騎士団長の息子5
王族の中で一番割を食ったのは当時の王太子だろう。
「黒衣の王太子」と言われたエドワード王太子殿下。
現国王陛下の父君にして、第一王子エドワード殿下の祖父にあたられる方。カリスマ的存在のエマヌーレ国王の影に隠れて存在感が希薄な方だったと聞く。けれどその政治手腕は父君よりも遥かに優れていた。エマヌーレ国王の業績の半分以上はエドワード王太子の実績だとも言われている。終生表に出ることなく裏で国を支え続けたお方だ。エマヌーレ国王の忠臣たちも実質はエドワード王太子に忠誠を誓っていたとも。父王のせいで亡くなった者達のために死ぬまで喪に服していた。
そんな王太子は即位する(あるいは「王位に就く」)ことなく病死した。
我が国にとって大変な痛手であったことは想像できる。
貴族達は二度と同じ過ちを犯さないために、自分達の後継者を厳しく教育する事を王太子の棺に誓った。
ここまで聞けばいい話で終わっただろう。
ただ、貴族たちの後継者教育は苛烈を極めた。「出来ない」ことは決して許されなかった。子供達は反発する者と染まる者とで分かれたのも当然だった。家に染まり切り従順に育つ過程で精神に異常をきたす者も出てきた。上手く苛烈なスパルタ教育に耐えてエリートとして活躍しても弊害はあった。仕事は出来ても人としての情緒が成長しきれていない者が多くいた。こういった傾向は王族や高位貴族に特に顕著だった。
私の父上もこのタイプだ。
絵に描いたような優等生であった父上は両親や一族の期待を一身に受けて成長し、優秀な「軍人」に、素晴らしい「忠臣」に成った。
学生時代のあだ名は「ブリキの兵隊」である。
ある意味、的を射ていた。
当時から優秀な人材であったものの表情筋が全く仕事をしておらず、なまじ長身で鼻筋の通った中性的な美貌だったことから「人形」のようだと揶揄されたのだ。父上に言わせると、貴族社会は表情一つで相手が何を思い考えているかを把握されてしまうための処置らしいが、あれはどう考えても過酷すぎる教育のせいだった。




