南殿
清吉は小笠原家の支流の出である
それは、母が小笠原家一族の出身であったのだ。
当主の小笠原長時は戦さ上手では無いが、小笠原家の大事だものは永久的に守ろうとした
その一つが小笠原流、弓馬術で馬に乗りながら、矢を放つ、なかなか難しい技術であった。
しかし、不幸な事に清吉は馬が大嫌いだった。
近づいて、後ろ足で蹴られて、頭に大きなたん瘤を作ってから、恐怖が先立ち、どうしても馬に触れられなかった。
そんな清吉に
5歳年上の兄の喜一郎は優しく諭した
「怖がると馬にはそれが分かり、もうお前をご主人とは思わない、動物は主人を選ぶ、もっと毅然として、馬に接するんだ!」
「でも、怖いよ」
頑固は清吉は兄の言葉も無視して槍の稽古に励んだ
ある時、兄と共に近くの山に山菜取りに出かけた
その道に昨夜の大雨で見た事ない道が出来ていた
「兄上、こんな所に道が!」
「まことだ、何故道があるのか?
「進んでみましょう!」
訝しむ兄をせき立てて、清吉が先頭で進む
暫くすると、山小屋が見えてきた
「ほぉ、こんな所にも人が住んでいたのか」
「兄上、行って見ましょう」
山小屋から赤ん坊の鳴き声が聞こえる
子供達の足音はそんなには大きくなかった
しかし、突然山小屋の戸が開いた、中から出て来たのは、黄猿の子分で三次であった
喜一郎は三次の顔を一度だけ見た事があった
奴は、小笠原家のスッパ、所謂草の者だ。
「三次か、かようなところに住んでいたのか」
「若様、よくここが分かりましたね、あーそうか、
昨夜の雨で隠し草の門が壊れましたか」
「其方様は、弟君の清吉様ですね」
「三次は、ややこが出来たのか?」喜三郎が聞いた
「はい、惜しくも娘でしたが、7日前に生まれました」
「ほぉー、しかし良かったな」
「いやぁ、赤ん坊連れだと、これからはおつとめにさわりがあって、暫くカカァの実家に明日から行く予定です」
奥から赤ん坊を連れた女が出てきた。
その顔を見て清吉は驚いた
それは、母付きの侍女のまつであった
「お、おまつ!」
清吉が叫んだ
「清吉さま、この様な所で、、、」
「まつがいなくなって、ずっと探してたんだ!」
「清吉さま、、、」
兄がまつにすがろうとする清吉を止めた
「清吉、よせ!」
「されど、兄上!まつが、まつがいます」
「まつは母の侍女であって、三次の妻、そして、我が家の草じや」
「兄上!」
清吉は、何が何だかわからないまま、兄に掴まれてもがいていた。
母の南殿は小笠原家の娘、清吉の守りはいつもまつがしていた。
清吉には、母よりまつが母の様な存在だった
そのまつが、ここ一年姿が見えず、里に帰ったという母の言葉も辛かった
そんなまつがこんな近くで、この様な山小屋で暮らして居たのも辛かった。
「まつ、私と帰ろう!その赤ん坊も一緒に!」
清吉の言葉にまつが涙ぐむ
「若様、ありがたきお言葉、されどまつはこの子と共に次の仕事があるのです、若様とお別れするのが本当に悲しゅうございます」
三次も赤子をまつから貰い抱いてやる
「若様、私どもはお頭からのお指図で武田が狙う駿府の方へ行かねばなりません、」
「駿府?!」
「はい、今川様の動向を調べるのもお役目」
「そうであったか、ならば息災にせよ」
兄はそう答えると清吉を無理やり引っ張り去ろうとした、だが清吉は、それを跳ね返した
「まつ、我が家へ帰ろう!」
「若様、若様達もお達者で!」
涙でグショグショな清吉を抱えながら、兄は懸命に山道を歩き続けた。
側に侘しい鳥の声が響いていた