龍の子孫とメダルの物語
第4章/シンドローネ航路
アテンザの東の港からシンドローネ行きの船は1日に3便しか出ない。早朝の1番便、昼近くの2番便、昼を過ぎて1時間後の最終便となる。アテンザを出てほぼ半日かかる航海となる。なので、1番便に乗船したであろうゾロは昼には上陸しており、2番便で向かうアルスとバスチェは夕方に上陸できる予定だった。
シンドローネという町は港町で、商業船が立ち寄る航路の中継地点の役割を担っている。町自体はさほど大きくなく、船乗りが食事をしたり泊ったりする宿屋が数件と、漁船を操る漁師の家がまとまってあるほか、商業船が運んできた荷物を保管する倉庫がいくつかある程度の規模で、町から出る道路は無く、すべて海路で交通は成り立っている町だった。
港は南側に配置され、ほかの方角は外輪山に遮られ北側に標高の高いラウル山がそびえている。
朝から天気の良い日でほど良く風も吹いていた。この分だと大きな遅れもなくシンドローネに着くと予測される天候だった。それはつまり、すでに出航しているであろうゾロも同じく、予定通り上陸することになるということだった。
昨夜は3人で夕食を取り、今後の行動を打ち合わせてから床に就いた。スヴェンソンはその後デガスに手紙を書き、今朝方フェアリスにデガスへ届けるよう頼んでいた。遅くとも今日の夕方にはデガスの手元に届くだろう。その手紙には、アルスも例の3人組の1人がメダルを探し求めてシスコ村に向かったと思われるので、十分に注意してほしい旨加筆しておいた。
「アルスは、海は初めてかい?」
バスチェが潮風に吹かれながら聞いてきた。2人は船の甲板で遠くなるアテンザの港と広い海原を見ていたところだった。
「はい。気持ちいいですねー」
アルスは両手を上に伸ばして点を仰いだ。ちょうどアルスの頭の上を1羽の海鳥が、気持ちよさそうに空を滑っていくところだった。アルスはこれまで行商以外にシスコ村を出ることは、ほとんどなかった。外の世界は家にある書物や勉学所の教本に載っている程度の知識であり、生身で体感するのは初めてのことだった。
「バスチェさんは、結構あちこち行ったんですか?」
海風に吹かれて目を細めていたバスチェの方を向いて、アルスは尋ねた。
「私か。私は、ここ10年、ほとんど旅だったのでな。大半の街は回ったかな。ただ大きめの街が多かったので、今回のシンドローネには初めてになる」
そう言ってバスチェはアルスの方を振り返った。
「ドラゴノイド、であることは、まだ公言しない方が良い。どこで誰が聞いているか、わからんからな」
深く濃いブルーの瞳が、アルスを見つめていた。
「はい。そうします」
しばらく海を眺めていたが、次第に景色に変化も無くなってきたので2人はキャビンに戻った。飲み物を飲みながらそれぞれがしばらく時間をつぶしていると、キャビンの後部から怒鳴り声が聞こえてきた。
「おい!どうしてくれんだよぉ。俺様の一張羅が汚れちまったじゃねぇか!」
振り向くとリザードのアニマノイドがヒューマンの親子に絡んでいた。アルスとバスチェは顔を見合わせ、同時に席から立ち上がろうとしたその時だった。
「拭きゃあ落ちんだろ、そんなもん。ガタガタ騒ぐほどのこっちゃねーよ」
騒ぎの起きている場所の隣くらいの席に座っていた男のヒューマンが、座ったままでリザードのアニマノイドに言い放った。
「な、なんだとぉー。…お前、生意気だな。外に出ろや」
リザードのアニマノイドは座っているヒューマンに近づき、そう言いながらヒューマンの胸倉を掴んだ。ヒューマンは金髪で黒づくめの衣装をまとっていた。
「離せや。息が臭ーんだよ」
そう言った途端、リザードのアニマノイドの腕を捻りあげた。
「い、痛てて!な、なにしやがんだ、コラ!」
そう言われてもヒューマンは腕を捻りあげたまま立ち上がり、アニマノイドをそのまま外に連れ出した。
アルスとバスチェは、彼が何者かと思い後を追うためにドアに近づいた。するとそのドアが開き外から例のヒューマンが戻ってきた。アルスとバスチェをちらっと見ながら、2人の脇を通って絡まれていた親子のところに進んでいった。
「アルス」
バスチェがアルスに外を見るように促した。外にはリザードのアニマノイドが、かがんで丸くなり小さくなってガタガタと震えていた。驚きながらアルスがヒューマンを見ると、彼は親子と笑顔で話していた。
「何者だろうな。しかし、…どこかで見たような…」
バスチェも彼を見ながらつぶやいた。
キャビンの外に出て、まだ震えているアニマノイドにバスチェは尋ねた。
「どうした。大丈夫か?」
まだ小さく丸まり震えているリザードのアニマノイドは、バスチェの顔も見ずに答えた。
「りゅ、竜だ…。竜の青い炎が…、お、俺を焼く…、お、恐ろしい、恐ろしい炎…」
アニマノイドのつぶやきを、アルスとバスチェは耳にし、改めてキャビンの中にいる金髪のヒューマンを見た。彼は元の席に座り眠っているようだった。
シンドローネまであと半分程度の距離に差し掛かった時、遠く東の方向から黒い雲が迫って来るのが見えた。
「嵐になりそうだな。港までもつだろうか…」
空の黒雲を見ながら、バスチェはつぶやいた。アルスはそのつぶやきを耳にし、東側の空を見ると、確かに一団の黒雲がこの船を目指しているかのように迫ってきていた。また次第に海の上を吹く風が強くなっていっているのを感じていた。
2人は再びキャビンに腰を据えた。船自体は大きな客船なので、少々の嵐ではビクともしないらしい。キャビン内の他の顧客も、迫って来る黒雲に気づかないのか、気にしないのか、それまでと変わらぬ態度で過ごしていた。例の金髪のヒューマンも同じ席で寝こけているようだった。
外が突然暗くなったかと思った途端、船に大きな衝撃が走った。後ろのキャビンでは窓の割れる音がした。後方から乗船していた顧客たちが悲鳴を上げながら、前の方になだれ込んできた。
「な、なんだ?」
アルスとバスチェは後ろを振り向いた。逃げてくる顧客たちの頭が邪魔で後方が見えず、何が起きているのかわからなかったが、顧客の悲鳴で何が起きたのか把握した。
「ワ、ワイバーンだぁ!」
ワイバーンとは、主に山岳地帯に生息する翼を持った小型の竜で、群れで行動をする。普段は山やその麓までが活動区域と言われ、このような海にまで出てくることは稀だった。さらに肉食ではあるがヒューマンなどを襲うという話は聞いたことが無かった。そのワイバーンが、いま集団でこの船を襲っているようだった。
「アルス、少し待っていてくれ」
そう言うと、バスチェは自分の手荷物からソードを取り出した。衛士長であったことをアルスに話してから、バスチェは自分のソードを腰に添えて行動していた。さすがに船の中では携帯せずに手荷物の中にしまっておいてはいたが。
バスチェは1人外に出て迫りくるワイバーンを切り伏せ出した。ソードで切りつけるだけではなく、拳を使ってワイバーンの顔に重いパンチも繰り出している。しかし孤軍奮闘の感は否めない。黒い塊は次々と空から船をめがけて突っ込んできていた。
バスチェの戦うシーンを見ているアルスは、全身が震えていた。数日前まで勉学所に通っていた少年が、突然現れたワイバーンに何もできないことは、アルス自身が良く理解していた。大きさはアルス程度の小さな竜ではあるが、大きな口、その中の鋭い牙、長い爪を見ると、とても今の自分には太刀打ちできないという思いから、恐怖という感情に、アルスの心は支配されていた。バスチェの奮闘も見続けることができないほど、自分の恐怖が大きくなったその時、キャビンの後ろから悲鳴が上がった。
アルスが頭を起こしてみると、1匹のワイバーンが先ほどリザードのアニマノイドに絡まれていた親子の子供に迫っていた。アルスは、自分より幼い子供がワイバーンに襲われることを黙ってみていることはできなかった。震える足を両手で叩き、さらに両頬を自分で張って恐怖心を抑え込んだ。そして唯一の武器と言えるドラゴンダガーの束に手を掛け、席から飛び出した。
その同じタイミングで突然、青い光がワイバーンに襲われそうな子供を包んだ。
(こ、この光!)
眩いくらいの光にワイバーンは悲鳴を上げて後退った。光の中心には、例の金髪のヒューマンが立っており、青い光は彼が手にしている剣から発せられていた。
「ド、ドラゴンダガー!」
アルスは叫んだ。その声を聞いて、金髪のヒューマンはアルスを振り返ったが、そのまま剣を一閃。ワイバーンの首が床に落ちた。それに構わず、彼はバスチェが奮闘している外に出て、空に剣をかざした。その剣を中心に強く青い光が発せられ、周りのワイバーンが悲鳴を上げながら弾き飛ばされていった。
バスチェの周りからもワイバーンはいなくなり、いまだに迫って来るワイバーンの群れは光を避けるかのように、船の上空に進路を変えて西の方角に飛び去って行った。
海の上は再び静けさを取り戻し、空は一片の雲もなく澄み渡っていた。
「バスチェさん!」
アルスは外に出てバスチェに駆け寄った。
「ご、ごめんなさい!ぼ、ぼく、何もできなかった…」
バスチェは腕に少し怪我をした程度で、大きな問題はなかった。傷を舌で舐めながらバスチェはアルスに言った。
「気にしないでいい。君はまだ幼い。もっと経験を積めば、そのうち…」
「宝の持ち腐れだろ、ドラゴノイド」
そう言ったのは金髪のヒューマンだった。青い光を発する剣を鞘に納め、アルスとバスチェの傍に歩いてきた。
「お前、ドラゴンダガー、持ってるよな。なぜ戦わなかった?連れだけ戦わせて、お前はブルブル震えてたってか?情けねー小僧だな、持つ資格ねぇよ」
アルスに向かってくる金髪のヒューマンの前に、バスチェが立ちふさがった。
「君は、誰だ?ずいぶんな口を利く」
金髪のヒューマンは自分より背の高いバスチェを見上げ、不敵な笑みを顔に湛えていた。そして短い息を吐き、そのまま踵を返しキャビンの中に彼は戻って行った。
「バスチェさん…」
アルスはバスチェの傍にやって来た。そしてバスチェの顔を見上げ強い決意をもって言った。
「あの人の言うことはもっともだと思います。シンドローネに着いてゾロの件がはっきりした後、僕を鍛えてもらえないですか?お願いします!」
そう言われたバスチェはアルスの目を覗き込んだ。淡いブラウンの瞳の中にかすかに炎の気配を感じた。
シンドローネの港が遠くに見えてきた。
ワイバーンに襲われはしたが、航行に支障のある損傷もなく予定より1時間遅れで船は進んでいた。船内は後方キャビンがほとんど壊されたため、その顧客が前方キャビンに集まっており、かなり混雑していた。例の金髪のヒューマンも同じ席にいるのか、どこかに行ったのか確認できない状態だった。
ワイバーンの襲撃により怪我人は複数いたものの死者は無く、それはすなわちバスチェの奮闘と金髪のヒューマンによる青い光のおかげだった。
出航時のおだやかな和気あいあいとした雰囲気も今は無く、早く陸に上がりたい気持ちは乗員すべて同じだった。
「アルス、彼の青い光は君の赤い光と同じに見えたが?」
アルスもそれを考えていた。あの光はアルスのドラゴンダガーから発せられる光と同じように見えた。ただ色が違うだけだった。また彼もドラゴンダガーと同じような剣を持っていた。それを使う彼もドラゴノイドなのだろうか、そもそも自分をドラゴノイドと見破ったことからも、その可能性は非常に高いと考えざるを得なかった。
「ふーむ、彼を、どこかで見た記憶があるのだが…」
バスチェは独りごとのように呟いた。
陽が西に大きく傾き、東の空に夜の帳が見えかかったころ、ようやく船はシンドローネの港に着岸した。