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メイプルロード  作者: いてれーたん
生まれ変わった日
11/110

母さんの策略



「ブーケ、全部配ってくれたんだね。本当にありがとう。今度また来てくれたら、その時は必ずお礼をするからね」


 花屋のお兄さんはそう言って、俺にお店のフリーペーパーをくれた。人がたくさん来たせいで、対応に追われて忙しそうだ。俺たちもお辞儀をしてお礼を言い、その花屋を後にした。


「あら、丁度連絡を入れようと思っていたところよ。なるほど、ここにいたのね。楓の好きそうなところだわ」


 花屋の外に出ると、食料品売り場から出てきた母さんと偶然合流した。


「どうだったの? いい花は見つかった?」

「あー、そういえばあんまり見てなかったなあ。でもいいお店だったよ」

「ふうん?」


 俺の返答に小首を傾げたが、母さんはそれ以上追及してこなかった。


 それから車に乗り込み、もと来た道を戻って帰宅する。疲れ果てた俺が車に揺られてうつらうつらしていると、茜ちゃんが俺の肩に寄りかかってきた。座高も同じせいか、顔がとても近い。瞼を飾る長い睫毛が一本一本数えられそうだ。思わずドキリとして、そっと離れようとする。でも、ずるずると茜ちゃんがこっちに倒れてくるので、結局そのままの体勢でいるしかない。その後はすっかり目が覚めてしまい、家に着くまで気を紛らわすように窓の外を眺めていた。


 日が完全に落ちて星が目立つようになってきた時間に、車は北見宅、小坂宅のある住宅街についた。母さんは小坂宅のガレージに車を入れ、荷物を下ろし始める。俺も茜ちゃんを揺すって起こした後、母さんを手伝った。


「うおっ!?」


 食料品のビニール袋を持ち上げようとした俺の手ががくんと落ちる。そうだ、以前より力がないから、今までみたいに両手いっぱいに荷物を持てない。仕方なく一つの袋を両手で持つことにして、二重の意味でがっくりと肩を落としながら荷物を北見宅へ運び入れた。


 家族ぐるみの付き合いがあったおかげで、北見宅には何度かお邪魔したことがある。ちょっと前には茜ちゃんの手料理を食べに招待されたこともあった。迷うことなく俺は荷物を運ぶと、そのままリビングのソファへ倒れ込んだ。


 はあ、この身体って本当に疲れる。車の中で眠れなかったせいか、睡魔がまた襲ってきた。うつらうつらしていると、不意に後ろのほうから「カシャ」と不可思議な音が聞こえた。


「……母さん、何してんだよ」

「え? いやあ、楓が相当お疲れのようだから、チャンスだと思って」


 返答の意味がわからない。俺が訝しんでいると、母さんの後ろから茜ちゃんが頭を出す。顔を赤くしながら、もごもごと言いにくそうに呟いた。


「お兄ちゃん、その……ピンクがね……」

「へっ? ピンク?」


 何の色だろう。俺が着ているスカートのことか? そういえばソファに寝っ転がったら、フリルがやたらケツほうでカサカサしてこそばゆいな。その割に太腿はスースーするし――。


「……はっ」


 自分の下半身に目を向けて、やっと茜ちゃんが言いたいことがわかった。スカートはピンクじゃなかった。正確にはピンクだけど、捲れ上がって白い裏地を晒していたのだ。ソファにダイブしたときに後ろが捲り上がっていた。


 俺は飛び起きてソファに座ると、慌ててスカートを正した。つまり茜ちゃんが指していたピンクは俺の下着の色だった。そしてさっきの不可解な音は母さんの携帯カメラの撮影音だ。


「~~~~っ!」


 と、撮られた!

 母親とはいえ、パンツを晒す醜態を写真に撮られたんだ。理解するとともに立ち上がって、俺は母さんに詰め寄った。でも、急に血が上ったように顔が熱くなって、喉がつまり、言葉が出なくなる。


 お、おかしい。さっきまで考えていた罵倒の言葉が頭の中から抜けて、腹から出そうとした声は喉に引っかかって出てこない。母さんの服を掴んだ俺の手は震えている。怖いわけじゃないし、威圧されているわけでも、力で抑えられているわけでもない。なのに何で身体が言うことをきかないんだ?


「ふふ、これでわかったでしょう? いつまでも無防備なまんまだと後悔するのはあんたよ。早いうちに女の子だってことを自覚して、振る舞いには気をつけることね」

「うぐ……!」


 母さんがしたり顔でそう言った。身体が上手く動かない理由もどうやら把握しているようで、俺はしてやられたのだと思い至る。


「わ、わかったよ。これから気を付けるから、とにかくその画像は消してくれよ」

「だ~め。楓ちゃんフォルダを作ってこれからコレクションしていくわ」

「やめろよ! せめて今のはノーカンで消してくれって! まだ男の癖が抜けてなかったんだし、今日は疲れてたんだからしょうがないだろ!」

「ん~そうねぇ、じゃああんたの努力次第では削除してあげる。女の子として一段階成長するたびに、あんたの恥ずかしい画像を一枚消してあげるわ」


 うわぁ、最悪だ。そのフォルダにこれから俺の醜態が集められていくのかと思うと、背筋に寒気が走る。それを消してもらうには俺が女の子に近づかなければならない。マジでこれからは振る舞いに気をつけなければ。


「でも、女の子として成長するって、どうすればいいんだよ?」

「今回は初回特別サービスね。今からお風呂に入れば、さっきの画像は消してあげるわよ」

「ま、マジで!? そんなんでいいの?」

「あ、言葉遣いが駄目ね。考え直そうかしら……」

「本当ですかお母様!?」


 本当は心まで女の子になりたいとは思っていない。あのはしたない画像を消してくれるなら何だってしよう。今回はそこまで難易度の高いものじゃなかったから、母さんの気が変わらないうちにいい子を演じて、画像を消してもらうのが賢明だ。ずっと女の子になるより、一時的な女の子を演じるほうがはるかに楽だし。


 風呂はタイマーですでに湧いているらしく、いつでも入れる状態らしい。俺は茜ちゃんからそれを聞くとすぐに着替えを持って浴室に向かった。脱衣所のドアを閉めると早速服を脱いで洗濯物の籠に入れていく。けど、下着姿になったところで手を止めてしまった。


 素っ裸になるのは何もこれが初めてってわけじゃない。でも開けた空間で改めて脱ぐとなると、一人でも躊躇してしまう。しかも落ち着こうと周りを見渡したせいで、鏡の中の自分と目が合ってしまった。まだ今の顔に見慣れていなくて、ますます脱ぎづらくなる。かと言って早く入らないと、春先にこんな格好でいたら風邪を引いてしまうし。


 迷っていると、脱衣所のドアがノックされた。


「お兄ちゃん? あのね、下着の替え、忘れてるよ?」

「え? あっ」


 用意していた着替えを見てみると、確かにパジャマだけで下着がなかった。別々の店で買って違う袋に入っていたから、うっかり持ってくるのを忘れていたようだ。でも、受け取るにはこの格好じゃまずい。出るわけにもいかないので、ドアを少し開けて下着だけを受け取ろうと思った。


「お兄ちゃん、入るね?」

「おう……えっ? ちょ、ま……」


 待って、と言う前に茜ちゃんは扉を開けて、脱衣所へ入ってきてしまう。当然俺は下着姿で、服を着ることも隠すこともできず。茜ちゃんの視線がこっちに向いただけで、かっと顔が熱くなる。


「う、あ」

「はい、これ。タグは切っておいたから」

「うん……ありがとう」


 茜ちゃんは俺が下着姿でもまったく動じなかった。意識しているのは俺だけのようで、そういえば今は女の子同士なんだから、別段まずいとかは思わないんだろう。俺の羞恥心がなくなるわけじゃないけど。


 複雑に思いながら下着を受け取ったが、茜ちゃんは出ていこうとしない。手を後ろ手に組み、じっと俺を見つめて無言だ。


「ど、どうしたの?」

「うん、わたしも一緒に入っていいかな?」

「入る……えっ、ええええ!? 何で!? 正気!? そんな突然……!」


 だって茜ちゃんは女の子で、俺は――――あ、同じく女の子でした。いや、でも! 例え女の子同士だって、この歳で一緒にお風呂とかあり得るのか? そもそもどうして急に?


 茜ちゃんが身体の後ろから、持っていたらしい自分の着替えを籠に置く。どうやら最初から俺と一緒に風呂に入るつもりで来たようだ。


「お、俺男だったんだよ!? 恥ずかしくないの!?」

「知ってるよ。でもお兄ちゃん、今はお姉ちゃんだし。姉妹なら二人でお風呂入っても大丈夫。ちょっと恥ずかしいけどね」


 顔を少し赤くして笑う。茜ちゃんの言い分はわかるけど、それは一緒に入る理由じゃない。


「でも、なんで急に」

「今のお兄ちゃんに必要なことだと思うから」


 茜ちゃんはそう答えてから、静かに服に手をかけた。俺は咄嗟に顔を逸らす。


「気にしないで、見ちゃってもいいよ? 今は女の子同士なんだから」

「い、いや、そういうわけにはいかないよ。頭は男のまんまで、自分の身体にだってまともに目を向けられないんだ。意識するなって言うほうが無理なんだよ」

「でも、自分の裸を見ないで生活なんてできないでしょ? だったら、早いうちに慣れたほうがいいよ」


 俺の後ろで布擦れの音が止む。振り向けばきっと、生まれたままの姿の茜ちゃんがいるに違いない。俺の心臓は狂ったように早鐘を打ち、半裸にも関わらず身体が火照っていた。


「お兄ちゃんが女の子の身体に慣れるように、わたしも協力したいんだ。だからほら、早く脱いで」

「気持ちは嬉しいけど……茜ちゃんが裸にならなくても」

「ううん、これが一番効果があるって思ったんだ。だってわたしたちの身体、似てるから。鏡の中のお兄ちゃんを見れないなら、代わりにわたしを見ていいよ」


 若干の体型の差はあるけど、俺からすればどちらも女の子の裸だ。そして俺が鏡を見ることができないなら、茜ちゃんが脱ぐのが手っ取り早い。茜ちゃんはそう考えたのだ。協力するとはそういうことか。


「……わかった」


 ここまで献身的になっているのに、首を縦に振らないわけにはいかない。俺もつけていた下着を脱いで、素っ裸になる。まだ茜ちゃんに顔を向けられないけど、大きな進歩だ。


「じゃあ、女の子のお風呂の入り方、教えるね」

「うん、よろしく」


 背中を押してもらって浴室へ入る。茜ちゃんが言うことを真剣に聞いて記憶することにした。

 女の子の身体は男と比べると本当にデリケートで、繊細かつ壊れやすい。男の時は入って洗って終わりだったけど、女の子のは手入れが必要だ。


「身体洗う時はこのスポンジで優しく擦るの。手で撫でてもいいけど、よく泡立ててね。あ、お兄ちゃん髪が長いから、泡が付かないように気をつけて。ボディソープは髪が傷んじゃうから」

「う、うん」

「コンディショナーはこれで、シャンプーはこれ。最初にコンディショナーをつけてから、シャンプーで頭を洗うんだよ」

「えっ、普通は逆じゃないの?」

「洗う前は髪が傷んだ状態だから、先にコンディショナーで傷んだ部分を修復したほうがいいの。その後でシャンプーしても無駄になることはないよ。むしろつけ過ぎた分が流れて丁度いいんだって」

「ふうん。女の子って本当に大変だなあ……」


 覚えることがたくさんあるし、時間と手間が男の時と比べ物にならない。自分の身体だったら好きにしたって文句は言われないだろうけど、茜ちゃんに貰ったようなものだから、できるだけ大事にしたいと思う。


「楽しんでるかしら、お二人さん?」

「げっ」


 突然浴室のドアが開いて、母さんが有無を言わさず入ってきた。当然素っ裸で、身体を隠すような真似もしない。アラフォーのはずだけど、張りのある白い肌には水滴を弾くような若々しさがある。年頃の息子の前で衝撃的な登場の仕方だった。


「か、母さん! ちょっとはその、遠慮しろよ!」

「水臭いわね。母娘なんだしいいじゃない。それにあたしだけ一人でお風呂なんて寂しいわ。せっかく若くて可愛い姉妹がお風呂でキャッキャウフフしてるのに、参加しない道理はないわよ」

「キャッキャウフフとか死語だろ! つーか料理してんじゃなかったの!?」

「ああ、カレーだから後は煮込むだけよ。IHだから周りに気をつければ火事の心配もないし」


 茜ちゃんにレクチャーを受ける俺の後ろで、母さんはかけ湯をして湯船に浸かった。


 一人が加わって浴室がかなり賑やかになる。北見宅の浴室は広めだけど、三人も入れば身動きがとりづらい。でも、何やかんや言いつつも三人で身体を洗い合ったり、シャワーをかけ合って騒いだりと、普段一人の時とは全く違うバスタイムを満喫した。


 そのおかげで羞恥心が薄れたのか、何か気持ちが吹っ切れた。少しなら自分の裸や茜ちゃんの身体を見ても、あからさまに意識するようなことはなくなった。知らず知らずのうちに俺は母さんの思惑に嵌り、女の子として成長をしたのかもしれない。昼間の着せ替えや今の風呂のことにしても、母さんの策略はさすがとしか言いようがなかった。



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