龍の子孫とメダルの物語
第1章/旅立ちの時
長い夜の翌日、16歳になったアルスは、いつもより遅く起きた。デガスの話を聞き終わった後、ズルズルと疲れが溜まった体を引きずりベッドにもぐりこんだのだが、頭がさえて眠れなかった。ようやく目を閉じたのは、空が白み始めた頃のことだった。
この村の決まりでは、16歳になった翌日から勉学所には行かなくても良いことになっていた。1人の大人として扱われるのが16歳という年齢とされていた。16歳になった翌日の昼過ぎに勉学所の先生から<完了書>をもらって修了となる。
いつもは朝ご飯を食べてそそくさと勉学所に行っていたが、アルスはこの日早めの昼食を食べ、いつものカバンを持たずに家を出た。ただ、昨夜デガスから譲られたドラゴンダガーは腰に差し込んでいた。
山の入り口に近く、村の奥にある勉学所に着くと、マスターや何人かの生徒たちが1か所に集まっていた。
「アルス、ようやく来ましたか」
トップマスターであるザオルス卿が声をかけてきた。
「昨日で16歳となった。アルス、君はもう一人前の大人となったのだよ」
そういうと傍にいたマスターから、ザオルス卿はアルスの<完了書>を受け取った。
「さあ、旅立ちの時だ。おめでとう」
ザオルス卿は<完了書>をアルスに手渡した。
「ありがとうございます…、あの、旅立ちの時、とは?」
アルスはザオルス卿に聞いた。
「16歳の翌日、この書を受け取った者はすべからく一人前となる。したがってここまで歩んできた生活、いわゆる旅路とは、また違う旅路が始まるのだよ。アルス、君も今日から新しき旅路に足を踏み出すのだ」
そう言うとザオルス卿は拍手した。それを受けて周りのマスターや生徒たちが同様に拍手をした。
(旅立ち、か…)
アルスはザオルス卿の言葉に興味を覚えた。自分にとっての旅立ちとは何を指すのか、それこそ自分はこの先、何をすべきなのか…。
拍手が止んでもアルスが<完了書>を持ったまま佇んでいるので、周りの皆が怪訝な表情でアルスを見出した。それに気づいたアルスは、深々とお辞儀を拍手の返礼として行った。
「さあ、皆さん、学舎に戻りましょう」
あるマスターが言葉を発するのをきっかけに、マスターや生徒たちが学舎へ向きを変え歩き出した。それを見送るアルスの目に、一人の少女が入ってきた。
1つ違いの幼馴染マリアだった。彼女はゆっくりと皆の行く方向とは逆にアルスに近づいてきた。長いブロンドの髪を揺らし、ゆっくりと歩いてきたマリアはアルスの傍まで来ると
下からアルスの顔を覗き込んだ。
「アルス、明日から何をするの?」
覗き込むマリアの緑の瞳は、真っ直ぐとアルスの目を覗き込んでいた。マリアの瞳にじっと見つめられると、アルスはいつも緑の澄んだ湖の中に吸い込まれるかのような錯覚に陥った。
「アルス!」
緑の瞳に見惚れていたアルスに、マリアは大きな声で名前を呼んだ。
「…、あ!あぁ、マリア。頑張って勉強しろよ」
「そんなこと聞いてない!人の話を聞いてないの?どうなの?明日から何すんのよ!」
いつもこんな感じだ。幼馴染のマリアとは一緒にいる時間が長くよく遊んでいた。見た目のお淑やかさとは裏腹な気持ちの強さを、2人きりの時にはよく見せていた。そんな自分に対して素の自分をぶつけてくるマリアを、アルスは心地よく思っていた。
「明日か…。まだわかんないんだ。昨日の夜ちょっとショッキングなことがあってね…」
「え?何があったの?教えて!」
本当にストレートな娘だな、と思いアルスは思わず苦笑した。
「なぁに笑ってんのよ!」
ここで、遠くからマリアを呼ぶマスターの声がした。
「はぁい、すぐに参ります」
ころっと人格を変える。まるで2重人格か、と思ってしまうほど、外に対する態度が礼儀正しい。その分、自分には無理している鬱憤を発散させているのだろうか、結構やんちゃな人柄を見せていた。
「今晩、クルルの根元でね」
そう一方的に言うとマリアは、くるっと踵を返して学舎に駆けて行った。
「おい!マリア!…、あー、行っちゃった…」
(クルルの根元、か)
そう考えたアルスの顔に、少しだけ笑みが浮かんだ。
クルルの根元。それは小さい頃、いつもマリアと2人で遊んでいた場所だった。樹齢何千年とも言われるクルルの大樹で、今も濃い緑の葉が茂り真夏でも涼しい風を吹かせる、村のシンボルの一つとなっていた。大きな枝に父がつくってくれたブランコを、代わる代わるマリアと楽しんでいたことも思い出し、アルスは少し切ない気持ちになった。
そんな思い出のあるクルルの根元で、今晩何年ぶりかでマリアと会う。どこまで話すか、アルスは考えがまとまらないでいた。
家に帰りデガスの作業を手伝った。その後夕食を済まし食器の片づけを終わらせると、散歩と称して外に出た。デガスは何も言わなかった。
外はすっかり夜になっていたが、空に2つの月が大きく出ており真っ暗ではなかった。雲一つなく中月の黄色と大月のオレンジが、下界に柔らかな光を落としており小路の石ころまでわかる明るさがあった。
行く先にクルルの大樹の陰が見えてきた。改めてその大きさに驚く。距離はあれど、遠くに見えるゴラン山の頂と同じ高さに樹木の頂点がある。太さもかなりなもので、子どもの頃に友だちと手を繋いで幹の太さを囲んだことがあった。そこにもマリアはいたが、10人でも届かないくらいの太さだった。
クルルの大樹に着いて、そんな記憶を思い出しながら、今じゃ何人なら囲めるかなぁ、と考えたりしていると、向こうから小さな灯が見えてきた。灯の後ろには人影があり、長い髪が揺れているのもわかった。
「待った?」
マリアが小さなランタンに灯を点してやって来た。昼間とは違い、薄い色のワンピースでノースリーブのようだった。アルスは、マリアの首から肩、腕にかけて白い肌が浮き出しているように見え、少し動揺していた。
「い、いや、さっき来たところ」
灯を顔の前に出して聞いてきたマリアに、自分の心情を悟られまいと目を合わせずにアルスは答えた。
2人はクルルの根に並んで腰を下ろした。クルルの大樹の木陰に入ったので、2つの月明かりは届かなく周りだけが薄暗い空間だった。マリアの足元にランタンを置いたので、余計に2人の顔は暗く表情もわからない。
「修了、したんだね…」
徐にマリアがつぶやいた。いつものやんちゃな口調ではなく、お淑やかな方のマリアの口調のようだ。
「そうだね…、修了したんだな」
アルスがそうつぶやくと、マリアは不意にアルスの方に顔を向け聞いてきた。
「で?明日からどうするのよ…、と言うか、昨晩何があったの?」
アルスは昨晩のことをマリアに話すべきか、決めきれないでいた。自分ですらショックな内容だったことを、幼馴染で女の子のマリアに話すべきか、話す必要があるのか悩んでいた。
「どうして、黙ってるのよ?明日から勉学所には来ないんでしょ?今話してくれなきゃ、いつ話してくれるのよ」
だんだん、素のマリアになってきたようだ。恐らく周辺の暗さやクルルの根に2人で座っていることにも慣れてきたんだろう、そう考えるとアルスの気持ちも少し軽くなったようだった。
「実は…」
アルスは昨晩デガスから聞かされた自分の正体について、マリアに話した。さらに持ってきていたドラゴンダガーについても説明した。そして暗がりの中で鞘からダガーを抜いて見せた。昨晩同様赤い光が迸り、完全に抜いた時点で2人を赤い光が包み込んだ。
「!…」
マリアは声も出ないようだった。幼馴染だったアルスがドラゴノイドだったこと、亡くなった彼の父親が神だったこと、同じく母親がG-ノイドの血流だったこと、さらにドラゴンダガーの赤い光など、マリアの頭の中を混乱させる要素は、十二分に揃っていた。
「驚いただろ?」
あどけない口調でアルスはマリアの顔を覗き込んで聞いたが、マリアの瞳は自分の足先に向けられ動くこともしなかった。
(そりゃ、そうだよな。驚くに決まっている…)
しばらくそっとしておこうと考えたアルスは、座っていた根から立ち上がった。その瞬間、隣のマリアの体がビクッと動いたのがわかった。
(怖がっているのか…、そうだよな)
アルスはいつものマリアと距離が離れてしまったように感じ、寂しくなった。そろそろ帰らないとデガスがうるさくなりそうな時間だったので、マリアを送って帰ろうと考えた。
「ねぇ…。明日からどうするの?旅立つの?…村から、いなく…」
マリアの口から言葉が全部出てこなかった。彼女を見ると、あの緑の瞳から涙が溢れていた。
マリアは泣いていた。
「マ、マリア…」
アルスが驚いてマリアの頭を撫でようとした途端、アルスの胸にマリアが飛び込んできた。
そしてアルスの胸に顔を埋め、小さな声で泣いていた。
「マリア、ど、どうした?」
返事はない。ただアルスの胸の中に納まって泣き続けていた。
アルスはマリアが急に愛おしくなった。そして両手で、泣き続けるマリアを抱きしめた。
マリアとは小さいころから遊んでいた。1つ年下と言っても妹という感覚ではなく、大切な友人・同志という熱い思いをマリアに対して抱いていた。そしてそれが今晩、愛おしさと言う想いで姿を現した。
抱きしめられたマリアは嫌がるそぶりもなく、逆に体をよりアルスに押し付けてきた。すでに泣き声は止んでいた。
結局落ち着いたマリアを家まで送り、デガスの待つ家に戻ったのは2つの月が沈み小月の澄んだ青さがあたりを照らす時間になっていた。
帰った来たアルスをデガスは何も言わずに出迎え、寝室に行くよう顎を動かしただけだった。ベッドに寝転がりながら、アルスはこの先どうするか考えがまとまらないでいた。目をつぶっても浮かんでくるのはマリアの緑の瞳と、そこから零れ落ちる涙の粒だった。マリアを抱きしめた両手の匂いを嗅ぐと、わずかにマリアの匂いがしたような気がした。その匂いが体の奥を熱くし、ますます目が冴えてしまう始末だった。
2日続けての寝不足で、いつも通りに起きたアルスの目は腫れてしまい、デガスに言われるほど、ひどい面様となっていた。
今日は村の注文者に頼まれた金物を納品に行くことになっていた。顔を洗って朝食を食べ少し時間を置くと、目の周りの腫れも治まったので納品に行くことにした。
村の中心部に向かう道を納品する金物を持って歩いていると、中心部の方向から3人の男がこっちに向かって歩いて来ていた。風体からも村人ではなく外部からやってきた者たちのようだった。何事か話しながら道の真ん中を3人広がって歩いているので、アルスは道の脇に寄り、彼らを避けて進むことにした。すれ違うタイミングで、3人のうちの1人が、話が盛り上がったのか両手を振り上げた際、避けていたアルスの体に当たりその拍子に納品する金物が地面に落ちてしまった。
ガララァーン!
「お、痛ぇ!小僧、どうしてくれんだぁ?」
手が当たった男は、小太りで身長は低いが脇に手斧を携帯していた。他の2人は背が高く長刀を背負ったひげ面の男、坊主頭で2本の小刀を腰紐に挟んでいる男だった。
「いや、こっちこそ商品を傷つけられて…。どうしてくれるんです?」
3人の風体に、少し怯みながらもアルスは文句を言った。
「んだとぉ!」
小太りの男は指を鳴らしながら迫ってきた。他の2人は少し離れてニヤニヤしながら成り行きを楽しんでいるようだった。
「い、いや、そっちが悪いんでしょ。弁償は無理でも謝ってください!」
3人の男は顔を見合わせ、笑い出した。
「へぇ、このガキ、威勢がいいな。俺らを見てもビビんねーのか。ちょっとは楽しませてくれんだろーな」
そういうと小太りの男は手斧を取り出し、くるくる回しながらアルスに近づいてきた。
少し後ずさりながらアルスは、残った商品を脇に抱えながら後ろ手でドラゴンダガーの柄に手を伸ばした。
「やんのか?コラッ」
そう言うと小太りの男は手斧を打ってきた。その手斧を受けるつもりで、アルスがドラゴンダガーを抜いた途端、赤い光が迸った。
「ぐわっ!な、何の光だ!?」
ダガーで手斧を受ける前に、アルスを包み込んだ赤い光が、小太り男の手斧の刃を弾き飛ばした。
目が開けられないこと、手斧が何かに弾かれたことで我を忘れた小太り男は、慌てて逃げだした。それを見て、残った2人も後を追うように駆け出した。
訳も分からず3人の男を見送るアルスだが、その眼には逃げていく男の1人の風貌が徐々に変わっていくのを見逃さなかった。
「な、なんだ?奴らは…」
風貌が変わったのはわずかな間で、逃げ去っていく3人の男は最初に見た風体のまま走り去っていった。
アルスは、納品する金物を改めて確認し、両手で持って村の中心部に足を向けた。ゆっくりと歩きながら、さっきまでいた奇妙な3人の男のことを考えていた。ヒューマンの姿をしてはいたが、逃げる時に3人のうち1人の体型が変わったように見えた。
(なんなんだ、あいつらは…。確かに体が…)
「キャッ!」
考え事をしながら歩いていたアルスは、道で1人のヒューマンにぶつかってしまった。
「す、すみません!ぼーっとしてて…」
「いつものことでしょ!」
ぶつかった相手は先に修了したマギーだった。ちょうど納品に行く宿屋の娘で、アルスより20日早く<完了書>を受け取っていた、いわば同級生だった。
「マギー。ご、ごめん。怪我はなかった?」
「だいじょうぶよ。それよりアルス、3人組のヒューマン見なかった?3人とも男」
彼らだ。
「忘れ物があったのよねー。昨晩泊ってくれて、しこたまリカーを飲んでくれたんで、ウチの宿も儲かったんだけど、これを忘れたみたいで」
そう言ってマギーは持っていたメダルのようなものを見せてくれた。古い物のようで、刻んである文字らしきものは模様の一部と化していて読めそうもない。錆びた赤茶っぽい色で厚さもあまりない。この世で流通している硬貨2枚くらいの大きさだった。
「硬貨…じゃないね。何か古いものみたい」
目の前に出されたメダルを見て、アルスは言った。
「父さんに見せたら、金でもないし価値も無いもんだろうから忘れたんだろ。ほっとけ、って言うんだけど、ちょっと気になってさ」
アルスは来る途中で、3人の男にすれ違ったこと、さらに彼らの見た目の特徴を話したら、まさにその男たちだとマギーは言った。
「もう、結構先に行っちゃったんだね。あ、アルス、じゃ、これあげるよ」
そう言って、メダルをアルスの目の前に出した。
「い、いや、いいよ」
納品する金物を持ったままなので、手を振って断ることもできず、アルスは後退りしながら断った。が、マギーはこれを持っていたくないらしい。
「納める金物は私がここで受け取る。代金もここで払うから。お願い!もらって」
どうして自分の知っている女の子は強引な子ばかりなんだ、と頭の中で嘆きながら、アルスはしぶしぶ承知した。
「わかったよ。いただきます」
まるで物々交換のようにも見えておかしかったが、金物をマギーに渡し代金を受け取った後に、件のメダルを受け取った。
「ありがとー。じゃぁね!忙しいんだわ、いま」
そう言って宿屋の方に駆け出したと思ったら、ピタっと止まり、マギーはいたずらっぽい笑みを湛えて振り返った。
「アルスゥ、マリア、泣かせんじゃないよ」
「え!?」
「じゃぁねー」
言うだけ言ったマギーは、今度こそ宿屋に向かって駆けて行った。彼女の背中を見送るアルスは、動けずただ顔を赤くして立ち尽くすだけだった。
昼食は持ってきた弁当を、村の中心部にある噴水を囲む石の土台に腰かけて、1人で食べた。行きにトラブルはあったものの思ったより効率よく仕事が片付き、さて何をしようか考えている最中、勉学所のある方から話し声が近づいてきた。
数人の生徒たちがおしゃべりをしながら歩いている。今日は昼前に勉学所が終わる日だったか、と思ったら声をかけてきた生徒がいた。
「アルス、こんなところで何してる?」
同級生だったクレスタだった。彼は噂ではあるお城のセカンド・プリンスということだが、大人になるまでこの村に住む叔父さんの家に預けられている、という話だった。
「あぁ、クレスタ。仕事終わりで昼飯を食べてたんだ」
クレスタは、あと半年もすれば修了の予定で、その後は城に戻るともっぱらの噂だった。もっとも、彼自身どこの城とは言わないが、それを認めているふしもあった。
「アルス、これからどうするんだ?お祖父さんの仕事を手伝うのか?」
昨日修了したとは言え、いまだに今日から先、何をして生きていくか見えていないアルスには、また悩みを噴き出させるクレスタの問いだった。
「あぁ、…実は、まだ何も決まってない」
就学中はよく話をしたクレスタだったから、素直に自分の気持ちを言葉にできた。
「そうか…。俺なんか修了したらやることは決まっているからなぁ。でもさ、好きなことができるってのも、うらやましい限りだけどね」
クレスタも、自分には素直に気持ちを話してくれる。そんな気の置けない仲間は、恐らくクレスタとマリアくらいだろうか。そう思うとアルスは、また顔が赤らんできた。
「どした?熱でもあるのか?顔が赤いぞ」
「あ、あぁ。だ、大丈夫。ち、ちょっと、ね」
フン、と鼻を鳴らし疑わしい目でアルスを見たクレスタだが、すぐに用事を思い出したらしく、手を振って家に向かって駆けて行った。
「この先、かぁ…」
アルスは、クレスタに言われた言葉を思い出しつつマギーからもらったメダルを回しながら帰路に就いた。
家に着くと、デガスは中で作業をしていた。村はずれの家から鍋を直して欲しいという注文があり、持ってきた鍋を急ぎ修理している最中だった。鍋は修理が終われば届ける約束になっているということだ。
納品した金物の代金をいつもの器に入れ、作業をしているデガスに今日あったことを話した。すると最初の3人組の男の話と、マギーからもらったメダルの話に、デガスは反応した。
デガスは鍋の修理を終わらせると、アルスに村はずれの家に持っていくよう命じた。と同時にマギーから受け取ったメダルを見せるよう言った。アルスは服のポケットに入れていたメダルをデガスに渡し、修理の済んだ鍋を受け取り再び外に出た。その際、アルスの背後、
家の玄関から唸るようなデガスの声がした。
とりあえずアルスは納品に走った。村はずれの家に直した鍋を届け、代金を受け取り、お礼もそこそこに走り戻ってきた。
戻ったアルスが玄関のドアを開けると、出た時の姿勢のままのデガスがそこに居た。
「た、ただいま…」
もらった代金を、先ほどの器に入れるとアルスは座りっぱなしのデガスの前に回った。デガスの手には、マギーからもらったメダルがあり、それをじっと見つめているデガスの目は深い悲しみを感じられるような暗い瞳だった。
「ど、どうした、の?」
アルスが問うと、それこそ地の底から聞こえるような深いため息とともに、デガスは顔を上げアルスを見つめた。
「これは、お前の母のものだ」
アルスは、言葉も出なかった。ただ、そう言ったデガスの顔とメダルを交互に見つめることしかできないでいた。
「これは、お前の母にワシがお守り代わりにくれてやったもんじゃよ」
デガスの話では、昔、行商に行った先で古物商から手に入れたメダルで、厄災から持っているものの身を護ると言われていたので、小さい頃の母にデガスが渡したものだと言う。
「何が、お守り、だ。あんな目に…」
そう言うデガスの目から一滴、涙が零れ落ちた。
「え?で、でも、なんでマギーが…」
「マギーではないじゃろ。例の3人組じゃ…」
そうだった。マギーは、このメダルは3人組の忘れ物だと言っていた。すると、どういうことなんだろう。アルスは首をひねった。
「実は、このメダルは、厄災から持っているものの身を護ると言ったが、厄災とは、ダークゴッドの厄災と言われておったのじゃ」
アルスの母はG-ノイドの血脈だった。かつての神々の戦いでもたらされた、これも厄災と言えるだろう。だがデガスは数千年も時間が経っていたその時、そこまで考えることなく単にお守りとして母にあげたと言う。しかし、後に地下の部屋にある宣託の書を読んでいくうちに、このメダルは持つ者によっては既存の力をより強大にする増幅器のような役割を持つとわかった。
つまり、この力を欲している者に、母はこのメダルを持っていたが故に、殺されたと考えられる。
デガスは、今日このメダルを見て、アルスが外出している間に、記憶を取り戻すかのように地下にある宣託の書を調べ、今の結論に至ったと話した。
このメダルが、ついにアルスの母の死の真相を解き明かしたのである。
「3人組の彼奴らに聞けば、誰がお前の母を殺したのかも、わかるのかもしれぬ」
デガスの暗かった目に鋭い光が差した。その目を見て、アルスは決心をした。
「僕は、母さんを殺した奴を見つけ出す。そして父さんと母さんを、どうして殺さなきゃならなかったのか、必ず問い詰める!」
デガスはアルスの目を見た。若者のすがすがしさを感じさせる澄んだ瞳の奥に、赤い焔が見られた。それは怒りの焔か、決意の焔か、デガスにはわからなかった。
その日の夜、アルスはクルルの根元にマリアを呼び出した。少し遅い時間だったので、呼んで話すことに迷ったが、やはりマリアには自分の口から説明したいと思った。
アルスは明日の朝には3人組を追うつもりでいた。3人組を見つけメダルの件を問いただすつもりだった。デガスにもその旨を話し了承を得た。すでに大人の一員となったアルスに対し、母の死の真相を調べたいという気持ちを止めるつもりは、デガスには無かった。
今宵はいつもより蒸し暑い夜だった。3つの月のうち大月だけが顔を覗かせていたが、前の夜のように温かな光には届かない薄暗い夜だった。
根元に腰かけてマリアを待っていると、小さな灯とともに足音が聞こえてきた。
「アルス?いる?」
マリアの声だった。自分のいる場所を声で教えると目の前にマリアがやってきた。マリアの来ている服は、前よりもっと軽装だった。
「暑い夜ね。息苦しくなる」
そう言ってアルスの隣にやってきて、前と同じく並んで根元に腰を掛けた。
「で、どうしたの?」
足元に灯を置いて、アルスの方を見ずにマリアは問いかけた。
「明日、旅に出ることにした」
前触れもなく、アルスは語った。
「え…」
マリアはアルスの方を振り向いた。
アルスは、灯で煌めくマリアの瞳を見つめながら、経緯を説明した。日中、3人組に絡まれたこと、村でマギーからメダルをもらったこと、そのメダルは3人組の忘れ物だが元々殺された母のものだったことなど。デガスからの話も掻い摘んで話して聞かせた。
マリアは、時折相槌を打ちながら静かにアルスの話を聞いていた。
一通りアルスの話が終わると、マリアは小さなため息をついた。
「母さんの殺された理由と殺した奴がわかるまで、村には帰ってこないから」
「そう…なんだ」
小さい声でマリアは言った。
腰かけている自分の膝の中に、マリアは顔を埋めた。
「行っちゃうんだ…。危険は、無いの?」
顔を埋めたまま話すマリアの声は、くぐもった音になり、遠い別世界から響いてくるような感覚だった。
「危険、か。考えなかったなぁ」
「ばか!危ないに決まってるじゃん!!」
呑気な声で語るアルスに、マリアは顔を上げて声を上げた。
突然大きな声に、アルスはびっくりしてマリアの顔を見た。マリアの綺麗で大きな瞳からみるみる涙が溢れてきた。
「そ、それで…、お母さんを殺した犯人を、み、見つけて…、どうする…、つもり」
もう泣き声に近い声でマリアは問いかけてきた。
犯人を見つけたら、どうするのだろうか。自分でも深く考えていなかったことに気が付いた。ただ、母を殺した奴を知りたい、なぜ、父と母を殺さなければならなかったかを知りたい、その考えだけだった。
「…、わからない。その時になってみないと…」
「そんな。…もう少し時間をかけて考えたら…」
少しマリアは落ち着いたようだった。
そう、マリアの言う通りでもあるが、時間が経てばたつほど、例の3人組は遠ざかっていく。
だから、まずは行動すべきだと、アルスは思っていた。
「…必ず、帰ってきて…」
マリアはそう言ってアルスに抱き着いてきた。また涙が流れているようだった。アルスもマリアをそのまま受け止めた。両腕でマリアを抱きしめた。そして互いに見つめ合い、唇を重ねた。
アルスはマリアの肩を抱きながら家まで送り届けた。彼女の家の玄関の前で別れる際、もう一度2人はキスをした。マリアが家に入るのを見届けると、アルスは駆けて家に戻った。戻るとデガスが明日の旅支度を済ましてくれていた。道具の傍に手紙があった。気を付けて行け、無茶はするな、ダガーとメダルは決して無くすな、どのくらいになるかは知らんが連絡は必ずしろ、と細かく書いてあった。さらにスタンザまで足を運ぶなら頼れる者がいるとし、そのヒューマンの名前と住んでいる場所が書かれていた。
翌朝、アルスは日の出とともに出発した。雲は多いが雨は降っていない。ところどころ雲の切れ目があり、その奥は夜と朝の合間の色を見せていた。
まずは3人組が逃げて行った方向にある、アポリスカの町に行ってみようと考えていた。
(行ってきます。デガス、そして…マリア)
徐々に陽の光が差し込んでくる東の道を、アルスは力強い足取りで進んで行った。
つづく