第十章(1):庭での再会と、意外な称賛
準決勝まであと二日。
私は魔王城の広大な庭で、剣の訓練に打ち込んでいた。
聖剣を振るうたびに、ひんやりとした風が頬を撫でる。
イザベルとの試合を経て、ルシアン様との心の距離がぐっと縮まったような気がして、身体の奥から力が漲るのを感じていた。
ルシアン様も後で来ると言ってくれていたので、少し浮かれた気分で剣を振るう。
隣には、いつも通りゼフィルスが控えてくれていた。
彼の冷静な眼差しは、私に安心感を与えてくれる。
その時、庭の入り口から、ある人物が姿を現した。
先日、私を精神的に追い詰めた張本人、イザベルだった。
彼女の艶やかな漆黒の髪が、風に揺れている。
ゼフィルスが、警戒するように一歩前に出る。
彼の表情は、一瞬にして凍りついたように厳しくなった。
「何の用ですか?」
私は聖剣を構え、警戒心丸出しで問いかけた。
イザベルは、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
その表情は、以前のような嘲りや悪意に満ちたものではなく、どこか真剣な、しかし諦めにも似た複雑なものだった。
「…あなたに、負けたわ」
イザベルの口から出た言葉は、予想外のものだった。
彼女は、私の聖剣から放たれた光の残滓が残る訓練場を見渡しながら、静かに続ける。
「この魔界では、強さこそがすべて。それは、私たちサキュバスも同じ。あなたに負けた。あの圧倒的な力の前では、幻影も、心を見透かす術も、何の役にも立たなかった」
イザベルは、まっすぐに私を見つめてきた。
その深紅の瞳には、以前のような妖しさはなく、敗北を認める者の清々しさすら宿っているように見えた。
「あなたは、本当に強い。身体も、そして何よりも…心も」
彼女の言葉に、私は驚きを隠せない。
あのイザベルが、私を認めるような言葉を口にするなんて。
イザベルは、少し視線を落とし、まるで何かを思い出すように続けた。
「そして…あの魔王ルシアン様が、あなたを大切にするのが、よく分かったわ」
その言葉を聞いた瞬間、私の心臓が高鳴る。
イザベルがルシアン様のことを話すことに、一瞬身構えたが、彼女の次の言葉は、私の予想を良い意味で裏切った。
「ルシアン様は…本当に素晴らしい方だわ。あの若さで、魔王という重責を担い、常に魔界の未来を案じている。そして、貴方のように、純粋な心を持つ勇者を、あれほど大切にしている…」
イザベルの意外なルシアン様への称賛に、私の表情がパッと明るくなる。
そうでしょう、そうでしょう!
私の推しは最高なんだから!
「そうでしょ!ルシアン様って、本当に素敵なんです!孤独な幼少期を過ごしてきたのに、あんなに優しくて、誰よりも世界と魔界の平和を願っているんです!」
私は、イザベルの言葉に共鳴するように、ルシアン様の素晴らしいところを矢継ぎ早に挙げ始めた。
私の口調は熱を帯び、身振り手振りも大きくなる。
ゼフィルスは、そんな私を困ったように、しかしどこか微笑ましそうに見守っている。
イザベルも、私の熱弁に、少しばかり呆れたような、しかし納得したような表情で頷いている。
「しかも、どんなに厳しい状況でも、決して諦めないし、常に前を向いているんです!魔王様になってからも、私たち勇者のことを心から信頼してくれて…」
「ええ、それは私も感じていたわ。魔王様は、私たち魔物のことも、真摯に見つめてくださっている。形式的なものではなく、本気でこの魔界を良くしようと…」
イザベルが、意外にも熱心に相槌を打つ。
彼女の瞳に、かすかな尊敬の光が宿っている。
「そうなんです!それに、ルシアン様って、意外と料理も上手だし、すごく繊細な気遣いもできるんです!昨日なんて…」
私は、昨日のルシアン様の純粋な反応と、初めてのキスを(頬だけどね)思い出して、顔がカッと熱くなる。思わず口元を隠して俯いてしまう。
「昨日、何かあったの?」
イザベルが興味津々といった表情で身を乗り出してきた。
ゼフィルスも、好奇の眼差しを私に向けている。
「い、いや、あの…その、純粋な方で…」
私はごまかすように曖昧な言葉を濁したが、イザベルはそんな私を鋭く見抜いていた。
「ふふ、なるほどね。魔王様が純粋…という表現が、そういう意味だったとは。まさか、あの魔王様が…」
イザベルは、私の心を読んだのか、意味深な笑みを浮かべた。
その笑みは、もはや私を嘲るものではなく、同じ女性としての共感を含んでいるようにも見えた。
「本当に、ルシアン様は、私の推しで最高に尊いんです!」
私が心からの叫びを口にすると、イザベルは小さく吹き出した。
「推し、ね。面白い表現だわ。でも、私もあなたに同意するわ、セラフィナ。あの魔王様は、確かに類稀なる存在よ。魔界の未来を担うに相応しい…」
イザベルがルシアン様への賛辞を続ける。
私とイザベルの間には、奇妙な連帯感が生まれ始めていた。
その時、訓練場の入り口から、一人の影がこちらに近づいてくるのが見えた。
「……」
ルシアン様だ。
彼は、扉の陰から、私たちの熱のこもった「ルシアン様談義」を耳にしてしまったらしく、顔を赤らめ、気まずそうに立ち尽くしていた。
訓練場に入るタイミングを完全に失った彼の姿に、私は思わず噴き出しそうになった。




