第六章(2)最強のサキュバス、セラフィナを挑発!?
ある日のこと、自室で稽古の準備をしていると、ルシアン様が「ほんの少し部屋を離れる」と言って出て行った。
その直後、部屋の扉がノックされた。
私はルシアン様がすぐに戻ってくると思っていたから、つい扉を開けてしまった。
そこに立っていたのは、先日私に着替えを手伝ってくれたあの妖艶な魔物の女だった。
彼女の背後には、まるで深紅のバラが咲き誇るかのような、さらに艶やかな雰囲気の女性が立っていた。
しなやかな肢体は薄いベールのようなドレスに包まれ、漆黒の髪は艶やかに波打ち、深紅の瞳は吸い込まれそうなほど魅力的だ。
まさに魔界で一番の美女と呼ぶにふさわしい、圧倒的な美貌を誇っていた。
「あら、ごきげんよう、セラフィナ様」
先日の女魔物が、ねっとりとした甘い声で挨拶する。
その隣に立つ美女は、私を値踏みするように、じろりと見つめてきた。
その視線は、まるで獲物を観察する猛禽類のようだ。私は今、剣を携え、稽古用のマントを羽織っていたので、女性的というよりは男性的なファッションに見えただろう。
その美女は、私を一目見るなり、ふんと鼻で笑った。
まるで汚いものでも見るかのような、侮蔑の表情だった。
「ふん。大したことのない人間の女ね。魔王様がこんな魅力のない女に現を抜かしているとは、嘆かわしい」
その言葉に、胸がチクリと痛む。
まるで心の奥底に鋭い爪を立てられたようだった。だけど、それだけじゃ終わらなかった。
「…あら?あなたの心、とても分かりやすいわね。魔王様と、もっと親密になりたいと願っているようね?」
彼女は、まるで私の心の中を覗き見ているかのように、ニヤリと妖しい笑みを浮かべた。
その笑みは、獲物をいたぶる蛇のようだ。
まさか、心を読まれているなんて!
この女は能力の低いサキュバスではないのか?
全身の血の気が引いていくのが分かった。
顔がカッと熱くなり、耳まで真っ赤になった気がする。
「手を出してもらえないのは、お気の毒だわ。でも、仕方ないわね。魔王様は、ずっと心に思っている女がいるようだもの」
彼女の言葉に、私は息をのんだ。
ルシアン様に、好きな人が…?
心臓がドクンと嫌な音を立てる。
「ルシアン様がまだ完全に魔王様になる前だけど、ある期間、度々、夢でその女のことを見ていらっしゃったのよ。私は、能力の高いサキュバスなの。能力の高いサキュバスは、人間の夢を盗み見ることができるから。だから、知っているわ。その女は、黒髪だったわね」
彼女の深紅の瞳が、私を嘲笑うかのように細められる。
唇の端が、さらに妖しく弧を描く。
「セラフィナ、あんたじゃないわよ」
ガツンと頭を殴られたような衝撃だった。
脳みそが揺さぶられるような感覚に陥る。
黒髪…私じゃない。
私とルシアン様は、両想いだと信じていたのに…
まさか、ルシアン様にそんな女性がいたなんて。
全身から力が抜けていくような、言いようのないショックが私を襲った。
その場に立ち尽くすことしかできなかった。
目の前が霞んで、彼女の姿がぼやけて見えた。
サキュバスの女が退出してすぐ、ルシアン様が部屋に戻ってきた。
扉を開けた瞬間、事態を察したようだった。
「セラフィナ!何かあったのか?大丈夫か!?」
彼は心配そうな顔で、私のそばに駆け寄ってきた。
「この部屋に結界を張っているから大丈夫だと安心してしまった。ほんの一瞬部屋を離れただけなのに…。俺の失態だ…。イザベルめ、一瞬の隙を嗅ぎつけやがって!」
ルシアン様の言葉は、私の耳には届かなかった。
私の心は、あの「黒髪の女」という言葉で、完全にフリーズしてしまっていたから。