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メイプルロード  作者: いてれーたん
黄金週間
26/110

葛藤

更新の日にちがかなり空いてしまいました。

以前のペースに戻れるよう尽力します。



 学校から帰宅して私服に着替えると、約束の時間の三十分前になっていた。


 家から駅までは歩いて学校と同じくらいかかる。それなのに俺は出る準備もせずに、自分の部屋で布団に籠っていた。


 俺はこれ以上ないショックを受けていた。自分が女の子になったときと同じか、あるいはそれより大きいショックだ。


 本郷さんに聞いてしまった、裏庭の花壇の事情。今日のタイミングでしかきっと教えてくれなかったように思う。ある意味で運命の悪戯というものを呪いたくなった。


 俺の追悼のためにクラスのみんなが花を植えてくれたことには、もっと別の感情が湧いてもいいはずだ。みんなへの感謝とか気にかけてもらった喜びとか、そういうの。でも、一切感じなかった。


 本郷さんの話を聞いている時は、まるで幽霊になった気分だった。俺が抜け落ちたクラスの様子を語られ、俺はここにいるのにいないことになっている。もうそこに戻れない、元の自分には戻れないと悟ると、どうしようもない恐怖と虚無感が襲った。


 俺はこうして生きている。でも事情を知らない周りの認識は、俺は既に死んでいるというどうしようもない事実だけだ。既死の自覚がなかった俺に、それは容赦なく突き立てられた。


 周囲にいた人たちの中にある俺の存在が、失われたものになっている。目の前で過去のものになっていく。事故で死んだ俺と今生きている俺がどうしても別の存在に思えて、俺は一体何者なんだって話になってくる。いくら以前のように生きたとしても、周りの認識ではもう俺は「小坂楓」ではない。それが恐ろしかった。


「お兄ちゃん、入るよ?」


 頭から布団を被っていると、ノックと同時に茜ちゃんの声がした。返事をするかどうか迷っていると、静かにドアが開く。さすがに子供みたいに籠ってはいられなくなったので、布団から顔を出した。


「顔色は悪いけど、病気ってわけじゃなさそうね」

「……茉希ちゃん」


 茜ちゃんの後ろには、予想もしていなかった人物がついて来ていた。


「楓の様子が変だって、茜から電話を貰ってこっちに来たのよ。駅で待ってても来なさそうだし、じゃあ押しかけちゃおうって思って」

「ごめん、約束破るとこだった」

「素直でよろしい。で、結局のところ何があったのよ」

「それは……」


 説明は難しい上に、おじさんとの約束で情報の制限がかかっている。俺は口を噤んで目を伏せた。


「昨日、学校に呼び出されてたわよね。学校で何かあったの? 鹿角の奴に出くわして何か言われたとか?」

「いや、違う……」


 鹿角先生には俺も目をつけられているし、嘘にはなるけど今の説明をする必要もなくなる。茉希ちゃんの予想を否定してから、そういうことにして有耶無耶にすればよかったと後悔した。他の言い訳を探して頭を巡らせるが、いい案は思いつかない。


「言いにくいことなら詮索しないわ。でも、それなら普段通りに振る舞うのがマナーよ。何でもないと言いつつブルーな顔をして助けを待つなんて、卑怯だと思わない?」

「ちょっと、茉希ちゃん」


 茜ちゃんが茉希ちゃんをたしなめる。確かに気が滅入っている相手にかける言葉にしては厳しいが、茜ちゃんみたいに俺を気遣ってくれる人に悪い。茉希ちゃんの言うことはまったくもって正論。俺は上手い嘘も思いつかずに、口を閉ざしすしかなかった。


 気がつけばベッドの上で女の子座りして、膝の上で手を弄んでいる。母親に怒られる娘のようで、重ねて情けないと自覚した。俺は「小坂楓」である以前に、この二人より年上なのだから、頼りになる存在でありたいと思っていたはずだ。それなのに、一人悶々と塞ぎこんで二人を振り回している。


「ごめん、二人とも。もう大丈夫」


 ベッドから降りて立つ。約束していた時間は過ぎているけど、今からでも今日の予定を果たそう。茉希ちゃんもそのために来たはずだから。


 そう思って顔を上げたが、二人の顔は予想よりも晴れていなかった。


「まあ、楓が言うなら追及しないけどね」

「お兄ちゃん、本当にいいの?」

「うん。心配してくれてありがとな」


 軽く笑って見せても、二人の表情は変わらなかった。


 これまで茜ちゃんや母さんを見ていて思ったけれど、女の人って勘が鋭い。茉希ちゃんも例に漏れなかった。いや、実を言うとそれは俺にも当てはまっているのだ。


 この身体の脳には前の身体の性格や記憶が反映されている。もちろんそれは思考回路も在りきなのだが、時々女の考え方をしていると自覚することがあった。恐らくこの身体の女としての本能が脳にも少なからず干渉しているのかもしれない。そのせいで人の変化に目ざとく気づいたり、身嗜みや服装に気を遣うようになった。


 その女の勘と言う奴が働いているなら、俺が無理して笑っていることも二人にはお見通しなのだ。でもさっき俺が「大丈夫」と言ったせいで、二人はそれ以上踏み込んでこない。


 無言のまま俺たちは家を出て、駅へ向かった。


 ゴールデンウィークのためか、昼の中途半端な時間でも駅にはいつもより人が多かった。ホームには学生のグループのいくつかが、遊びに行くために電車を待っている。次が来るまで気まずい雰囲気で、俺たちの間に会話はなかった。


 五分後、ホームにアナウンスが響いて、電車の到着を告げる。降車する人たちと入れ替わるように乗り込み、反対側の扉へ背を預けた。人が多いせいで席は空いておらず、三人座れるスペースはなかったのだ。


「ねえ、茉希ちゃんはどんな水着にするの?」


 俺たちの間の静寂を破って、茜ちゃんが会話を試みる。その意図をわかっていて無視するほど、茉希ちゃんも冷たい人じゃない。


「そうねえ、ショートパンツ系かなあ。アタシはビキニって柄じゃないし、茜みたいにワンピもタンキニも似合わないもん」

「茉希ちゃんならビキニは似合うと思うけど」

「えー、ヤダ。どうせなら茜がつけたらいいじゃない。去年より成長してるでしょ?」

「むっ、そういう問題じゃないよ」


 からかわれた茜ちゃんは頬を膨らませた。俺が加わることなく、ガールズトークが展開されていく。別に疎外感を感じたりはしない。人数が奇数である以上、会話からあぶれてしまうのは仕方ないのだ。俺は二人のお喋りを聞き流しながら、流れていく外の景色をドアの窓からぼうっと眺めた。


「お姉ちゃんは?」

「……んっ?」


 窓から二人へ顔を戻すと、興味深そうに俺の顔を覗き込まれていた。


「だから、どんな水着にしたい?」

「水着? うーん、そういうのはわかんない。選んだことないし」

「そうなんだ。じゃあアタシたちで選んであげないとね」


 さっきとは随分違う調子で茉希ちゃんが言う。悪戯を考えるような笑みを浮かべていて、俺はなんだかよくない方向に展開が進んでいる気がしてならない。ただ、さっきの気まずい雰囲気よりはずっとよかった。


 二人に釣られて俺も気分を改め、肩の力を抜いてみる。女物の水着を見に行くのは気が引けるが、言ってしまえば今更だ。下着にも裸にも慣れたんだし、せっかくだから楽しむ努力をしてみよう。その先はきっと、明日の楽しいプールに繋がるはずだ。


 裏庭の話はまだ気分を重くするし、俺自身どうしたらいいかわからずに悩んでいるけど。みんなの前で顔を陰らせて心配させてしまうのは悪いし、折角の連休を悩み抜いて過ごしたくはない。一旦心の隅に置いておいて、目の前のことを楽しむことにした。


「うーん、茜みたいにワンピは無難そうだけど、出るとこ出てるしビキニもなかなか似合いそう。柄や色も悩みどころね。水玉か花柄かストライプか、シンプルに単色か。フリル物も捨てがたい……」

「茉希ちゃんと被っちゃうけど、わたしはショートパンツ系を試してほしいなあ。お姉ちゃんならきっと可愛く着こなせそう」

「って言うか楓ならどんなデザインでも似合いそうよね。よーしこうなったら、プール中の男どもを悩殺するようなコーディネートにしちゃおう」

「頑張ろうね、茉希ちゃんっ」

「おうよ、茜っ」


 えっと……楽しめる、よな?


 電車に揺られながら、俺は早くも帰宅願望が芽吹き始めていた。



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