転がる、坂
仕事の行き帰りに、必ず通らなければいけない道がある。
そこは坂道で、上がった先にある車通りの多い県道を渡らなければ家に帰れない。
厳密には他の道もあるのだが、その坂道を通らなければかなりの遠回りになるのだ。
仕事で疲れた身体には辛い。
だからその坂道を通るのが、私の帰り道の決まりだった。
昼間の暑さが残る真夏の夜。
普段通りの道を歩いて帰り、件の坂道にたどり着いたところで何かイヤな雰囲気を感じ取る。
ふと、坂の上を見上げるとなにかが見えた。
箸を手で転がしたかのような勢いで、青白くて長い物が坂道の上から転がってきたのだ。
付け根部分からちぎれた、赤いハイヒールを履いた脚だった。
「ヒッ!」
明らかに異様な光景に思わず声を上げてしまう。
私は昔から霊感が強く、人には見えないものや聞こえないものが私には見えたり聞こえる事があった。
だけど、こんなにハッキリと見えたのは初めてだ。
動くことをできずに立ちすくんでいると、転がってきた脚は私の足元まで来たところでスッと消えた。
私はジメッとした暑さの中に薄ら寒さを感じながら帰宅の途に就いた。
翌日の夜の帰り道、再び同じ坂道まで来た。
ここを通らなければいけないので仕方がなかった。
坂の下から上を見上げると、また何かが転がってきた。
また、脚だった。
予想していた事もあって今度は落ち着いている。
脚は私の足元まで転がってくると、またスッと消えていった。
翌日、同じ坂道。
今度は腕が転がってきた。
右腕だ。
足元まで転がってきた腕は、脚と同じようにスッと消えていった。
次の日、また腕だった。
今度は左腕だ。
今まで転がってきたのは脚が2本、腕も2本。
明日は何が転がって来るのだろうか。
次の日、転がって来たのは胴体だった。
胴体だけだ。
何故か首から上は存在しなかった。
白い夏物のワンピースを身につけた女性の胴が転がってくる様は、脚や腕と違った怖さがあった。
ゴロゴロと転がってきた胴は、いつもと同じく私の足元で消えた。
明日また何かが転がって来るとしたら、残りは1つしかないだろう。
次の日もまた、同じ坂道まで来た。
今の私は怖さ半分、興味半分。
坂の下からいつもと同じく坂道の上を見た。
転がってくるのは、長い髪の毛のようなものを生やした丸みを帯びた何か。
生首だ。
ゴロゴロと転がってきたそれは私の足元で止まると、普段とは違いすぐには消えなかった。
髪の毛の間から見える血走った眼と視線がかち合った。
冷や汗が背中を滴っていく。
生首の口がゆっくりと開き、うめき声を上げた。
そして、ゾッとするような金切り声で何かを喋り始める。
「づぎはああああ……!」
次って?
なんだか私は怖くなって、続きを聞くまいと耳を塞ぎ急いで坂を駆け上った。
脚と腕に頭。
もう、転がって来るものはないはず。
疲れた身体で帰り道を遠回りするのは億劫だった。
意を決して、翌日の帰り道も同じ坂道を通る事にした。
坂道の下まで来て、少しホッとした。
上を見ても、何かが転がってくる気配はなかった。
楽な気持ちで、坂を歩いて登る。
上まで来ると、目の前は大きな県道。
いつも通り車通りの多い、明るい道路に安心する。
ふと、路肩に供えてある花が目に入った。
日にちが経っているようで、もうすっかり萎れてしまっている。
私は特に気にもとめず、後ろを振り返り坂を見下ろした。
「なあんだ、『次は』だなんて。何も起こらないじゃ――」
思わず出た独り言が、大きな音に阻まれる。
車のクラクションとブレーキ音。
振り返ると、ハンドル操作が狂ったような動きをした大型トラックが目の前に迫っていた。
避けるまもなかった。
激しい衝撃が私を襲い、強くふっとばされる。
アドレナリンが出ているのだろうか、全てがスローモーションに感じる。
私の腕が、脚が、眼前を飛んでいく。
どうやら衝撃でちぎれたらしい。
地面に頭が衝突した。
胴体を置いて頭だけで坂道を転がり落ち、1番下まで来たところで止まる。
意識が薄れていく。
「お前だ」
あの生首の声が、すぐそばで聞こえた気がした。