1-2 欠けた遺体の謎
王都、華城の西区。東西南北でそれぞれの区域が存在し、そこで生活する者たちには階級があった。
北は王宮で働く者たちの中でも役職のある官吏たちやその家族が住む裕福な地区で、隔てる門の前には常に衛兵が立っている。ここを通るには身分を証明する特別な手形が必要。
逆に南は身分の低い者たちが集められており、生活自体は王宮からの配給もあるのでなんとかなっているが、治安はあまりよろしくない。就ける仕事も手に職があればいいが、なかなか難しいのが現状である。
東は商人たちの区域で、様々な店が立ち並ぶ商業区。他国との交流も盛んで、許可さえ下りれば仕入れた品を扱えるため、珍しいものも手に入りやすい。西区は職人たちが多く、東区とはまた違った賑わいがある。寺院や塔などの古い建造物も目立つ。そんな西区で起こっている奇妙な事件が今回の依頼だった。
「――――ということなんだが、本当に大丈夫なんだろうな?」
日が暮れる少し前の夕方の頃に、暁玲は指定された場所にやって来たのだが、目の前の官人は疑いの眼差しで見下ろしてくる。これはもういつもの反応なので、暁玲はまったく気にしない。相手の考えていることは手に取るようにわかる。
「道士のような装いをしているが、どう見てもまだ子ども。こんな子どもに任せてどうにかなるなら、そもそも王宮の道士たちがどうにかしているだろう。上の者はいったいなにを考えているんだ? って思ってません?」
「ぎく!」
非常にわかりやすく、「ぎく!」と声に出したその官人は動揺した様子で目をあちこちに泳がせた。ふう、と暁玲はひと息おいて、さっさと本題に入るように促す。
依頼内容は現地でとのことだったので、師父である嗚嵐も心配していた。大概のことは見習い道士である暁玲ひとりでなんとでもなるのだが。
そもそも嗚嵐のところにやってくる依頼は厄介なものばかり。今回の【怪異】もひと筋縄ではいかないことは最初からわかっていた。
「夜が来る前に準備もしておきたいので、手短に簡潔にお願いします」
内容によっては、大掛かりになるかもしれないし、必要ないかもしれない。それでも不測の事態に備えて念入りに準備をしておくのは妖退治には初歩的なことだ。
【怪異】とはこの地の穢れを好む妖者によって起こされる不可思議な事件のことで、犠牲になるのはそこに住む普通に生活しているひとたちであることが多い。
「数週間前から西区の住人が二名、数日おきにそれぞれ行方不明になっている。そのひとりが一昨日の明け方、この先の裏通りで発見された。想像通り、遺体としてだが。しかしその遺体には本来"あるはずのもの"が欠けていて、」
「遺体からなにか持っていったってことですか?」
「そうだ。遺体の右腕が引き千切られていたんだ。実は遺体はこれで二体目。その前にも同じような遺体が発見されていて、見つかった遺体は左眼がなかった。この時は遺体の損傷はそれだけで、烏にでも突かれたのだろうと思われていたようだ。あとひとりはまだ見つかっていない」
「じゃあ実際行方知れずになっていたのは、三人なんですか?」
「ああ。しかも最初に見つかった娘は未だ身元不明で、届けも出されていなかったから確認が取れていない。いつから行方不明だったのかは今の段階では調べようがない。この国はあらゆる怪異が頻繁に起こるせいで、そういう行方知らずの人間が少なからずいるからな」
共通するのはどちらも行方不明だったことと、遺体の損壊。違うとすれば、一体目の遺体が身元不明であること。しかしこれだけでは【怪異】の仕業とはいえない。ひとでもじゅうぶん可能だ。ただ、もし仮にひとの仕業だったとしたら、相当危険な人物であることは確か。
かといって師父に依頼するようなことではないし、正直今の話だけを聞いたかぎりでは、六扇門や錦衣衛がやるようなことだ。
「それを怪異と決定づけた、別のなにかがあるんですね?」
「ああ。念の為、遺体を王宮の道士たちにもみてもらった。一応、こういう奇妙なやつはそうするのが決まりだからな。そもそも一体目の遺体の死因がわからないまま処理されていたのも問題だった」
医官たちの検死の結果、二体目の遺体は腕を千切られたのは死んだ後だったことがわかった。本来生きている状態で千切られた際に出るだろう、大量の血だまり。それがなかったのだ。
しかし見つかった場所になかっただけで、違う場所で殺されてから捨てられた可能性もある。そうはならなかったのは、もうひとつの結論が存在していたからだった。
「医官の調べでは、どうやら遺体から血が抜かれていた痕跡があったようだ。現場に血が少なかったのは寧ろ、それが原因ではないかと。他にも道士の見立てでは、遺体には大量の"穢れ"が纏わりついていて、そのままにしていたら殭屍になるところだったらしい」
「殭屍、ですか?」
殭屍とは、非常に凶暴で知性の低い獣の如く、本能ままひとを喰らう血に飢えた動く死体のことをいう。この地ではひとが亡くなった後に埋葬せずに放置していると、無くなった魂の代わりに穢れが入り込み、血を求めて生きている人間を襲う恐ろしい存在と化してしまう。痛みを感じないため、妖者の中でも厄介な相手なのだ。
(遺体の損壊に、大量の穢れ。妖者が血を欲するのは珍しくはない。そもそも彼女たちは凄惨な殺され方をしているわけだから、穢れが纏わりつかない方がおかしい)
まだなにか考える材料が足りない気がする。暁玲は顎に手を当てて、うーんと首を傾げた。他になにか有力な情報はないだろうか。そもそもどうして王宮の道士たちは、この件に関わるのを躊躇うのか。なにか要因がある?
「他になにか言い忘れていることはありませんか? どんなことでもかまいません」
暁玲は官人である中年の男を見上げ、些細なことでも思い出すように催促する。それに対して、官人の男はふとあることが頭に浮かんだ。
「そういえば――――、」
その続きを聞いた後、暁玲の表情が強張る。
「この辺り一帯に結界を張ります。今夜はなにがあってもけして外に出ないよう、皆さんに伝えてください。それが守れなければ、命の保証はないと」
事は思った以上に深刻だった。
ひとりでどうにかなるか、正直わからない。
官人の男はその緊張感が伝わったのか、慌てて応援を呼びに行く。
あと一刻ほどで夜が訪れる。
「雪玉、私たちも行きましょう」
暁玲の足取りは、沼の中でも歩いているかのように重かった。