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メイプルロード  作者: いてれーたん
黄金週間
24/110

裏庭での邂逅


 ぷかぷかと何かに浮いていたら、不意に身体が揺れた。いや、揺さぶられた、と言うべきか。地震かなと思ったけど、そもそも地面に足がついていない。揺れは不規則で、俺自身が起こしていることに気づく。


 一体何が起こっている? 首を動かして目を瞬かせると、途端に夢から目が覚めた。


「お兄ちゃん、遅刻! 八時だよ! 半には学校なんでしょ!?」


 俺の身体を揺さぶっていた茜ちゃんが、必死の顔で叫ぶ。おでこがくっつきそうな至近距離で、思わずドキリとしてしまったが、意識が覚醒してそれどころじゃないことに気づく。


「……うおわぁ!」

「あいたっ!」


 俺が急いで起き上がろうとして、茜ちゃんとごっつんこ。目から星が飛ぶかと思った。


「ご、ごめん。大丈夫?」

「うぅ……痛いけど、気にしないで。それより、早く準備しないと遅れるよ?」


 おでこを抑えながら、健気に俺のことを心配する茜ちゃん。俺も同じようにおでこをさすりながら、壁掛け時計に目をやる。


「げぇ、マジで八時だ」


 ベッドから素早く下りて、顔を洗いにどたばたと階段を駆け下りた。ここから学校までは十五分。逆算して、今から準備に割ける時間は十五分以内だ。タオルで顔を拭きながら朝食を諦め、着替えに部屋へ戻る。


 制服は着慣れてきたけど、それでも男だったときより時間がかかる。恐らくこれまでの最速記録を叩き出したことだろう。最後に鏡の前で格好の乱れがないかを確認して、また慌ただしく階段を下りた。


「ごめん茜ちゃん、もう行くよ」

「あ、これ持って行って」


 玄関先でローファーを引っかけていると、見慣れた巾着袋が差し出される。朝ご飯の代わりだろう、おにぎりだと容易に想像がついた。


「忘れ物ない? 診断書、ちゃんと持った?」

「昨日のうちに鞄に入れたから大丈夫。よし、行ってきます」


 踵をローファーに収めて、すぐ玄関の戸を開けた。起床からここまで約十五分。何とか間に合いそうだ。


 それにしても、寝坊なんて今までなかったのに、こんな日に限ってだ。いや、これまでだって学校があったんだから、寝坊は一度でもまずいことなんだが。寝不足はマシになったけど相変わらずで、今日から連休だと気を抜いた部分があったんだろう。


 何はともあれ、あとは学校まで歩くだけだ。鞄を肩にかけ直し、茜ちゃんから貰ったおにぎりを一つ頬張りながら、俺は通学路を早足で歩いた。








 校門から校舎の真ん中にある時計を見ると、時刻は八時二十七分。寝坊したが、間に合った。俺はほっと胸を撫で下ろして、昇降口で靴を履き替えた。


 廊下を歩いていると、ちらほら部活動で登校する生徒とすれ違う。体操着やユニフォームではなかったから、文科系の部だろう。無意識に見ていて不審に思われたのか、向こうからも視線を感じた。俺はそそくさと職員室へ急いだ。


「失礼します。榊先生はいますか?」


 扉を開けて宛てもなく挨拶をすると、ちょっと離れたところの机で細い手が挙がった。


「北見楓、こっちだ」


 真っ直ぐ伸びた手のほうから、俺を呼ぶ榊先生の声が聞こえる。職員室の居心地の悪い空気を掻き分けるように、その机に向かった。生徒にとっては何だか、あまり長いこと居てはいけないような空気が職員室には充満している気がする。これも俺だけなんだろうか。


「おはようございます、先生」

「おはよう。朝からすまなかったな。ところで……」


 榊先生が、俺から見て右の頬を人差し指で突いた。不思議に思いながら自分の右頬に触れると、自分の肌ではない何かに触れる。その途端に、それが何かわかった。


「さては寝坊したな。急いで食べて出てきたんだろう?」

「……すいません」


 そっと手を離すと、その何かは指にぺったりとくっついた。そう、さっき登校中に急いで食べていたおにぎりのご飯粒だ。さっきすれ違った生徒はこれを見ていたのか。今更ながら、恥ずかしくて顔が熱くなる。


「まあ、平日じゃなくてよかったな。その醜態をもっと多くの生徒に、いや、一般人にも見せることになったかも知れんのだから」

「気をつけます……」


 まともに先生を見れない。それを誤魔化すように、俺は持ってきた健康診断書を鞄から出して、先生に渡した。


「上手くいっているか?」

「あ、はい。妹のおかげで友達もできました。授業も今のところは問題ないです」

「夜更かしは程々にな?」

「う……すみません」


 やっぱり他の先生からも、俺が居眠りしていることを報告されているのか。でも、先生の見た目とは裏腹に糾弾されるような気配はなかった。というか、今まで先生が怒ったところを見たことがない。怖そうなのは見た目だけで、案外穏やかな先生なのかな。


「そうだ、以前聞いた花壇の件だがな、ちょっとわかったことがある」

「花壇って、校舎裏の?」

「うむ。どうやら二年の一クラスが一時的に整備して、花を植えたらしい。お前が見たのはそれだろうな」


 俺が転入当日に先生に話した、裏庭のことだ。俺の最後の記憶では整備もされず花も植えられていなかったのに、つい最近植えられたゼラニウムが花をつけていた。それを疑問に思っていたのだが、先生は調べてくれていたのか。


「何のためにそんなことを?」

「すまないが、私の口からは言えない。どうしても聞きたければ担任か、そのクラスの生徒をあたってくれ。正直、転入生には重いし、関係のない話ではある」


 先生の突き放すような言い方にちょっとショックを受けそうになったが、重い話ということなら、こちらを気遣った上での態度なんだろう。教えてもらえないことに駄々を捏ねても仕方がない。俺はそれ以上先生には聞かないことにして、黙って頷いた。


「さて、要件は以上だな。わざわざ届けてもらってありがとう。ゴールデンウィーク、問題のないようにな」

「はい。失礼しました」


 先生に別れを告げて職員室を後にした俺は、少しだけ裏庭に寄ってみることにした。


 昇降口を出て校舎を反時計回りすると、体育館が見えてくる。もう部活が始まっているのか、運動シューズとフロアが擦れる音と、ボールの弾む音と、掛け声が聞こえてきた。それらを横切って進むと、寂れた場所にある花壇が見えてくる。


 一週間経ったゼラニウムの花は、太陽光が足りないのか少し萎れかかっていた。風で花弁も散っていて、長く花が咲く種なのに残念な状態だ。育成期間中の週に一度の肥料が足りてないのかもしれない。土を触るとカラカラで、水やりがされた形跡はなかった。


 元気のない花を放っておくことはできない。肥料はないけど、水くらいはあげられる。外に運動部用の水道があったから、バケツか何かあれば水を撒けるだろう。


「誰?」


 校舎に戻ろうとしたとき、後ろから声がかかる。振り返ると、丸い眼鏡をかけたお下げの女子生徒が目に入った。手にじょうろと緑色のボトルを持っていて、一目でこの花壇の手入れをしに来たんだとわかった。そして驚いたのは、彼女は見知った顔だった。


本郷ほんごうさん……?」


 思わず名前を口にしてしまい、彼女の警戒心を強めた。


「あなた、一年生よね? どうして私の名前を知っているの?」


 去年、俺と同じクラスで学級委員をしていたからだ。人付き合いが下手で友達関係に疎い俺でも、学級委員の名前と顔くらいは覚えられる。だが、この場でそれを言うことはできない。今の俺はもう、本郷さんと同じクラスにいた俺ではないからだ。


「俺、北見楓って言います。本郷さんのことは、その……この花壇を世話している人だと、先生に聞いたもので……」


 もちろん、この場を乗り切るための嘘だ。しかも本郷さんだけがこの花壇の手入れをしているとは考えにくいため、賭けも多分に含めた嘘の答えだった。


「北見さん? そう、あなたが……」


 疑いが深まったらどうしよう、という心配に反して、本郷さんは何かを悟った顔をした。


「お姉さんのほうだったかしら」

「知ってるんですか?」

「まあ、転入してきたって噂になってたから」


 警戒を少し解いたのか、俺のほうへゆっくりと歩み寄ってきた。花壇の傍に荷物をおろし、花に目をやる。


「この花壇に興味があるの?」

「あ、はい。元々花が好きなので、この学校にも園芸部や緑化委員なんてあれば入ろうかなって思っていたんですけど、そういうのはないみたいですね」

「そうね。だから、この花壇も自由に使えるのだけど」

「……一人で世話をしているんですか?」


 踏み込み過ぎたかなと思ったが、本郷さんは表情を変えなかった。首を縦に振って、肯定を示す。


「そうよ。ただ、植える時はクラスのみんなにも手伝ってもらったけど」


 クラスぐるみで植えたというのは先生にも聞いた。聞けなかったのは、その理由だ。


「どうして花を植えたんですか? それもクラスぐるみなんて、聞いたことありませんけど……」


 その質問で、本郷さんが再び懐疑の目を俺に向けた。やっぱり転入生だからって教えてくれないんだろうか。でも気になるし、クラスぐるみって言うのも理由があるはず。


「あっ、すみません、気になっただけです。教えられないということなら、深入りはしませんから」

「……ううん、妹さんのほうからは、何も聞いてないのかと思って」

「茜ちゃんのことですか?」


 どうして茜ちゃんのことが話に出てくるんだ? 何も聞いてない、ってことは茜ちゃんがこの花のことを知っている、ということなんだろうか。先生は俺には関係のない話だと言っていたが、茜ちゃんに関係があるなら尚のこと知っておきたくなる。


 そもそも、転入生として噂になった俺のことはともかく、本郷さんが茜ちゃんのことまで知っているのはなぜだ。それぞれを繋ぐ糸は見えてきたのに、どんな糸までかは判別がつかない。


「本当に聞いていないみたいね」


 戸惑って二の句を継げない俺に、本郷さんはぽつりと言う。


「知らないなら、あまり詮索しないほうがいいかも。あなたにとっても重い話よ。それでも、聞きたい?」

「本郷さんが話してくれるなら、聞きたいです」

「……わかった。じゃあ、手伝ってくれる?」


 意地悪そうに笑みを浮かべて、本郷さんは俺にじょうろを差し出した。


「クラスで世話するって言ったのに、やっぱりこういうのは学級委員に回っちゃうみたいなの。人手が足りなくて困ってたんだけど、あなたが居てくれて、時々花の世話をしてくれるなら助かるわ」


 あれ、何か利用されるパターンじゃね? 俺は本郷さんの変わりように言葉を失いながら、差し出されたじょうろを受け取ってしまった。



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