第十三章(2)魔王対カイ、魂の激突
魔王ルシアン様対カイの戦いが始まった。
アリーナの観客は息を呑み、静まり返っている。
私はゼフィルスと共にアリーナの横から固唾を呑んで見守っていた。
私の心臓は、不安で激しく脈打っていた。
ルシアン様は、いつもの落ち着いた表情でカイと向き合っているが、その蒼い瞳の奥には、友との決着をつけるという揺るぎない決意が宿っているように見えた。
彼の放つ静かな威圧感が、アリーナの空気をビリビリと震わせる。
「始め!」
審判の合図が響いたその瞬間、ルシアン様の周囲に漆黒の奔流が巻き起こった!
ただの風ではない。
それは魔力の奔流が具現化したかのような、途方もない力だった。
重圧を伴う漆黒の魔風が唸りを上げ、アリーナの床はめくれ上がり、観客席の椅子が吹き飛ばされそうになる。
「きゃあっ!」
私は思わず腕で顔を覆い、隣にいたゼフィルスにしがみつく。
ゼフィルスもまた、その身体を震わせながら、私を庇うようにして風に耐えていた。
客席からは悲鳴と驚きの声が上がり、観客たちは飛ばされないよう、必死に床に身を伏せている。
……すごい!
これがルシアン様の本気の力!
私の視界いっぱいに、彼の絶対的な存在感が満ちる!
心臓が破裂しそうなほど高鳴り、全身の血が歓喜に沸き立つ。
(ああ、推しがこんなにも素晴らしいなんて……!生きててよかった!)
風の轟音の中でも、私の胸にはこの上ない喜びが満ちていた。
この圧倒的な魔力の前に、私の「推し活フィーバー」は再び最高潮に達する。
漆黒の嵐が渦巻く中、ルシアン様の蒼い瞳が、深淵のような光を放った。
その光が放たれた途端、カイの身体が弾かれたように吹き飛ばされ、アリーナの壁に叩きつけられる。
激しい衝撃音と共に、壁にひびが入る。
彼の金色の瞳には、驚愕の色が宿っていた。
カイはよろめきながらも体勢を立て直し、すぐさまルシアン様へと攻撃を仕掛けてきた。
漆黒の魔力が彼の周囲に渦を巻き、まるで闇そのものが凝縮されたかのように禍々しいオーラを放つ。
カイは、両手を広げ、指先から無数の黒曜石の鎖を生成した。
鎖は意思を持つかのようにうねり、アリーナの空気を切り裂く唸り声を上げながら、ルシアン様めがけて放射状に放たれる。
鎖が地面に着弾するたび、アリーナの床が大きくひび割れていく。
それは、先ほどの私の攻撃を遥かに凌駕するほどの、圧倒的な攻撃だった。
しかし、ルシアン様は微動だにしない。
彼はただ静かに立ち尽くしているだけなのに、カイの放った漆黒の鎖は、ルシアン様に触れる寸前で、まるで目に見えない強固な壁に阻まれたかのように霧散し、消えていく。
その光景は、あまりにも現実離れしていて、私の呼吸が止まる。
ルシアン様の周囲には、何一つ傷ついていない、完璧な空間が広がっていた。
「くそっ…!なぜだ…!?」
カイは焦り、金色の瞳を大きく見開いた。
彼はさらに強力な闇の魔弾を連続で放つ。
それは、アリーナの壁を容易に砕くほどの威力を持っていたが、ルシアン様は表情一つ変えない。
彼の周囲には、まるで深淵のような闇が広がり、放たれた魔弾は闇の中に吸い込まれるように、音もなく消え去っていった。
ルシアン様は、そこにいるだけで、すべての攻撃を無力化している。
その絶対的な力に、アリーナの観客はただ呆然と立ち尽くしていた。
カイの顔に、明確な絶望の色が浮かび始めた。
何をしても通用しない現実に、彼の表情は次第に歪んでいく。
彼の瞳の奥に、かつてのカスパールの面影が痛々しく見え隠れする。
その目は、苦悩に満ち、やがて大粒の涙がハラハラと溢れ出した。
「どうしてだ…!俺は…俺は、お前に追いつきたかったのに…!狭間で、ずっと苦しかったんだ…!お前は、お前は…俺を見てくれなかった…!」
カイは叫び、ルシアン様への負の感情、狭間での辛かった思いを、攻撃と共にすべて吐き出した。
彼の放つ魔力が、アリーナの空気を震わせる。
ルシアン様は、その感情のすべてを正面から受け止めていた。
カイの攻撃を受けながらも、彼は一歩も引かず、ただ静かに彼の言葉に耳を傾けていた。
その蒼い瞳には、深い悲しみが宿っているように見えた。
カイの猛攻は続いた。
闇の波動、幻影の剣、全てを飲み込む漆黒の渦――しかし、どんな技も、ルシアン様の前に立つと、まるで光が闇に吸い込まれるように消滅した。
ルシアン様は、防御のために動くことすらしない。
ただそこに存在し、その存在そのものが、あらゆる攻撃を無に帰す。
その姿は、魔界の理そのもののようだった。
アリーナを覆っていた興奮と熱狂は、いつしか深い畏怖と静寂へと変わっていた。
魔物たちは、息をすることも忘れ、ただ目の前の光景にひれ伏すばかりだ。
やがて、カイの魔力が尽き始めた。
彼の身体から放たれる闇のオーラが薄れ、その動きは鈍り、息遣いが荒くなる。
金色の瞳の輝きが失われ、その中に宿っていた狂気と執着の炎が、じりじりと消えていくのが見えた。




