らさないようにするのが、せめてもの抵抗だった。








「どおどお? 見た瞬間ビビッてきたやつなんだけど!」


 更衣室のカーテンを勢いよく開けて現れた茉希ちゃんが、試着室の中でくるりとターンした。パステルな色合いの水玉模様のブラと、活発そうな印象のショートパンツが、いかにも茉希ちゃんらしい水着と言える。それを俺に見せつけるようにポージングして、なぜか得意気だ。いや、自分の身体に自信があるのは結構なことだが。


 茉希ちゃんの胸、思ったより大きかったんだな。服の上からじゃわからなかったけど、脱いだらすごいタイプとか言う奴か。羨ましい、一瞬そんな気持ちがよぎったことに俺は驚いた。羨ましいってなんだよ、元男が考えることじゃない。今の身体の胸がどれだけ大きくなかろうと残念がる必要はないのに。これも思考が女よりになって来ている影響か。


 茉希ちゃんの水着ショーはこれで三着目。どれもショートパンツかキュロットパンツで、拘りでもあるんだろうか。似合ってるからいいし、好きならそれでいいけど。じゃあ何で選んでいるのかと言えば、模様と色の好みだ。


「ねね、感想は?」

「えっと、さっきよりはいいと思うよ。明るい色のほうが茉希ちゃんには似合う気がする」

「ふむふむ、なるほど……」


 ショートパンツの裾をスカートのように摘まんで、しげしげと眺める茉希ちゃん。俺の赤い目元に気づいていながら、触れてこないのは彼女なりの優しさとケジメだろう。


 ひとしきりトイレで泣いた俺は、落ち着いてからこの水着売り場まで帰ってきた。直後に水着を三着手に持った茉希ちゃんに遭遇し、こうして試着の感想に付き合わされている。一人でいて悩むより、誰かといて気を紛らわせることができたので、俺としても非常に助かっていた。


「そういえば、茜はどうしたのかしら? 感想聞きたいのに」

「探してこようか? 売り場から離れてはいないと思うし」

「うーん、そうね、お願いするわ。その間に着替えておくから」


 茉希ちゃんを試着室に待たせて、俺は周辺を歩いて茜ちゃんを探す。中に目を向けながら外周を回ったが、茜ちゃんは見当たらない。トイレに行っているかもしれないと思って、一度茉希ちゃんのもとに帰る。


「あれ、いたんだ?」

「あ、お兄ちゃん。ごめんね、わたしを探してくれてたんだよね」

「そうそう。楓が行ってからひょっこりここに。面白いくらい行き違いだったわよ」


 試着室の茉希ちゃんの目の前に茜ちゃんが戻ってきていた。茜ちゃんの手には選んできたらしい水着のハンガーがある。選んでて携帯にも反応しなかったのか。まあ、合流できたならいいけど。


「それで、感想は聞けた?」

「ええ、さっきたっぷりとね。アタシはこれにするわ」


 結局三着目の、俺がいいとコメントしたパステルカラーの水着に決まった。


「茜ちゃんのは?」

「わたしのはもう決まってるんだ」


 茜ちゃんの持っている水着は一着だけだ。試着も済んでいるらしいけどいつの間に決めたんだろう。俺がこの場を離れたのは数分のはずなのに。


「それより、お兄ちゃんの水着だよ。どんなのにしようか」

「ふっふっふ、これは腕が鳴るわ。必ず楓の魅力を二○○パーセント発揮させる水着を見つけてみせるっ!」


 二人とも張り切っているようで、今すぐにでも帰りたい。が、それ以前にどこか違和感を感じた。なんだか重要なことをすっかり忘れてしまっていて、それが今になって気になりだした感じだ。なんだろう、この焦りにも似た感覚は。


「さあ、まずはこっちからよ。楓の意見も聞きつつ、よさげな水着を選びましょう!」

「えぇ~……」


 俺は茉希ちゃんに引っ張られて、試着室から一旦離れる。前には俺の手を引く茉希ちゃん、後ろには笑顔でついて来る茜ちゃん。二人に挟まれて逃げられない。そのまま再び水着の樹海の中へ連れられて、いつ抜け出せるのかと計り知れず不安になるばかりだった。



2015/11/25 会話文等、微修正

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