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歴代の吟遊詩人が「大陸に春を運ぶ国」と謳った、大大陸東の中小国家ジャスティミン。この国は、穏やかな気候と古きゆかしい石と赤レンガの町並みから観光名所として人気を博している。先日、ついに冒険者が旅の途中に立ち寄りたい場所の国部門で見事二位に輝いた事もあり、この所の観光者は特に多い。その大半が物騒な防具で身を固めた流れ者ではなく、上質な布と流行のドレスで着飾った貴族であることは俺たちにとって唯一の救いだった。
ジャスミン国の治安警護を任されている騎士たちの仕事は主に明朝から正午までが要だ。昔から続く伝統や文化を重んじているこの国は、夜を真昼に変える光源技術や魔法が輸入されても関所を閉める刻限を変えず、正午には城門を閉じるのだ。その分ずいぶん早く城門を開けるのだが、物騒な事件とは無縁のこの国では騎士らしい仕事なんて無いようなものなのでその位の労働に文句は言わない。少なくとも、最北の要塞国家からこの国に流れ着いた元傭兵であるヴァルドにはその程度苦でもなかった。
「取り敢えず、仕事お疲れさま!正午も頑張りましょー」
「ハーッ、今日も観光者多かったな。貴族様相手に厳しい検査できねぇわこっちが気を使うわでクタクタだわ」
「でもやっぱりイイとこの貴族が多いな、皆べっぴん揃いだったぞ」
「なんだよお前、玉の輿狙い?お前の顔面偏差値じゃ無理だってぇーの!だよなぁーヴァルド!」
木造りのジョッキ一杯に酒を仰ぎながら同僚の騎士がヴァルドの肩を叩く。バシバシッと遠慮のない力で叩くもので、匙で掬った胡桃のスープが少し零れた、だがヴァルドは気にした風もなく淡々と食事をする。そんなヴァルドの態度に目くじらを立てるわけでもなく、慣れた風に同僚は話を続ける。陽気で寛容、悪く言えば呑気で享楽主義、だがそれがこの国を春の国と謳わせる民の一般的な性情なのだ。
平日はみずみずしく実った果実を摘み仕事に励み、休日には隣人と朝搾ったミルクと共にデザートを焼き、祝日には華やかな民族衣装を纏いカーニヴァルを行う。それがジャスミンの民の当たり前の習慣だ。穏やかな地方で育まれた暖かな性情は、自分たちだけではなく移民にまで等しく向けられる。誰もを歓迎し、誰もを今日の友として同じパイを食し揃いのパーシェ(民族衣装)を着てダンスを踊る。ヴァルドの国では考えられなかった人と人との営みやぬくもりが、この国を生かしている。
ヴァルドもそんな為人に幾分か救われている。ヴァルドは元々寡黙な男で、父親に似たのか表情は何時も険しいそれだ。最北は常に死は隣り合わせの国であり、少しの油断は己の死に直結しえない。故に、父親の険しい顔が最北の国イヴェールでの生き方そのものなのだ。常に周りを警戒し、気の緩まる時はない。それが世界の摂理だとヴァルドは教わったし、この国に慣れ親しんだ今もその考えに疑いはない。でも、その所為でここに行きつくまで随分と苦労したこともまた事実なのだ。
歩いているだけで「喧嘩売っている」と覚えのない怒りを買い、休んでいるだけで「大仕事を控えている様だ」と周りから人が捌ける。産まれて着いた顔と、国柄である針の筵の様な滲み出る雰囲気は自然とヴァルドを孤独にした。それに寂しさを覚えなかったと言えば嘘になる。そんな自国の在り方に嫌気がさして父親に殴られながらも国境を越えた、なのに自分は結局のところ同じ生き方しかできない。そう恥じた所で、少ない交友と田舎上がりの浅学な身で違う生き方を模索できるわけもなく、ヴァルドは結局傭兵としてその身を窶したのだ。皮肉にも、父親から叩き込まれた腕でそれなりに食えたという事実が、ヴァルドの矜持をじりじりと殺ぎ落とした。剣を振るう程に、その事実が現実となって自分の身を苛みヴァルドの中をぐちゃぐちゃに踏み躙って行く。______それが、恐らく自分の最盛期と思われる二年前のことだ。あの時のヴァルドは正に抜き身の刀そのものだった。あの時の自分は、向けられた小さな優しさに気づかず踏み躙ってばかりだった。それは何よりも自分が求めていたものであったのに、
そんなヴァルドの転機となったのは、古い知人の勧誘だった。彼はヴァルドが傭兵となったばかりの頃に少し世話になった人で、同郷の出だった。彼にどんな意図があったのかヴァルドには解らない、ただ「行ってみると良い」と地図と路銀を渡されてはどうしようもなかったのだ。だから碌に国名も確かめずに地図の旅路を辿った、そうして辿り着いたのがこの東の春の国・ジャスミンだった。
最初は何もかもに圧倒され戸惑った。関所の騎士には「アンタ良い体してんね!」「すげぇ筋肉…どこの出身?軍事国家とか?」とお前らは国の治安を守る騎士ではないのかと一喝したくなった。宿を探そうと道を歩いていただけなのに「すげー!こんなデカい剣見た事ねぇよ」「すごいー!背たかーい!」「おっちゃん傭兵?どんな仕事してんの!」と生まれて初めて子供に行く手を塞がれる体験をした。常なら自分の顔を見ただけで逃げるか泣き喚く子ども、それよりもずっと小さな子どもまでもが集まり外套やら荷物やらを引っ掻き回され漸くヴァルドは気づいた。自分はとんでもない場所に来てしまったのだと、
「本当にごめんなさいね旅の人、子どもと遊んでくれてありがとう」
(…遊んだ覚えはないのだが)
「まーあ!ベッピンさんだねっどこから来たんだい?ジャスミンへようこそ、色男!」
(ベッピンは女に使う褒め言葉だろう)
「すっごい筋肉だね!うちの柔い亭主にも見習わせてやってよ」
(なんでこんなにも馴れ馴れしく触って来るんだ…)
「かーちゃんっおっちゃんうちに泊めてやってよ!良いでしょ!?」
「それもそうね、うちに泊まって行きなさいよ。どうせ今から探しても碌な宿見つかりやしないから」
(…………おっちゃん)
嬉しそうにヴァルドの外套を引っ張る子どもの言葉に少なからずショックを受けた。そんな風に呼ばれるほど年を取っていない筈だ、そう思ってハッとした。最近、自分の顔すらまともに見た記憶が無かった。
子どもの親が言う通り、ほとんどの宿は予約で埋まっていた。4件目に立ち寄った宿で漸くここが名のある観光名所であることを知った。ならば仕方ない路宿しようと腹を括った頃「おっちゃーん」という不名誉な呼び名と共にあの時の子どもが来襲したのだ。
「宿みつかんなかったろ?だから言ったじゃーんっ大人しくうち泊まれって!」
子どもの言葉に愕然とした。そんな自分をぐいぐいと押して、子どもは自分の家路に連れて行こうとする。気づいたらそんな子どもに促され足を進めていた、ヴァルドは相変わらずの無表情で何一つ喋らなかったにも関わらず郊外にある子どもの家の戸を叩く頃には何故か肩車をする間柄になっていた。そんなヴァルドと子どもを見て、恰幅の良い主婦は大らかに笑っていた。
そうして、その夜は初めて会ったはずの家族の世話になった。この国に入ってから、今まで考えもしなかったようなことばかりが自分の身に起きてヴァルドの頭は既にショート寸前だった。そのため、眉間の皺が何時もより6割増しになっていたが当の本人が気づく筈もなく結局子どもの妹にまで懐かれその日は夜明けまでもみくちゃにされた。結局、泊めて貰ったにも関わらず一睡もできずに朝を迎えた。仕事に出るらしい亭主が寝入った子どもを部屋に運んだ後「目が冴えちまったなら散歩してくると良い、ジャスミンは朝ぼらけの時間が一番綺麗だ」と勧められ、ヴァルトは少し考えた後厳つい剣を片手に外に出た。
少し歩いた所で、亭主の言っていた言葉の意味が解った。ぼんやりと夜が明けた時刻、暖かい風に撫でられて草が倒れる音しか聞こえない。時折見かける民家の煙突からは朝一の竈煙が立ち上り、耳を澄ませば微かな会話のざわめきさえ聞こえて来た。見た事も、感じた事もない、穏やかな景観に気づけば人のいない場所を探してヴァルドは踏みなれない土の上を彷徨った。その先で、ヴァルドはこの国に滞在を決めることになる出会いをする。
「なあ、ヴァルドもそう思うだろ!」
少しばかり考えに浸っていると思い切り背を叩かれた。突然の事に反応しきれず、今度は盛大にスープが零れた。……前の自分が今の自分を見たら、どんな顔をするだろう。例え寝入っていてもどんな襲撃も完璧に返り討ちにして見せた狂戦士は、こんなにも情けない男になってしまった。その事に対して、込み上げてくるのが不甲斐なさではなく言葉にしがたいむず痒い感覚であることも、___なんとも下にし難い。
「……なんの話しだ」
「お、珍しいね。このだんまり男が喋るなんて」
「気を着けろお前ら、今日は魔法の槍が降って来るかもしれないぞ!」
そう言って大笑いする同僚にヴァルドは盛大に舌打ちをした。そんなヴァルドの苛立ちを常の事と歯牙にもかけずに春菜と卵の炒め物をフォークで突きながら同僚が言う。
「ヴァルドはどうなんだよ。お前、結構人気あるんだぞ?移民特有の堀の深い顔立ちに、鎧の上からでも解るワイルドな体つきに、鋭い目つきがセクシー!なんてな、」
「だから、何の話だ」
「巷の女の噂話だよ。お前、騎士ん中じゃアテラントに引けを取らない人気ぶりなんだぞ?」
ゆで卵に齧り付いていた同僚が、後半は囁くように言ってちらりと流し目を送る。その先にあるものをヴァルドも視認し嗚呼と得心が言った。むさ苦しい騎士が溢れかえった食堂の一角、妙に静かな空間がある。そこら中で湧き上がる豪快な笑い声や空になって積み重ねられた食器とは無縁とでも言う様に、木目のテーブルにそぐわない赤地のカーペットを伸ばして銀食器で食事をする集団がいた。下級騎士の癖にやけに小奇麗な身なりが逆に目につく集団の中、一際目立つ金髪の男__それが、アテラントだ。
「うひょう…今日は冷製スープにステーキか。良いな、うまそー」
既に興味を失くして硬いパンを千切っているヴァルドに対して、羨望の眼差しでスプーンを噛む男の一言に同僚たちが一斉に熱く同意する。
「流石、下級でも貴族出は違うよな。オレもあんな飯くってみてーよ」
「オイオイ、元工夫が夢見すぎだろ。現実を見ろって!」
そう言って、悔しがる男の肩を寄せると調子に乗った男が千切ったパンをテーブルに置いた。
「良いか、これが今の俺たちだ」
男の言葉に気づけば、テーブルにいた同僚がみな顔を寄せて頷いている。
それを見ると、男はさらに調子を良くしたのかにまりと笑みを深める。そっと男は自分のスープをかき混ぜた匙に小さな鶏肉の欠片を取って見せた。それに衆目が集まる中、男はその匙をパンの欠片から遠く放して、放して放して_____ぼしゃりとヴァルドのスープの中に肉を放り込んだ。
「………こういうことだ」
「おー」
「どういうことだ」
そんなヴァルドの声は届かず、同僚は「なるほど」「深い」と得心が言ったように頷いている。いや、何も深くないだろう。そう思いながらヴァルドは込み上げてくる苦言を固いパンごと喉の奥へ押し戻した。
「あーやっぱりなり上がるには顔か…顔面格差が全てなのか…」
「そうそう、幾ら自由恋愛が許されているジャスミンだってそう簡単じゃねぇよ。俺たちみたいな剣を振るうしか能のない男はどうあがいたって貴族令嬢の可愛い子ちゃんに見初められる訳がねぇってんだ」
「クッソー!俺たちにはヴァルドだけが頼みの綱だ!ヴァルド!なんとかしてあのアテラントサマ野郎の鼻をへし折ってやってくれ…!」
「どうして俺が…」
食事中の腕を無理やり掴まれた上に拝まれ始めたヴァルドが居心地悪そうに言うと、隣で酒を一気飲みした同僚が「そりゃあ」と返す。
「俺たちの中で、あいつに勝てそうな奴がお前しかしないからだろ」
「?」
「アテラントは剣の腕こそそこそこだが、端くれでも貴族様だからな。公式試合じゃ裏金積んで大抵のしあがっちまうし、後で来る陰湿ないじめが恐ろしくて大抵の野郎は自ら牙を差し出しちまう始末だ」
嗚呼、だからあんな奴が腕章を着けているのか。
アテラントの騎士甲冑に掲げられた赤い御旗の謎が解け、ヴァルドはその言葉に得心を示した。赤い御旗の腕章は、二年に一度行われる騎士同士の公式試合の優勝者に贈られるものだ。要するに、騎士の中で一番腕の立つ者に贈られる勲章である。
何度かアテラントが剣を振るう場面を見た事があるヴァルドは、どうして彼程度の者がその勲章を我が物顔で頂いているのか大層不思議だった。それがこの国の騎士の程度かと一時期は落胆にしたものを覚えたが、それは他の騎士の体を見て一変する。所詮は道楽と思われがちのジャスミンの騎士だが、彼らの腕にはそれなりのものがある。それが指導者の師事と、民の愛国心のたまものであることを既にヴァルドは知っている。
(何処の国でも、貴族の横暴さは変わらないな)
「そんなアテラントに業を煮やしていた俺たちだが、それも今年までだ。ヴァルド、お前ならイケると俺は確信している…お前のそのふてぶてしさならお貴族様相手でも遠慮なしに公式試合で優勝できる!!」
拳を固く結び、熱い同意を求めて自分を見てくる男とは対照的にヴァルドの顔から表情が抜けおちる。呆れと憐みに満ちた視線を送るヴァルドに対し、同僚の熱は再び燃え上がる。
「そうだっヴァルドならいける!空気が読めないヴァルドなら優勝奪還も容易いぞ…!」
「それにヴァルドは女どもから人気もあるしな。アテラントをコテンパにしても文句いわれないだろ」
「くそっやっぱり顔が良い奴は違うぜ…!ヴァルドに乾杯!」
「乾杯!」
「くだらない」
ヒャッホウと杯を交わす同僚たちの間にヴァルドの一際冷たい声が通った。
ぴたりと訓練された犬のように口をつぐむ同僚たちに目もくれず、ヴァルドは匙で先ほど男が投げ入れた肉を突き刺し豪快に口内に収めるとさっさと席を立ってしまった。そんな彼に慌てた様子で隣にいた男が声を掛ける。
「どこ行くんだ」
「……仕事場だ、」
それだけ言って大股で食堂を後にしたヴァルド。その背が見えなくなって暫く、ある男が「惚れるぜ…」と呟き皆がそれに無言で頷いた。