ブルーデー
※生理のお話が出てきます。出血描写もありますので、苦手な方はスルーしてください。
数日間はラブレターラッシュが続いた。最初にもらった次の日は爆発的に増えて二倍の量を記録したけど、その日限りで後は徐々に減っていった。
代わりにすれ違う男子に声をかけられる回数が増えた。透が一緒にいない時は特に顕著で、強引に会話に加わろうとする無粋な輩もいた。ほとんどは教室に入ってしまえば諦めて帰っていくけど、中には何食わぬ顔でついてくる男子も数人いた。そんな時は全員でスルーして、最後は大体茉希ちゃんが追い出すって感じで対処していた。
反面、教室の中は平和だった。なんでも茉希ちゃんの権威はクラス中に渡っているらしく、俺や茜ちゃんに下心を持って話しかけてくる男子はいなかった。女子たちはむしろ俺たち二人の保護に積極的で、教室を出る時は誰かが必ず同行する決まりだった。こっちから断ってもついてくるので気軽には出歩けないが、ガードがなければと思うと怖いのも事実だ。大人しく保護されることにした。委員長でもないのに、茉希ちゃんの人望には恐れ入る。
「あー、別にアタシは大したことしてないのよ。きっかけは作ったかもしれないけど、みんなを纏めてるのはアタシじゃないし、人望があるのはむしろあんたたち二人よ」
昼休みに茉希ちゃんはそんなことを言っていたけど、俺に人望なんてあるのか。茜ちゃんはまあ、わかる。外見でも内面でも人を和ませるのに長けた女の子だから、同性異性問わず支持が集まるんだろう。
それに対して俺は、外見的には似ているけど、内面に関してはまったく別問題だ。男らしさが抜けていないし口調も女の子らしさの欠片もない。加えてガサツで適当。授業は半分居眠りで過ごすという不真面目さ。こんなんでどうして支持が集まるというのか。逆にほっといてくれればいいのにな。
最終的に学校で一人になれる時間はトイレだけだった。しかも教室の外だから、トイレの出口までは誰かがついてくる。個室に入って初めて一人になれるって、プライベートもへったくれもない。日々マスコミに追われる芸能人にでもなった気分だ。退屈しないのはいいことだが、ここまで普通から逸脱することは望んでいない。本当にただ学校生活を送れれば、それでよかったはずなんだけどなあ。
そんなわけで、今俺は学校の女子トイレの中に立てこもっている。もうじき休み時間も終わるから出なきゃならないんだけど、何も現実逃避でここに入っているわけではない。
今日は朝から体調がよろしくなかった。腹痛と頭痛が同時に来て、授業でも珍しく眠れないくらいつらい。はっきりとした原因はわからないけど、頭痛は多分寝不足と数日間のストレスだと思う。同じ理由で胃痛ならわかるけど、腹痛に関してはさっぱりだ。
「おに……お姉ちゃん、大丈夫?」
トイレの外で待つ茜ちゃんが呼びかけてくる。未だに気を抜くと「お兄ちゃん」呼びをしてしまうらしく、まだまだ油断ができない。家では普通に「お兄ちゃん」呼びに戻ってしまうので、やっぱり家でも「お姉ちゃん」と統一したほうがいいんだろうか。
「ううー……」
返事をしようとしても、お腹を押さえて唸ることしかできない。男は腹を壊しやすく、女は便秘になりやすいっていうけど、女の子になってからこれまで俺は体調を崩したことはなかった。いや、寝不足も体調不良といえばそうだけど、あからさまに苦痛を伴うものは初めてで動揺してるのだ。
休み時間が始まってすぐトイレに駆け込んだけど、何か出てくるわけでもなく痛みだけが続く。これが便秘ってやつなのか? そう思った瞬間、何かどろりとしたものを排泄した。後ろではなく、前からだ。途端に血の臭いが鼻をついて、不振に思った俺は便器の底を見た。
血の海、という表現を使うなら、まさにこの時なんだろう。それも想像しているような赤ではなく、もっと黒くて生々しい。悪く言えばグロテスクだった。そんなものを見てしまった俺は冷静でいられなくなって、立ち上がろうと腰を動かす。
ばしゃっ、という水音と共に、大量の血液が排泄された。軽く目眩を起こして、再び便座に座り込む。今も痛むお腹や頭と、無関係だとは思えない。
病院で聞いた俺の身体のことを思い出す。この身体は茜ちゃんをもとにクローン技術で作られたもので、未知数の事柄が起こるかもしれないと。よもやそれに関連する身体の不調ではないかと疑って、恐怖と不安で涙が溢れてきた。
――俺、死ぬのか?
授業が始まるチャイムが虚しく響き、重なるように個室のドアがノックされた。
「お兄ちゃん、ほんとに大丈夫? 具合悪いなら保健室に行く?」
ドアの向こうの女の子を思い出して顔を上げる。俺はすがるような思いで、今の状況を話した。
「茜ちゃん……な、なんかいっぱい血が出てて……俺、病気か何かなのかな? 腹痛も治まらないし、ずっと頭痛もしてる。どうしたらいいのか、俺わかんなくて……」
「血が? えっと、もしかしてお兄ちゃん、あの日なの?」
「あ、あの日? それって何? やっぱり病気なのか?」
そんな代名詞みたいに言われてもわからない。でも茜ちゃんはこの症状に心当たりがあるみたいだ。おじさんから何か聞いてるとか……。
「そっか、お兄ちゃんは初めてなんだもんね。いきなり血が出たらびっくりするよね。大丈夫だよ、病気じゃない。女の子なら誰でも経験することだから」
そこまで言われてようやく気づいた。女の子のあの日で、血が出ると言ったら一つしかない。
「もしかして、これが生理?」
「……う、うん。そうだよ」
茜ちゃんが躊躇いがちに肯定する。そうか、俺の身体は病気なんかじゃなくて、むしろ女の子として生殖器は問題なく活動してるってことか。
突然の腹痛や出血の原因がわかって、俺はようやく安堵した。けど、いつまでもこんな場所にいられない。
「そ、それでどうしたらいいんだ? いつもみたいに拭いて出ればいいのか?」
「そんなんじゃだめだよ。血が止まってるわけじゃないから、また溢れてきたら下着とかも汚れちゃう。えっと、ナプキンは……持ってないよね。ちょっと待ってて、保健室で貰ってくるから」
「……うん」
ついてきてくれたのが茜ちゃんでよかった。普通の女の子は生理でうろたえるなんてしないだろうから、他の女子がついて来ていたら不審に思われていたかもしれない。
しかし、生理ってこんなにつらいもんなのか……。女の子が休んでしまうってのも今なら納得できる。座ってるだけでも腰が砕けそうで、ずんずんと鈍い痛みがお腹の底に響く。あー、茜ちゃん早く帰ってこないかなぁ。
程なくして上履きで駆け足する音が聞こえて、茜ちゃんが戻ってきたのがわかった。保健室は一階だが、同じ棟にあるせいか思ったより早く帰ってきた。
「お兄ちゃん、開けてくれない?」
「えっ、入ってくるの?」
「だって、ナプキンの使い方知らないでしょ?」
そう言われては、断る理由がない。生理に限らず、女の身体でトラブルが起きた場合には茜ちゃんを頼るしかないのだ。茜ちゃんに見られるのは初めてではないし、緊急事態だからしょうがない。そう思って羞恥心を紛らわすしかなかった。
「……わかった、入ってきて」
俺が個室の鍵を内からはずすと、扉が勝手に開く。入ってきた茜ちゃんはまず、俺が座っている便器の底を覗いた。
「わっ、真っ赤になってる。初めてなのに、こんなに出てるんだね」
「普通じゃないのか?」
「初経のときはあまり血が出ない人が多いんだ。でもお兄ちゃんの身体は特殊なのかもしれないね。一回、お父さんに聞いてみるのがいいかも」
「そうかあ……」
俺の身体はおじさんが作った茜ちゃんのクローンであり、俺たちよりこの身体のことに詳しい可能性がある。生理のことを言うのは恥ずかしいけど、心配だし聞いておいたほうがいいかもしれない。
それから生理の後処理とナプキンの使い方、今後の過ごし方を一通り教えてもらった。詳しいことは家で教えてもらうことにして、自然に振舞えるよう最低限の知識をその場で叩き込む。何が身体の負担になるのか、どうやって男子にばれないようにするか、いつ・どうやってナプキンを換えるか、とかだ。トイレを出た頃には半分くらい授業が終わっていて、廊下をうろつくわけにもいかないので保健室へ向かった。
茜ちゃんが訪ねたときはいたらしいけど、俺と一緒に来ると保健医はどこかに出ていた。俺はまだ調子がよくならず、勝手にベッドに横にならせてもらった。
「まだつらい?」
「うん……痛みがひかないし、頭痛もあってだるい感じがする」
「ちょっと寝ててもいいよ。保健の先生を通して授業には出ないって伝えてあるし、無理をするのはよくないから」
「そっか、ありがとう」
茜ちゃんがどこからか持ってきたタオルを腰に巻いて布団を被ると、かなり腰周りが温まって楽になった。安心して気が抜けると、横になっているせいもあって瞼が重くなる。
実は最近、夜に眠れていない。不眠症なのか、ベッドに入っても寝つきが悪くて、明るくなってくる朝方にやっと眠りに入れるのだ。その寝不足を補うように、午前中の授業のほとんどは寝てしまう。こんなサイクルだから夜眠れないんじゃないかとも思うが、眠気があるのに眠れないのはやっぱり身体のどこかに原因があるからかもしれない。これもおじさんに聞いたほうがいいかも。
それから俺は二時間、昼休みまでがっつり寝てしまった。教室に帰ったときは茉希ちゃんたちに心配されたけど、茜ちゃんが上手く説明していたらしくて深く聞いてくることはなかった。茜ちゃんには本当に世話になっている自覚がある。今度、何か買ってあげようと思った。
生理の体験は衝撃的だったが、いずれはこれも慣れるんだろう。あれほど手間取っていたトイレも今では普通にできているし、女物の下着や身体を過剰に意識することもなくなっていた。早いうちの母さんの荒療治や、茜ちゃんの気遣いのおかげでもある。でも、毎日やっていることだから、というのが慣れる最大の理由だ。自分の身体と向き合わずに生活はできない。裸にしても下着にしても、慣れるしかなかったのだ。
月に一度だから時間はかかるかもしれないけど、同じ理由で生理も慣れていくだろう。もちろん目標は茜ちゃんの手を借りず、自分の身体のことは自分でやることだ。いつもより分厚い布の感触を確かめながら、改めて決意を固めた。