第九章(1):運命の対決、真実の叫び
アリーナに足を踏み入れると、グラニート戦で素顔を晒した私への、魔物たちのざわめきが大きくなっていた。
しかし、それはもはや私にとって、何の障害にもならない。
私の視線は、既にアリーナの中央で、妖艶な笑みを浮かべて立つイザベルを捉えていた。
***
その瞬間、貴賓席にいるルシアンの指輪の黒い宝珠が、かつてないほど強い光を放った。
それは、ルシアン自身も経験したことのないような、とてつもない高揚感と、純粋な歓喜の波だった。
「…っ!?」
ルシアンは目を見開く。
これは、セラフィナの宝珠が発している感情だ。
しかし、これほどの喜びは、一体何が起きたというのだ?
彼の胸に、微かな困惑と、それ以上の期待が広がる。
アリーナのざわめきの中で、ルシアンはセラフィナの姿をじっと見つめた。
***
「あら、勇者様。ふふふ。私に勝てると思っているのかしら?」
イザベルが挑発的な声をかけてきた。
その口元は、何かを企んでいるのが見て取れる。
「そんなこと、戦ってみないと分からないでしょう?」
私は聖剣を構えると、赤い宝珠が輝きを増した。
「始め!」
審判の合図と共に、イザベルが甘い香りを放ちながら、私に向かってきた。
彼女の魔力は、私を惑わすような幻覚を見せようとする。
しかし、私の心は揺るがない。
ルシアン様との運命の繋がりを知った今、どんな精神攻撃も通用しない!
「聖剣技・光塵斬!」
私は素早い動きで剣を振るい、光の斬撃を放った。
イザベルはひらりと身をかわすが、その動きは私が想定していたよりもずっと速い。
さすが、魔界一の美貌を誇るサキュバス。
見かけによらず、かなりの実力者だ。
「ふふ、さすが勇者様ね。でも、そんな小手先の技で私に勝てると思ったら大間違いよ」
イザベルは魅惑的な笑みを浮かべ、大量の幻覚を作り出した。
私を取り囲むイザベルの幻影は、まるで私を嘲笑っているかのようだ。
しかし、私の心は微動だにしない。
イザベルは驚いたように目を見開いた。
私の心が、先ほどとは全く違うことに気づいたのだろう。
「おや?どうしたの、勇者様?まだ魔王様のことを引きずっているのかしら?それとも、もう彼の夢の女が私だって、分かってしまったのかしら?」
イザベルは、私を精神的に追い詰めようと、再びルシアン様の夢の話を持ち出した。
その声は、アリーナ中に響き渡る拡声魔法がかけられているかのようだった。
「魔王様はずっと、黒髪の女を夢見ていたのよ。黒い奇妙な上着に、背中から肩にかけて広がる大きな四角い襟、白い線が何本か入って、胸元には鮮やかな赤い布が結ばれている。黒いプリーツスカート…ええ、貴女には到底似合わないような、純粋な女をね」
アリーナ中の魔物たちが、ざわめき始める。
「黒髪の女?魔王様がそんな夢を?」
「一体誰なんだ…」
***
貴賓席にいるルシアンは目を見開いた。
イザベルが、自分の夢の細部まで知っていることに驚き、そして、この事実が、今、アリーナの全ての魔物の前で晒されてしまったことに、激しい衝撃を受ける。
「…イザベルめ…どこまで…」
ルシアンの眉間に深い皺が刻まれる。
セラフィナは、この言葉を聞いて、一体どう思うだろうか。
嫌悪感を抱くのではないか。
この場で、俺たちの間に亀裂が入ってしまうのではないか。
不安と後悔が、彼の胸に激しく押し寄せた。
彼は、セラフィナを心配して、その姿をじっと見つめる。
セラフィナの表情は読み取れない。
「…そして、その女は、いつも髪を一つに可憐に結っていて、その髪飾りはピンク色の、小さな花が散りばめられたものだったわね…」
イザベルの言葉は止まらない。
その言葉の一つ一つが、ルシアンの心臓を直接叩くように響いた。
そこまで詳細な夢の内容が、なぜイザベルに知られている?
ルシアンの顔から、血の気が引いていくのが分かる。
これはまずい。セラフィナが完全に誤解してしまわないか。
「…セラフィナ…っ!」
ルシアンは思わず立ち上がりかけるが、貴賓席にいるため、声を出すこともできない。
彼はただ、事態が最悪の方向に向かっていないか、祈るような思いでセラフィナを見つめるしかなかった。
しかし、その次の瞬間、ルシアンは息を呑んだ。
***
私の脳裏に、ルシアン様との剣の稽古での言葉が蘇る。
「魔力を剣に乗せ、己の心と一体とすることで、真の力を発揮する」
そう、ルシアン様が教えてくれた、聖剣と私自身の心を繋ぐ術。
私は聖剣を握る手に意識を集中し、心の底から湧き上がるルシアン様への想いを、聖剣へと流し込む。
聖剣が、私の心の鼓動と共鳴するように、熱く、激しく輝き始めた。
「聖剣技・天光破!」
私は聖剣を天に掲げ、まばゆい光の刃を生み出した。
それは、私の全ての魔力と、ルシアン様への溢れる想いを込めた、渾身の一撃だ。
「その黒髪の女は…私だぁぁぁぁ!!」
私の叫びが、アリーナを震撼させた。
その声は、アリーナの歓声とざわめきを切り裂き、イザベルの耳に直接届いたはずだ。
天光破の光の刃が、イザベルに向かって一直線に放たれる。
***
ルシアンは、その叫びを聞いて、全身に稲妻が走ったような衝撃を受けた。
セラフィナの声は、絶望ではなく、紛れもない歓喜と、確信に満ちていた。
そして、「私だ」と、自分がその夢の女性であることを、これほど多くの魔物の前で、真っ直ぐに、力強く叫んだのだ。
「…セラフィナ…お前…!」
ルシアンの口元に、微かな笑みが浮かぶ。
胸の奥からこみ上げてくる、熱い感情に包まれる。
彼女は、彼が思っていたよりも、遥かに強く、そして、彼の想像を遥かに超える、純粋な光そのものだった。
***
「なっ…バカな!?」
イザベルは驚愕に顔を歪めた。
彼女は必死で幻覚を張り巡らせ、光の刃を避けようとする。
しかし、私の攻撃は、もはや幻覚など通用しない、純粋な真実の光だ。
光の刃は、イザベルの幻影を次々と打ち消し、その実体に直撃した。
「あああああぁぁぁぁ!!」
イザベルの悲鳴がアリーナに響き渡る。
彼女の妖艶な姿が光に包まれ、そのまま消滅した。
「勝者、セラフィナ!」
審判の魔物の声が響き渡ると、アリーナは一瞬の静寂の後、爆発的な歓声に包まれた。
「うおおおおおおお!!!」
「なんだあの聖剣技は!すげえ!!」
「あの人間、まさかここまで強いとは…!」
「魔王様のお気に入りなだけある…!」
魔物たちの視線が、私に集まる。
その中には、驚きと畏怖、そして、確かに尊敬と羨望の輝きが含まれていた。
私の強さと、そして何よりもルシアン様への真っ直ぐな想いが、彼らの心を動かしたのだ。
私は、勝利の興奮と、ルシアン様への愛で、思わずアリーナの天井に向かって叫んだ。
「やったー!ルシアン様!大好きですっ!!」
ルシアンは、その言葉に、全身の血が沸騰するような、熱い感情に襲われた。
まさか、こんな大勢の前で、そこまで真っ直ぐな言葉をぶつけられるとは。
彼の肌に一瞬、赤みが差したように感じた。
照れ隠しで、わずかに視線を逸らす。
その様子を、観戦席の少し離れた場所で、腕組みをして見ていたカイが、薄く笑っているのが見えた。




