幽霊店長の秘密の魔法
一話 幽霊店長
春、桜が満開になるまでもう少しといった頃。
まだ肌寒い日が続いていた。
大通りから抜けて住宅街に入って海に続く道に一軒のお店がある。
赤茶色の瓦屋根。小窓の外側は植物で囲まれていて、
店内からはオレンジ色の優しい光が窓ガラスに反射しており、植物の緑の隙間からその灯りが見える。
入り口付近に立っている白い電飾看板には茶色で描かれたコーヒーの絵と「喫茶黎明」と言う文字が書いてある。
店内は茶色で統一されており、椅子は赤いベロア生地、壁に飾られた時計はセピア色に褪せていた。
レトロな雰囲気が漂っていてこの店だけ昭和にタイムスリップしているかのようだ。
そしてこの喫茶店の飲み物には秘密の魔法がかけられていた。
ある日の午後3時。
僕は面接に落ち、俯きながら歩いていた。
家から面接先までは電車で一駅だった。
駅に向かう途中。
最初は大通りを歩いていたはずだったけどいつの間にか住宅街の方へと迷い込んでしまったらしい。
伊織「あれ、いつの間にこんな場所まで・・・っていうかここどこ?うわ!?」
ザー‼︎‼︎
今日は雨が降らない予定のはずだった。天気予報は晴れだった。当然、僕は傘を持っていない。
伊織「最悪だ・・・面接には落ちるし変な道に迷い込むし雨がいきなり降るし、はぁ、僕って本当ついてないな」
伊織はその場にしゃがみ込む。
カランカラン。その時、近くの喫茶店の扉が開いた。
雪兎「うわー、雨の音がしたから外の様子を見に外へ出たけど結構降っているな・・・って君、大丈夫かい!?」
伊織「しくしくしく・・・」(どよ〜ん)
伊織は雨の中でお構いなしにしゃがんでいた為、荷物も髪もぐしゃぐしゃになってしまっていた。
伊織が声のする方へ顔を上げると男性が傘を差して僕の方へと駆け寄って来た。
伊織「あ、えーと・・・」
雪兎「とりあえずこの傘に入って、ここ私のお店だから、中で温まっていって」
僕は男性に手を引かれて立ち上がる。
男性が振り向いた先に看板が見えた。
伊織「喫茶黎明?」
カランカラン。喫茶黎明の扉が開く。
銀山雪兎(店長)「さ、中へどうぞ」
真鶴伊織「え、でも僕、こんなびしょびしょですし・・・お店が汚れちゃいますよ」
雪兎「大丈夫、後で私が掃除しておくから気にしないで」
伊織「さすがに申し訳なさ過ぎる・・・」
しかし、伊織の言葉を聞いてか聞かずか雪兎に背中を押されて店内に入った。
店内はこじんまりとしていてカウンター席が5席、テーブル席が2つあるだけだった。
店内は薄暗く、天井からぶら下がっている間接照明のランプが柔らかく優しい光を放っている。
茉莉花「きゃー!?ちょっとどうしたの!?」
文山「なになに、何かあったの?わわ、お兄さんびしょびしょ!雨に降られちゃったんだね!」
伊織「え、子ども?・・クシュン!!」
雪兎「おっと、このままだと風邪を引いてしまうね、とりあえず休憩室に行こう」
雪兎はキッチンの奥にある休憩室に伊織を案内した。
伊織「は、はい・・ずび」
茉莉花「はい、ティッシュ‼︎」
女の子がずずいと伊織にティッシュ箱を渡す。
伊織「どうもありがとう・・・」
伊織はそれを受け取った。
僕は休憩室で毛布にくるまりながら椅子に腰掛けた。
服は茉莉花と文山が二人で協力しながらドライヤーで乾かしていた。
伊織「二人とも服乾かしてくれてありがとう」
茉莉花「いーのよ‼︎」
文山「気にしないで〜」
雪兎「君、名前は?」
自己紹介をしかけたその時だった。店長さんらしき男性を見て伊織はすぐに異変に気付く。
体が透けていて後ろの壁が見えているのだ。
伊織「あ、はい、僕は真鶴伊織って言いま・・・うわ!?な、なな何!?あなた体が、体が透けてる!?」
雪兎「ああ、いけない気を抜いていた」
そう言った直後、店長の体が透けなくなった。
伊織「あ、あれ、透けなくなった・・・」
雪兎「実は私、幽霊なんだ、気を抜くと透けてしまうみたいで驚かせてごめんね、銀山雪兎です、よろしくね」
僕が驚きのあまり返事もできずに口をパクパクとさせていると・・・。
雪兎「飲み物何にしようか?とりあえず何か飲んでからお話ししよう」
伊織「え、えーと・・・」
幽霊と聞いて今すぐに帰りたいところだがここまで良くしてもらったのに何も注文せずに帰るわけにはいかず・・・。
伊織「こ、紅茶をホットでお願いします・・・」
雪兎「はい」
雪兎はニコリと微笑み注文を受けた。
飲み物を持って来たのは・・・。
エプロンを付けたさっきの女の子と男の子。
僕の服を乾かし終わった後、飲み物を運んで来てくれたのだ。
しかし、男の子の体が透けており、先程の雪兎さん同様に後ろの壁が見えている。
伊織「ありがとう・・・わわ!?ま、また体が透けてる・・・」
茉莉花「もう、ふみ君ったら、また体が透けてるよ‼︎さっきまで上手くできてたのに」
文山「ごめんまりお姉ちゃん、僕まだ慣れてなくって・・・」
茉莉花「ごめんねお兄ちゃん、驚かせちゃって!」
伊織「あ、いや、だ、大丈夫だよ」
茉莉花「私、茉莉花って言うの、よろしくね‼︎」
伊織「茉莉花ちゃんって言うんだね、よろしくね」
雪兎「私はまりちゃんって呼んでいるよ、伊織君の呼びやすい方で呼んであげて」
伊織「あ、はい、じゃあ僕もまりちゃんって呼んでいいかな?」
茉莉花「もちろんよ!ほら、ふみ君も自己紹介して‼︎」
文山「う、うん、えと僕は文山よろしくね」
伊織「よろしく、えーと」
文山「ふみでいーよ〜!」
伊織「うん、分かった、じゃあふみ君って呼ぶね」
僕はとりあえず二人が持ってきてくれた紅茶を飲む。
紅茶の香りと温かさに徐々に気持ちが落ち着いてきた。
雪兎「伊織君、少し落ち着いたかな?」
伊織「は、はい、」
雪兎「一体何があったんだい?凄く落ち込んでるように見えたけど、理由は雨に降られただけじゃないだろう?」
伊織「はい、実は僕、先週仕事を辞めたんです
それで今日面接に行ったんですけどその場で不採用になってしまいまして・・・それから道に迷うし雨降るしで・・」
雪兎「おやおや、それは災難だったね」
茉莉花「もぉそんな事くらいでウジウジしないのー」
雪兎「こらこら、伊織君は真剣に悩んでるんだから」
伊織「早く仕事を見つけないといけないのに・・・」
茉莉花「それってすぐに見つけないと死んじゃう話なの?」
伊織「え、いや、死ぬってほどでは・・・父さんも働いてくれてるから」
そう、父さんは僕が仕事を辞めてホッとしていた。
高校を卒業してからずっと続けていた会社。
毎日のように落ち込んで帰って来る僕をずっと心配してくれていて、次の仕事はゆっくり探せばいいよと言ってくれたのだ。
その言葉に甘えるのは男としてどうなのかと思い、今に至る。
茉莉花「だったらだいじょーぶだよ‼︎お兄ちゃんまだ生きてるんでしょ?仕事なんて二の次だよ‼︎大事なのはお兄ちゃんの身体だよ‼︎」
伊織「まりちゃん・・・」(じ〜ん)
なんだろう、幽霊が相手だからか説得力がえげつない。
雪兎「ねぇねぇ、もし伊織君さえ良ければここでバイトをしてみない?」
伊織「え!?」
雪兎「喫茶店、やっぱりバイトじゃ嫌かな?」
伊織「いえいえ!喫茶店とかバイトが嫌な訳ではないですよ」
雪兎「これも何かの縁かなと思ってね、次が決まるまでの繋ぎでもいいんだ、最近お客さんが増えていてね、猫の手も借りたいところでさ」
伊織「お客さん増えてるんですか、じゃあ人気店なんですね」
雪兎「いや、本来ならお客さんがここへ来ない方が望ましいんだ」
伊織「え?それってどういう・・・」
雪兎「それについては後でちゃんと説明するよ、どうかな?」
僕が返事をできずにもごもごしていると。
雪兎「やっぱり嫌だよね、幽霊と働くなんて」
明らかに眉が下がり、ショボンとしている店長さんの姿に断わろうとしている自分に対して罪悪感が湧き起こる。
伊織「あ、いや、嫌というわけでは・・・」
茉莉花「ねーねー‼︎店長!」
雪兎「何だいまりちゃん?」
茉莉花「いきなり働くなんて堅苦しいこと言わないで何日かこのお店の雰囲気とかお客さんとか見てもらったらどう⁇」
茉莉花は腰に手を当てながら堂々と言い放った。
文山「うんうん、それいいかも‼︎決めるのはその後でもいいと思うな〜」
雪兎「なるほど、それは良いアイデアだね、伊織君さえ良かったら何日かこの喫茶店に来てくれないかな?もちろんお客さんとしてだよ」
伊織「わ、分かりました」
こうして僕は1週間。この喫茶店の客として普通に通うことになった。
雪兎「この喫茶店はね、心や体に傷を持った者だけが迷い込んで来る場所なんだ
そしてそのお客さん達にとっておきの魔法をかけた飲み物を提供しているんだ」
伊織「ま、魔法ですか??」
魔法・・・その言葉を聞いて伊織はあることを思い出した。
今は亡き母。子どもの頃、僕が落ち込んでる日はいつもケーキを焼いてくれていた。
その時、決まって母さんは"美味しくなーれ"
"ふふ、母さんの秘密の魔法よ"
って人差し指を口元に当てて自慢げに言っていた。
父さんも大好きだった母さんのケーキ。
だから僕は落ち込む日があっても母さんのケーキを食べれば元気になってた。
それは父さんも同じだったはずだ。
魔法とはあんな感じなのだろうか?と心の中でふと考える。
茉莉花「たぶん、お兄ちゃんが想像してる魔法とは違うよ」
茉莉花は伊織の心を見透かしたようにそう告げた。
伊織「え?」
文山「この喫茶店で言う魔法って言うのはね、どんな痛みや苦しみを受けてもそれを相手に跳ね返しちゃう魔法なんだ‼︎」
伊織「へ、へぇ、なんか凄いね」
カランカラン。
雪兎「百聞は一見にしかず、ちょうどお客さんが来たみたいだ」
銀山雪兎。
男性。34歳。
喫茶黎明の店長。
ふわふわとした優しい口調。
見た目は黒髪センターパート、首筋まで伸びた髪は左右に流してある。
茉莉花(8)
あだ名はまりちゃん。
ちょっぴり気が短いしっかり者の女の子。
ツインテール、白のワンピース。
文山(5)
あだ名はふみ君。
ちょっぴり抜けてるマイペースな男の子。
ふわふわの栗色ショートヘアにデニムのサロペット。
真鶴伊織(24)
人生迷走中の素朴な男の子。
黒髪マッシュヘア。
二話 少年とミルクティー
カランカランと扉が開き、学ランを着た中学生の男の子が入ってきた。
男の子は一番隅っこのカウンター席に座った。
翼「ミルクティーお願いします・・・」
雪兎「はい」
しばらくして店長が作ったミルクティーをふみ君が運んで来た。
まりちゃんはキッチンで後片付けを手伝っている。
文山「はい、どーぞ‼︎」
翼「ありがとう・・・」
男の子はミルクティーをちびちびと飲んでいる。
飲みかけのカップを机の上に置いたと思っていたら・・・。
翼「いたた・・・」
急に体の痛みを訴え始めたのだ。
男の子を心配した僕は雪兎さんに声をかけ、奥の部屋で休んでもらうことにした。
男の子がさすっている場所を見るとお腹にアザがいくつもあった。
名前は夏目翼君。中学一年生だ。
話しているうちに家庭内暴力を受けていると打ち明けられた。
伊織「て、店長・・・」
雪兎「伊織君、大丈夫だよ」
雪兎はそっと伊織の肩に手を置いた。
慌てている僕とは正反対に店長は落ち着いていた。
伊織「え、大丈夫ってでも・・・」
茉莉花「店長のとっておきの魔法がかかったミルクティーを飲んだんだもの、もう大丈夫よ‼︎」
ふふんと茉莉花がふんぞりかえる。
文山「数日したらきっと魔法の効果が分かると思うよ」
翼「あ、あの、魔法って・・・」
雪兎「実は翼君がさっき飲んだミルクティーにはどんなものも跳ね返す魔法がかかっているんだ、
例えば痛みとか苦しみとかね、与えた本人に返ってくるんだ」
翼「え、そ、それって本当なんですか⁇」
翼君はチラリと僕を見る。
伊織「うーん、僕もその魔法って言うのをまだ見た事がなくて・・・」
翼「そ、そうなんですか・・・」
翼君の顔には明らかに不安の文字が浮かんでいる。
当然だ。逆の立場だったら僕だって不安になる。
茉莉花「だから大丈夫だってば」
茉莉花はぷりぷりと頬を膨らませて両手をブンブンさせながら言う。
しかし、本当に怒っている時は腕を組んで言うので
本気では怒っていないようだ。
文山「まー言葉だけ言われても不安になっちゃうよね」
雪兎「大丈夫だよ、効果は今日にでも分かるはずさ」
伊織「だ、だってさ」
翼「そ、そっか・・・皆んながそう言うのなら僕はその言葉を信じるよ」
雪兎「ありがとう」
何故かお礼を言う店長からは人の良さが滲み出ていた。
雪兎「とりあえず、傷の手当てはしたけれど、あんまり痛むようならまたここへおいで、傷を診てあげよう
本来ならお医者さんにかかって傷を診てもらった方が良いけど気が引けるだろう?」
翼「はい・・・すみません、ありがとうございました」
帰宅後。
父親「お前、フラフラとどこへ行ってた?働いて来てさっさと飯を作れ腹が減ってるんだ」
半年前。僕が中学に上がる頃。母に離婚を言い渡され、半ば逃げるように出ていかれた後、その怒りの矛先はいつだって僕だ。
父親に首根っこを掴まれ、いつものように頬を殴られた・・と思ったのだが、何故か殴られた僕の頬に痛みはなく、代わりに父親がしゃがみ込み、頬を押さえている。
父親は僕が咄嗟に殴ってきたのだと勘違いしたのか僕を睨んでいる。
あ‼︎そうか、これが店長さんたちが言ってた魔法の事なのか‼︎
父親「父親を殴るとはいい度胸だな」
翼「え、いや、今のはあなたが・・・あの、辞めた方が」
父親「うるせえ!!」
・・・。
僕の忠告を無視した父親は、今床に倒れている。
僕の腹を殴ったのだが、そのダメージを受けたのは父親で、その衝撃で気を失っているのだ。
僕は父親の丸まった背中を指でツンツンと刺す。
呼吸はしているので死んではいないようだ。意識を失っているだけだ。
その時、友人からメールが届いた。
"これからラーメン食いに行かない⁇"
いつもなら父親の御機嫌取りででそれどころではないのだが・・・。
"行くいく〜‼︎"
後日、懲りずに息子を殴ろうとした父親だったが、また自分の体に痛みが返ってきた。そして気絶。
さすがに二度も同じ目に遭い、懲りたのか僕に手を上げなくなった。
こうして僕は平穏な生活を過ごせるようになった。
今では友人達と今まで行けなかった分、沢山遊びに行くようになった。
理由も言えずに半年間誘いを断ることが多かった僕を見捨てずにそばにいてくれた友達には感謝しかない。
僕は喫茶店にお礼をしに行った。
翼「本当にありがとうございました‼︎店長さんの魔法で僕、これからは父に怯えずに友達と楽しく過ごせます‼︎」
雪兎「体はもう大丈夫かい?」
翼「はい」
雪兎「そうか、それは良かったね、これからは楽しい日々を送るといい」
茉莉花「元気でね〜‼︎」
文山「またねー‼︎」
伊織「翼君お元気で」
翼「ありがとうございました〜‼︎」
翼君の足取りは軽く、跳ねるように帰っていった。
そうか、だから昨日店長はこの店が繁盛して欲しくないって言ってたんだ。
そうだよね、この喫茶店は傷付いた人が迷い込んで来る場所。
来る人が増えるって事はそれだけ傷付いてる人も増えてるって事だ。
でもだからといって誰も来ないのも喫茶店として成り立たないしちょっと複雑な気持ちだ。
文山「翼君、最初来た時とはまるで別人だね」
茉莉花「晴れ晴れした顔してたわね‼︎」
雪兎「伊織君、どうかな?私の魔法は」
雪兎は恐る恐る伊織に質問した。
伊織「店長‼︎魔法って凄いですね‼︎」
伊織は目をキラキラとさせながら店長を見ている。
伊織の最初の頃の雪兎に対する不安の目はすっかり尊敬の眼差しに変わっていた。
雪兎「いやいや、そんな大した物ではないよ」
と謙遜をしたものの、雪兎は伊織が嫌悪感を抱いた目をしていない事が分かりホッとした様子だ。
文山「そんなことないよ店長の魔法は世界一だよ」
茉莉花「そーよそーよ‼︎もっと自信持ってよね!」
茉莉花がバシッと店長の足を叩く。
その衝撃で雪兎が少しよろける。
透けてはいるが、衝撃はちゃんとあるらしい。
確かに体が透けてはいるがカップを持ったり洗い物をしたりしているし、何よりこの喫茶店を経営しているのだ。
僕はこの日、喫茶黎明の一員となった。
三話 会社員とコーヒー
カランカランと扉が開き、サラリーマン風のスーツを着た男性が入ってきた。
30代前半くらいだろうか。
浮かない顔をしている。背中は丸まっていて失礼ながらこの人ほどドンヨリという言葉が似合う人はいないのではないか?と思った。
男性はテーブル席に座り、パソコンを取り出した。
飯山「コーヒーをブラックで」
雪兎「はい」
男性はパソコンでしばらく作業をした後、パタンと画面を閉じた。
それからしばらくの間、ため息を何度もついていたのが気になったのかまりちゃんが声をかける。
飯山「はぁ・・・」
茉莉花「ねぇお兄さん、ため息ばっかり付いて何かあったの?」
茉莉花がコーヒーを持って席までやって来た。
飯山「え?あーいや・・・ごめんね、こんな辛気臭い空気を出して、ありがとう」
茉莉花「そんな事いいのよ‼︎悩みがあるなら私たちが聞くわよって言いたかったの!」
茉莉花は自分の胸に拳を当てた。
飯山「ありがとう、だけど子どもに聞かせるような事では・・・」
雪兎「この二人なら大丈夫ですよ、むしろ子ども相手の方が話しやすい場合もあるでしょう」
茉莉花と文山はニコニコとこちらを見ている。
伊織「もしよければ話を聞かせて下さい」
伊織の言葉に男の人は意を結したような表情を浮かべた。
飯山「分かりました・・・あ、先に自己紹介しますね、俺は飯山春木って言います」
茉莉花「私茉莉花‼︎よろしくね!」
文山「僕は文山だよ〜」
雪兎「私はこの喫茶店の店長やってます銀山雪兎です」
伊織「僕はこの喫茶店のバイトやらせてもらってる真鶴伊織って言います」
自己紹介をそれぞれした後、飯山さんの話を聞いた。
勤めている会社の社長は毎日のようにイライラしていてそれを部下に当たる事で解消しているとの事だった。
時々ならまだしも、それが毎日だなんて地獄過ぎる・・・。
聞いているだけで胃が痛くなった。
それは飯山さんも同じだったらしく、胃を抑えている。
雪兎「大丈夫ですか?」
飯山「す、すみません、なんか話していたら思い出して胃が・・・」
雪兎「飯山さん、大丈夫ですよ、このコーヒーを飲めばストレスの原因は解消されますから」
飯山「え、それってどういう・・・」
茉莉花「店長は魔法使いなのよ‼︎このコーヒーを飲めばどんな嫌〜な奴の攻撃も跳ね返しちゃうんだから!」
飯山「へ、へぇ、それは凄いな・・・」
茉莉花「あー!お兄さん私の話信じてないでしょー!」
雪兎「まぁまぁ、いきなり信じろと言われても難しい人もいるさ」
文山「大丈夫だよー、すぐに効果が分かるから!」
飯山「あ、ありがとう」
その日、飯山さんは半信半疑といった様子で帰っていった。
後日。
社長「飯山、この書類も頼んだぞ」
飯山「え?でもまだ今の仕事が終わってなくて・・・」
社長「仕事なんだからはいはいって受けてればいいんだよ、終わらないなら残業していけばいいだろう?」
飯山「そんな・・・この会社残業代だって付かないのに・・」
社長「そんなの普通だよ、ふ、つ、う!働くってのはそういうもんだ
だいたいお前みたいな使えない奴は・・・!?うわ、な、何だ急に寒くなってきた・・・う、胃も痛くなってきたぞ」
社長はいつものように飯山に当たろうとしたのだが・・・。
飯山「だ、大丈夫ですか?」
社長「きょ、今日のところはもう帰っていい」
飯山「は、はい、お疲れ様でした・・・」
いつも怒鳴られてる時は寒気と胃痛がするのに今日はしなかった。
それどころか不調を訴えたのは社長だった。
ああ、そうか、あの魔法か。
飯山は喫茶店での話を思い出す。
それ以来、怒鳴ろうとすると寒気と胃痛に襲われるようになった社長は僕に対して暴言を吐かなくなった。
俺は喫茶店にお礼に行く事にした。
飯山「あの、ありがとうございました‼︎俺、これからは怒鳴られる心配がなくなって心が軽くなりました!」
雪兎「それは良かったよ」
文山「お兄さん、これから新しい会社に行くんだよね?
飯山「うん、そうだよ」
茉莉花「頑張ってね‼︎」
伊織「お元気で」
飯山「ありがとう、俺、一からまたスタートするよ‼︎」
飯山さんの顔にはもう不安の色はない。
彼はきっともう大丈夫だ。
彼の小さくなっていく後ろ姿は心なしか踊っているように見えた。
四話 ハイヒールとホットココア
カランカラン。
扉が開くと一人の女の人が入ってきた。
20代半ばくらいだろうか。
女性は俯いたままテーブル席に座るとホットココアを注文した。
伊織「どうぞ」
美夜「あり、がとう・・」
今にも消え入りそうな声だ。
女性はココアを飲み進めていくうちに嗚咽をもらし、泣き始めてしまった。
佐久間美夜(27)
茉莉花が訳を聞こうとしたが、女性は首を横に振るだけだった。
雪兎「無理に理由は言わなくていいよ、だけどココアだけは飲んでいって欲しい、このココアは必ずあなたを守ってくれるからね」
文山「魔法がかかった特別な飲み物だよ」
女性は魔法の意味は深く受け取っていないのか言葉を発する事なく小さく頷いた。
その日の夜、待ち伏せしていた元カレに部屋まで入り込まれてしまった美夜。
美夜はぎゅっと下唇を噛んだ。
力では到底敵わない。
また犯される。そう思って目を瞑った。
いつものように元カレは美夜の体に触ろうとするが・・・すぐに異変が現れ始めた。
元カレ「へへへ・・・!?な、何だこの眩暈は?」
元カレは急に血の気が引いたのか青白い顔をしている。
美夜「!?」
あれ?何かさっきまでの血の気が引く感じが消えた・・・?
覆い被さられている美夜の心が軽くなっていくと同時に、元カレが貧血症状を訴え始めた。
そ、そう言えばあの喫茶店の店長さんがこのココアはあなたを守ってくれると言っていたわね・・・魔法がかかった特別な飲み物とも。
元カレは強烈な貧血と腹を抉られるような痛みにうずくまっている。
元カレ「う、う・・・助けてくれ美夜・・」
美夜は元カレのその姿にこんな情け無い男に今まで良いようにされてきたのかと自分の不甲斐なさを感じるとともに怒りを覚えた。
今までの溜まりに溜まった怒り。
そしてその怒りはヤカンが沸騰した時のように頂点に達した。
美夜「その程度の痛みでピーピー言ってんじゃねーよ」(ぼそっ)
元カレ「は・・・?え?」
そこに追い打ちをかけるように男の股間目掛けてハイヒールで踏ん付けた。
元カレ「ぎゃああ!!!」
美夜「二度と私に近付くなカス‼︎」
最後に元カレの髪が後ろに乱れるほどの勢いで唾が飛ぶことにもお構いなしに暴言を吐き捨て、美夜は去っていった。
背後から蚊の鳴くような声が聞こえたが全て無視した。
それ以降、元カレが美夜に近寄ることはなくなった。
その後、美夜は喫茶店にお礼をしに行った。
美夜さんは元カレにされた事はオブラートに包みつつもストーカーを受けていたと告白してきた。
美夜「ほんっとーにありがとう‼︎私、まだ傷が完全に癒えた訳じゃないけど、言いたいこと言えてスッキリしたわ」
茉莉花「美夜さん、ハイヒールで蹴ってやったんでしょ?やるじゃない!」
文山「痛そう・・・」
文山は雪兎と伊織と顔を見合わせると三人は痛みを一瞬想像してしまい、顔が青白くなる。
美夜「これからはもっといい男捕まえに行くわ!」
茉莉花「そーよ!その意気よ美夜さん!」
そう言って美夜さんは風のように爽やかに帰っていった。
五話 適材適所
夏が過ぎて秋になった頃。
働き始めてしばらく経つと店長は僕が自分で考えて行動するのが苦手なタイプだと分かり指示をこまめにしてくれた。
指示をするのにも一つ一つ仕事が終わってからしてくれるから僕は頭が混乱することもなく作業に取り掛かれる。
更に心配性な僕は確認を人よりもしてしまう。
だから作業効率が悪い。シンプルに言うとスピードが遅い。
伊織「店長すみません、僕自分で考えて行動するのが苦手で、その上確認ばっかりして店長の仕事増やしてますね僕」
雪兎「伊織君」
伊織「は、はい!」
雪兎「私は仕事が増えたとは思っていないよ」
伊織「え」
雪兎「指示って重く考えなくてもコミュニケーションだって思ってみたらどうかな?」
伊織「コミュニケーションですか・・・?」
雪兎「うん、それにね、伊織君が確認してくれた中には私のミスがいくつかあったんだ
だから伊織君がいなかったら結構なミスをしてた事になる」
伊織「そういえばそんな事があったゆうな・・・」
雪兎「適材適所だよ、まりちゃんはペースは早いけど多少粗が目立ってしまう時がある、だけど、マイペースなふみ君がいるとねその粗に気付いて修正してくれる事もあるんだ」
伊織「な、なるほど・・・」
雪兎「伊織君はペースが遅いって言うけど、確認してくれた事でミスを防げているし
仕事も一つ一つ丁寧にやってくれる
だから安心して任せられるんだ
全部が得意な人なんていないよ、だから苦手なところはカバーし合えばいいだけだよ」
伊織「て、店長・・・ありがとうございます・・そんな風に言ってもらえるなんて・・今までの会社では
何をしていいか分からなかったから質問したら
自分で考えて行動しろって言われて
行動したらしたでそれは違うって怒られて・・・」
雪兎「うーん、それは上の方のやり方があまり良くないね、ちゃんと聞いてきてくれているのに明確な指示も出さずに放置するのはどうかと思うな」
伊織「会社ってそういうものだと思ってました・・・」
雪兎「そんな事はないさ、私みたいに指示をするのが一種のコミニケーションだと思う人もいる」
伊織「店長はどうしてそんな優しいんですか?」
雪兎「私も昔、伊織君と同じような理由でよく怒られていたからね」
伊織「えぇ!?そうなんですか?そうは見えないのに・・・」
雪兎「いやー、伊織君はペースが人よりゆっくりでも
仕事が丁寧だしミスを防いでくれてる
だけど私の場合、ペースがゆっくりな上にミスが多いものだからよく怒られていたよ」
伊織「そ、そうだったんですね・・・」
雪兎「怒鳴られて仕事ができるようになるならまだ良かったんだけど、怒られた事によって萎縮してしまって余計にミスが増えるから困ったものだよ、ははは」
茉莉花「もー‼︎はははじゃないんだからね店長‼︎
店長はいっつものんびり過ぎるんだからもう」
文山「まぁまぁ」
雪兎「あ、まりちゃん、ふみ君、戻って来たんだね、どうだった?」
まりちゃんとふみ君は喫茶店の小さな庭で紅葉狩りをしていたのだ。手には紅葉やらどんぐりやらいっぱい乗っている。
文山「庭の紅葉、踏むとサクサクしてて気持ち良かったよ〜」
茉莉花「あの感覚がたまらないのよね‼︎踏むたびにポテチのパリパリ感を思い出して食べたくなるの」
雪兎「ほう、紅葉のサクサク感とポテチのパリパリ感を連想させるとはまりちゃんは想像力が豊かだね」
伊織「僕にはいまいちよく分かんないです」
茉莉花「伊織君も踏めば分かるわよきっと‼︎」
伊織「そ、そうかな⁇」
文山「まりお姉ちゃんがポテチって言うから僕食べたくなってきちゃったよ」
茉莉花「店長‼︎私もポテチ食べたい〜‼︎」
雪兎「じゃあ、今日の仕事はもう終わったしおやつにポテチを作ろうね」
茉莉花&文山「「やったぁ‼︎」」
伊織「ふふ、無邪気で可愛いなぁ」
雪兎「皆んなでポテチパーティーだね」
伊織「あれ、でもさっき作るって言ってませんでした?
買ってくるんじゃないんですか?」
雪兎「私が作るのはノンフライのポテチだよ」
茉莉花「店長が作るポテチは最高なのよ‼︎揚げてないから食べやすくて何枚でも食べれちゃう」
文山「うんうん、僕も市販のものよりも店長が作ってくれるポテチの方が好きだなぁ」
雪兎「き、君たち・・・」(キュン)
伊織「僕もノンフライのポテチ楽しみです、あの、何か手伝える事ありますか?」
雪兎「ありがとう、じゃあお願いしようかな、私と同じようにじゃがいもをよく洗って皮ごとスライサーでスライスしてくれるかな?」
伊織「はい‼︎分かりました‼︎」
雪兎「次に水にさらしてでんぷんを落とすんだ」
伊織「ふむふむ」
雪兎「そしたら水をよく切ってポリ袋にオリーブオイルを入れて油を全体に馴染ませる」
伊織「こうですか?」
伊織がシャカシャカとポリ袋を振りながら雪兎を見る。
雪兎「そうそう、上手だよ、そうしたらオーブンシートが敷いてある天板に一枚一枚並べていく、重ならないようにね」
伊織「はい‼︎」
雪兎「最後に180度に予熱したオーブントースターで20分ほど焼く」
20分後。
雪兎「出来上がったら好みで塩や青のり、コンソメを塗す、熱いから気をつけてね」
伊織「はい‼︎おー!ポテチになってる‼︎」
雪兎「上手に焼けたね」
茉莉花「店長〜‼︎いい匂いがするー!早く食べたーい!」
雪兎「ちょっと待ってね、今お皿に盛るから」
茉莉花「早く早く〜!」
文山「まりお姉ちゃんそんなに急かしたら二人が可哀想だよぅ」
茉莉花「何言ってるの、あの二人を待ってたら日が暮れちゃうわよ」
伊織「な、なんか僕ら好き放題言われてますね」
雪兎「まりちゃんはせっかちさんだから」
伊織「あはは」
雪兎「さ、できたよ、こっちが塩と青のり味、こっちがコンソメ味だよ」
茉莉花「わーい‼︎ありがとう店長‼︎伊織君‼︎」
文山「二人ともありがとう〜!んー‼︎パリッパリで美味しー♪」
雪兎と伊織は顔を見合わせて微笑んだ。
その日以来、僕は秋が来る度に枯れ葉を見つけては踏むようになった。
それと同時にポテチが無性に食べたくなるのだった。
六話 茉莉花と文山
伊織「あの、店長」
雪兎「なんだい伊織君?」
伊織「ずっと気になってたんですけどまりちゃんとふみ君と雪兎さんってどういう関係なんですか?」
雪兎「二人のことか」
伊織「はい、親子なのかなって」
雪兎「そうか、私とあの子たちは親子に見えていたのか」
伊織「あの、言いたくない事だったら無理には・・・」
雪兎「いや、もう半年も経つしね、君には知っておいて欲しい、少し長くなるけど聞いてくれるかな?」
伊織「はい!」
雪兎「結論から言うと、私と二人は親子じゃない、でも、本当の娘と息子のように大切に思っているんだ」
私は32歳で病気になった。2年間の闘病生活を経て死んでそして幽霊になったんだ。
私は最初、早く成仏がしたいとそればかり考えていた。
両親を早くに亡くして結婚もしていなくて恋人もいなかった。
友人もいなくてね。
だからこの世に未練なんてなかった。
成仏できず彷徨っていたある日、まりちゃんとふみ君に出会った。
二人は兄弟で両親と旅行に行く途中で事故に遭い、両親は奇跡的に生還したんだけど
まりちゃんとふみ君は亡くなってしまったんだ。
それから60年経って二人の両親は亡くなった。
その間、まりちゃんとふみ君はずっと見ていたんだ。
毎日のように両親が自分たちの事で泣いている姿を。
そんな二人と話をしているうちに両親とは車でドライブをしながら喫茶店に行くはずだったと教えてくれた。
二人はそれをずっと楽しみにしていたそうだ。
だからせめて私にできる事は何かないだろうか?と考えた。
二人に私にして欲しい事を聞いたら驚く返事が返ってきたよ。
茉莉花「雪兎さん!一緒に喫茶店開きましょう‼︎」
文山「さんせ〜いさんせ〜い‼︎」
てっきり一緒に遊びたいって言われるかと思っていたからね。
それで住んでいた家の近くに御神木がある事を思い出してね。
神頼みをしてみることにしたんだ。
何度かお祈りをしに来たことがあったし、まりちゃんとふみ君も両親と来たことがあったらしい。
生きていた時代は少し違うけど住んでいた場所が近かったみたいなんだ。
私たち三人は御神木に向かって手を合わせ同じ願い事をした。
そしたら叶ったんだ。
私に秘密の魔法までくれて。
雪兎「伊織君、大丈夫かい?」
伊織「う、う・・・そんな事があったなんて・・・ずびっ」
雪兎「泣かせてしまってすまないね」
雪兎はハンカチをそっと渡してくれた。
伊織「ありがとうございますっ・・・」
茉莉花「あー‼︎伊織君が泣いてる‼︎店長が泣かしたの⁉︎」
その時、奥の部屋で片付けをしていた茉莉花と文山がキッチンの方へと戻ってきた。
雪兎「あー、これはね」
伊織「まりちゃん、大丈夫だよ、僕は店長に泣かされた訳じゃないから」
文山「えー、じゃあどうして泣いてるの?」
伊織「あーえーと、感動するおすすめの本があるって雪兎さんが言うから少しだけ内容聞かせてもらっていたんだよ」
伊織は助けを求めるべく雪兎に視線を送る。
雪兎「そうそう、本の話だよ」
茉莉花「それってどんな話?」
伊織「ギクッ」
雪兎「大人向けの話だから二人には難しいかもしれないよ」
さすが店長だ。
同様している僕とは違い、店長は冷静に話を返した。
こういうところも僕が店長を尊敬している部分だ。
茉莉花「ふ〜ん?」
まりちゃんはあまり納得していない様子だったが僕が隣で困っているのを察してかそれ以上突っ込まなかった。
まりちゃんは僕よりよっぽど大人だ。
文山「でもでも‼︎伊織君が泣いちゃうくらいいい話だったって事だよね?」
伊織「うん、とってもいい話だったよ」
それを聞くと雪兎は茉莉花と文山、そして伊織を抱き締めた。
茉莉花「店長ー?どうしたの?」
文山「話した店長も感動して泣いちゃったのー?」
雪兎「うん、そうかもしれないね」
雪兎の目からは当時の事を思い出したのか涙が滲んでいる。
伊織「あ、あの、どうして僕まで⁇」
雪兎「私は君たちを家族だと思っているからさ」
店長の思いもよらない家族という言葉が嬉しくて胸が熱くなった。
店長もまりちゃんもふみ君も幽霊のはずなのに触れられている箇所は温かった。
それはまるでゆりかごの中にいるような心地良さと優しさ。
喫茶黎明の窓の外では紅葉が散る前に最後にもう一度だけと祈るように鮮やかな色に染まっていた。
七話 恋のお話
加菜「伊織君、話を聞いてくれてありがとう、少し落ち着いたわ」
伊織「いえいえ!僕で良ければいつでも話を聞きますから、またいつでも来て下さい」
加菜「ありがとう」
カランカラン。
喫茶黎明の扉が閉まる。
南加菜さん。
加菜さんは最近失恋したらしい。
加菜さんは僕より2つ年上でOLをしている。
婚約者の浮気が発覚し、別れを決意したそうだ。
不眠症も患っていて目の下のクマがコンシーラーでは消せないと苦笑していた。
加菜さんの身体が心配だ。
次はいつ来るんだろう・・・はっ、ダメダメ‼︎
心の傷が癒えたらここには来なくなる。
それが一番望ましい。
うぅ・・加菜さんの傷が癒えて欲しいのにまた会いたいなんて僕って奴は‼︎
伊織「はぁ・・・」
雪兎「春だねぇ」
茉莉花「ふふ、春なのね伊織君」
伊織「え!?ぼ、僕声に出してた!?」
茉莉花「出てなくても分かるわよ」
雪兎「うん、伊織君分かりやすいから」
文山「そっかぁそう言えばそろそろ春が来るね!」
茉莉花「もぉ、ふみ君たらその春じゃないわよ〜」
文山「えー?じゃあ何が春なの?」
茉莉花「ふみ君にはまだ早いのー」
文山「まりお姉ちゃんはまたそうやって僕を子ども扱いする〜」
茉莉花「実際子どもでしょー」
文山「むう」
雪兎「まぁまぁ」
伊織「でもさ、何で加菜さんの元カレさん、よりによって婚約中に浮気なんてするんだろうね」
雪兎「そうだね・・・」
茉莉花「何言ってんのよ二人とも!むしろ結婚する前に分かってラッキーよ!
浮気する男は一生変わらないんだから!」
雪兎「ま、まりちゃんは普段どんな本を読んでるんだい?・・・」
伊織「恐るべし8歳児」
文山「ねーねー、うわきってなーに?」
雪兎「君はまだ知らなくていいんだよ」
伊織「ふみ君は純粋なままでいて!!」
文山「えーどういう事まりお姉ちゃん?」
茉莉花「ふっふっふ、今度じっくり教えてあげるわ」
伊織「辞めたげて!」
雪兎「まりちゃんは随分とおませさんだなぁ」
数日後の休日。
僕は友人と会う約束があり街に出ていた。
一緒に服を買いに行って食事をした後で解散した。
せっかくなのでもう少し街を見て回ろうと歩いていると加菜さんが働いているという会社が目に留まり、つい足を止めてしまう。
僕のばかタレ。これじゃまるでストーカーみたいじゃないか。
それにしても綺麗なビルだなぁ・・・。
その時だった。会社のドアが開き、一人の女性が出てきた。
加菜「あら?伊織君じゃない」
伊織「か、加菜さん!?あ、えーと、これはですね、あなたを付けてきた訳じゃなくて本当にたまたま・・・」
加菜「今日はお休み?」
伊織「はい、今日は休みで・・さっきまで友達と会ってたんですけど解散した後に街中をふらふらと・・加菜さんは仕事終わりですか?」
加菜「ええ、あ、そうだ、伊織君、夕飯は食べた?」
伊織「あ、はい、さっき友達と」
加菜「そう、せっかくだから一緒に食事でもと思ったのだけど、食べてしまったのならまたの機会に・・」
伊織「いえ!行きます!行きたいです!」
加菜「でも・・私が食べてる間待ってなきゃならないわよ?」
伊織「全然大丈夫です!僕はお茶でもゆっくり飲んでますから」
加菜「そう、それじゃあ一緒に行きましょうか」
伊織「はい!」
加菜「あ、そうそう、最近できたお洒落なカフェがあるんだけどそこにしない?夜遅くまでやってるのよ」
伊織「いいですね」
こうして外で加菜さんと会うと悩みがあるようには見えないんだよなぁ・・・無理してないといいけど・・・。
カフェに入り、加菜さんはパスタとアイスティーを頼み、僕はアイスティーとケーキを頼んだ。
しばらくして加菜さんが眠くなったのか目の下をこする仕草が見えた。
伊織「大丈夫ですか?」
加菜「え、ええ、ごめんなさいね、少し眠いみたい」
伊織「今日もあまり眠れなかったんですか?」
加菜「ええ、でもいつもの事だから」
伊織「失礼ですけど加菜さんの不眠症、ひょっとして元カレさんが原因とか?」
加菜「いいえ、不眠症はもっと前からよ、今の会社に入ってからかしら」
伊織「そんなにキツイ仕事なんですか・・・?」
加菜「ええ、でも、仕事なんてどの仕事も大変だもの甘えていられないわ」
伊織「そうですよね・・・」
こういう時ってどう返したらいいんだろう・・無闇に仕事辞めたら?とも言えないし、結婚して養ってもらったら?いやいや、そんな失礼な事言えるはずがない!
というか結婚なんてして欲しくない!
って僕はどの面下げてものを言ってるんだ・・・。
加菜「伊織君、どうかした?」
だけど、一つだけ譲れないものがある。
伊織「加菜さん、僕はあなたには笑っていて欲しい、だからその為のお手伝いをさせて下さい!」
加菜さんはキョトンとしている。
そりゃそうだよな、いきなりこんな事言われたら誰だって困る。
伊織「今のはその、深い意味ではなく、ただ・・・」
加菜「ありがとう伊織君、伊織君にはいつも元気をもらってばかりね」
伊織「いえいえ!それは僕の方ですよ」
加菜「え?」
伊織「加菜さんがお店に来てくれると嬉しいんです、だから加菜さんとお話できる日をいつも楽しみに待ってるのは僕の方なんです」
加菜「伊織君・・ありがとう、あんなに暗い話しかしてなかったのにそんな風に言ってくれて」
伊織「暗くたっていいんです、加菜さんが気持ちを素直に吐き出してくれると嬉しいんです
こんな僕でも頼りにしてもらえてるんだって思えるから」
加菜「伊織君は優しいのね」
伊織「いえいえ」
加菜「伊織君とお話をした日はね、不思議とよく眠れるの」
伊織「え!?」
加菜「それは紛れもなく伊織君の力だと思うわ、だからとても頼りにしているのよ」
伊織「そっか・・加菜さんの力になれていたんですね僕」
加菜「充分過ぎるくらいよ」
伊織「あの、加菜さん」
加菜「何かしら?」
伊織「店長から話は聞いたと思いますが加菜さんの傷が癒えたらあのお店にはたどり着けなくなります」
加菜「・・・ええ、そうね」
伊織「あなたが元気になってくれるのは嬉しいです、
でも、それと同時に会えなくなるも寂しいです」
加菜「それは私も同じ気持ちよ」
伊織「なので傷が癒えたその時はお店以外でも会ってもらえませんか?」
加菜さんは目をまんまるくしてこちらを見ている。
伊織「あの、ダメですか?話友達としてでいいんです」
加菜「いいえ、ダメじゃないわ、私も今同じ事を言おうとしたものだから驚いちゃって声が出なかったの」
伊織「え」
加菜「私からもお願いするわ、これからもよろしくね伊織君」
伊織「はい!」
この日、僕はこの恋に大きな進歩を遂げた。
八話 終わりと始まり
僕が喫茶黎明に来てから二年。
別れの日は来た。
半年ほど前からこうなると雪兎さんから話は聞いていた。
伊織「え、そろそろお店を辞めなくちゃいけないってどういう事ですか?」
雪兎「僕たちは幽霊だからいずれは成仏する日が来るということだよ、君には辛い思いをさせてしまうね、すまない」
伊織「そ、そんな・・・」
雪兎「伊織君、君は今まで本当によくやってくれたよ
、感謝してる」
伊織「店長・・・」
そして半年後。
雪兎「ついにこの日が来たんだね」
伊織「い、嫌だ・・・」
雪兎「伊織君?」
伊織「僕、やっぱり皆んなと分かれるなんて・・うっ、ぐすっ・・・」
雪兎「伊織君・・・」
茉莉花「もぉ、男の子なんだから泣かないの!泣き虫はふみ君だけで充分なんだから」
文山「うえぇーん!!伊織君〜!」
伊織「うぅ、ふみくーん!!」
伊織は文山と同じ背丈になるようにしゃがむと抱き合った。
茉莉花「もう、しょうがないわねぇ!!」
茉莉花は二人をぎゅっと抱き締めると頭を撫でた。
茉莉花「ほら、二人とも泣かないのー、本当にふみ君も伊織君も泣き虫さんね」
僕よりもずっと小さな小さな手のひらで撫でてくれるまりちゃん。
感じた温もりからどこか懐かしさを感じた。
頭を撫でられたのは母さん以来だった。
"本当に伊織は泣き虫さんね"
伊織「え・・か、母さん?」
茉莉花「?」
伊織「あ、ごめん、変なこと言って・・」
8歳の女の子に何言ってんだ僕は。
茉莉花「もう何言ってんの伊織君は」
茉莉花は困ったように笑ったが、決してバカにはしなかった。
茉莉花「天国に言ったら伊織君のはずかしー過去をお母さんに根掘り葉掘り聞いちゃうんだから!」
伊織「うわぁそれだけはやめてぇ!!」
伊織は頭を抱えた。
そしてその時は来た。
雪兎「まりちゃん、ふみ君、そろそろ」
茉莉花「はーい!じゃあね、伊織君!いつまで泣いてないで前を向くのよ!」
文山「うわーん、伊織君またねー!」
雪兎「伊織君、それじゃあ」
伊織「うん・・・皆んな今までありがとう」
三人が消えた後、喫茶黎明の外へ出た。
振り返るとそこに喫茶黎明はなかった。
歩き出そうとした時。
伊織「加菜さん・・・」
加菜「伊織君、喫茶黎明は消えてしまったのね」
伊織「はい・・・あの三人も消えてしまいました」
加菜「いいえ、まだ消えていないわ」
伊織「え?」
加菜「私たちの中にまだいるじゃない」
加菜さんはそう言うと自分の心臓を手で押さえた。
伊織「はい・・そうですね、あの、加菜さん」
加菜「何かしら?」
伊織「これから僕と喫茶店を始めませんか?」
加菜「あら、奇遇ね、私もそう言おうと思っていたところなの」
それから二ヶ月後。
僕は単発のバイトを辞め、加菜さんはずっと勤めていた会社を辞めた。
そして今僕たちの目の前には小さな喫茶店が見える。
名前は喫茶黎明だ。