花屋の出会い、その2
さて、ブーケを受け取って店の前に立ったものの、どうやって配ろうか。
あまり積極的に動くことのない俺は、何かの宣伝活動をしたことはない。道行く人に呼びかけて、花を渡すだけなのだが、ティッシュ配りみたいに無視されたらどうしよう。俺はコミュ障ではないと自分で思っているけど、それでもその可能性を考えるとなかなか声が出なかった。俺より人見知りの茜ちゃんは、もっと声をかけづらいかもしれない。
だったらやっぱり、俺が先に声を上げなければ。
「あの……」
「ふあっ!? は、はい!」
決意を固めた瞬間に横から話しかけられて、不意打ちに飛び上がるほど驚く。反射的に振り向くと、まったく知らない男の子がこちらを不思議そうに眺めていた。同年代とは思うけど、まさか男から話しかけられるとは思ってなかったので、顔を見た後でも声が裏返る。
「な、なんでしょうか!?」
「ああ、いや、ちょっと気になって……君って確か……」
「あれ、竹浦くん?」
俺の後ろから、茜ちゃんが声を上げた。もしかしてこの男の子の名前? なんで知ってるんだろう?
「あ、あれ? 北見さんが二人?」
「北見……?」
あ、そうだ、今の俺は茜ちゃんとそっくりの女の子なんだ。で、この竹浦くんと茜ちゃんは知り合い。多分同じクラスとかだろう。って、それってまずくないか?
「竹浦くん、わたしが北見茜だよ。こっちはおに……じゃなかった、お姉ちゃんなの」
茜ちゃんが咄嗟に言い直したけど、俺の背中はひやっとした。幸い竹浦くんは俺たちが姉妹だということに気を取られたのか、疑問に思ったような素振りはなかった。
「ああ、そうなんだ。お姉さんがいたなんて初めて知ったよ。すごく似てるから、お姉さんのほうを北見さんと間違えた」
竹浦くんは恥ずかしそうに頭を掻いた。その後ろから、男の子と女の子が一人ずつ顔を出す。
「竹浦ぁー、何やってんの? ナンパ?」
女の子に茶化すように言われて、竹浦くんは顔を赤くして否定した。
「違うよ。偶然北見さんと似た人を見つけたんだ。そしたらお姉さんのほうだった」
「は? 茜のお姉さん?」
後から現れた二人の目線が俺に注がれる。
「わお、すごい似てる! でも茜よりちょっと髪が長いし、雰囲気が違う感じがするわね」
茜、と呼び捨てをするのは女の子のほうだ。ボブカットって言うんだろうか、丸い肩までの髪型がボーイッシュで、話し方も母さんほどではないけどサバサバした印象を受ける。
男の子のほうは坊主頭で、何かの運動部に入っていそうな印象だ。顔は整っているほうで、遊び盛りの男子高校生のイメージだけど、不良みたいに悪そうな感じはしない。細い目がちょっと怖いせいか、じっと見つめられている俺は居心地が悪い。
「あんた、名前は?」
「俺? 楓って言います」
聞かれたので名乗ったんだが、その瞬間三人が凍り付いた。あれ、何かまずかったか? 茜ちゃんと同じクラスってことは、生前の俺の顔を知っていたかもしれない。だからって、下の名前まで憶えてるものだろうか? でも、じゃあこの沈黙は何だ?
「お前、変な一人称使うのな。男みてえ」
坊主頭に言われて気づく。そうか、「俺」っていう一人称を使ったことが問題だったのか。確かに茜ちゃんみたいな可愛い子が初対面で突然「俺」って言い出したら引くよな。
「これは生まれつきなんだ。気にすんな」
「うわぁ、口調も男っぽい。茜にお姉さんがいたってだけで驚きだけど、こんな可愛い子が予想できない話し方するのも初めて見るねえ」
女の子の方が物珍しそうに言った。
言葉遣いで多少突っ込まれるのは覚悟していた。こればっかりは直しようがなかったし、直したくもなかったから。ともかく茜ちゃんの姉として疑いはないようで、それはほっとした。外見でこんだけ似てるんだから無理もないけど。
「それで、北見さんたちは何してるの? その花束は何?」
「あ、これ? このお花屋さんのお手伝いをしてるんだ。サービスでこのお花を配ってるの。よかったら一つ持って行って?」
「マジで? それタダでくれんの?」
茜ちゃんがニリンソウを三つ差し出すと、三人がそれぞれ受け取った。坊主頭はタダという言葉にがめつく反応したくせに、花を受け取ると釈然としないって顔をした。
「これ、どこにでも生えてそうな花だけど、何か意味があんの?」
「どこにでも生えてそうとは失礼な」
坊主頭の男の子の発言に、俺は思わず反論していた。
「これはニリンソウと言って、春の短い間しか咲かない珍しい種類なんだ。特徴は見ての通り――」
と、うんちくを長々と話してしまう。花のことに関して熱くなると、俺は自制できない。一気にニリンソウの知識を曝け出して口を閉じた時には、三人の視線が興味深そうに俺に集まっていた。
「な、なんだよ?」
「いやいや、博識だなって思って。お花が好きな女の子はたくさんいるけど、実物に詳しい女の子となるとそうはいないから」
「そう、なのか?」
言われてみれば、花の知識を延々と話す女性に会ったことはない。それがどうしてなのか、今まで考えたこともなかった。
「まあ、珍しい女の子なのはわかったわ。でも些細な事よ」
「そうだな。さっきお姉さんの口から春の妖精って聞いたけど、二人こそ花束を持った妖精かと思ったよ」
「妖精だなんて、大袈裟だよ~」
茜ちゃんはそう言って謙遜するけど、実際は俺から見ても妖精という比喩は過大評価じゃない。まあ、俺が例えるなら天使だけどな。ニリンソウのブーケを持っているだけなのに、童話に出てきてもおかしくない容姿だ。
あ、俺? 断じて可愛いなんて認めない。
「ほら二人とも、お客さんが集まってるわよ。お花配るんじゃないの?」
「おう、そうだった」
でも、なんで急に人が集まってきたんだろう。店先で花を持って話をしてたから目立ったんだろうか。ともかく、集まってきた人には茜ちゃんと二人で、ニリンソウを渡して回った。
花を渡した時の反応はみんなだいたい似ていた。老若男女、いろんな人が集まって来ていたけど、花を差し出すと決まってびっくりされる。でもその後は、どんな人でも嬉しそうに笑ってくれた。その表情で俺も茜ちゃんもますます笑顔になる。多分そのせいでまた新しいお客さんが集まって来て――、その繰り返しで、気が付くとニリンソウの花はあっという間になくなっていた。
「すいません、最後のお花もなくなりました! みなさん、ありがとうございましたー!」
俺が声を上げてお辞儀をすると、周りの人たちがパチパチと拍手を送ってくれた。お店のほうを見ると、宣伝効果があったらしく中に入っていく人たちも見える。レジが忙しいんだろう、花屋のお兄さんは出てきていなかった。
「お疲れさま、二人とも」
ずっと見ていたらしい茜ちゃんのクラスメイト三人がまた寄って来て、俺たちに労いの言葉をかけてくれた。
「なあ、北見姉。あんた妹と高校は同じじゃねーの?」
「そういえば茜からも、お姉さんがいるなんて一言も聞いてないわよ。記憶では一人っ子じゃなかったっけ?」
俺たちが自由になったからか、坊主頭とボブカットが一斉に疑問を口にしてくる。髪型で人を指すのはどうかと思うけど、俺はこの二人の名前知らないししょうがないよな。
俺が学校に通う際、こういった質問が飛んでくるのは想定していた。その時はどうにか誤魔化すように言われていて、言い訳を茜ちゃんと考えていた。
「えっとね、わたしたち、最近まで離れ離れで暮らしてたんだ。双子だけど、お姉ちゃんはお母さん、わたしはお父さんに引き取られて育ったの」
「複雑な事情ってやつか? そういえば茜にはお母さんがいないって聞いたことあるけど」
「透、馬鹿」
ボブカットの女の子が坊主頭をたしなめた。複雑な家庭事情と知りながら躊躇なく踏み込んだ質問をしてくるあたり、この透という男子にデリカシーはないのかも。
まあこの際、その複雑な部分を省いて説明することはできないんだけどさ。
「いいよ、茉希ちゃん。うん、お母さんはわたしたちを産んで、すぐお父さんと離婚したの。それからしばらくしてから、病気が酷くなって亡くなったって聞いてる。それでお姉ちゃんはお母さんのほうのお祖父ちゃんに育てられたんだよ」
「ほえー」
と嘆息したのは茉希と呼ばれたボブカット女子。
「そんで、今日はたまたま姉が遊びに来てるってことか?」
「ううん、実は今週水曜日から、わたしたちと同じクラスに転校してくることになってるの!」
「えぇ!? それホント?」
茜ちゃんが茉希ちゃんに大きく頷く。転校してくることに関しては、茜ちゃんはすごく嬉しそうだ。そんなに俺が同じクラスになるのが楽しみなんだろうか。
「でもなんで今更?」
「いや、実はじーさんがそろそろ高齢でさ。介護サービスにある施設に入ることになって、家には俺一人になったんだよ。気を利かせてくれた父さんが一緒に住まないかって提案してきて、じーさんにも勧められて、こっちに越してきたんだ」
「そうかぁ、大変だったんだね」
さも本当のことのように嘘をついて行くけど、誰も損をしない嘘なのでスラスラと言葉が出てきた。バレたからと言って糾弾される理由はないし、疑われることはあっても確かめる方法なんてないだろう。
案の定、信じてくれたようで、三人はそれ以上質問してくることはなかった。
「じゃあ水曜日からよろしくね! 自己紹介遅れちゃったけど、私は鈴原茉希。茉希でいいよ。あ、こっちのムッツリ坊主は桐山透」
「人の自己紹介取るんじゃねー。てか、ムッツリ坊主ってなんだよ。喧嘩売ってんのか? あぁ?」
「まあまあ、そこらへんで。ほら、そろそろバスの時間だから。じゃあえっと、北見さんは月曜日ね。お姉さんのほうは水曜日、また会えるのを楽しみにしてるよ」
竹浦くんが二人を仲裁して、ペイスの外へ促した。俺と茜ちゃんは手を振って見送る。けど、結局竹浦くんの下の名前はわからずじまいだったな。まあ、今度からクラスメイトだし、聞く機会はいくらでもあるだろう。
とりあえず俺の正体を誤魔化して、通学のための「設定」を吹き込めたことに、茜ちゃんと二人で安堵した。