「姉様がずっと続けていた文通、私が代わりに返事を書いていたの」——七年分の想いを奪った妹が婚約者を連れてきたけれど、私はもうあなたの影にはなりません
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第一章 奪われた七年
「姉様、この方が私の婚約者、シリウス様よ」
妹のセラフィーナが誇らしげに腕を絡める青年を見た瞬間、私の心臓は凍りついた。
漆黒の髪、深い紫紺の瞳——そして、その胸元で揺れる銀のペンダント。
蓋を開けば、そこには押し花が収められているはずだ。私が七年前、文通相手の「S」に贈った、月下美人の押し花が。
「リリアーナ様、お初にお目にかかります」
シリウス・アシュフォード公爵子息は、礼儀正しく一礼した。その声は——ああ、手紙の中で何度も想像した声と、どこか重なるような気がした。
私は震える膝を叱咤しながら、淑女の礼を返す。
「ようこそお越しくださいました、シリウス様」
七年。
七年間、私はこの方と手紙を交わしてきた。顔も名前も知らぬまま、「L」と「S」という署名だけで。詩のこと、哲学のこと、音楽のこと——病弱で屋敷の離れに閉じ込められた私にとって、あの手紙だけが世界への窓だった。
「姉様ったら、そんな顔をして」
セラフィーナがくすくすと笑う。蜂蜜色の巻き毛が揺れ、翡翠の瞳が意地悪く輝いた。
「驚いたでしょう? 実はね——」
彼女は私の耳元に唇を寄せ、囁いた。
「姉様がずっと続けていた文通、私が代わりに返事を書いていたの」
——は?
「だって姉様は病弱で、きっとお会いすることもないでしょう? だから途中から、お父様に届く手紙を私が受け取って、私が返事を書いていたの。シリウス様は、ずっと私と文通していたと思っていらっしゃるのよ」
世界が、音を失った。
セラフィーナは何事もなかったかのように私から離れ、シリウス様の腕に再び絡みつく。
「さあシリウス様、お庭をご案内しますわ。姉様は体が弱いから、お部屋で休んでいてね」
二人が去っていく。
私は、立ち尽くしていた。
——七年分の手紙。
——眠れない夜に何度も読み返した言葉たち。
——いつかお会いできる日を夢見て、押し花を贈った日のこと。
全部、全部。
妹に、奪われていた。
◇◇◇
離れの自室に戻り、私は静かに扉を閉めた。
震える手で、机の引き出しを開ける。そこには七年分の手紙の束——「S」から届いた、私の宝物。
最初の手紙を広げる。
『L様。初めまして。療養先は退屈でしょうか。私も似たようなものです。よければ、お互いの退屈を紛らわせませんか』
……この手紙に返事を書いたのは、確かに私だった。
では、いつから?
いつから、セラフィーナは私の手紙を奪い、私になりすましていたのだろう?
手紙を一通一通、確認していく。私の手元にあるのは「S」からの手紙だけ。私が書いた手紙は、当然ながらここにはない。
——そうだ。
私は、自分の書いた手紙の写しを取っていた。
別の引き出しを開け、綴じた紙束を取り出す。震える指で頁をめくり——
途中から、筆跡が変わっていた。
三年前。ちょうど私が高熱で一月ほど寝込んでいた時期から、「S」への返信は私の手ではなくなっていた。
セラフィーナの、丸みを帯びた筆跡。
「……っ」
紙束を握りしめる。
三年。三年間、私は自分の言葉だと思って「S」からの手紙を読んでいた。でも「S」は、私ではない誰かと言葉を交わしていたのだ。
私の詩の話をしても、きっとセラフィーナは適当にごまかしていたのだろう。私の想いを、私の言葉を、すべて奪って——
涙が頬を伝う。
でも、声は出さなかった。この離れで泣いても、誰も来ない。誰も、気づかない。
二十二年間、ずっとそうだった。
◇◇◇
その夜、私は月明かりの下で詩を書いた。
『奪われた言葉は還らない
届かぬ想いは朽ちてゆく
されど月は知っている
偽りの花に蝶は来ぬことを』
ペンを置き、窓の外を見上げる。
——私は「月の語り部」。
王国中に熱狂的な読者を持つ、匿名の詩人。オスカー院長だけが私の正体を知っている。
セラフィーナは私の文通相手を奪った。でも、この才能だけは奪えない。
私の言葉は、私だけのもの。
「……もう、いいわ」
静かに、決意する。
文通は終わり。「S」への想いは、今夜この詩と共に葬る。
シリウス様がセラフィーナを選んだのなら——いいえ、選ばされたのだとしても——私に出来ることは何もない。病弱な姉が妹の婚約者に執着するなど、醜い真似はしたくなかった。
ただ。
あのペンダントの中の押し花が、本当に私が贈った月下美人なのか。
それだけが、心に引っかかっていた。
第二章 違和感の正体
シリウス・アシュフォードは、困惑していた。
「——それで、あの詩についてはどう思われますか?」
隣を歩くセラフィーナに問いかける。彼女は一瞬、目を泳がせた。
「詩……ですか?」
「ええ。先月の手紙で、『月の語り部』の新作について語り合ったでしょう。『暁の鏡』という作品です」
セラフィーナの翡翠の瞳が、微かに揺れる。
「ああ、あれですわね。とても……素敵でしたわ」
「どの部分が特に印象に残りましたか?」
「えっと……全体的に?」
——違う。
シリウスは内心で眉をひそめた。
手紙の中の「L」は、『暁の鏡』について三頁にわたる考察を書いてきた。「第三連の韻律の変化が、主人公の心境の転換を示している」「最終行の『鏡』は自己認識の比喩であると同時に、他者の眼差しでもある」——そんな深い洞察を、情熱的に語っていたはずだ。
目の前の令嬢は、何一つ覚えていない様子だった。
「セラフィーナ様は、普段から詩をお読みになりますか?」
「ええ、もちろんですわ。姉様ほどではありませんけれど」
——姉様。
先ほど屋敷で見た、儚げな令嬢の姿が脳裏をよぎる。
淡い金髪に、透き通るような薄青の瞳。青白い肌と細い体躯は確かに病弱そうだったが、その眼差しには——何か、深い知性の光があった。
そして、彼女が私を見た瞬間の表情。
まるで、長年探し求めていたものを見つけたような。あるいは、永遠に失ったような。
「姉様は体が弱くていらっしゃるのですね」
「ええ。幼い頃から屋敷の離れに籠もりきりで、社交界にも出られないの。可哀想な方ですわ」
セラフィーナは同情するような口調で言ったが、その声には微かな優越感が滲んでいた。
「お父様が哀れに思って、療養先の貴族の子息との文通を手配してくださったの。でも——」
彼女は言葉を切り、意味ありげに微笑んだ。
「姉様は手紙を書くのも億劫なほどお体が弱いから、途中から私が代わりに」
「……代わりに?」
「ええ。姉様の代わりに、お手紙を書いていましたの」
シリウスの足が止まった。
「では、この三年間——私と文通していたのは」
「私ですわ」
セラフィーナは得意げに胸を張った。
「驚かれました? でも、姉様も喜んでいらっしゃるはずよ。だって、こうしてシリウス様と私が結ばれるのですもの」
シリウスは黙っていた。
胸元のペンダントに、無意識に手を触れる。中には、「L」から贈られた押し花——月下美人の花弁が収められている。
『この花は、月の下でしか咲かないのです。私はいつも月を見上げながら、Sのことを想っています。いつか、同じ月の下でお会いできる日を夢見て』
あの手紙の、あの言葉。
——本当に、この令嬢が書いたものなのだろうか?
◇◇◇
夕食の席で、シリウスは注意深く観察していた。
侯爵家の食卓には、当主のハインリヒ侯爵、その妻マルグリット、セラフィーナ、そして——離れから呼び出されたリリアーナが並んでいた。
リリアーナは、ほとんど料理に手をつけなかった。
「姉様、少しは召し上がらないと」
セラフィーナが心配そうな声を出す。だが、その目は笑っていない。
「ええ……少し、体調が」
「まあ、いつものことですわね。シリウス様、姉様は本当に食が細くて。お医者様も手を焼いていらっしゃるの」
マルグリット夫人が、優雅に首を振った。
「困った娘ですこと。せっかくのお客様の前なのに」
リリアーナは俯いたまま、何も言わなかった。
その姿が、シリウスの心を妙にざわつかせる。
——彼女の目。
先ほど一瞬だけ交わした視線。あの薄青の瞳の奥に、何か燃えるような光を見た気がした。諦めと、悲しみと、それでも消えない何かが。
「リリアーナ様」
気づけば、声をかけていた。
「は、はい」
彼女は驚いたように顔を上げる。青白い頬が、微かに染まった。
「詩はお好きですか?」
食卓が、一瞬静まり返った。
セラフィーナの目が鋭くなる。マルグリット夫人の口元が、微かに引きつる。
「私は……」
リリアーナは逡巡するように視線を落とし——
「ええ。好きです」
静かに、しかし確かな声で答えた。
「特に、『月の語り部』という詩人の作品を」
シリウスの心臓が、跳ねた。
「姉様、お客様にそんな話を」
セラフィーナが慌てて口を挟む。
「シリウス様は詩よりも政治や経済にご興味がおありでしょう? ね、シリウス様」
「いいえ」
シリウスは、リリアーナから目を離さなかった。
「私も『月の語り部』の詩を愛読しています。実は——その詩に、命を救われたことがあるのです」
リリアーナの薄青の瞳が、大きく見開かれた。
その反応を、シリウスは見逃さなかった。
第三章 月下の邂逅
眠れない夜だった。
私は窓辺に座り、月を見上げていた。
シリウス様の言葉が、頭から離れない。
『その詩に、命を救われたことがあるのです』
——まさか。
あの方が、「S」が、私の詩の読者だったなんて。
手紙の中で、「S」は一度だけ過去の傷について書いてきたことがある。『家族を失い、継承争いに巻き込まれ、生きる意味を見失いかけた時期があった』と。そして、『ある詩人の言葉に出会い、再び前を向くことができた』とも。
あれは——私の詩だったのだろうか。
私の言葉が、あの方を救ったのだろうか。
だとしたら。
「……だとしたら、何だというの」
自嘲の笑みが漏れる。
今さら何を期待しているのだ、私は。シリウス様はセラフィーナの婚約者。文通相手の「L」はセラフィーナだと信じている。私が本当の「L」だと名乗り出たところで、病弱な姉の妄言としか思われないだろう。
それに——
セラフィーナが三年間、私の代わりに手紙を書いていたのは事実だ。シリウス様にとっては、その三年間の「L」こそが婚約者なのかもしれない。
私の七年と、セラフィーナの三年。
どちらが本物の「L」なのか。
「……馬鹿らしい」
立ち上がり、窓を開ける。夜風が、病んだ体に沁みる。
でも構わなかった。この息苦しさから、少しでも逃れたかった。
ふと、庭に人影を見つけた。
月明かりに照らされた漆黒の髪。長身の後ろ姿。
——シリウス様?
なぜこんな夜更けに、庭に?
彼は、離れに向かって歩いてきていた。
◇◇◇
息を殺して、私は窓辺から身を引いた。
足音が近づいてくる。離れの前で止まり——
「……誰かいますか」
低い声が、夜の静寂に響いた。
答えるべきか、迷った。こんな夜更けに、婚約者でもない殿方と二人きりで会うなど、淑女として許されることではない。
でも。
「『月が満ちるたび、あなたを想う。言葉にできない想いが、銀の光に溶けていく』」
彼が、詩を口ずさんだ。
私の詩を。
「月の語り部」の、最初の作品を。
「……この詩を」
シリウス様の声は、微かに震えていた。
「私が最も苦しかった時期に、この詩に出会いました。何度も読み返しました。この詩人に会いたいと、ずっと思っていました」
返事ができなかった。
声を出せば、きっと泣いてしまう。
「文通相手の『L』が、この詩人だと確信していました。手紙の中の言葉の選び方、韻律への感性、月への想い——すべてが一致していた」
足音が、窓の真下で止まる。
「でも、今日セラフィーナ様と話して、分かりました」
月明かりの中、彼が顔を上げた。紫紺の瞳が、真っ直ぐに私を見つめている。
「あなたが——『L』ですね。リリアーナ様」
涙が、頬を伝った。
「……どうして」
「詩の話をした時の、あなたの目です」
シリウス様は静かに続けた。
「セラフィーナ様は、『月の語り部』の名前すら知らなかった。でもあなたは——愛読していると言った。その瞳の奥に、私と同じ光を見ました」
私は、答えられなかった。
答えてしまえば、もう後戻りはできない。セラフィーナの婚約を壊し、侯爵家に波風を立て、病弱な姉が妹の幸せを奪ったと後ろ指を指される。
でも——
「七年間」
気づけば、言葉が零れていた。
「七年間、あなたの手紙を待っていました。あなたの言葉に、何度も救われました。いつかお会いできる日を夢見て、押し花を贈りました」
「月下美人」
シリウス様が、胸元のペンダントに触れる。
「私も、ずっと持っています。あなたの言葉と共に」
月が、雲間から顔を出した。
銀色の光が、私たちを照らす。
「でも——」
私は、涙を拭った。
「あなたはセラフィーナの婚約者です。私には、何も言う権利がありません」
「権利がない?」
彼の声に、怒りが滲んだ。
「七年分の想いを奪われて、何も言う権利がないと?」
「私は病弱です。社交界にも出られず、あなたの隣に立つこともできません。セラフィーナの方が、ずっとふさわしい」
「ふさわしいかどうかは、私が決めます」
シリウス様の声は、低く、しかし揺るぎなかった。
「リリアーナ様。私が愛したのは、手紙の中のあなたです。詩を愛し、言葉を紡ぎ、月を見上げながら想いを綴るあなたです。セラフィーナ様ではない」
「でも——」
「真実を証明する方法はあります」
彼は、一歩近づいた。
「七年分の手紙を、見せていただけますか」
第四章 偽りの詩人
王宮の文芸サロンは、きらびやかな貴族たちで賑わっていた。
今宵の主賓は、「月の語り部」。
王国中で熱狂的な読者を持つ匿名詩人が、ついに公の場に姿を現すという噂に、社交界は沸き立っていた。
——私は、その場にいなかった。
離れの窓から、王宮の方角を見つめるだけ。
三日前、セラフィーナが私の部屋に押し入ってきた。
『姉様、お願いがあるの。文芸サロンで朗読する詩を、私の代わりに書いて』
彼女は、「月の語り部」になりすますつもりだった。
オスカー院長からの招待状を、どうやって手に入れたのかは知らない。おそらく継母のマルグリットが手を回したのだろう。侯爵家の箔をつけるため、娘を王国一の詩人に仕立て上げようという魂胆か。
『嫌よ』
私は、静かに断った。
『もう、あなたの影になるのはやめます』
セラフィーナの顔が、醜く歪んだ。
『何を生意気な! 姉様なんか、私がいなければ何もできないくせに!』
彼女は私の机を漁り、書きかけの詩の原稿を奪って去っていった。
——あれから三日。
今頃、文芸サロンでは何が起きているのだろう。
◇◇◇
「『月の語り部』様、この詩の第三連についてお聞きしたいのですが」
シリウスは、壇上のセラフィーナに向かって問いかけた。
彼女は豪華なドレスに身を包み、得意げに微笑んでいた。たった今朗読した詩は、確かに美しいものだった——盗んだものだとしても。
「『鏡に映る月は嘘をつく』という一節。これは何を示唆しているのでしょう?」
セラフィーナの笑顔が、一瞬固まった。
「それは……月の……」
「月の、何ですか?」
会場が静まり返る。
シリウスの紫紺の瞳は、冷たく光っていた。
「真の詩人であれば、自作の一節の意図を説明できないはずがない。いかがですか、『月の語り部』様」
セラフィーナの額に、汗が浮かんだ。
「そ、それは……読者の解釈に委ねる部分であって……」
「では、この詩を書いた時、どのような心境でしたか?」
「え?」
「詩人は作品に魂を込めます。この詩を生み出した時、あなたは何を感じていましたか?」
沈黙。
会場のあちこちで、ざわめきが起こり始めた。
「……私は」
セラフィーナの声が、震えている。
「私は……月を見て……」
「この詩には月は一度も登場しません」
シリウスの声は、氷のように冷たかった。
「あなたは、この詩を読んですらいないのではありませんか」
会場が、どよめいた。
その時——
「お待ちください」
穏やかな声が、ざわめきを鎮めた。
白髪交じりの初老の紳士が、ゆっくりと前に進み出る。王立文芸院院長、オスカー・ヴェルナーだった。
「私は『月の語り部』の正体を知る、数少ない人物の一人です」
会場中の視線が、彼に集まる。
「そして断言します——この方は『月の語り部』ではありません」
セラフィーナの顔から、血の気が引いた。
「そ、そんな……私は……」
「あなたが朗読した詩は、確かに『月の語り部』の未発表作です。しかし、それをどうやって手に入れたのですか? 私は招待状を、本物の詩人にしか送っていないはずですが」
「それは……姉が……」
言葉が、止まった。
セラフィーナ自身が、何を口走ったか気づいたのだろう。
会場中の貴族たちが、彼女を見つめている。好奇と軽蔑の入り混じった視線が、容赦なく突き刺さる。
「帰りなさい」
オスカー院長は、静かに言った。
「他人の才能を盗み、偽りの栄光を求める者に、この場に立つ資格はありません」
セラフィーナは、泣き崩れた。
その醜態を、社交界の名士たちが冷ややかに見下ろしていた。
第五章 真実の露見
文芸サロンでの醜聞は、瞬く間に社交界を駆け巡った。
侯爵令嬢が詩人を騙り、姉から作品を盗んでいた——その噂は、王宮から辺境の街まで広がっていく。
私は相変わらず離れに閉じこもっていたが、使用人たちの囁き声から状況は把握していた。
セラフィーナとマルグリット夫人は、必死に言い訳を重ねているらしい。「姉が勝手に私の名前で詩を発表していた」「病弱な姉の妄想を信じないで」——そんな嘘が、通用するはずもなかった。
七年分の手紙という、動かぬ証拠があるのだから。
◇◇◇
シリウス様が、父の書斎を訪れたのは、醜聞から一週間後のことだった。
私は隣室で、その会話を聞いていた。
「侯爵閣下。私は、セラフィーナ様との婚約を破棄させていただきたい」
父の声は、疲れ切っていた。
「……理由を、お聞かせ願えますか」
「七年前から、私はある方と文通を続けてきました。その方こそが私の想い人であり、婚約者にふさわしいと考えます」
「ある方……とは」
「リリアーナ様です」
沈黙が落ちた。
「……娘は病弱で」
「病弱であることは、愛さない理由になりません」
「しかし、公爵家の嫡男が病弱な令嬢を娶れば、世間の目が」
「世間の目を気にして、真実を見失うおつもりですか」
シリウス様の声は、静かだが厳しかった。
「侯爵閣下。あなたは、リリアーナ様が『月の語り部』だとご存知でしたか?」
「……何?」
「王国中で愛される詩人です。その才能を持つ令嬢が、なぜ『病弱』という理由で離れに閉じ込められているのですか? なぜ社交界に出ることを許されなかったのですか?」
父は、答えなかった。
答えられなかったのだろう。
「私は調査を依頼しました。リリアーナ様の『病弱』の原因を」
私の心臓が、大きく跳ねた。
「結果が出ました。侯爵閣下——あなたの長女は、毒を盛られていたのです」
◇◇◇
毒。
幼い頃から、ずっと。
私は壁に手をついて、体を支えた。
——そういうことだったのか。
いつも体が重かった。食事をすると具合が悪くなった。医者は「生まれつき体が弱い」と言い、私もそれを信じていた。
でも、違った。
「犯人は、判明していますか」
父の声は、掠れていた。
「セラフィーナ様と、マルグリット夫人です。使用人の一人が、証言しました。リリアーナ様の食事に、長年にわたって微量の毒を混ぜていたと」
扉を開けた。
二人の視線が、私に向けられる。
「リリアーナ……」
父の顔は、蒼白だった。
「知っていたのですか、お父様」
「違う。私は……」
「知らなかったのですね。気づかなかったのですね。七年間、私が毒を盛られていることに」
声は、自分でも驚くほど冷静だった。
「あなたは私を離れに閉じ込め、継母と妹に任せきりにしていた。私の体調が悪化しても、医者を呼ぶだけで、原因を探ろうともしなかった」
「リリアーナ、私は……」
「いいのです」
私は、微笑んだ。
「責めているわけではありません。ただ——もう、終わりにしましょう」
シリウス様が、私の傍らに立った。その手が、そっと私の手を取る。
「侯爵閣下。私は改めて申し上げます」
彼の声は、揺るぎなかった。
「リリアーナ様を、私の妻として迎えたい。そして——毒を盛った者たちを、法の下に裁くことを求めます」
父は、長い間黙っていた。
やがて、深い溜息と共に頷いた。
「……分かった」
第六章 断罪と夜明け
マルグリットとセラフィーナが、大広間に引き立てられてきた。
二人とも、もう着飾る余裕はなかった。乱れた髪、涙で崩れた化粧、しわくちゃになったドレス。かつての華やかさは見る影もない。
「お義母様。セラフィーナ」
私は、椅子に座ったまま二人を見下ろした。
シリウス様が傍らに立ち、父は執務机の向こうで厳しい顔をしている。王家から派遣された騎士たちが、扉を固めていた。
「姉様、お願い!」
セラフィーナが床に膝をついた。
「私が悪かったわ! 文通のことも、詩のことも、全部謝るから! だから許して!」
「文通と詩のこと『だけ』?」
私の声に、彼女が怯んだ。
「毒のことは、謝らないのね」
「どっ……毒なんて、私は知らない! お母様が勝手に……!」
「セラフィーナ!」
マルグリットが叫んだ。
「黙りなさい! 余計なことを言うんじゃない!」
「だってお母様、姉様を殺すつもりだったんでしょう!? 私はそこまでするつもりは——」
「黙れと言っている!」
醜い母娘の言い争いを、私は静かに眺めていた。
——ああ、これが。
これが、私を苦しめてきた人たちの正体。
虚栄と嫉妬に塗り固められた、哀れな存在。
「もういいわ」
私が口を開くと、二人の言い争いが止まった。
「あなたたちが何を言おうと、証拠は揃っています。使用人の証言、七年分の手紙の筆跡鑑定、私の血液から検出された毒物——すべてが、あなたたちの罪を示している」
「リリアーナ、待って」
マルグリットが這い寄ってきた。
「私を許して。あなたのことは実の娘のように思っていたの。少しばかり厳しくしたのは、あなたのためを思って——」
「私に毒を盛ることが、『私のため』ですか」
冷たい声が、自分の口から出た。
「十五年間、私は自分の体が弱いのだと信じていました。社交界に出られないのも、友人ができないのも、すべて自分のせいだと。でも違った。あなたたちが、私から奪っていたのです」
立ち上がる。
シリウス様が、そっと私の腰に手を添えた。その温もりに、力をもらう。
「健康も、友人も、恋も、才能を認められる機会も——すべて、あなたたちが奪った。でも、もう終わりです」
「お願い、リリアーナ……」
「侯爵家の爵位は、父の代で返上されます。あなたとセラフィーナは辺境の修道院に追放。二度と社交界には戻れません」
セラフィーナが、絶叫した。
「嫌よ! 私は侯爵令嬢なの! こんなところで終わるはずない!」
「あなたは何も持っていなかった」
私は、静かに言った。
「詩を書く才能もなく、人を愛する心もなく、自分で何かを成し遂げる力もない。他人から奪うことしか知らなかった。だから、今こうして全てを失うことになったの」
騎士たちが、二人を連れて行く。
マルグリットの呪詛の言葉と、セラフィーナの泣き叫ぶ声が遠ざかっていく。
私は、窓の外を見つめた。
夜が明けようとしていた。
◇◇◇
「終わりましたね」
シリウス様が、私の隣に立った。
「ええ。ようやく」
「体調は?」
「解毒を始めてから、少しずつ良くなっています。医師によれば、完全に回復するまで半年ほどかかるそうですが」
「半年か」
彼は、微笑んだ。
「では、半年後——改めてお迎えに上がります」
「……え?」
「正式な求婚は、あなたが完全に回復してから。それまでは——手紙を書いても、よろしいですか」
手紙。
七年間の想いが詰まった、あの手紙。
「今度は」
シリウス様は、私の手を取った。
「代筆なしで、直接あなたに届けます。七年分の想いを、これからは顔を見つめ合いながら伝えさせてください」
涙が、溢れた。
今度は、悲しみの涙ではない。
「……はい」
声が震える。
「待っています。ずっと、待っています」
朝日が、二人を照らした。
長い夜が明け、新しい一日が始まろうとしていた。
終章 月から暁へ
——一年後。
公爵邸の庭園で、私は詩を書いていた。
『朝日を浴びて花は咲く
長き冬を越えた喜びを
言葉にできぬほど深く
ただ光に向かい手を伸ばす』
「新作ですか?」
背後から、聞き慣れた声。
振り向くと、シリウス——いいえ、今は「夫」と呼ぶべき人が、微笑んでいた。
「ええ。『月の語り部』としての、再出発の詩です」
「素敵ですね。『夜明けの詩人』という新しい名前も、あなたにぴったりだ」
彼が隣に座り、私の手を取る。
かつては青白かった私の肌は、今では健康的な色を取り戻していた。毒から解放された体は、日に日に強くなっている。
「ねえ、シリウス」
「はい」
「あの七年間の手紙、全部取ってあるの」
「私もです」
「いつか、子供ができたら見せてあげたいわ。お父様とお母様は、こうやって出会ったのよって」
シリウスが、目を細めた。
「素敵な考えですね。では——早速、子供を作る努力を始めましょうか」
「っ……! 昼間から何を言うの!」
彼の笑い声が、庭園に響く。
私は頬を赤らめながら、それでも幸せだった。
◇◇◇
七年分の想いは、確かに届いていた。
奪われた時間は戻らない。あの暗い離れで過ごした日々、毒に蝕まれながら生きた年月、届かないと思っていた言葉たち。
でも、それでも。
これからの時間は——私たちのもの。
月の下で始まった恋は、今、朝日の中で花開こうとしていた。
窓辺に飾られた押し花——月下美人が、柔らかな光の中で輝いている。
七年前、私がSに贈った花。
今は二人の愛の証として、この部屋を見守っている。
『月が満ちるたび、あなたを想う。
言葉にできない想いが、銀の光に溶けていく。
けれど今は——
朝日の中であなたの手を取り、
声にして伝えよう。
愛しています、と』
【完】




