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メイプルロード  作者: いてれーたん
夢のあと
104/110

雨の病室に ~ソラ Side~

 

 傘の下から雨を見ながら、オレはバスが来るのを待っていた。


 今日は楓が病院を移す日だ。言うほど荷物も多くないし、葵さんや茜さんのお手伝いもある。オレが学校に行っている間に予定通り終わったようで、さっき葵さんからメールが届いていた。


 時間通り到着したバスに乗って、新しく楓が移った病院に向かう。駅前を通り過ぎてそのまま十五分ほどで、駐車場と四階建ての白い建物が見えてくる。近くの停留所に停まったバスを降りて、再び傘を差した。


 ロビーに入って正面の受付に向かう。前の病院ほど大きくはないけれど、人の行き来は少なくない。濡れたスニーカーの靴底が床と擦れて、なんとも小気味のいい音を立てる。そういえば、楓と初めて会った日も今日みたいな雨だった。


「あの、面会なんですけど」


 受付の看護師さんに名前を伝える。メールのおかげで病室は教えてもらっているけど、無断で入るわけにはいかない。昔はオレも長いこと入院していたから、よく知ってる。


「すみません、お伺いした方は当院にはいらっしゃらないようですが……」

「えっ?」


 看護師さんの返答にオレは驚いた。病院を間違えたかとメールを確認するけど、ここで合ってる。けれど、何度聞いても看護師さんは首を横に振るばかりだ。


 どうしようもなくなったオレはロビーの椅子に座って、病院のロビーにいると葵さん宛てにメールを打った。返信を待つ間、ぼんやりと壁掛けのテレビを見ながら考える。


 楓がここの病室に移ったのは間違いない。葵さんの連絡ミスという可能性もないだろう。だったら考えられることは、病院側が嘘をついたってことだ。


松原まつばらさんはどのように思われますか?』

『このクローンの研究者というのは、すでに機材も資料も破棄したと公言しています。政府もそれを確認しており、産業や医療技術としての発展は、もう見込めないでしょう』


 壁掛けのテレビには、クローンの議論をするおじさん二人が映っている。現実になったクローン技術だけど、それは法律で禁止され、研究者もその術を公開せずに破棄してしまった。だから、しばらくクローン技術が世界を変えることはないだろうと。


『非常にもったいない気がしますねぇ。有効に活用できれば、医療はこれまでよりも発展したでしょう。クローンは何も人間一人をまるごと作るだけではありません。その発生過程を研究することで、例えば難病の患者に移植するための最適な臓器を提供することもできたでしょう』

『おっしゃる通り、一つの技術の未来が消えてしまったのは非常に残念です。しかし、実際にクローン人間が作られたことについては、その危険性も同時に把握せねばならないと考えます』

『と、申しますと?』


 司会の言葉に同意しながらも、松原という専門家は険しい表情を作る。


『人工的に人を作ってしまう技術ですよ。もしそれが悪用されれば、どうなると思いますか。非人道的な利用方法だって、挙げればきりがないほどにあるんですよ』


 テレビだからか、はっきりしたことは言わないだろう。けれどこの専門家が危惧することは、北見先生から一通り聞いている。ここで話題になっているクローン人間よりも、楓はさらの上をゆくコピー人間だ。それがもし、軍用技術として戦争に利用されたら? 極悪非道の犯罪者を増やして世界テロを起こそうと企てる者がいたら?


 人間に過ぎた技術は破滅を生むと、いつだったか北見先生が零していた。今ならその危険性も、楓を世間から隠さなきゃいけない理由もわかる。受付の看護師さんが嘘をついたのは、たぶんそういうことなんだろう。


 ポケットの中に入れていたスマホが震えて、メールの着信を知らせる。葵さんからで、迎えがそっちに行くとのこと。文面を目で追っていると、ふいにオレの後ろから誰かが肩に触れた。振り返ると、私服姿の茜さんがすぐ傍に立っていた。


「遅かったね、ソラくん」

「茜さん。ごめん、何も手伝いできなくて」

「学校だから仕方ないよ。さ、病室はこっち」


 案内役の茜さんはすぐに先導して、受付に話を通してくれた。今後はオレ一人で来ても通してくれるらしい。それから病院の奥へ進み、エレベーターへ乗り込む。


「楓はあとどれくらい入院するんだ?」

「そんなに長くならないと思うよ。精神科の治療は入院しなくてもいいし、リハビリもそこまで必要じゃなさそうだから」

「そうなのか?」

「病室で何度か歩く練習してたんだって。今日だってほとんど手を貸さなくても歩いてたし、すぐに退院の目処がつくよ」


 それは何よりの知らせだ。楓が元気になってくれるのは嬉しい。前はなんだか、ちょっと疲れたような様子だったから。


 エレベーターを降りて廊下をしばらく進むと、茜さんは病室の前で止まった。表札には名前が書かれていない。これも楓を世間から隠すための配慮なんだろう。


「お姉ちゃん、ソラくんが来たよ」

「どうぞー」


 答えたのは楓じゃなくて、葵さんだった。


 病室に入る茜さんのあとにオレも続く。前と変わらない広さの個室だが、雰囲気は病室というよりもホテルの一室のようだった。壁も白一色ということはなく、木目のある柱や目によさそうな薄緑色のカーテン、蛍光灯も白より温かみのある黄色寄りの光だ。


「何してるの、二人とも?」

「しー、静かに」


 部屋を見渡していると、茜さんが不思議そうな声を上げた。葵さんは背もたれのある椅子に座って、手をベッドの端に乗せているようだった。よく見ると、その手は一回り小さい楓の手にしっかり握られ、彼女の胸元近くに収まっている。


「お姉ちゃん、寝てるの?」


 茜さんの背中越しにベッドを見た。布団をお腹あたりまでかけられた楓が目を閉じて横になっている。耳を澄まさないと寝息も聞こえないくらい、深く眠っているようだった。母親の手を握りながら安らかに眠るそれは、まるで怖い夢を見た後の幼子の寝姿だ。


「茜ちゃんが出て行ってから横になって、すぐよ。疲れたのかしらね」


 葵さんの見つめる楓の寝顔、その目元にはうっすらと黒い影が出来ている。元気がないように見えたのはやっぱり気のせいじゃなかった。以前は寝すぎて頭が重いって言ってたくらいなのに、それ以降はあまり眠れていなかったみたいだ。学校に行けることも言葉ほど喜んではいなかったし、何か悩みごとでもあったんだろうか。それこそ、寝不足になるくらいに。


「せっかくソラくんも来てくれたのにね」

「いいよ、これから何回も来るんだ。寝かせてあげてくれ」

「ええ、そうね」


 慈しむように葵さんは、楓の手を握りなおす。少し身じろぎした楓は、それでも起きる気配がない。その寝顔を見て、不意に胸の奥が締め付けられるような違和感に襲われた。


「それじゃ葵さん、ソラくん、わたしは先にお暇するね」

「えっ、もう帰るのか?」

「これからお父さん……北見先生が帰ってくるから、夕飯作らないといけないの。お見舞いにはまた今度来るから」


 鞄を肩にかけると、茜さんは少し急ぎ足で部屋を出て行った。あの人も忙しい身だが、ずいぶんと楓を気にかけている。姉妹も同然なら普通のことだと流してしまいそうになるが、オレは楓と茜さんの関係を知っているがゆえに、すごい人だと改めて思う。


 さて、どうしよう。楓は寝ているし、病室の引っ越しも済んでいるから、オレができることは何もない。手持ち無沙汰になって部屋を見回しながら突っ立っていると、葵さんに手招きされた。


「ちょっとこっち来てくれる?」


 何も考えずに葵さんに近づく。自然とベッドに寝ている楓との距離も縮まるが、この段階では警戒しようもなかった。あ、と声を上げたときには椅子に座らされ、眠る楓と向き合わされる。


「よし、選手交代」

「よし、じゃなくてさ、いったいこれは何の真似?」

「ちょうどお手洗いに行きたかったのよ。その間、楓のことを見ててちょうだい。言っとくけど、眠ってる娘におかしなことしたらタダじゃおかないからね?」

「あんまり声を張ると楓が起きるって。凄む暇があったら早く行っておいでよ」


 顔に出さないようにスルーしたけど、葵さんの凄みは直視できないくらい怖い。それも、事情を知っていれば当然だとも思う。


「あれも」


 葵さんは冗談(半分は本気)の睨みを引っ込めて、声を落とした。


「あれも、まだ話さないでちょうだい」

「……はい、わかってます」


 オレと葵さんの間にある約束だ。ことが落ち着くまで、楓には秘密にしていることがある。それもこの人なりの優しさで、楓のためを考えた結果だ。


 不器用な鬼が部屋から出ていくのを見届けて、改めて楓に目を移した。


 母親の手を握っていた小さな手が、呼吸に合わせて僅かに上下するお腹の上に乗っている。どう見ても高校生のそれではなく、いいとこで中学生くらいの大きさだ。姉妹である茜さんと比べても、一目見てわかるほどに違う。


 その小ささや身体の華奢さが、輪をかけて儚さと脆さを際立たせる。目を離せばいつの間にか解けて消える雪の結晶のような、綺麗で壊れやすい存在。そのくせ、自分のことをそっちのけで無理をする。みんなに心配をかけまいと気丈に振る舞っている証拠が、目の下に表れたくまなんだろう。


 もどかしい、と思った。今の楓を見れば見るほど、オレの記憶の中にある楓と食い違っていくような気がする。明るく笑顔を振りまいて、周りにも元気を与える太陽のようなイメージが、オレの中にある楓だ。ただ、子供の頃の記憶というのは曖昧なもので、六年経つ間に脚色されているのかもしれないし、当時の楓が何か悩みを持っていたとしても、子供のオレが気づくわけがなかったのかもしれない。


 だからこそ、今なら楓の助けになるんじゃないかって。


 でも、どうだろう。助けになるどころか、楓のトラウマを呼び起こしてしまった。直前に語っていた、学校に行きたいという楓の願いを壊すほどの、大失態。これでは恩を仇で返したようなものだ。


 それでも楓は、オレを責めたりしなかった。こうなることは仕方がなかったんだと受け入れて、触れるのが怖いはずのオレの手を握って、励ましてくれた。


「……そら?」


 オレを呼ぶ声に我に返ると、目を覚ました楓が不安げにオレを見ていた。そしてオレも、楓をじっと見つめていたことに気づく。


「わ、悪い」


 慌てて楓に背を向ける。自分がどんな顔をしていたかはわからないけど、およそ人に見せられるものじゃなかったと思う。とにかく何か言い訳を、と口が思考を置き去りに言葉を吐き出す。


「その、ごめん、起こしたみたいで。まだ眠いなら寝てていいから」

「母さんと茜ちゃんは?」

「茜さんは帰ったぜ。葵さんは席を外してるだけで、すぐに戻ってくる、よ……」


 ちょん、とオレの腰に細い指が触れる。ゆっくりと振り返ると、上半身を起こした楓が、オレの服の裾を指先で摘んで、拗ねるようにこっちを見上げていた。


「怒った、か?」

「怒ってないよ。見られたのは、ちょっと、恥ずかしいけど……」


 実のところ、楓の寝起きを見るのは初めてじゃない。というか、病室を訪ねたときは大抵寝起きだ。今日みたいに寝ている姿をまじまじ見るのは、そんなに機会のあることじゃないけど。


「ごめん」

「いいってば。寝ちゃってた俺が悪いんだから」


 楓は僅かに顔を赤くしたけれど、それも指を離すときに引っ込めた。


「それで、なんであんなに難しそうな顔してたの? 何か考え事?」


 楓はまた、オレの心配をしているようだった。オレが憂いているのはまさに楓のことなのに、堂々巡りというか負のループというか。


「悪かったよ、辛気臭い顔して」

「いいから教えてよ」

「オレだって年頃なんだから、個人的な悩みのひとつやふたつくらいあるって」

「ふうん……?」


 楓は意味深に嘆息すると、考え込むように顎に手を当てた。北見先生や茜さんが時たま見せる、考えるときの仕草だ。


 楓の家族のことはオレも聞かされている。けど、どうしたって血縁的な遺伝や癖ってあるのかもしれない、と楓を見て思う。口にしたら絶対に怒られるだろうけど、今の楓を見て葵さんが親だとは考えられない。


「もしかして、学校に好きな子がいるとか?」

「はぁ? なんでそうなる」


 考え込んだ挙句に口を開いたと思ったらまったくもって見当違いの推察が返ってきて、オレはがっくりと項垂れる。


「なんだ、違うのか」

「そこでどうして残念そうなんだよ」

「ソラの小さい頃を知ってるからさ、なんていうか弟が成長したような感覚? だから、もしそうだったらちょっと喜べたかもしれないなーって」

「楓の中でオレってそういう立場なのか?」

「あー、お姉ちゃん残念だよ。ソラ君の春を見れないなんて」

「誰がお姉ちゃんか。あと君づけやめれ」


 ぷい、とそっぽを向いて今度はオレが拗ねる番。けど、おかげで暗いことばかりを考えずに済んだ。楓はまだ笑いながら「ごめんって」と冗談を謝ってくる。


「まあ、何かあったら相談しなよ。ずっと病室にいると暇だからさ、ソラの学校の話も聞きたい」


 その笑顔の裏にどれだけの苦悩と不安を抱えているのか、オレには見当もつかない。子供の時のオレはそれに気づけなかったし、今はそれがわかっていても力になれずにいる。ただ、少しでもこんなバカみたいな会話で、一時でも楓がつらいことを忘れられるなら。


「そうだな、とっておきのを話してやるぜ。オレのクラスに槇野まきのっていうやつがいるんだけどさ」

「彼女?」

「だから違うって。ていうか女子とも言ってない」

「あははっ」


 何が面白かったのか楓がお腹を抱えて笑う。今は、これでいいかもしれない。いつかオレが本当の意味で楓を助けられるようになるまで。


 それが、オレの心臓が今も動いている理由だ。

 

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