龍の子孫とメダルの物語
第8章/再びシンドローネへ。
すっかり陽も高くなり、僅かに生き残った村の者たちは勉学所に大半が集まっていた。
誰もが昨日の恐怖に囚われ、咽び泣く者もいたし、泣かずとも下を向いている者の瞳は暗い色で沈んでいた。
足取り重くアルスが勉学所に入ると、1人のヒューマンが近づいてきた。
「ア、アルス…、マギーを見なかったか…」
マギーの父親だった。
アルスは彼の顔を見るなり、瞳から大粒の涙を流し出した。そしてそのまま、震える手で
彼の眼前に、先ほど広場で拾ったマギーのペンダントヘッドを差し出した。
マギーの父親は、それを手に取り胸の前で握りしめながら、声なき号泣を発した。その場で膝をつき、目から鼻から口から、涙とも鼻水とも涎ともくくれない体液を大量に発しながら、声も出さないまま泣き崩れた。
バスチェはその光景を見ながら、アルスには持たせずに布に包んで持ってきたマギーの腕の一部を、泣き崩れるマギーの父親の前に差し出した。
彼はそれもマギーのものと認識すると、懐に抱え込み抱きしめて、更に泣いた。
そんな悲壮な光景の端に、スヴェンソンがやって来た。そしてアルスの後ろに佇むバスチェに、こっちに来るよう目配せをした。
勉学所の外で、バスチェはスヴェンソンと対した。
「どうやら、黒龍は東に飛び去ったようです。匂いを追って飛んでいるフェアリスの情報から、行き先はシンドローネのようです」
「シンドローネ?あの巨大なリザードの…」
「あやつはまだ小物。黒龍がシンドローネの城の、真の主かと」
それを聞いてバスチェは、アルスの許に行き報告しようとしたが、スヴェンソンがバスチェの肩に手を乗せ止めた。
「アルスは、どうですか?」
「?…、かなり怒っているのは伝わるが…」
「今の彼は暴走しそうな予感がします。デガスや恋人が連れ去られ、学友が無残に殺された…、怒りはいつも以上に力を増幅させる。しかし彼はまだその力を制御できないと思われる」
バスチェは、恋人?と疑問は持ったが、些細なことであり、確かに今のアルスの怒りは傍にいても伝わるほどで、力が体内で増幅しているように感じられる、と思っていた。それに…。
「どうしました?」
スヴェンソンがバスチェの瞳をじっと見て聞いてきた。
「アルスの瞳の炎が…」
バスチェは、先ほど見せたアルスの状態をスヴェンソンに伝えた。それを聞いたスヴェンソンは、少し難しい顔をしていたが返答は来なかった。
程なく、アルスが疲れたような風体で足を引きずるようにして外に出て来た。スヴェンソンは、アルスに分かったことを伝えることにした。
「アルス、敵はシンドローネに向かったらしい」
その言葉を聞いた途端、アルスの身体はピンッと伸び、目に力が宿ったようだった。そしてその瞳は、外から見てもわかるほど赤く光り奥で炎がユラユラと揺らめいていた。
「すぐに向かいましょう!」
そう言うとアルスは今にも駆けだしそうな勢いで、東の方向に顔を向けた。
「待ちなさい」
逸るアルスの背中に、スヴェンソンは声を掛けた。
「君もバスチェも、疲れているだろう。それに動くにしてもウォーウルフたちも夜通し駆けてきてきちんと休ませていない。少し休息を取るべきだ」
そう言うスヴェンソンにアルスは食って掛かった。
「じゃあ、デガスやマリアを見捨てるってことですか!」
スヴェンソンを正面から見据えるアルスの目は、今にも奥の炎が飛び出してくるかと思われるほどに勢いを増していた。
「敵は、目的をもって2人を攫った。その目的が達せられるまでは生かしておくでしょう。それに、今の君では、あの黒龍にはとても敵わない」
そう言われたアルスの瞳から、炎の勢いが弱まった。しかしそれは消えるほどではなかった。バスチェもアルスの身体から発せられた衝撃波のような感覚が弱まった感じがした。
「まずは、少しでもいいから休息をとりなさい。疲れ切っている君では、奴の足元にも及ばないでしょう」
確かにその通りだった。手下のリザードが居たとはいえ、村をこれほどの惨状に陥れた奴の力は強大で、今の自分には足元にも及ばないことはわかっていた。だが、何もしないままでいると、デガスやマリアの身が心配でたまらず、体が破裂してしまいそうな気持になった。
一人悶々と佇むアルスを見て、バスチェはカバンから小瓶を取り出した。
「アルス、これを飲むといい。気分が落ち着くから」
そう言われて渡された小瓶の蓋をとり、中の液体をアルスは一気に飲み干した。
その途端、アルスの顔が真っ赤になったかと思うと、その場に倒れるように寝入ってしまった。バスチェがアルスに飲ませたのは、強烈なアルコール酒であるヴィスキーだった。
寝込んだアルスを運ぶバスチェの隣にスヴェンソンはやってきた。
「いいものを持っていましたね」
酒に飲みなれていないアルスは、体が疲れていることもあり一気にアルコールが体内に回り酔いつぶれた、というわけだった。
「まだあるので、後で一緒に楽しみましょう」
アルスを背負いながら、バスチェはスヴェンソンに言い、それを聞いたスヴェンソンはうれしそうな表情をして、勉学所に入っていった。
一夜明けた空は、昨日とはうって変わってどんよりとした曇り空だった。重そうな雲に空は覆われ、いまにも雨が降り出しそうだった。生き残った村の者たちも、その空を見て気分が晴れるはずもなく、言葉も交わさず下を見るばかりだった。
休息をとったウォーウルフたちは元気で、朝日が昇る時間とともに遠吠えを発し、スヴェンソンたちを起こしたのだった。
「さあ、一気にシンドローネまで向かいますか」
スヴェンソンはアルスを起こし、すでに支度を整えていたバスチェとともにウォーカートに乗り込んだ。
「はっ!」
スヴェンソンが手綱を捌くと、一吠えしたウォーウルフたちが一気に駆け出した。アテンザの港から走り出したのと同じ勢いで、ウォーカーとは走り続けた。
バスチェの隣に寄りかかるように座っていたアルスは、昨日のヴィスキーが効いて二日酔いなのか、頭が痛いようだった。目を閉じたまま、時折頭を抱えるようなしぐさを見せながら、揺れるウォーカートの上になんとか留まっているのがやっとの状態だった。
周りの木々も空も流れるような風景を見せながら、ウォーカートはアポリスカの街の脇道を走り抜け、昼過ぎにはアテンザの港にたどり着いた。
着いた途端、スヴェンソンの肩に小さなフェアリスが止まった。昨日着いた時と同じく、フェアリスの手には2枚の乗船券が握られていた。
午後の船便が出ようとしているところだった。
「さあ、急ぎたまえ」
スヴェンソンは、アルスを抱いているバスチェに乗船券を手渡した。
「あなたは来ないのか?スヴェンソン」
バスチェは右手にアルスと自分の荷物、左手にアルスを抱えて言った。
「ああ、ことこうなると息子に伝えておく必要がある」
「息子?あなたに息子がいたのか?」
「そうだ。彼もドラゴノイドなんだよ。きっと役に立つはず」
そう言うスヴェンソンに、バスチェは目を見開いて見つめるだけで言葉が出なかった。
スヴェンソンを港に残し、二日酔いの抜けないアルスとともにバスチェは、再び船でシンドローネに向かった。
スヴェンソンはフィンチのフェアリスを呼び寄せ、足に手紙を括り付けた。何事かをそのフェアリスに伝えると、フィンチのフェアリスは勢いよく空に舞い、東に向かって飛んで行った。
「ジュード。お前の力が必要なんだ」
スヴェンソンは港から離れていく船を見ながら、独り言ちた。
洋上は波があり、シンドローネの港へ向かう規模の船でも揺れながらの航行となった。
二日酔いのアルスは客席に座りながら、体を船が揺れるに任せていたが、時折気持ちが悪くなるようで、その都度態勢を変えて座り続けていた。
バスチェは甲板に出て、時たま飛んでくる波しぶきも構わず、シンドローネの方向を眺めていた。空はどんよりとした雲が続き、今にも雨が降り出しそうな様子だが、前回のような不穏な様相は見て取れなかった。
(黒龍は、アルスの持っているメダルを狙っている。しかし、攫われた2人がそのことを話せば、狙いはアルスとなり、2人は殺されるだろう…。話さない場合は…)
一人思案を巡らすバスチェは、不安な考えを打ち晴らすべく頭を振った。
(もし…、もし、そのような結果になった場合、アルスは…)
バスチェの不安は、攫われた2人の命もそうだが、暴走してしまった場合のアルスの状況がどうなるか、その部分も大きかった。そうなった場合、自分1人で止められるのか…、不安に不安が重なって、気持ちが沈んでいくのを感じていた。
曇り空でいつもよりも空が暗くなるのが早いようだった。夕方にはシンドローネに着く予定だが、その後は、アルスの様子にもよるが、すぐにでも例の黒い城に乗り込むべきだろう。
そう考え、バスチェは自分の席に戻った。アルスは、落ち着いたようで軽い寝息を立てていた。
アルスの頭に手を添え、2人の無事を願うとともに、黒龍への怒りを新たにした。
あと少しでシンドローネに着く頃合いになり、そろそろアルスを起こした方が良さそうな時間となった。バスチェは、アルスの頭を軽く、ポンポンと叩いた。
アルスを起こし、シンドローネの港に降り立った。
そこにフィンチのフェアリスが飛んできて、バスチェの肩に止まった。
どうやら手紙を咥えているようだった。アルスはフェアリスから手紙を受け取り、中を読んでみた。その中身はジュードからのものだった。
「ジュード…、青のドラゴノイドか」
バスチェは自分を知っているドラゴノイドを思い出していた。
「バスチェさん!ジュードさんは、スヴェンソンさんの子供だ」
驚いてアルスを見るバスチェに、アルスは手紙の中身を読み聞かせた。
〈親父スヴェンソンから話は聞いている。根性無しの故郷が大変なことになったことは同情する。が、黒龍は俺が追っていた敵だ。先に城に向かっている〉
アルスが手紙を読み終わると同時に、バスチェは大きなタイガーに変異した。
「乗れ、アルス。急ごう」
アルスが背に飛び乗ると、バスチェは風のように駆け出した。黒龍の根城である黒の城に向かって。
第9章/黒い城
風のように駆けるバスチェは背にアルスを乗せていることも感じさせないくらい、スピードを落とさずにラウル山への一本道を進んでいった。以前と違い目的地へは見当がついているため、脇目も振らず駆け続けた。
「あ、あそこ…」
バスチェの背にしがみついて前を見ていたアルスは、前方に黒い塊が蠢いているのを見定めた。近づくにつれ、蠢いている黒い塊はワイバーンの群れであること、その群れの下に一人のヒューマンらしき影が見えた。剣を振るって応戦しているようだった。
タイガーのバスチェとアルスは、そのワイバーンの塊に突っ込んだ。同時にアルスはドラゴンダガーを鞘から抜き払い、赤い光に包まれながらワイバーンに切り込んだ。赤い光に触れたワイバーンは、悲鳴を上げながら逃げ出すもの、あるいは体の一部が焼けだすものが現れ、瞬く間に塊は散り散りに分散していった。
「おまえら…」
ドラゴンソードを振り回しワイバーンを切っていたジュードが、バスチェとアルスに気が付いた。塊だったワイバーンの群れは、今や一匹も残っておらず、ラウル山の北方に逃げ去ったようだった。3人の足元には切り刻まれたワイバーンが数頭転がっていた。
ジュードのドラゴンソードは、青い光を発してはいなかった。バスチェはその点が気になり、ジュードに問いかけた。
「ジュード、君のソードはなぜ光らないんだ。光ればアルスのダガー同様、ワイバーンなんぞ物ともしなかったろうに」
手に持っていたドラゴンソードを目の前に出し、バスチェとアルスを見つめてジュードは答えた。
「この先、黒龍野郎と戦うのに無駄な力は使わないためだ。俺くらいになれば、光る光らないは自在なのさ。俺自身の力で操作できる。剣が光るのは大きな威力を発揮するが、同時に自分自身の力も使うことになる。黒野郎を倒す際には全力で臨みたいんでね。そっちの根性無し野郎には、まだ無理な話だろうが」
なるほど、とバスチェは思った。ジュードとアルスの力量には、まだ天と地ほどの差がある。ジュードほどになれば、アルスの暴走しそうな力も抑え込めるということか、と考えた。
「ジュードさん、黒龍は見つかりましたか?」
アルスはジュードの話を胸に秘めながら、彼に問い合わせた。
ドラゴンソードを鞘に納めながら、ジュードはラウル山の壁面を見つめつつ答えた。
「いや、まだ見つかっていない。ただこの山の中に、奴の根城である黒い城があるのはわかっているんだが、入り口が見当たらない」
以前、アルスとバスチェが侵入した際は“隠しの魔法”で入り口が隠されていたが、バスチェの鼻で見つけたのだった。
「バスチェさん、匂いは…」
そういうアルスよりも先に、バスチェは鼻を利かせていた。しかしゾロの時は彼の匂いを記憶してはいたが、黒龍の匂いまでは把握していない。何度か鼻面をあちこちに向けてはみたが、それらしい気配が見当たらなかった。
周辺を見渡してみると、前回入り口のあった付近に違いはなかった。ジュードがワイバーンの群れと戦っていたことも考えると、城の入り口は近いはずだった。が、“隠しの魔法”の場所すら見つけられなかった。
途方に暮れる3人が、ラウル山の壁面に背をつけていると、3人の背中に同時に違和感が走った。
「?…動いているか?」
バスチェが背中に感じた違和感を言葉にした。
「まさか…、山が動いている?…そんな馬鹿な」
そう言うジュードは、いったん山から背を離し、両手を壁面につけてみた。すると微かだが掌に振動が伝わるのを感じた。
「何か…、聞こえる」
山の壁面に耳をつけていたアルスが言った。バスチェとジュードが同時に壁面に耳を当てた。ジュードには確かに音のようなものが聞こえたが、何の音なのかはわからない。しかし耳のいいバスチェはその音をしっかりと聞き取ることができた。
「…、女性の悲鳴のようだ…」
その言葉を耳にするかしないか、アルスの目が真っ赤に燃え上がった。その瞳から出た炎は体全体を覆い、一気に巨大化し真っ赤な龍と化した。
「ま、まずい!」
ジュードはそう言うとバスチェとともにアルスの傍から飛び退いて距離をとった。
「こ、これは…」
ジュードに体を支えられながら、バスチェはつぶやいた。それを聞いたジュードは、赤龍と化したアルスを凝視しながら答えた。
「力の、暴走だ…」
龍と化したアルスの大きく鋭い爪が、ラウル山の壁面に突き刺さった。するとその壁面が大きく揺らぐのを、バスチェとジュードは目の当たりにした。爪がつけた跡から、赤いドロッとした液体が流れだした。
「血、だ…」
鼻のいいバスチェは、その匂いが血液のものだと言った。ということは、どういうことだ?
「ま、まさか…、この山自体が、…奴なのか?」
ジュードは、想像を超える事態に混乱していた。
赤龍のアルスは、両腕の鋭い爪で壁面を切り開いた。その瞬間、大きな揺れが生じ切り開かれた山の壁面の中に、坑道が姿を現した。その坑道はヒューマン一人が通れるくらいの幅と高さだった。赤龍のアルスはその穴を広げようと、更に両腕を坑道に突っ込み押し開こうとした。
「バスチェさん、行くぜ」
そう言うとジュードはアルスの両腕の間をくぐり、坑道の中に入り込んだ。
「アルス!冷静になれ!元に戻って、追って来なさい!」
バスチェはそうアルスに告げると、ジュードに続いて坑道に飛び込んでいった。
赤龍のアルスは、坑道の幅が広がらないことに苛立ってか、天に向かい大きな雄叫びを上げ、口から業火を吐いた。その雄叫びに、山に潜んでいた鳥や獣たちが一斉に反応し逃げ出した。口から吐かれた業火は、山の北方の樹木に火をつけ山火事が起こりだした。アルスはまたも狭い坑道に両腕を入れ、力任せに切り開こうと試みた。しかし、坑道以上の大きさにはならなかった。
坑道を進むバスチェとジュードは、奥の様子を伺いながらも早足で進んで行った。奥からは地響きのようなうめき声が聞こえてきていた。
そのまま進むと、目の前に城の入り口が見えてきた。以前アルスとバスチェが入り込んだ城と同じく、真っ黒な城で城壁に灯りが幾つか点いていた。地響きのような低いうめき声はその城の中から聞こえてきていた。
バスチェとジュードは互いに目くばせをし、城本体の入り口の両側に分かれた。以前のようなリザードやアニマノイドはいなかった。
2人は両サイドから城の中を覗いた。目の先には黒い龍の尾の先が見て取れた。
「やつだ」
ジュードはそう呟くが早いか、一気に中に入り込んだ。中は丸い形状をした大広間のようだった。外壁同様、黒い石で大広間は作り込まれ、その中心にある台座には小さく炎が爆ぜていた。その前に後ろ向きで立っているのが、大きな黒龍だった。ジュードは見えていた尾を避け、黒龍の右側面に回り込んだ。バスチェも遅れてジュードの後に続き、黒龍の左側に位置を取った。
低いうめき声を吐き出しながら、黒龍は侵入者にそれぞれ一瞥をくれた。黒龍の首の一部が切り裂かれたかのように割れ、赤い血が滴り落ちていた。アルスが龍となって爪で付けた傷に違いがなかった。
「ヒューマン、…いやその雰囲気と青い瞳から、貴様はドラゴノイドか。もう1人…いや、一匹はキャットのアニマノイド。このわしの体に傷をつけた者は、どこにいる?貴様等じゃできない芸当だ」
低く重い声音だが、明瞭に聞き取れる言葉だった。
ジュードとバスチェは、互いの剣を鞘から抜き黒龍に対し攻撃の構えを取った。
「シスコ村から連れ去った2人をどうした?」
バスチェは黒龍の威圧感に負けぬよう、心を奮い立たせて言った。気を張っていないと腕や足に震えが走ってしまうほどの圧力を感じていた。
「2人?…メダルを持っているかと思い攫ってきたのだが…。知ってはいたようだが持っていないどころか、どこにあるかすら謳わん…。向こうで部下どもに口を割らせている最中だが、なかなか強情なジジイと雌のヒューマンだ」
その言葉が終わるタイミングで、バスチェは大きなタイガーに変異し黒龍の言った方向に駆け出した。黒龍は駆け出したバスチェめがけて鋭い爪を持つ腕を振り下ろしたが、ジュードがドラゴンソードでその爪を受け止めた。大きな金属音と火花が飛び散り、大広間は一瞬昼間のように明るくなった。
「おい、てめえの相手は俺がしてやる。師匠の敵討ちだ」
そう言うジュードは、ドラゴンソードを軽く撫でた。するとソードの刀身が青い光を発し始めた。
「貴様、青龍か」
そう言うと黒龍は、首の傷を片手で撫でた。すると深かった傷が少しずつふさがっていくのが見えた。
(こ、こいつ自己治癒能力まで…)
ジュードは、改めてこの黒龍の能力を知り、驚きを隠せなかった。
黒龍の言う部屋に飛び込んだバスチェは、部屋に入った途端、鋭い剣先に襲われた。寸前でそれを躱しつつ持っていた剣を振り下ろすと、グエッという悲鳴とともに黒いリザードのアニマノイドが首を落とした。部屋の奥にもう2体のアニマノイドが見え、1体がこちらに振り向きバスチェに向かって飛びかかってきた。冷静にバスチェは、向かってくるリザードのアニマノイドに対し剣を垂直に振り下ろし、真っ二つに切り裂いた。
もう1体のリザードを見ると、脇に何かを抱えこちらに対峙していた。よく見ると血だらけの年老いたヒューマンのようだった。
(彼が…、デガス。アルスの祖父か)
リザードのアニマノイドは、デガスを盾のようにしてバスチェの動きを牽制した。黄色い目の瞳孔が大きくなったり小さくなったりしている。かなり動揺していることが、その表情から伺われた。バスチェは正対するのを止め、右に体の向きを変えた。その際、リザードには気づかれないような小さな動きでベルトの裏に指を突っ込んだ。
バスチェが横を向いた動きを、リザードのアニマノイドは何のためか理解できず、更に動揺したのか、瞳孔の大きさが変わるスピードが速くなってきていた。何度目かの瞳孔が大きくなった瞬間、バスチェの指から細い針が飛び出し、リザードのアニマノイドの黄色い瞳の瞳孔に突き刺さった。その反動でリザードは抱えていたデガスを離し、そこを逃さずバスチェは剣先でリザードの首を払った。床に倒れこんだデガスに、リザードのアニマノイドの首から迸る血が降り注いだ。
真っ赤になったデガスを抱えたバスチェは、まず生きているかどうか確認をした。息はか細いがしているようだった。だが出血がひどい。よく見るとデガスの右腕が肩から無かった。このままではすぐに死んでしまう、そう思われた。
青い光が黒龍の鋭い爪と交差するたびに、火花が散り暗い大広間をその時だけ明るく照らしていた。黒龍は時折、シスコ村を焼いた熱戦を口から発するが、ジュードはそれを躱しつつドラゴンソードで切り込んでいった。一進一退の攻防が続く中、坑道の入り口から近づいてくる者がいた。赤龍から姿がヒューマンに戻ったアルスだった。アルスの瞳の炎は今にも消えそうなほど弱々しく揺れていた。
近づくアルスに気づいたジュードが、一瞬目を黒龍からアルスに向けた刹那、黒龍の爪先がジュードの左肩を襲った。
「がっ!」
爪で傷つけられたジュードは、その反動で壁際まで吹っ飛ばされた。
黒龍は近づいてくるアルスに向けて太く長い尾を振るった。その尾がアルスを直撃する瞬間、アルスの瞳が赤く燃え上がり、再び赤龍に変化した。
「赤龍…、貴様も邪魔をするか」
そう言うと黒龍は赤龍に向かって行った。黒龍の鋭い爪が赤龍の胸板を切り裂いた。その攻撃に仰け反りながら、赤龍であるアルスは間近の黒龍に火炎を吐きつけた。
火炎が黒龍の顔に直撃し、黒龍の右目を焼いた時、ジュードの青い剣が黒龍の脇腹に突き刺さった。
「小僧!こいつは治癒能力がある!畳みかけろ!」
そう叫ぶジュードは、突き刺さった剣を真横に薙ぎ払った。黒龍の脇腹から大量の赤い液体が吹き出し、床を真っ赤に染めた。
アルスこと赤龍は、自らの爪と鋭い牙を黒龍の頭部めがけて突き刺した。
凄まじい悲鳴が大広間内に響き、太く長い尾が振り回され、黒龍が痛みにのたうち苦しんだ。
その音量と尾を振り回す力が、この城自体を崩し壊してしまうかと思われるようだった。
大広間の奥から数体のリザードが現れ、主を救おうと試みるもジュードのドラゴンソードから放たれる青い光に、ある者は焼かれある者は怖気好き、効果的な援護には程遠いものだった。
リザードを払っていたジュードに、黒龍が振り回した太い尾が直撃し、ジュードは石壁にまともに叩きつけられた。先に付けられた傷の影響もあり、すぐには起き上がれなかった。
ジュードが一時戦線離脱したことを受け、脇腹から血を流しつつ、黒龍は赤龍に体ごとぶつけてきた。赤龍は入ってきた坑道付近まで吹っ飛んだ。その赤龍に黒龍は間近から熱線を放った。
赤龍であるアルスの口から、大きな悲鳴があがった。
「赤龍、こ…、これで…、貴様は…」
痛みにこらえながら黒龍が口を開き、悶え苦しむ赤龍に向けて再度熱線を吐いた。が、熱線が当たる寸前、赤龍はアルスの姿に戻った。熱線の目標が急に小さくなったことで、アルスには当たらず、大広間の壁面を直撃した。
アルスは赤龍からヒューマンに姿を戻し、熱線を躱したが、胸には爪痕が刻まれ左肩から左腕を熱線による火傷を負っていた。そして右手にはドラゴンダガーを握っていた。
「こ、黒龍…。シスコ村の、…みんなの敵…」
血まみれのデガスを脇に抱えながら、バスチェは部屋の奥に進んで行った。大広間からは斬撃の音や大きなものが壁に激突する音や衝撃が、絶え間なく続いているようだった。
そんな中、バスチェは部屋の奥の突き当りに木の扉があり、少し隙間が開いているのを見止めた。ゆっくりと用心して近づいて行くと、部屋の中から女性の、苦しそうなうめき声がリズミカルに聞こえてきた。扉の隙間からバスチェの目には、明らかに女性の白く柔らかそうな足と鱗に覆われたリザードの尾が動いているのが見えた。
バスチェはデガスを扉の脇の壁に寄せると、一気に扉を開けて部屋の中に入りリザードの首を、持っていた剣で切り落とした。頭を無くしたリザードのアニマノイドの首から大量の血が噴き出した。
首を失ったリザードのアニマノイドは、それでも両手で女性の両足を抱え、尾を振りながら腰を動かし続けていた。
女性は丸テーブルの上で、ほぼ全裸の状態でリザードのアニマノイドに犯されていたのだった。
バスチェは首のないリザードの体を女性から引きはがし、血を浴びて真っ赤になった裸体を傍らにあった布でくるんだ。
「な、…なんという…」
思わずバスチェは涙をこぼした。有無も言わさずに攫われ、このような目に合ってしまうというこの女性の不幸に、涙をこぼさずにはいられなかった。
女性の意識は朦朧とし、バスチェが声をかけても答えられないようだった。
(この娘が、アルスの恋人か?)
そう思っている時、扉の方から声が聞こえた。デガスが苦しんでいるようだった。バスチェは布にくるんだマリアを床に横たえ、マリアに声をかけた。
「ちょっと待っていてくれ。様子を見てくる。アルスも来ているから…」
そう言って、バスチェは扉の外にいるデガスの方に進んで行った。
デガスは無くした腕の傷からの出血が止まっていなかった。リザードの血と自分の血で、もはや全身が真っ赤になっていた。バスチェが抱き起すと、一瞬意識が戻ったようで、血を流す口からバスチェにささやくように言葉を投げた。再び口を閉じると、二度と口は開かなかった。バスチェが名前を呼んでも反応せず、呼吸する音も心臓の鼓動も、バスチェの良い耳ですら、感じ取ることはできなかった。
再び涙を落としたバスチェは、いったんデガスを床に横たえ再び部屋に戻った。すると横になっていた場所にマリアはいなかった。
部屋を見渡すと、奥の角に体を九の字に曲げているマリアを見つけた。すぐにそばに近寄りマリアを抱き起すと、マリアの両手にはリザードのアニマノイドが持っていた剣が握られていた。そしてその切っ先は、深々とマリアの左の乳房の下に刺さっていた。
黒龍を前に、アルスはドラゴンダガーを鞘から引き抜いた。その時のアルスの瞳には、これまでにない程の大きな炎が渦巻いていた。ドラゴンダガーはこれまでで一番の強く赤い光を発し、黒龍の身体を包み込んだ。
「ぐ、…ぐぉ…、な、なんと、い、う…」
さらに、苦しむ黒龍の後ろで眩く青い光が発せられた。その青い光が収束された場所には、青い龍の鎧をまとったジュードが立っていた。ドラゴンソードも一回り大きくなり、ジュードの右手に握られていた。
「師匠の敵だ。小僧だけに殺らせる訳には、いかねーんだよ」
ドラゴンダガーの赤い光に焼かれ苦しむ黒龍の背後から、ジュードはドラゴンソードを両手で持ち飛び上がった。そして黒龍の右肩から背中にかけて切り込んだ。ドラゴンソードは黒龍の右肩から翼を切り落としながら左の脇腹まで、スムーズに走った。
大広間が崩れるかと思うほどの大轟音の悲鳴を上げ、黒龍はその場に崩れ落ちた。ドラゴンダガーの赤い光は輝き続け、その光によって倒れた黒龍の身体は焼かれ続けていた。
「ぐっ…、ぎ、ぎ・ざ・ま・らに…、こ、この…オ、オレ、ざま…が…」
呻くように口から絞り出す黒龍の声をみなまで聞くことなく、ジュードはドラゴンソードを黒龍の頭上から垂直に突き刺した。その瞬間、黒龍の太く長い尾が上空にピンッと突っ張った後、一気に崩れるかのように下に落ちた。既にアルスのドラゴンダガーから赤い光は放たれてはいなかったが、黒龍の身体は徐々に溶けていくかのように崩れ続けていた。
「やった…か」
そう言うジュードの身体からは、青い龍の鎧が消えてドラゴンソードも通常の大きさに戻っていた。ジュードは気力も体力も使い果たしたのか、その場に座り込んだ。ドラゴンダガーを鞘に納めたアルスも、倒れるようにその場に突っ伏した。
アルスをその場に残し、ジュードはバスチェが向かった部屋の方にふら付きながら進んだ。そんなジュードの目に2人のヒューマンを抱えたバスチェが映った。バスチェの顔は、何とも言えない辛く悲しい深い影の中にあるようだった。
バスチェはゆっくりとジュードに近づき、彼の前にデガスとマリアの亡骸を横たえた。
「間に合わなかった、のか?」
アルスには聞こえない程度の低く小さな声で、ジュードはバスチェに尋ねた。その問いにバスチェは声も出さず、俯くことで答えた。
「デガス…」
ジュードは子供のころ、父スヴェンソンとともにデガスのもとに訪れ遊んでもらったことを思い出していた。豪快ながら温かい笑顔を持った職人だった。会う機会は多くはなかったが、会えばいつも楽しませてくれたヒューマンだった。ジュードの目に涙が浮かんでいた。
突っ伏していたアルスは、バスチェがいることに気づき、傷ついた身体を起こし這うように2人の方に向かおうとしたが、ジュードとバスチェの足元にあるヒューマンに気づき、動きを止めた。
「バ、バスチェ…さん。そ、その人…」
バスチェはアルスのもとに歩み寄り、倒れかかっているアルスを抱き起した。
「残念、だった…」
抱きかかえられたアルスは、バスチェの肩越しにデガスの亡骸を認めた。デガスは全身が赤く染まり片腕がないまま横たわった床で身じろぎもしなかった。
「そ、そんな…。デガス…?」
呻くような言葉を出したアルスの目に、デガスの向こう側に横たわるもう1体のヒューマンの存在が映った。
バスチェに抱き起こされた体制から、バスチェを突き飛ばすかのような勢いでアルスは飛び出し、デガスの亡骸の横に横たわっている女性に縋りついた。
「マ、マリア!…マリア、どうしたの、目を開けてよ!マリア!!」
マリアの亡骸を抱きしめ揺すりながら問いかけてみるが、虚しくマリアの身体が揺れるだけだった。
「デガスは…。既に片腕を切り取られ…、出血がひどく、もたなかった…」
「マリアは」
一旦言葉を止めたバスチェに、アルスは続けることを命令するかのような冷たい言葉を投げかけた。
「…マ、マリアは…、拷問を受けていた…。彼女を助けた段階で、デガスの様子を見に行ったが…、戻ったら、彼女は自ら…」
マリアを抱きかかえながら、アルスは背中でバスチェの言葉を聞いていた。バスチェは、アルスにとても見たことを伝えることはできなかった。まだ肉体も精神も幼いアルスに、真実を知ることは酷だと思った。