幻影
"マドンナ"桜庭の死は学校を大きく揺るがせた。
建前上は不慮の事故死となっているが。
桜庭が男を刺したというのは、どうやら正当防衛として処理されている。
そして、それから2週間、俺は学校に行っていない。
家の部屋に閉じ籠り、ただただ時間を殺していた。
こんな時でも何かを食わなきゃいけないのが情けなかった。
適当なカップ麺に湯を注ぎ、蓋をする。
3分後に、味を感じない麺を啜る。
ただ、それだけ。
何もしたくない。
何も考えたくない。
全てが嘘だと思いたい。
悪い夢だと思いたい。
今すぐに寝て起きたくない。
自分の中であいつがここまで大きいウエイトを占めていたのは驚いた。
そんな事にいま気づいた所で、もう何も出来ない。
"もぉー、急に休むから死んだかと思ったじゃん。なーんだ。全然元気だね。ははぁ。さてはズル休みかな? 悪い子だなぁ"
"ふふふ……この私の家に行く口実が出来てよかったねぇ"
"もう‼キミはいつでも私に付いていくって言ったでしょ‼"
何気ない桜庭の言葉が何度も頭の中を跳ね回る。
「桜庭……」
辛うじて形となったうめき声は、
行き場も無く溶けて行く。
そう思った時だった。
「呼んだ?」
屈託のないいつもの声が部屋に響く。
またしても、脳の処理が追い付かなかった。
「……? ……??……誰だ?」
「今呼んだのはキミだよ?」
冗談じゃない。
「今お前はどこにいるんだ? お前は、この前……」
「キミは鈍感なだけじゃなくて物覚えも悪いのかな? 2週間前に、"直ぐ会える"って言ったのに」
少し不貞腐れるような声が木霊する。
「なぁ。お前はなんなんだ? お前は本当は何なんだ?」
「しょうがないなぁ。じゃあ見せてあげる。私の、本当の姿を」
そして、桜庭は現れた。
淡い、幻のような、影のような姿で。
ほのかに、花の香りを匂わせて。
春に見つけた、幻影そのものの姿で。
雪の結晶の耳飾りを、煌めかせて。
「桜庭……? 何で……」
人間というのは大切な時にまともに動けないようだ。
「桜庭……? 何でお前が……?」
まず湧いてでた疑問がそれだった。
「まぁまぁ。さて、私が死にかけの時にキミに大ヒントを出したクイズの答え合わせだよ。まぁ、前からこの姿でキミの目の前でチラついたりしてたけど、キミは気づかなかったかな? 見覚えはあると思うけど。私は御使いで、キミも御使い。この世に残るのは、1人。キミは生きている。つまり?」
桜庭が答えを誘うように問いかける。
「桜庭……お前が元々……?」
「元々?」
「どういう……」
桜庭の最期が鮮明に蘇る。
“あの時、見つけてくれて、灯火になってくれてありがとう”
そして古い記憶が再び蘇る。
2週間前に、桜庭に教えた記憶が。
“わたしの、灯火になって”
“わたしを見つけて”
「見つけてくれて、ありがとう」
桜庭が耳元で囁く。
さらに。
『この姿でキミの目の前でチラついた』
今目の前にいるのは、春に俺の前から走り去った、この前耳の髪飾りを煌めかさていた幻影の姿だった。
でも。
これだけの条件が揃っても、俺はまだ否定したかった。
「だけど。お前は俺の前では生身の人間と変わりなかった」
「んー、それを説明するには少し私の生い立ちの説明が必要だね。1つ質問しても良い?」
「…………質問による。今の状況さえ俺はまだ呑み込めていないからな。何だ?」
「キミのおばあさんって、その……亡くなったでしょ? キミが御使いなら、花崎家の先代御使いは多分キミのおばあさんかひいおばあさん。だからそのことを詳しく知っているはず。で、質問なんだけど……キミのおばあさんって……幻影になってるでしょう?」
「……なってはいる。でもどうした?」
「あの人から話してもらう。私の口から説明するより、あの人の方が詳しい」
「……何で俺のばあちゃんをお前が知ってるんだ?」
俺が桜庭と会ったことがあるかはともかく、ばあちゃんとの接点は一切無かったはずだ。
「それは、あの人に教えてもらうよ」
「そうか」
もうそれしか言えなかった。
理解の限度を超えている。
俺達は、俺のばあちゃんの元に向かった。
「ここだ。……ばあちゃん、いるのか?」
以前に一度だけ話した。
いや、何かを呟いていた。
でも、会いたくない。
真実を知るのが、怖い。
桜庭が何者なのかを知るのが、怖い。
それでも。
世界は俺に呼びかける。
目を背けるな。
真実を知れ。
恐れるな。
逃げるな。
残酷なようだが、今の俺には一番必要かもしれない。
「久しぶりね、悠。どうしたの?」
そして、ばあちゃんは現れた。
桜庭と同じ、淡い幻のような、影のような姿で。
「お久しぶりです、花崎 祥奈さん。私のことを、覚えていますか?」
やっぱり知り合いなのか?
でもやはりその話は一度も聞いたことがない。
「……もちろん、覚えているわよ。忘れられる訳が無い。桜庭 舞子さんでしょう? 大きくなったわね」
「はい。そうです。……今日、あなたのお孫さんに、本当のことを話したいと思ってここに来ました」
「……そうね。何から話しましょう。取り敢えず……」
「御使いの歴史と、私の生い立ちから」
「それが良いでしょう。じゃあ悠、心して聞いて」
そして、2人の口から語られた。
御使いの歴史が。
ばあちゃんが先に口を開いた。
「精霊の御使いは1663年、江戸時代の寛文の時に突如として天から現れたそうなの。記録によると、『我は天上から降りし精霊の使い也 この世に留められし魂が残す幻影を天に送る又は世に引き戻すことが使命』と言った。多分"天に送る"というのは、あなた達が行っていたことで、"世に引き戻す"というのは生命の譲渡のこと。本来の命の譲渡は寿命が半分になって相手の寿命も60年しか伸びない。だけど、この初代御使いが1670年に行ったのが完全な生命の譲渡で、後に『完璧な秘術』と呼ばれるようになった。普通の譲渡だけでも方法・条件が廃れていたのに、完璧な譲渡なんてなおさらだったから。後でその条件を説明する。で、御使いの家系の分家の内1家系が代々御使いを『報復』って称して殺そうとしている理由。それも御使いの家系が2つある理由に関わってくるんだけど、どう思う? 悠」
突然の質問。
「……分からないよ」
「そうかい。じゃあ教えてあげよう。初代の御使いは人間の女性と婚姻して子供を2人、男の子と女の子を授かった。それも精霊の祝福付きで。御使いの力は強大だが、本来は体への負担が大きくて必ず副作用が出る。御使いの家系は祝福の力によってこの副作用が体に来ないようになっている。悠も、舞子さんもね。御使いの2人の子はそれぞれ家庭を持った。それが桜庭家と花崎家だ。だが、その時父親、つまり初代に言われたことがある。『祝福の力はこの家系に永続されるであろう だが、祝福を受けられない"穢れの血を持つ者"と交われば、その者の子への祝福は解けるであろう』とね。それで、桜庭家と花崎家の伴侶に、『交わってはいけない者』が選ばれなくなった、という訳だ。それで……「抄奈さん。」
急に、桜庭がばあちゃんの話を遮った。
「少し、彼と2人で話したいことがあります。いいですか?」
何だ?
ばあちゃんも少し驚いたようだが、
「いいわよ。じゃあ少しの間どこかで消えてるわね」
と言い、どこかへゆっくりと去って行った。
「少しの間、2人きりで話したいことがあるんだけど……いい?」
「ああ。何だ?」
「精霊の御使いっていうのは、血を引く者全てがなるんじゃないの。『御使いの因子』と言われるものを体内に宿した者が何らかのきっかけで発現して初めて御使いと見なされる。その御使いの因子は、親子3代の内の誰かに現れる。桜庭家ではそれが私だったの。御使いの家系には、『分家』があるって言ったでしょ? その分家が出来た理由。そして、分家が私達を恨んでいる理由。さっき祥奈さんが言ってた、初代御使いの遺言って言うのには続きがあってね。後半は予言みたいになっているの。『祝福の力はこの家系に永続されるであろう だが、祝福を受けられない"穢れの血を持つ者"と交われば、その者の子への祝福は解けるであろう ただし、その後婚姻の儀を上げるまで、他人を"名"を使って呼ぶことなかれ この後、その禁を破る者が現れる その者、"穢れの血を持つ者"の名を呼び、交わるであろう』ってね。その後、順調に2家は栄えていたんだけど、ある時にどちらかの家系に双子が生まれた。両方に御使いの因子が現れたから、家主は困惑したんだよ。御使いは3代の内に絶対に1人しか生まれないはずだから。そして苦心の末、初代の予言を片方に伝えないことにしたんだよ。そうして、御使いの因子を持つ2人はすくすく育っていった。そして、片方は人の名前を決して言わず、片方は呼んだ。そして、呼んだ方の子は、精霊からの祝福を授かれなかった。2週間前に会った分家の人が言ってたでしょ? 『この身長のことかい? これも君達の、いや君達のご先祖様のせいなんだよ?』って。これが、体への副作用。身長がある一定のところで止まったり、腕が突然落ちたり、失明したり。分家の人々が予言のことを知って、心の底から怒っただろうね。これが、分家が本家を憎む理由。そして、ここからが本題。」
桜庭がこちらを真っ直ぐに見据える。
「もう分かってるでしょ?」
ああ分かっている。
でも。
「私は」
やめてくれ。
言わないでくれ。
認めないでくれ。
そんな、虚しい願いも叶わず、桜庭は現実を突きつける。
「私は、もう死んでいる。元々。キミと、あの春に出会う前から。元々、魂だけの存在だったの」
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「嘘だ‼」
思わず大きい叫びが口から飛び出す。
「本当なの‼」
「じゃあ何でだ? 何でお前は死んでいるのに身体があった?」
「御使いっていうのは、他人に命を譲り渡しても平然と生きていられるほど生命力が高い。私が11年前に死んだ後、私は御使いの因子が発現して、仮初の身体を持てるようになったの。でも魂は死んでいる。2週間前に言ったでしょ?『私の、この身体が死んでも何も変わらない』って。私にとって、この身体は操り人形と同じ。だから、いくら壊れても、いくらでも出せる。だけど、私の魂がこの世から消えたら、私が生きていたっていう痕跡は全て消えて、人々からも忘れ去られる。だから、いくら私が身体を保っても、もう意味が無いの。覚えているのは、他の幻影と御使いだけだから。2週間前に私が身体を作り直さなかったのも、そのせい。そして、私がこんなことになった理由。聞きたい?」
聞くしかない。
他の返答は、世界に赦されないだろう。
「…………ああ」
「私が生まれて御使いの因子があるって分かった途端、私は突然大切にされるようになった。当然だよね。だって御使いの血が途絶えちゃ困るから。広い部屋をあてがわれて、扉には警備が付いて、学校に行くときは運転手と護衛付きの車。料理は完璧な栄養バランスの薬膳みたいな物が専用コックに調理されて出てくる。まぁ薬膳と違って美味しかったけど。いる物や欲しい物は全て調達されたし、凄くめぐまれていたと思う。でもね。全然楽しくなかった。基本的に部屋から出ることはできなかったし、学校以外で外出なんて許される訳が無い。贅沢言うなって言われそうだけど、同じ生活をしたら分かるよ。小さい時はまだ良かったよ。まだ何も知らなかったから。でもね。6歳の時に夜にふと起きたことがあるんだけど、その時に聞こえたの。お父さんとお母さんが、話してるのが。『あいつが因子持ちなら、今の内に機嫌を取っておけば問題ないだろう』って。私は、自分が大切にされていると思っていたから、その生活も甘んじて受け入れていた。でも、お父さんとお母さんにとって大切だったのは、私の中の因子だけだったの。享葉君と同じ。もう嫌になっちゃって。1度だけ、家の外にどうしても遊びに行きたかった。だからね、家を抜け出すことにしたの。私が行ってた学校も当然のように上流階級向けだったんだよね。それで、友達に警備会社の社長の1人娘がいた。その子に手伝ってもらうことにしたんだよ。そして、決行の日。途中まで上手く行ったんだけど、最後の最後であなたのおばあさん、祥奈さんに見つかったの。同じ御使いで、とても詳しかったからしょっちゅう呼ばれていたらしいんだよね。でね、見つかっちゃって、もうダメだって思ったらね。祥奈さんは『行きなさい。今しか出来ないことも、あるんだから』って優しく言って見逃してくれたの。そして、私は生まれて初めて1人で家の外に出た。その時は冒険しているみたいですっごくウキウキしてたんだよ。でも。家を出てすぐ、私はあの男の車に轢かれて死んだ。そして。私も幻影になった。祥奈さんは私を見殺しにしたという認識で桜庭家を追い出され、二度と敷居をまたぐことが許されなかった」
誰の車だったかは、言われなくとも分かった。
2週間前にも桜庭を、いや桜庭の身体を"殺した"男だろう。
そして、ばあちゃんが、桜庭が幻影になった理由も何となくの想像はついた。
ばあちゃんは、桜庭を殺してしまったからだ。自分の独断で。危険があると分かっていながら私情に負けて、桜庭を外に出してしまったからだ。
桜庭は、自分の身勝手のせいで桜庭家とばあちゃんの人生を狂わせてしまったからだ。
でも。
ばあちゃんは。
その時に最善だと。
良いと判断してそうなってしまった。
過保護と放置の危険性は、同じくらい高いのかも知れない。
そして、そのことをばあちゃんは知っていたのかも知れない。
優しさが、桜庭の命を奪った。
世界の残酷さを、嫌でも痛感するしかなかった。
「私は世界に囚われたまま、この世をさまよう幻と影だけの存在になった。知ってる? 幻影になったら、寄り添ってくれる人がいないと凄く暗いんだよ。私はずっと暗闇の中で泣いてたの。でも。そこで見つけてくれたのが。寄り添ってくれたのが。キミだった。私はずっと前からキミのことを知ってたんだよ。10年前の、あの日から。暗闇を照らしてくれたのは、誰にも見つけてもらえない私を見つけてくれたのは、キミだった。キミの、『どうしたの?』っていう言葉は、私にとって灯火だった。暗闇を照らしてくれる、灯火だった。だから、本当に、本当にありがとう。10年前の私を見つけてくれて」
純粋な、純粋な言葉だった。
でも、俺には返す言葉が見つからなかった。
「あっそうそう。で、その後結局6年間は、暗闇の中で幻影として過ごした。その後何もないのに、自分の未練が何か分からないまま。そして4年前、私の中の御使いの因子が発現した。そうしたら、急に意識が朦朧として、気が付いたら知らない天井があった。周りを見たら病院の病室っぽい所だった。まぁ少なくともあの世じゃないことは確かだな、なんて考えてたなぁ。ちょっとしたら看護婦さんみたいな人がやって来て、私が目を覚ましているのに気が付いたら大慌てで駆け出して行って。しばらくしたら、大分やつれたお父さんと思ったより老けたお母さんが駆け込んで来て、唐突に抱き着かれた。『あんた10年前の事故からずっと眠ってたんだよ。よく生きててくれたね』って泣きながら言われて、思わず私も泣いちゃった。でも、やっぱりおかしいと思ったんだ。だからね。祥奈さんの元を訪れたの。そうしたら、初代の御使いはもう1つ予言をしたって言われた。それは、『いずれ世に御使いと幻影の両の使命を持つ者現れん かの者の魂天上に還るとき、全てが元に戻らん』っていう言葉だった。そこで、私の魂が昇ったら、世界が元に、本当の世界に戻ってしまうことに気付いた。やっぱり、私は死んでたの。私は何も、残せずにこの世からいなくなるだけなの。覚えているのは、御使いだけだから。そして、『結婚する人が決まるまで人を名前で呼ばない』っていう掟はまだ桜庭家には残っている。……私はもう幼い頃からそれを叩きこまれている。1回死んだのに、それでも私は掟を破れない。キミを名前で呼びたいよ。キミのその名前を叫びたいよ。でも……出来ないの。キミも私も御使いの家系だから、キミを伴侶には出来ない。だから、キミの名前を呼ぶことは、出来ないんだよ。馬鹿馬鹿しい話だけど、私の心は今でも家の掟に縛られているの」
『私は伴侶として認めた者以外は名前では呼べないという鉄の掟で縛られているからね』
馬鹿らしいと流していた。
桜庭が勝手に自分で決めていると思っていた。
でも。
桜庭は今でも。
1度死んでも。
それでもその柵に縛られているんだ。
「……ねぇ、もし私が天に戻っても、世界が私のことを忘れ去っても、キミは、私のことを、覚えていてくれる?」
いつの間にか桜庭は目を潤ませながら、俺にそう問いかけていた。
ここで俺が答えるのは、1つだ。
「ああ。もちろんだ。俺が死ぬまで、絶対に忘れない」
「ふふっ、ありがとう‼」
桜庭は、あの日と、6年前と全く変わらない、満面の笑顔で言った。
そして。
「ねぇ。私のこと、好き?」
何の捻りも、誤魔化しも無い真っ直ぐな質問だった。
「……お前はどうなんだ?」
「おや。質問に質問で返すとはねぇ」
「いいから」
そして、桜庭はゆっくりと言った。
「私は、キミが、好きだよ」
突然耳元でそう囁かれ、顔が燃えるように熱くなった。
「……嘘だろ」
苦し紛れに、
誤魔化すようにそう言った。
「嘘だよ」
「だろうな」
「……嘘だよ」
「そこまで強調せんでもわかるわ」
「ふ~ん、本当かなぁ。じゃあキミは? 私に聞いておいて、黙秘権は無いぞ」
まぁそう来るとは予想できた。
「……嫌いではないな。今は」
「煮え切らない答えだなぁ。って言うか今は‼? 今はって何‼?」
「あーうるさい。そういう所だよ全く」
「あはは、ごめんごめん。じゃあ、祥奈さんの所に戻るか」
「そうだな」
「あ、そうだ」
「ん? 何だ?」
「2週間前に仕留めそこなった分家の人、死んだとは思うけど生きてるかもしれないから気を付けてね」
「マジかよ……」
光が地平線を貫き始めていた。




