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ドアマット令嬢(比喩)はシンデレラになりたくない! だからドアマット魔法使い(物理)と幸せになります

作者: 雨露みみ

「リエラ! 玄関のドアマットも洗っておけと言ったでしょ!?」

「アハハッ、本当に出来の悪い子ね。ダメな子にあげる食事はないのよ」


 高笑いしながら去っていく義理の姉二人。雑巾を掛けてあるバケツには、今日私に与えられるはずだったパンが突っ込まれ、茶色の泥水を吸っている。

 その様子をこの屋敷に仕える本物の使用人たちが「触らぬ神に祟りなし」といった風に見て見ぬふりして、脇を通り過ぎていった。

 

 掃除洗濯に針仕事。意地悪な継母と義理の姉二人の召使のように働く私を見ても、お父様は何も言わない。幼少期に実の母親を亡くして以来、私リエラ・アストル伯爵令嬢はそんな家庭環境で育った。


 伯爵令嬢とはとても思えないヒビ割れた手で、バケツの水の中からパンを救出し、ハンカチで包んで小脇に抱える。そして洗っておけと……先程初めて命じられた茶色の汚い大きなドアマットを両手で持って、屋敷の裏側にある洗濯場へと引きずって行った。

 

「乾かせば真ん中の方は食べられるかしら?」


 そんな淡い期待を抱きながら日当たりの良い場所でハンカチを広げ、パン乾かした。そして薄汚れたドアマットを洗い場の中に水をためて浸す。それだけでも水が濁り汚れがぷかぷか浮いてくる。一体いつから洗っていないのだろう。


「うわぁ……すごい汚れね」


 とてもじゃないけど汚れを全て落とすのは無理そうだ。でも綺麗にしておかないと、また義理の姉たちから酷い目に遭わされてしまう。


 私は周りをキョロキョロと確認して、誰も居ない事を確認してから胸の前で祈るように手を組んだ。


「……綺麗になぁれ」


 そう私が祈ると、茶色のドアマットがキラキラとした輝きに包まれる。そしてまるで魔法のように汚れが落ちていき、茶色だったドアマットは本来の色と柄を取り戻す。

 祈り始めてたった十秒で、洗い場の中にグレー地に金色でアカンサスの優雅な模様が入った、見るからに高価なドアマットが現れた。


「うん、綺麗になって良かった」


 これは誰にも言った事が無いのだが、私は本当に魔法が使える。

 

 この国では時折魔法の使える子供が誕生する。そのような子供は皆城下町にある魔法学校に通い、魔術師として輝かしい人生を約束されるらしいのだが。……私は魔法が使える事を隠していた。


 その理由は──私には前世の記憶があるからだ。

 

 『日本』という国で暮らしていた私は、所謂『輝かしい人生』を送っていた。

 子供の頃から子役としてテレビに出て、両親はまるで我が事のように私の芸能活動に熱心。常に周りから注目を浴び、作り笑いが顔に張り付いて取れない。その作り笑いの仮面を本当の顔だと思った人達に囲まれて、キラキラ輝く嘘で塗り固めた自分で生きる。

 ……そんな人生に虚無感を感じていた私は、誰にもその心の内を打ち明けることができなかった。本当はそんな人生を送りたくなかった。ただ私は静かに、本当の私の内面を見てくれる人と共に生きたかったのに。

 

「次こそは静かに。誰にも注目される事なく、本当の私のまま生きたい」

 

 限界を迎え来世に希望を託した私の願いは叶い──この世界に転生。

 まるでおとぎ話のシンデレラに出てきそうな近世ヨーロッパを舞台にしたような街並み。伯爵令嬢ではあるが家庭内で冷遇され、誰かに注目されることはない。魔法が使える事も隠していれば、こっそりと生きていられる。継母や義理の姉達にどれだけ虐められようとも、前世を思えば……私は静かに人生を歩む事が出来ていた。


 そう。私は別にこの環境に大きな不満がある訳では無かったのである。今年で十八歳。前世日本での生活をリタイアした年齢と同じになる。


「さてと。じゃあお水を絞って干してあげなきゃ」


 綺麗になったドアマットを四つ折りにしてぎゅうぎゅう押さえつけ水分を絞り、よいしょと持ち上げて物干し竿にかけた。お洗濯の魔法は自力で編み出したので問題無く使えるのだが。……生憎、水を絞る魔法や洗濯物を干す魔法は分からない。だから冬の冷たい水が、指先にジーンとした痛みを走らせた。


「──お前の魔力は心地良いな」

「え?」

 

 どこからか男性に声を掛けられた気がして辺りを見渡すが……誰もいない。ただ水を吸った重いドアマットから、ピチョンと水が滴っているだけである。


「……気のせいかしら」 

「気のせいではないぞ」


(誰もいないはずなのに声がする!?)


 私は怖くなって肩を震わせながら身を小さくした。そんな私の様子をどこからか見ているのか、クツクツと笑う声が聞こえてくる。


「すまない。そこまで怖がらせるつもりはなかったのだが」

「……もしかして、ドアマット?」


 周りには誰も居ないので、消去法で考えるとそれしか無かった。注視しながら問いかけると、ちょうどドアマットを干してある方向から返事が返ってくる。


「そうだ。ようやく分かったか」


(ドアマットが喋っている……!?)


 意味が分からない。それでも確かにドアマットから声がしている。訳がわからなくてまだ表面の濡れているそれに触れると、続けて言葉が発せられた。


「しかしお前の魔法、基礎が成ってないな。誰に習った?」

「これは自己流で……」

「自己流!? ハァ……お前、魔法使いなのに学校に行ってないのか」


 思わず「ごめんなさい……」とドアマットに対して謝る。私は何故ドアマットにまで頭を下げているのだろう。


「別に私は謝って欲しくて声を掛けた訳じゃない。ただお前の魔力が心地よくて……礼を言いたかったんだ。ありがとう」


 お礼を言われるだなんて、一体いつぶりだろうか。継母が来る前、実の母親が生きていた時以来ではないだろうか。

 

 そのたった一言の礼が私の心の中に優しく浸透していって。心に染み渡った後に、ぽたりと溢れた雫は涙となって私の目から溢れ出た。

 大きな不満を抱えて生きてきた訳ではなかったが、人からの優しさという成分が枯渇してしまっていた私の心には大きすぎる優しさだった。

 ツギハギだらけのワンピースの袖でそっと目頭を押さえて、ドアマットに笑顔を向ける。


「こちらこそ、優しいお言葉をありがとうございます……えっと、ドアマットの付喪神さん?」


 前世日本では、百年を経た物には魂が宿るとされていた。見たところ古いドアマットのようだったし、百年は経っていないのかもしれないが、物が喋るという怪奇現象を説明するには、何かが取り憑いていると考えるのが自然だった。

 

「ツクモガミ?」

「ええ、ドアマットに宿る神様のような存在なのかと思ったのですが……違いましたか?」


(あ……この世界は西洋風の文化なのだから、付喪神ではなくて妖精や精霊といったファンタジー色のあるモノの方が近かったかも)

 

「……まぁ説明するのも面倒だから、ツクモガミでも何でも良い。何百年も隠居していると自分の正体なんてどうでもよくなるからな」


 発言を撤回しようかと迷っていると、ドアマットの方からそれでいいと返事が返って来る。

 そうして、ドアマットのように踏みつけられて暮らしてきた私と、ドアマットのツクモガミの奇妙な付き合いが始まった。



 ◇◇◇



 それからというもの、玄関にひいてあるドアマットの近くを通ると、ツクモガミに話しかけられるようになった。その内容は単純に天気だったり、時事的な話だったり、私の事だったり。ドアマットが喋るなんて普通に考えれば怪奇現象だが、私が勝手に付喪神という設定にしてしまったので深く考えなければそこまで怖くはなかった。


「あんたって子は、掃除も満足に出来ないのかい!?」


 ──パァンッ、と玄関ホールに頬を打たれる音が響いた。

 

 窓枠に少し汚れが残っていたのが気に障ったらしく、継母から頬を打たれたのだ。継母の後ろでは義理の姉達がこちらを見下しながらクスクスと笑っている。


「リエラ、あんたなんてこの家から追い出してもいいんだからね。私の好意でこの家に置いてやっているんだ。仕事の出来ない奴は出て行きな!」


 継母は私にそう怒鳴りつけると、最後にドンッと私の体にぶつかるようにして立ち去っていく。


「じゃぁね〜リエラ」

「本当に愚図な子ね」


 義理の姉達も私に罵声を浴びせながら、継母に引き続いてその場から立ち去っていった。


 私はフウッと息を吐きながら胸下まである燻んだブロンドの髪を結び直して、玄関ホールの床磨きの仕事に戻る。打たれた頬がジンジンと痛むが、これくらいの暴言・暴力は日常茶飯事。

 毎日の暮らしも、髪色やこの青い瞳も、まさにシンデレラのようだと思うが……私はシンデレラではない。

 

(だってあの話にはドアマットの付喪神なんて出てこないもの)


 それにシンデレラのお話で魔法を使うのは、魔法使いのお婆さんだ。シンデレラ自身が魔法を使えるわけではない。


 私はこの状況に大きな不満があるわけでは無かったし、シンデレラに憧れているわけでも無かったので構わない。むしろ私にとっては自分がシンデレラである方が困る。王子の婚約者という目立つ立場になってしまえば、再び皆から注目されてしまう生活に逆戻り。それだけは避けたかった。私はこうやって地味に静かに生きる方が性に合っている。

 

「リエラは仕返ししてやりたいと思わないのか?」


 玄関ホールの床磨きを進めドアマットの近くまでやって来ると、小声でそう話しかけられた。私もキョロキョロと辺りを見渡して誰も居ない事を確認してから声を出す。


「そんな風には思わないわ。そりゃ殴られれば痛いけど、前世と比較すれば精神的にはこっちの方がよっぽど良いもの」


 いつの間にかドアマットの付喪神とは、何でも話し合える間柄になっていた。生い立ちから、今まで継母や義理の姉達からどのような仕打ちを受けてきたのかも。私が……前世で何を考え、命を絶ったのかも。皮肉な話だが、このドアマットの付喪神は、私に初めて出来た友人だった。

 

「じゃあ魔法学校には行かないのか? そうすれば打たれずに済むし、今後の生活も保障される」


 ドアマットの付喪神が私を心配して言ってくれているのは痛いほど理解できる。立場が逆なら私だってそうアドバイスしただろう。

 

「ええ……私は目立つのが嫌いだから魔法使いだと公言したくないの。それに、魔法学校は全寮制でしょう? そんな場所に行けばツクモガミさんとお話出来なくなるじゃない」


 ドアマットを持参すれば良いのかもしれないが、荷物でこんな大きなドアマットを持ってくる変わり者の生徒なんて居ないだろう。

 

「……私が理由か。面倒だから、とかでは無いのだな」

「面倒くさがりのツクモガミさんとは違うのよ? 私はもう目立つのは嫌なの」


 話す内に分かったのだが、ドアマットの付喪神は面倒くさがりだった。日干ししてあげようかと提案しても、ブラシをかけてあげようかと気を使っても「面倒だから別に構わない」と言うのである。有無を言わせずに強制的に手入れしてあげれば「気持ち良い」とか言う癖に。……だから汚れで模様が見えない程になるのだと思う。

 

「しかし勿体無い。私は何百年も色んな魔法使いを見てきたが、恐らくリエラは鍛えれば優秀になる部類だぞ」


 ドアマットの付喪神はそう唸って……閃いたと言わんばかりに「そうだ!」と声をあげた。


「私が教えてやれば良いのか」

「え? ツクモガミさんは魔法が使えるの?」


 先程「何百年も色んな魔法使いを見てきた」と言っていたから、付喪神もそれほど長い年月を生きると魔法だって使えるようになるのかもしれない。


「私を何だと思っているんだ」

「面倒くさがり屋さんだと思っているわ」


 二人の間にしばし静寂が訪れる。


「……分かった。リエラ、今日の真夜中に此処に来てくれ」


 いつにも増して真剣な声色で言われたので、私は黙って頷く事しかできなかった。



 ◇◇◇



 いつもは眠っている時間にこっそりと自分の部屋を抜け出して、冷たい階段の手すりを掴んで降りる。自室の暖炉に火は入っていないので、真夜中に部屋を出たって特別寒いとは思わない。ただ皆を起こしてしまわないように、慎重に音を立てぬよう歩いて玄関に向かった。


「ツクモガミさん」


 出来るだけ小さな声で呼びかける。すると、玄関という室内にもかかわらずふわりと風が舞う。夜間の為結っていなかった髪が、それに合わせて靡く。慌てて手で押さえたその瞬間、灰色のドアマットはその姿を男性に変えた。


「……え?」


 ドアマットと同じ灰色……いやそれより輝きを増した銀色の長い髪が、私の髪と同じく風に揺れる。纏っているのは、ドアマットと同じ金色のアカンサスの紋様が襟元に入った黒地のローブ。そして人間とは思えない金色の瞳が私を見据えている。しかも滅多にお見かけしないような鼻筋の通った美形で思わず言葉を失った。

 私が驚きから目をぱちぱちと二度瞬きする間に、その男性は私との距離を詰めてきて。風で乱れてしまった私の前髪を整えるように軽く手で何度か梳く。額に感じる感触は間違いなく人間の指先で、私はすっかり混乱してしまう。


「ツクモガミさん……なの?」

「──ランベールだ」


 それがドアマットの付喪神の名前なのだろうか。今まで『ツクモガミさん』なんて日本風な呼び名で呼んできたのに……この姿を見てしまえば、そのような清らかで神格化されたものではなく、むしろその美形と纏う雰囲気も相まって魔王の方が近いかもしれないとさえ思う。


「……お名前があるなら初めに教えてくれれば良かったのに」


 色々と問いたい事は山ほどあるのだが。そう言うのが精一杯だった。


「説明するのが面倒くさかった」


 人の姿をとっても発言内容はドアマットの時と何ら変わりない。酷く面倒くさがり屋だ。

 ランベールは戸惑う私の手を取って、私を玄関の外へと導いた。


「来い。私が直々に魔法を教えてやろう」



 そのまま屋敷の裏手にある洗濯場に連れて行かれた私は、すっかり硬直してしまっていた。何故ならば、壮絶な美形のランベールが私の体を後ろから包み込むようにして抱きしめているからである。背の高さが頭一つほど違うせいで、彼の吐息が私の頭頂部にかかりゾワゾワする。何故魔法を教える為にこのような体勢になる必要があるのか理解出来ない。


(大丈夫、この人はドアマット……こんな見た目をしているけど、私のお友達のドアマットのツクモガミさんよ!)


 そう自分に言い聞かせるようにしているが、心臓がドキドキと高鳴ってしまって煩い。


(大丈夫よ……このくらい美形の人、前世日本にも居たじゃない)


 私の表面だけ見て、貼り付けた笑顔だけを信じて近寄ってきたキラキラとした輝かしい世界にいた人達。それを思い出せば──スンと息を潜めるように私の心は静まった。

 よく見ればランベールは素材の良さそうなローブを纏っているのに対し、私は穴を繕って擦り切れた部分に布をあてた麻のワンピース。その対比が酷くて少し惨めな気持ちになる。


「そう。魔法を使う時は落ち着くのが基本だ。魔力の循環が乱れる」


 頭上から褒めて来るが。じゃあそもそも抱き付かないで欲しい。


「そして、実現したい事を願え。今回は私が魔力操作を手伝ってやるから、どんな大願でも良いぞ」

「願い?」


 そんな事を急に問われたって、すぐに願いなんて出てこない。ここで「恥ずかしいからこの腕の中から解放して欲しい」なんて言うのは……ちょっと違う気がするし。


「金持ちになりたいでも、意地悪な継母に仕返ししたいでも、何でも願うがいい。魔法はイメージすれば何でも叶う、だからこそ『魔法』なのだ」


 ……本当に何でも叶うと言うのなら。私の願いは──


「誰にも注目されたくない」

 

 お洗濯物に綺麗になぁれと祈る時のように、胸の前で手を組んで目を瞑って祈る。体の中心部分が少し暖かくなるような、そんな心地がした……が、何も起こらない。


「リエラ、やっぱりお前は凄いな。自分の体を見てみろ」

「……?」


 何を言われているのか分からずに、自分の体を見下ろすと。


「す、透けてる!?」


 自分の体を通して地面が見えている! 信じられなくて組んでいた手を上にあげ月に翳せば、柔らかな月明かりがその半透明の手を貫通した。


「嘘……」

「嘘じゃないさ。多少私が手伝ったが、これはお前が使った『姿を消す』魔法だ。ここまで完璧だと、魔法使い以外からじゃ見えないだろうな」


 ランベールが私の体を解放してくれるので、その場でくるりと回ってみる。私と一緒に服や靴なども半透明になっているようだ。感動から思わずダンスを踊るかのようにクルクルと連続して回ってターンする。お母様が生きていた頃に少しだけ練習したダンスを思い出して、思わず顔が綻んだ。


「わぁ……! これなら皆の目を気にせずにツクモガミさんと会えるかしら?」


 どうしても皆の目があるので、近くを掃除する時などにさり気なくでしかお話し出来なかったが。これならもっと沢山お話できるかもしれない。せっかくできたお友達なのだから、もっと仲良くしたい。


「ねぇツクモガミさん、明日からは今まで以上に沢山お話してくれる? 私、貴方と一緒に居るのが楽しくて好きなの」


 私がそう言って振り返ると。ランベールは頬を赤らめて、その口元を大きな手で隠していた。


「どうかしたの?」

「ランベールだ。……どうかそう呼んでくれないか」


 左手を掴まれ引っ張られ、私はその腕の中に向かい合うような形で収められる。だから私はポスッとその胸に顔をぶつけてしまって。「あ、ごめんなさい」と言いつつ顔を上げると……月と同じ色の瞳が神秘的に発光しており、私の視線は惹きつけられて目が離せなくなる。


『リエラ、私の名前を呼んで欲しい』

「──ランベール」


 まるで魔法で誘導されたかのように、私の口から滑り出すようにして出たその言葉は、目に見える金色の文字となり宙に浮かび漂う。そしてその文字は古代語に変換され、彼に掴まれている私の左手……薬指に巻き付くようにして、吸収されるかのように消えていった。


「何? 今の……」 

「説明が面倒だ。そんな事よりも魔法の練習の続きをしよう。リエラの魔力は触れていると心地良いから……もっと欲しい」


 ランベールは相変わらずの面倒くさがりで、私に詳細を話す気は無いらしい。彼のそんな部分も受け入れて友人だと思っている私は、ふふっと少し笑ってから「じゃあ……よろしくお願いします、ランベール」と魔法の教えを乞うたのだった。



 ◇◇◇



 それから私は毎晩のように自室を抜け出して、ランベールと魔法の練習をした。おかげで私は様々な魔法を習得した。

 まず目立たぬように透明になれる魔法。あとは、パンを生み出す魔法に、傷が直ぐに塞がる魔法。ランベールから「練習するのがそんな魔法で良いのか? もっと格好いい竜を召喚するやつとか、相手を呪い殺すやつとか……いいや、リエラからすれば生活に直結している魔法が良いのか」と苦笑いされながら……一緒に練習する時間は楽しかった。

 ランベールと一緒にいる時の私は「キラキラした笑顔を貼り付けた芸能人」でも「下働きのように働く伯爵令嬢」でもなく、ただの『リエラ』でいられたし……ランベールもそんな私を受け入れ一緒に笑ってくれる。

 誰かと一緒にいるのがこんなに楽しいと感じたことは今までに無かった。私にとってランベールは一番大切なお友達で……ううん、それ以上だったかもしれない。



 ◇◇◇

 


「舞踏会、ですか?」

「だからそれまでにこの子達のドレスを直しておいて頂戴。あぁ楽しみだわ、私の娘達は美しいからきっとチャーミング王子にだって見初められるはずよ!」


 本格的に冬の空気が強まってきたある日の夕方。廊下で掃除する私に向かって継母が投げつけたのは、ゴテゴテと沢山の宝石が付いたドレス二着。

 どうやらこの国の第一王子である『チャーミング王子』の婚約者を探すために国中の令嬢が集められた舞踏会が、来週王城にて開かれるらしい。王子だけでなく数々の名だたる名門貴族のご令息も参加するので、皆気合いが入っているという訳だ。そして継母が言う『私の娘達』に当然ながら私は入っていない。


「リエラ! 返事くらいすればどうなの? お前は本当に愚図ね」

「お母様、もしかして舞踏会ってリエラも行くの? 置いて行きましょうよ」

「ヤダァ、私こんな子の義姉だって知られたくなぁい」


 私だって当然そんな舞踏会にだなんて行きたくない。小声で「私は……行きません」と返事すると、義姉たちは満足気に笑って継母と一緒に去っていった。

 

 私はその沢山の宝石のせいで重いドレスを両手で抱えて、よろよろと自分の部屋へと向かう。汚れをつけないように自分の寝台の上にドレスを置いて、小さなランプに入っている油の量を確認した。私に分けてもらえる油は少ないので、極力日中のうちに針仕事を仕上げてしまわないといけない。

 

「……後でランベールに、手元を明るくする魔法を教えてもらおうかな」

 

 そう呟きながら針箱から針を取り出す。ほつれてしまっている糸を切って、ひと針ずつ慎重に針を進めていきながら、私の頭は別の事を考えていた。


(王子の名前……一緒だったな)


 シンデレラの物語に出てくる王子の名前も確かチャーミング王子だった。しかも結婚相手を探して舞踏会が開催されるという所も一緒。

 嫌な予感がする。必死になってシンデレラと私の相違点を探すが、それでも不安は拭えない。どうかこの憂惧が取り越し苦労で終わって欲しい。

 ……そんな風に考えていたら、いつの間にか部屋は真っ暗で月明かりだけでは手元が怪しい時間になっていた。



◇◇◇



「リエラ、どうした? 今日は魔力の循環が良くない」


 ランベールからそう言われハッと顔を上げると、金色の瞳に心配の色を浮かべたランベールが私の顔を覗き込んでいた。


 そうだ。私はいつも通り夜中に洗濯場でランベールと一緒に魔法の練習をしていて、今日は明かりを灯す魔法の練習をしている最中だったのに。楽しいはずの時間にまで考え事をしてしまう程、私の心の中は不安が占めていた。


「ごめんなさい。今日は針仕事を沢山したから、ちょっと目が疲れてしまっているのかも。あと、手が乾燥してあかぎれになった部分が痛くて」


 私はランベールを安心させようと、そんな言い訳を並べる。ランベールは「……ふーん?」と納得したのかしていないのか分からない返答を返しながら、私の両手を手に取った。


「このくらいの傷、この前教えた魔法を使えば治せるだろうに」


 ランベールはそう呟いて、私よりひと関節以上大きな手で、私の手を握り込むように包む。そしてそこからポカポカと温かい心地の良いエネルギーが伝わってきて。まるで湯船に浸かったかのように、手だけではなくて体の芯までじんわりとした温もりに包まれる。


「ほら。これでもう痛くないだろう」


 解放された私の手は傷が全て治った上、肌荒れの一つすらないツヤツヤふっくらの、まるでお嬢様のような手になっていた。


「凄いわ……ご令嬢の手みたい」

「『みたい』じゃなくて、義理の姉達とは違ってリエラだけは正真正銘アストル伯爵令嬢だろう」


 月に手をかざして、まるで自分の手じゃないような両手を眺める。日本で生きていた時ですら、ここまで美しい手になったことはなかったかもしれない。一瞬でこんなことができてしまうなんて、凄い。


「ランベールありがとう! それに、なんだか魔法をかけてもらっている間、ポカポカしてとても気持ちよかったの。ランベールが、私の魔力が心地よいって言っていたのはあんな感じなのかしら?」


 お礼を言うとランベールは少し朱に染まった顔の口元を片手で隠して、そっぽを向いてしまう。この仕草は照れている時のものだと分かっているので、構わずに続ける。


「魔法って掛けられると心地良いものなのね」

「……いや、それは体と同様で魔力にも相性の良し悪しの問題があって」


 何やらゴニョゴニョと小声で話されるので、聞き取れなかった私は聞き返そうとしてランベールに近寄り、ローブの袖を掴んだ。


「ごめんなさい、聞き取れなかったからもう一回言ってくれる?」

「……目も疲れているのだろう? 治してやるから、こっちを向いて目を瞑るといい」


 そう言われるので特に何も思わずに少し顎を上にあげて目を瞑ると、右瞼に柔らかい感触が降ってきた。そしてそこから先程と同じように熱が広まる。


(こ……これって! き……き、きキキスなのでは!?)


 動揺して瞼に力を入れてしまう。キュッと眉間にもシワが寄ってしまったのが可笑しかったのか、ランベールの小さな笑い声と一緒に今度は左瞼に同じく温かい感触が触れた。


 恥ずかしいはずなのに、口付けられた部分から全身に心地よさが広がっていく。それはとろりと溶けてしまいそうな程で……。


「もっと──」


 縋るようにもっと欲しいなんて口走りそうになってハッとする。超至近距離にある鼻筋の通った整いすぎた顔に、心地よさを恥ずかしさが上回った。


「ら……ランベール!?」

「ハハッ、今日の私は気分が良いから大サービスだ。どこへでもリエラの好きなだけ魔力を注ぎ込んでやろう。どこに欲しいのだ?」


 私を揶揄うかのようにそう言う彼は、魔王の如き色香を放ち私を捉えるように腰に手を回す。今度は私が頬を赤らめる番だった。


「ランベールがそんな言い方をすると、何だか卑猥だわ……付喪神じゃ無かったの?」

「これ程魔法を使っているのに、まだそのツクモガミ設定は生きていたのか。そのツクモガミが何なのかはいまいち良く分からないが……私は神ではない。ただの一人の人間で魔法使いだ」

「そう、人間……え!? 人間!?」


 その発想は無かったので驚いて、つい大きな声を出してしまう。


「何をそんなに驚いている? どこからどう見ても人間だろう」


 なら私が「ツクモガミさん」なんて頓珍漢な名前で呼び始めた時に訂正して欲しかったし、もっと早くに説明してほしかった。それを「面倒くさい」で済まさないで欲しい。それに……


「普通の人間はドアマットにならないわ」


 ドアマットの姿をしているのが、そもそもおかしい。


「あぁそれは……しまった。人が来る」


 ランベールはそう言うとシュッと姿を変え、突然空中に大きなドアマットが現れた。そしてバンッと音を立ててドアマットが地面に落ちた瞬間に、継母の怒鳴り声が空から私を襲う。どうやら偶然私の声が建物内まで届いてしまったらしい。継母は屋敷の3階の窓から身を乗り出すようにして私を叱りつけた。


「こんな夜中に何を騒いでいるんだい!?」


 その後私は罰として自分の部屋に閉じ込められた。当然その閉じ込められている最中も、頼まれていたドレスの直しや他の針仕事などをさせられたのだけど。唯一の気掛かりはランベールの事だった。あの夜、玄関に戻してあげる余裕が無かったからだ。

 

 窓から頑張って身を乗り出し洗濯場の方を覗き見ると、ドアマットの姿は見当たらなかった。誰かが玄関ホールに戻してくれたのか、それともランベールが人の姿になって自分で歩いていったのか。どちらかは分からないが、ひとまず雨ざらしになっていなくて安心した。それでも何かと私を気にかけてくれるランベールの事だから、私が部屋に閉じ込められしまった事を気にしているかもしれない。

 

 私は針仕事をしていた手を止めて、自らの手をじっと見つめた。ランベールのおかげで令嬢らしくなった手は傷一つない。


 (ランベールの魔法、気持ち良かったな)


 そんな事を考えながら、あのポカポカした温もりを思い出して。私はギュッと手を祈るように合わせた。

 願えば叶うのが『魔法』であるならば。私には……やっと、どうしても叶えたい願いが出来たの。


「これからもずっとランベールと一緒にいられますように」


 一緒に過ごすあの時間が、私には何よりも大切だった。

 

 ◇◇◇



 舞踏会の日の夕方。久々に部屋の外に出た私は使用人達と一緒に義理の姉達の着替えを手伝って、めかし込んだ継母と義理の姉達が馬車に乗り込み王城に向かうのを見送った。馬車が出発しその姿が小さくなっていくのを、心ここに在らずの状態で小さく手を振り見送ったのだが。私にはそれ以上に気になっていることがあった。


(お願いだから、シンデレラとは違う展開になって欲しい)


 シンデレラではここで魔法使いのお婆さんが出てきて、魔法でドレスやら靴やらかぼちゃの馬車を用意してくれるのだ。そしてシンデレラはありがたくそれを受け取って王城に向かい、王子と出会って恋に落ちる。


(大丈夫。もし同じ展開になったとしても、私が受け取らずに拒否すればいいだけよ)


 大丈夫。私がシンデレラと同じ行動をしなければ、同じ展開になるはずがない。今から部屋に引き篭り眠ってしまえば、魔法使いのお婆さんにだって会わずに済む。どうしてもシンデレラになってしまう事を避けたかった私が、そんな事を考えながら家の中に入った瞬間だった。

 

「……リエラ」


 足元から聞こえてきたのはランベールの声だった。ドアマットの姿なので正しいドアマットの使い方としてランベールを踏んでしまった私は、小さく「ごめんなさい、重かったかしら」と謝りつつ上から退く。


「重くはないし、むしろ軽すぎる。リエラはもっと魔法でパンを出して食べろ。……って、私はそんな事を言いたいのではない」

 

 ランベールはドアマットからポンっと姿を変え、人間の姿となる。私は慌てて周りを確認したが──どうやら人の気配は無いようである。


「先日は申し訳なかった。私がリエラを驚かせてしまったばっかりに、酷い目に合わせてしまって」

「あれはランベールのせいではないわ! 単純に私が大きな声を出してしまっただけだし……ただ部屋から出られなかっただけで、酷い目には合ってないから気にしなくていいのよ」


 私の予想通り、ランベールは私が部屋に閉じ込められた事を気に病んでしまっていた。「気にしないで」と言葉を重ねるが、ランベールは納得いかないらしい。

 

「それで……お詫びと言ってはなんだが、リエラを飾らせてもらえないだろうか」

「飾る?」


 意味が分からなくて首を傾げた瞬間。私の体はキラキラとした粒子が混じった光に包まれる。そしてその次の瞬間には──


「嘘……」

 

 ──穴を繕ってある麻のワンピースは、水色から薄紫へとグラデーションのかかったドレスになり、当然靴はクリスタルのような透明感のあるガラスのハイヒール。鏡が無い為手触りでしか確認できないが、燻んだブロンドの髪も編み込み混じりで結い上げられて髪飾りが付いているようである。

 そして胸元はランベールの髪色のような銀製のアクセサリーで飾られていて。その中心部には彼の瞳を思わせる金色……いや黄色の宝石が輝いていた。


 趣味の良い上品な様相。本来なら感動し涙するであろう所で……私の心は絶望に染まる。


「リエラも伯爵令嬢だから行きたいだろう? 舞踏会に」

 

 違う、行きたく無い。

 違うのに……折角のランベールの好意を無駄にはしたくない。


「まぁ、生憎私は今の時代の男達の好みは知らんが……私が王城にいた時代なら、太鼓判を押してやれる可愛さだ。自信を持っていい」


 わなわなと震える唇は開いては閉じるの繰り返し。「行きたくない」とただ一言を発してしまえばいいのに、それができない。『魔法使いのお婆さんが出てきたって、何も受け取らなければいいのよ』なんて単純に考えていたのに。ランベールに「お詫び」と称して飾られるだけで……私は何も拒絶できなくなる。

 まさかランベールが、シンデレラストーリーの中の「魔法使い」だったなんて。ただのドアマットに見せかけておいて、こんな事って……。


「リエラ?」


 何も言わない私を疑問に感じたのだろうか。不思議そうな声で問われる。本当の事を言うなら今だ。

 ──今だったのに。


「緊張しているのか、まぁ無理もない。おいでリエラ」


 ランベールは私の手を取り自身の体に引き寄せて、ダンスを踊るかのようにくるりと回転する。それに合わせて魔法で作られたドレスは、花が開花するように裾が舞った。

 

「ここだけ春になったみたいだな」

 

 そう優しく微笑まれてしまったら。……行きたくないなんて、言える訳が無かった。

 私にとってランベールは大切な人で。そんな彼が私を飾って微笑み、送り出してくれようとしている。その好意を無駄になんて出来ない。したく無い。

 

 だから私は王城へ向かう。全ては──私の大切な人の為。

 

 ……でも、私は絶対にシンデレラにはなりたく無い。だから、どうにかしてチャーミング王子に会う事だけは避けなくては。

 そんな事を考えながら、私は前世と同じように笑顔の仮面を貼り付けて……にっこりと微笑んだ。

 

(大丈夫。私の作り笑いを見破った人なんて、誰も居ないもの)


 前世日本で子役時代から培った技術は、ランベールであってもそう簡単には見破れまい。


「ありがとう。面倒くさがりのランベールがここまでしてくれるなんて、驚いて声が出なかったわ」

「……リエラを飾るのが面倒な訳がないだろう。魔法で王城まで送ってやるから楽しんで来るといい。別に踊らなくてもいいが……ちゃんと食事は腹一杯してくるのだぞ」


 ランベールは私の保護者のつもりなのだろうか。最後の言葉にクスッと笑ってしまった所で、私の体をポカポカした優しい風が包み込んで。次の瞬間に私は煌びやかな王城の中、シャンデリアが輝き優美な音楽の流れる広間に立っていた。



◇◇◇



 既に舞踏会は始まっていたようで、広間の中央では着飾った人々が組になってワルツを踊っていた。王城の中に入るなんて初めての私は、勝手が良く分からないのでとりあえず広間の壁に近寄っていく。日本では「壁の花」なんて言葉もあったし、きっとこうして目立たないようにしておけば、何事もなくお開きの時間まで過ごせるのではないだろうか。


(あ……でもランベールに、ちゃんと食事してこいって言われたのだったわ)


 別にそこまで食事に興味があるわけでは無いのだが、帰った時に何を食べたのか聞かれると困る。少しでも何かを口にしておかなければと思い、私は壁から離れて食事が並べられたコーナーへと向かった。


(……私、どこか変なのかしら?)


 少し歩いただけなのに、妙に周りからの視線が突き刺さって痛い。好意、羨望、嫉妬……どの視線も、前世の私には身に覚えがあるものだ。

 

──目立ちたくない。


 その思いで私は視線を下げ、極力身を小さくするようにして動く。そんな事をしていたせいか、トンッと誰かに肩が当たってしまった。


「申し訳ございません」


 謝罪時まで顔を下げたままにする訳にはいかないので、顔をあげてぶつかってしまった人を見上げる。真面目そうなメガネの男性で、私はホッと胸を撫で下ろした。


(良かった。チャーミング王子ではなさそう)


 黒色の短髪を整えただけの、飾りっ気の無いその男性の姿に安堵する。チャーミング王子がどのような人なのかは全く知らないが、前世で読んだ絵本のイメージそのままの、金髪碧眼の美男子という姿を私は想像していた。


「いいえ、構いませんよ。社交界ではお見かけしない顔ですが、今夜はお一人ですか?」

「あ……実は田舎者でして、なかなか社交界には参加出来ないのです。だから今日も一人で、こんな場所に来るのも初めてで……目立つのは嫌いなので、隅の方で居ようと思ってます」 


 私は笑顔を貼り付けて答える。本当は虐げられている上、目立ちたく無いから社交界に出ていないだけなのに嘘をついた。しかし、それでも後半のセリフには嘘はない。

 

「そうだったのですね。では隅に隠れてしまう前に、よければ私と一曲踊っていただけませんか?」

「え?」

「実は私もあまりこのような場には出ないのですが。……父に『早く一人決めて踊ってこい』と急かされていましてね。一人選ぶなら、貴女が良いと思ったのです」


 その名前も知らないメガネの男性に同情してしまった私は「一曲だけなら」と、差し出された手を取る。きっと奥手だとか女性が得意で無いとか、何かしら事情を抱えているにも関わらず……父親に急かされて困っているのだろう。

 そう思ったのだが、このメガネの男性が私の手を握って広間の中央に歩み出した途端、周囲からどよめきの声が上がった。それに違和感を覚えて男性の顔を見上げたが、ただ淡く微笑まれるだけだ。


「ダンスはお得意ですか?」

「いえ、実はこのような場では踊ったことが無くて」


 幼少期以来踊る機会が全く無かったと言う方が正しいだろうが、それを言うとアストル伯爵家の内情がバレてしまうので誤魔化す。私の返事に気を良くしたのか、その真面目そうな男性はふっと口元を綻ばせ「じゃあ私が貴女の初めてですね」と呟いて。ランベールが令嬢らしくしてくれた手の甲に軽く口付けた。


「ひゃ……ッ」


 ランベールのように魔王の如き美形で色気が漂う人間ならまだしも、こんな真面目そうな男性にそんな行動を取られて驚き、思わず声が漏れてしまう。


(でも、きっと大丈夫……この人は王子では無いのだし)


 本物の王子は今頃美人なご令嬢達にキャーキャー言われながら取り囲まれているだろう。それにこの人と一緒居れば、王子に見つからずに済むかもしれない。そう考えれば、この隠れ蓑作戦は結構有効な手段に思えた。


 そして無事踊り終わった直後。ドンっと後ろからご令嬢にぶつかられ、彼女の持っていた飲み物でドレスの後ろ側に大きくシミが出来てしまう。


「あらぁごめんなさい。どこのどなたか分からないけど、王子様がお連れの方にぶつかってしまうなんて……私ったら本当ドジだわ」

「義姉……」


 言いかけた所でハッとして自分の口を塞ぐ。いけない。ここで私は自分の身分を明かしてはならない。義姉様の事だからわざとぶつかって来たのだと思うけど、幸い私だと気がついていないようだし……。


(……待って。義姉様、今王子って言わなかった?)


「汚してしまって申し訳ないから、このドレスうちのアストル家でクリーニングさせて貰いますわ。よかったらこのまま控え室で──」

 

 義姉様がまだ話している途中であるが、私はその男性に抱き上げられる。


「結構ですよ、着替えは私の方で用意いたしますから。レディーはどうぞご自身の過失を責めずに、引き続き舞踏会をお楽しみください」


 その言葉選びとは裏腹に、声色からは背筋がゾクっとするような恐ろしさを感じる。そして、先程まで朗らかだった目元は……まるで汚いものを見るかのように義理の姉を見下ろしていた。



 ◇◇◇

 


 そのメガネの男性は広間を出て、廊下を迷いも無くずんずんと進む。それに比例するかのように、私の血の気もどんどん引いていく。


「あの……もしかして貴方様は……チャーミング王子なのですか?」

「ええ。顔が名前負けしているでせいで、お気づきになりませんでしたか?」


 決してそんな風には……いや、第一印象で「この人は王子じゃないから大丈夫」なんて決めつけてかかったのは私だ。この展開はまずい……私のドレスの中はもう冷や汗で一杯だった。


(大丈夫……まだ大丈夫よ。最後にガラスの靴を落とさないように帰ればいいのよ)


 何なら初めから脱いで手に持って走った方が良いかもしれない。

 脳内で、ガラスの靴を脱いで全力で逃げるシミュレーションをしていると、チャーミング王子はとある部屋にノックも無しで入室した。そして天蓋付きのベッドに、私がうつ伏せになるように下ろす。

 義姉様に掛けられた飲み物はどうやらお酒だったようで、閉じ切った部屋に入るとドレスに染みついたお酒の匂いで気分が悪い。


「もしかして気分が悪いですか? 寒いかもしれませんが、窓を開けますね」


 チャーミング王子はそのままバルコニーの方に歩いて行って、バルコニーに通じる窓を全開にしてくれた。冬らしい澄んだ空気が部屋に入ってくるが、それでも匂いの原因が自分のドレスなので……完全に匂いは無くならない。


(せっかくランベールが用意してくれたドレスだったのに)


 魔法で作ったものだからランベールに頼めば何度でも作り出してくれるのかもしれないが、それでも大切な人が用意してくれた物を汚されると悲しい。

 汚れの範囲を確認しようと少し体を起こそうとするが、窓を開け終わったチャーミング王子が私に覆い被さるようにして妨害してくる。


「あの……?」

「ドレス、脱いでしまいましょうか。せっかく綺麗だったのに、こんなに早くに脱がせる事になるとは残念だ」


 その言葉を聞いた瞬間、脳内に警報音が鳴り響いた。それと同時にドレスの背中に通されているリボンの結びが解かれて、足からはガラスの靴が脱がされる。

 

 ──聞いてない。シンデレラにこんな急展開があるなんて、聞いてない!


「──やッ! 離してください!」

「そう警戒しなくたって、ただ汚れたドレスを脱ぐだけですよ。私が信じられませんか?」


 信じられない。ただ脱ぐだけなら、王子が手ずから脱がせなくとも使用人を呼んでくれればいい話だ。人柄が良さそうで無害そうな見た目をしていたから完全に油断してしまったし、シンデレラのストーリーを知っていたからこそ、私はその筋書きから逃げる事しか考えていなかった。

 バタバタと手足を動かして抵抗するが、私の細腕では本気になった男性に敵うわけがない。

 

「では、こんな格好ですが言わせてもらいますね。私の花嫁は貴女に決めたのです。だからお名前を教えてください」

「どうし……」

「その清らかさ漂う美しさに一目惚れしました。どうか私に、貴女を愛する権利をください」


 チャーミング王子の唇が頸に触れた瞬間、私は全力で叫んだ。


「──ランベールッ!」


 面倒くさがり屋の彼が助けてくれるとは思えない。そもそもここから呼んだって聞こえる訳が無い。それでも私が助けを求められる存在は彼しか居なかったし……こういう事をするのなら、その相手は──ランベールが良かった。


 あぁ私、ランベールを「大切な人」と思っていたけど。この感情は「好き」だったんだ。


 そんな大事なことに今更気がつくなんて……。


「やだ、ランベール助けて……!」

「そんな数百年前の魔法使いの名前なんて、呼んだってどうにもなりませんよ」


 どういう意味なのか分からない。私にとってランベールはドアマットだけど、今を生きている自称人間の魔法使いで……。


 そこまで考えたところでハッとした。……そうだ、私は魔法使い。ランベールから教えてもらった魔法がある!

 私は咄嗟に透明になる魔法を使用して、姿を隠した。この魔法なら、魔法の使えない人間であれば私の姿は見えないし、触れることも出来ない。チャーミング王子の拘束をすり抜けるようにして、静かにベッドから降りる。


「──!? 魔法使いか……どちらに隠れたのですか?」


 どうやらチャーミング王子は完全に私を見失ったらしい。小さく舌打ちして、私から脱がせたガラスの靴を持ち立ち上がる。


(この隙に逃げなきゃ!)


 私は姿を隠したままキョロキョロと辺りを伺う。ドアは開閉すると出入りがバレてしまいそうだが、幸いバルコニーに通じた窓が全開になっている。私はそこからバルコニーに出て……下を見て、ゴクリと唾を飲み込む。ここは地上5階。この高さから飛び降りたら死ぬ。


(……いや、このままシンデレラになるくらいなら、いっそ死んだ方がマシかも)


 そんな最悪の考えも脳内をチラついたが、首を横に振って自分の考えを否定した。そして深く息を吸って──吐いて。覚悟を決めて、バルコニーの柵に裸足で足をかける。


「……魔法はイメージすれば何でも叶う、だからこそ『魔法』なのよ」


 私は柵を蹴って宙に飛び出した。どうかそのまま宙を歩かせて!! ──と思うのだが、当然私の体は重力に従って落ちてゆく。


(嘘おぉぉぉおッ!?)


 当たり前である。だって宙を歩いた事など無いのだから、宙を歩くイメージなんて上手く出来ないのだ。

 地面にぶつかる!!──と思い目を瞑った所で、私の体はポカポカとした温かい春の陽気のような風に包まれた。

 

「ランベール!」

「使った事の無い魔法を過信するな。今のは私が居なければ死んでいたぞ。全く……紋章が反応したから来てみれは、これは何事だ?」

 

 風に包まれた私はストンと地面に降ろされる。私の左手薬指が光っていたのでよく見てみれば、指に巻き付くようにして金色の古代語が浮かび上がっていた。

 

「それは命に関する危機が訪れた際に、強制的に私をその場に呼び寄せる紋章だ。つまり、本当に危なかったのだぞ?」


 ランベールから感じられるのは強い怒りだった。


「それに、どうして衣服が乱れている?」

「これは……」

 

 ランベールに会えた安心感と、先程までの恐怖がグチャ混ぜになって涙が溢れる。嗚咽を漏らす私の様子を見たランベールは深く溜息を吐き、私をローブの中に隠すように抱きしめて「成程、私が悪かった。可愛くしすぎたな」と何故か謝った。


「ランベール、私本当は舞踏会なんて来たくなかったし、王子の婚約者になんてなりたく無い! ずっとランベールと二人で、楽しく魔法の練習をして過ごしていたいの」


 彼の胸元から顔を上げて、必死で頼み込む。


「確かに私ならそれを叶えてやれる。しかしリエラは住まいも身分も、玉の輿に乗る可能性も、全て捨てる事になるが……」

「それでいい! お願いランベール……私、貴方と一緒に居る時間が何より大切で。……貴方が好きなの」


 私が想いを告げた瞬間。「そこまでだ」とチャーミング王子の低い声が響いた。ハッとしてランベールのローブの中から振り返ると、王子が腰に下げた剣のグリップを握り締め立っていた。


「大魔法使い、かつて宮廷魔導士だったランベール・リナルド。史実上約300年前に処刑された事になっているが、生きていたのか」

「おかげ様で。お前の先祖が私をドアマットになんて封印してくれたおかげで、随分と長生き出来た。まぁ面倒くさくて、殆どドアマットとして怠惰に寝転がり生きるだけだったが」


 おかげでドアマットを魔法で修復し続けれる限りは永遠の命だ──と続けるランベールは、私を抱く力を強くする。


「何故封印されているのに自由に動ける?」

「お前の先祖は私を役立たずにしようと足蹴にできるドアマットに封印したのだろうが。残念ながらアカンサスの紋様は私の家紋なんだ。おかげでドアマット自体を自由自在に動かせて全く不便無かったよ」


 そういえばランベールのローブの襟元の模様と、ドアマットの柄は同じアカンサスの模様だった。


「封印は意味を成して無いのか……しかし、その女性は返して貰おう。彼女は、私の妃になるんだ」

「……嫌だと言ったら、王子サマはどうするんだ?」


 その瞬間、チャーミング王子は剣を抜きこちらに向かって駆ける。動揺で震えてしまう私とは対照的にランベールは微動だにせず、ただ『退け』と一言発した。すると、それだけで王子の体は後方に吹き飛んでいき──バンッ! と背中から建物の柱にぶつかり地面に崩れてしまう。


「この程度か、全く話にならん。久々に竜でも召喚しようかと思ったのに……こんな輩にリエラは渡せん。300年後に出直して来い」

「リエラ……? リエラッ!!」


 私の名前を得たチャーミング王子が、体を起こしながら私の名を必死に叫ぶが。ランベールは私を横抱きにして、トンッと地面を蹴り宙に浮かぶ。


「リエラ、覚えておけ。これが宙に浮く感覚だ」

「え?」


 急に魔法の指導をされ始めてキョトンとしてしまう私だったが、次のランベールの言葉を聞いて……今度は嬉しさから涙が溢れる。


「ずっと私と二人で、楽しく魔法の練習をして過ごし生きるのだろう?」


 ◇◇◇


 

 とある森の奥に、魔法使いの男女が住んでいるという。運が良ければ大層美人な女の魔法使いに出会えるが、その姿を見てしまったが最後。魔王のような男に消し屑にされてしまうらしい。


「でも少しやり過ぎではないかしら?」


 魔法で編み上げられた上品かつシンプルなドレスを身に纏った私は、実質的に夫となったランベールのローブを指先で摘む。その手は魔法でよく手入れされ傷一つ無い。


「私の愛するリエラ目当てで集まる男なんて皆炭になればいいんだ。リエラの願い通り静かに二人きりで暮らしたいのに、邪魔するやつは許さん」


 ランベールは私の頬に一つ口付けを落とす。


 私の大きな願いは全て叶った。

 森の奥に建てられた、普通の庶民が暮らすような一軒家。そこで目立たないよう静かに、愛する人と共に過ごす。魔法があるから衣食住に困る事は無い。無理に笑顔を貼り付けなくていい。理不尽に打たれる事もない。特別に何かが起こるわけではないが、ゆったりとした理想の毎日を過ごせて私は幸せだった。

 

 ──魔法はイメージすれば何でも叶う、だからこそ『魔法』なのだ。


 いつの日かランベールが言った言葉を思い出す。だから私は、ランベールと生きる未来を想像し、これから先も願い続ける。


「私なんて初めてリエラに魔法で洗ってもらった時から好ましく思っていたのに。後から出てきた男になんて、姿を見せてやる必要も無い」

「じゃあ私を舞踏会になんて行かせなきゃ良かったのよ」


 つい何年も前の出来事を思い出して、私は拗ねるようにしてランベールから顔を背ける。そもそも私目当てで森に入ってくる人間がいるのは「チャーミング王子の求婚を退けた美人の魔法使い」という異名がついてしまったせいだ。


「あれは……すまない。好きな女を綺麗に飾って一緒に踊りたかっただけなんだ。目立つのが嫌いなリエラがまさか本当に行くと言うとは思わなくて……」


 ──行きたくないと、私に縋り付いて甘えて欲しかった。


 そう白状するランベールが……顔に似合わず可愛く思えて。私は不貞腐れた顔をフッと緩めて──愛する人に口付ける為に、背伸びをしたのだった。

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