第十三章(3)カスパールの解放
結局、カイは何をしてもルシアン様に勝てない。
彼の攻撃は、ルシアン様の前ではまるで赤子の腕力のように無力だった。
カイは膝から崩れ落ち、その手から漆黒の魔力が消えていく。
「…やっぱり…歯が立たない…」
カイはそう呟き、ついに諦めの表情を浮かべた。
その顔には、長年の苦悩から解放されたかのような、清々しさすら漂っていた。
「…やっぱり、アンタはすごい…」
ルシアン様は、静かにカイの元へと歩み寄る。
そして、彼の頭にそっと手を置き、優しい声で語りかけた。
「カスパール…お前はもう、一人じゃない。苦しんだな、よく耐えた」
「ルシアン…」
カイの口から、弱々しく、しかし確かな声で、ルシアン様の名前が紡がれた。
彼の瞳に宿っていた冷たい金色の光は、次第に温かい輝きへと変わっていく。
「ルシアン…会いたかった…ずっと…!狭間で、俺は、ただただ一人だった…!何も見えず、何も聞こえず、ただ闇の中で…お前だけを想ってた…!」
彼の声は震え、途切れ途切れになりながらも、その苦悩を吐き出した。
「お前が、俺を見捨てたわけじゃないって、頭では分かっていたのに…それでも、置いていかれたと思った…!この力は、その時生まれた憎しみと、そして、もう一度お前に会いたい、お前を追い越したいっていう、ただそれだけの願いだったんだ…!」
涙が彼の頬を伝い、アリーナの床に零れ落ちる。
その涙は、長年にわたる孤独と執着、そしてルシアン様への複雑な感情の全てを物語っていた。
「お前に認められたくて…隣に立ちたくて…でも、届かないって、分かってた…それでも、諦められなかった…!」
カイは、その苦しい胸の内を全て晒すように叫んだ。
彼の表情には、安堵と、そして長年の執着から解き放たれたような、穏やかな微笑みが浮かんだ。
「カイ…カスパール。お前の思い、しかと受け止めた」
ルシアン様のその言葉を聞いた瞬間、カイの全身がキラキラと光を放ち始めた。
彼の身体が、まるで無数の光の蝶のように輝き、次第に薄れていく。
「ルシアン様…ありがとう…」
その言葉と共に、カイの姿は、まるで朝靄のように、ゆっくりと、しかし確実にアリーナの空間に溶けて消えていった。
最後に残ったのは、まばゆい光の残滓と、かすかな風の音だけだった。
アリーナを照らした光は、まるで浄化のようだった。
カスパールの負の感情が生み出した存在は、ルシアン様の深い理解と、変わらぬ友への愛によって、ついに解放されたのだ。
カイの光が完全に消え去った後も、ルシアン様はしばらくその場に立ち尽くしていた。
彼の蒼い瞳は、カイが消えた空間をじっと見つめている。
その表情は、いつもの冷静さの中に、深い安堵と、そして微かな寂しさが混じり合っているように見えた。
彼の唇が、微かに「…安らかに」と動いたように見えたのは、私の見間違いだろうか。
アリーナの観客は、その光景に言葉を失い、畏敬の念に打たれ、ただ沈黙している。
誰もが、目の前で繰り広げられた魔王と、友の負の感情が生み出した存在との魂の触れ合いに、ただただ圧倒されていた。
やがて、ルシアン様はゆっくりと視線を上げ、静かにアリーナを見渡した。
彼の視線が、私の方を向く。
その目には、長年の重荷を下ろしたような静かな解放感と、この困難を乗り越えたことへの深い安堵が宿っていた。
そして、私への揺るぎない信頼と、温かく、すべてを包み込むような眼差しが込められている。