第8話 スイセイの軌跡
二章の山場に突入します。
【1】
反応はできなかった、反射でも無理だった。
目の前に攻撃が来ることすら認識できず、当たってから俺が攻撃されたのだと気づいた。
顔面に走る衝撃と、宙を舞う浮遊感。
そして内側から滲み出る気持ち悪い感覚を前にして意識ごと消滅した。
ただそんな事を、あった出来事を回想するくらい今が信じられない。
今現在目の前にいるのはさっきまでいた迷宮なんて物ではない、俺のよく知っている日本の、それも通学路に位置する場所だ。
「なんで……俺はここにいる。だって俺は……」
学校帰りの住宅街の通り道。
本来ならこんな場所にいるはずがない。迷宮にいて、魔物と戦って、異世界にいて。こんなコンクリートで固められた地面も、当たり前のように存在する信号だって無い。
モダンな住宅街を横に頭を抱えて倒れそうに──意識が崩れる。
「帰ってきたのか……俺だけが、あいつらを巻き込んだ俺だけが帰ってきたのか」
俺は必要がないパーツ、世界は俺のことを知らない。
ならばなんかの拍子に元の世界に戻されてしまうなんてこともありえるだろう。
戦うと言った輝樹、ついていくと言った彼女たち。
そんな彼らを置いて俺だけが戻っていいはずがない。
酷く痛む頭に手を当てて民家の塀にもたれ掛かりながら前に進もうと、そうしたとき。
「どうしたんだ水成? 顔色が悪いけど」
聞き覚えのある声、聴き慣れた声。だがそれは目の前にいるはずの無い人物。
「……輝樹なのか?」
いつも通りの学生服に身を包み、学校指定のカバンを下げている彼が壁にもたれかかって倒れそうになっている俺を不思議そうに眺めていた。
だがそれはおかしい、あいつは今勇者として魔族たちと戦うために頑張っているのだ。こんな所にいるはずはない。
「それ以外の誰に見えるってのさ」
じゃあ今まではなんなんだ。全部夢で勇者召喚や俺が無能だってのも全部夢かよ。
戦うと言った輝樹も、ついていくと言った彼女たちも全部夢、ただの妄想で現実では何もない。あれらは全てただの幻想──
違う、違う、違うだろ。
俺は迷宮に行った、魔物と戦った。馬車からも追い出された、無能だと罵られた。
白い少女と話した。だから俺は証明しないといけないんだ。
そうでなくては俺の意味が、存在価値がなくなる。でなければまた独りになる。
じゃあここはどこだ、どこなんだ。いったいここはどこなんだよ。
俺の世界なのか、違うのか。
俺は一人しかいない、俺以外は別人だ。俺にしかできないことがあるから、そのために、それこそが俺の価値で必要とされる理由。そうでなくてはいけない。
「誰に……いったい誰に言われた……俺の価値が……どこで」
今まで必死に努力してきた。辛くても耐えた、ずっと頑張って。
「俺はいったい何をしていたんだ…………」
何もなかった。
鍛えたと思っていた身体は運動不足とゲームで痩せこけている。
努力の結晶なんて何一つないじゃないか。
俯いた拍子に地面にあった水溜りがどうしようもない俺を写していた。
いつも通りの学生服に何も変わらない俺自身。
「俺は今まで何してたんだよ……何しようとしてたんだ……何もねぇじゃねぇか」
支えていた物が折れた、今まで俺を肯定する全ての要素である頑張りが消滅した。
やっていると思っていた、努力したと思っていた。けれどそれは全て誤りだった。
俺は何もしていない、何一つ努力なんてしていない。
全ては勝手な妄想で、努力なんてしていない。
「俺はなんなんだよ……」
「何を言っている。水成は今からゲームを買いに行く、そう僕に言ったんだろう。だったら買いに行く以外の選択肢はない。今から行くんだろう? 早く行かないと売り切れるんじゃなかったのか?」
俺はそうなのか、それが俺なのか。
『苦しいなら忘れろ』
「学校帰りに買いに行く、そう僕に言ったのは水成じゃないか」
俺は今からゲームを買いに行くんだ。
そうだ。そうなんだ。
だから──
「ゲームを買いに行くよ、俺はそういう奴なんだから」
引き止める誰かの手を振り払った気がした。
【2】
「おし買った買った」
随分と手痛い出費だったがまあいい、さっさと家に帰ってプレイするとしよう。
かなり前から欲しかった念願のゲームソフトだ、ネットでの評価も良さそうだったし神作に違いない。今日は徹夜でやって明日学校から帰ってきてからもぶっ通し、食事は適当でいいからとにかく早く帰ってプレイしたい。
そう思えるはずだった。
念願の、ずっと欲しかったはずなのに、ソフトを手にとっても何も感じない。
何も満たされない、いつもなら舞い上がって喜ぶはずなのに、飛び上がる気力すらない。
いったいどうしたのと言うのだ。俺の情熱は消えてしまったのか。
電気屋から出てそのまま家路に着いても一向に気分が晴れない、道路にある赤信号に足を止めて、ビニール袋から出したソフトのパッケージを眺めても、何も感じない。
まるで何もかもが抜け落ちたように、空っぽの自分が感情を抑えているようだった。
そして一向に信号は青にならず、目の前の道路には車が行き交っている。
ずっと、車はどこかへ向かっている。どこでもないここ以外へ。
いくら待っていても信号は青に切り替わることはなく、歩道橋もないこの場所では待つのは時間の無駄だと切り捨てて、少し遠回りになるかもしれないが信号を渡らなくていい通路から帰ることにした。
薄暗い裏路地を通って迂回するように家に向かう。
夕日が落ちていく中、ただひたすらに歩いていると、俺の後ろから車が追い抜いた。
それにふと振り返ると、また同じような車が通り、そしてまた車が同じ道を通って行く。
俺を追い抜いて行った車の数々は全て同じ方向へと進んでいく。
方角は俺の家とは別だったが、興味本位で後をつけた。
気分が晴れなかったから、すぐに帰ってやりたい衝動が沸かなかったから、少しくらい遅くてもいいと思った。
そしてついて行った先にあるものはただのグラウンドで、サッカーの試合をしている小学生たちの姿と、送り迎えに来ている親たちの車がいくつも止まっている。
試合の方はと言うと、俺の母校である学校と名前を聞いたことある学校が戦っているようだった。
『お父さん、お母さん……今日は…………』
一瞬だけ見えた嫌な光景に舌打ちをした。
それは俺じゃない。
嫌な光景を忘れるようにコートの外にある仕切りのネットに指をかけて握りしめる。
するとすぐ横に立っていた大人2人が何やら耳に残るフレーズを口にしていた。
「あれが例の天才少年ですか。確かに目を見張る物がありますが早すぎる気がします」
「今の時代、高校から集めても遅すぎる。光る原石ならばまだ若いうちに持っておいたほうがいい。それに今から彼を中心に添えることができれば将来的に大きなアドバンテージを得ることができる」
知らない大人2人がある少年に指を刺して何かを話していた。
その人物はどんな奴なんだろうと目を向けると、体格は同じ同級生の中でも少し大きめで、なおかつテクニックが凄かった。
相手を瞬く間に置き去りにして、綺麗に点を決めてから自陣へと戻っていき仲間と笑い合っていたが。
「危ない!」
そんな声が通る前に、彼の背中にはボールがぶつけられた。
そしてぶつけたのは相手チームの子。残り時間もう無く、これから逆転のチャンスなど無いと分かった上で腹いせにぶつけたのだろう。
小学校などではよくあること、彼らはスポーツマンシップを気取るにはまだ幼すぎる。
負ければ悔しいし、それを原動力にできるほど大人でもない、腹いせに嫌がらせをすることくらいある。
『ふざけるな! お前のせいなんだ!』
ボールを当てられた衝撃でその天才少年は地面に倒れてうずくまっていたが、いつしか立ち上がって周りの心配する声に大丈夫と言って試合が終わり、そのまま勝利を喜んでいた。
なのにこんなにもムカつくのはどうしてなのか。
天才少年は仲間たちと笑い合ってきたようだが、そんな時間は長く続かない。
保護者の迎えによって帰る時間がやってくる。
一人、また一人と、仲間たちは次々と親に連れられて車に乗って家に帰る中、彼だけが残った。その時にはもう、笑顔なんてない。
『そいつに迎えは来ない』
敵も味方も、誰一人いなくなったベンチの上で独り帰りの支度をしていた彼の下にさっきまで横にいたはずの大人たちが近づいて声をかけた。
それに反応して彼はようやく顔を上げる。
「…………嘘だろ」
その顔を忘れるわけがない、誰でもない俺がこいつを忘れるはずがない。
何故ならこいつは。
「昔の俺だ……」
小学校6年の俺。
そしてこの後はもう思い出せる。
「スイセイ君だね」
その大人は胸ポケットから名刺を取り出して彼に差し出す。
「君は特別な人間だ。だからその才能をぜひ伸ばしてあげたい」
そいつはどこからか来たスカウト。
「我が中学に来ないか?」
封じ込めて、なかった事にした過去が開かれた。
【3】
この光景は知っている。俺だから、俺が経験した過去だから、知っている。
「お父さん、今日……スカウトみたいなのが来たんだ」
彼らに言われた『特別』という言葉に浮き足立ち、家に帰ってすぐ父へと電話をかけた。
自身が認められたことが嬉しかった、彼らから必要とされたことが嬉しかった。そう思って何も考えることなくもらった名刺を握ったまま受話器を持っていた。
当然返ってくる返事は決まっている、そう思っていた。
「………………」
何も返ってこない、けれど確かに通話は繋がっている。
そう、父は何も言わなかった。
父の返事は「よかったな」なんだと信じていた俺には理解しがたい物だった。
何も言わず、何一つ発することない父が、もしかしたら聞き取れなかったんじゃないのかと。絶対にそうだと決めつけてもう一度同じことを言った。
「俺は凄いんだ、みんなが認めてる。だからさ……」
「………………」
「俺は特別なんだって、それを伸ばしてやれるって言ってたんだ」
「………………」
何を言っても返事を返さない父が怖くなった。
いつもと同じだと分かっているのに、それでも今回ばかりは怖かった。
そして。
「ごめんなさい……俺が悪かったです。だからこの話は無かったことにしてください」
「………………」
静かに受話器を置き、持っていた名刺を握り潰して床に座り込んだ。
俺は諦めきれなかった。この才能が生かされるべきだと、これらが評価した俺という存在がそのために生まれてきたのだと本気で信じたかった。
自分には他人にはない才能があって、自分は特別で、周りの人間とは違う。
それはきっと幼少の頃に抱いて、歳を取るごとに失っていく子供の夢。
テレビに映るヒーローを夢見て、いつしかそれがただの理想だと切り捨てるはずの物。
なのにそれを信じたかった。
俺は特別なんだと、信じて離さなかった。
特別でなければ存在価値なんてない、特別でなければいる意味がない。
ただの暇つぶしで、輝樹に頼まれたから始めたサッカーを才能があるからという理由で続けた。決して好きだから、楽しいからという純粋な気持ちはない。
好きも関心もないのに才能があるから続けた。そんなことはあってはならない事だ。
『周りの大人から褒められる。それを続ければみんなが認めてくれる』
好きなわけじゃない。
優越感を満たすだけの物、ただそれだけ。
だから俺は両親に嫌われたくはない、わがままを押し通して彼らに嫌われることは嫌だったから諦めた。多くの特別を求めて、誰からも評価される人間になろうとして、結局そんなことが実現するはずはない。
俺は特別だった、それ故に人よりも特別の価値を深く知っていた。
特別でなければ何もない、誰も見てくれない。俺からそれを取ってしまえば何も残らない。
俺の存在意義を示し続けるために、俺は特別でなければいけないんだ。
【4】
「おはよう」
俺はまたいつも通り挨拶をする。
誰もいない家の中で誰かに言うわけでもなく、けれどどこか居て欲しいと思いながら。
そしてまた一人で食事の準備をする。誰もいないから誰かがやってくれるわけがない。
食べるものがないから、着るものがないから、そうやって自分でやらなくてはならない状況になっていくにつれて、自然と家事ができるようになっていた。
そんな物になりたかったわけじゃないのに。
そして両親と話し合いをする事もなく、名刺を貰った大人との接触は無いまま、地元の中学に上がることになった。
あれ以来彼らと会うことはなかった。
こちらから電話をかけてこなかったから諦めたのだろうか。そんな事をいくら考えたって出てきやしないのに、それでもまだ考える時があった。
制服に着替えて食事の準備を終えてテーブルに着こうとすると、その上にはメモが一つと茶色い封筒が置いてある。
それが何なのかは今までだってあったのだから知っている。
置かれている紙切れと封筒を衝動的に握りしめてゴミ箱へと叩きつけようとするも、全てがどうでも良くなって床に倒れ込む。
「こんなんで……こんなんでどうにかなるわけねぇだろ!」
今月分の生活費の入った封筒を床に落とし、力なく座り込んでうずくまった。
母さんの手料理を食べたのはいつだったか忘れた。
父さんの顔を見たのはいつだったか忘れた。
いつも帰ってきては「疲れたから後にしてくれ」と言って自室に入っていく彼らの後ろ姿を眺めながら、いつになるか分からない後を待ち続ける。
もう彼らの顔は思い出せない。連絡の手段は持たされた携帯電話と、たまに帰ってきて置いておく生活費と一緒にあるメモだけ。
それも内容なんて無いに等しい。
もう彼らと顔を合わせる機会なんて二度と無いのだろう、そう思いながら学校に向かう。
この溜まった膿みを吐き出す場所はどこにも無い。
だから忘れるように、全て無かったことにして心の奥底に封じ込めて。誰にも溢すことのできないこの気持ちを押し込んで。
【5】
俺は中学校でもサッカー部に入った。
特別でなければ誰も寄ってこない、特別だから誰かが来る、友達が、クラスメイトが。そして彼らの求めるのは有名な俺。小学校の時に名前を聞いたことある天才の水成だ。
だから入った。それ以上もそれ以下もない。
俺がサッカー部に入ることに反対する者はもちろんいなかった、だから入った時にかけられる言葉は称賛だと信じていた。
「お前は要らない。お前みたいなやつはこの部活には要らない」
入部初日に行われたレクリエーションで監督に退部を強要された。
俺は特別なのに、そこらのカス共とは違うのに。実際に試合をやっても勝ったというのに、あろう事か監督は俺を否定する。
「何言ってんだ! 俺はそこらのクズ共より上手かった! そこにいる初心者に毛が生えた程度の奴より断然俺の方が戦力になる。実際に試合を見ただろ? 俺だけが点を入れた、他の奴らは何もしていなかったんだぞ!」
試合内容は俺だけで全て終わらせた。敵からボールを取って、そのままゴールに入れる。
他の奴らは何かできるわけでもなく終わった。
なのに、一番貢献した俺を排除するってのはおかしい。そう思うのも自然だった。
「俺は特別だ、上から声もかかってる。お前みたいな節穴に邪魔されて球拾いしてる暇はねぇ……」
そこまで言い切ったとき、監督が俺を殴った。
衝撃で口の中を切って地面に倒れながら相手を睨みつけるも、監督側は何の申し開きもなく冷たい目をしていた。
「今のお前の存在はチームにとって癌だ。それを気づけない内は必要ない」
地面に倒れる俺を前に、監督は俺の存在を否定して去っていく。
「俺は特別な人間だ……他のやつとは違う。周りの凡人達とは違う、俺だけが認められたんだ、それを知っている人は俺の価値に気づけていない人間の何倍も多いはずなんだ」
優秀な選手を見極めるスカウトの目に俺は止まった、今回の監督が馬鹿だっただけで俺は本当は特別に違いない。周りが評価しないだけで、俺は特別のままなんだ。
だから誰か、俺を──肯定してくれ。
【6】
みんなが求めているのはサッカー選手としての水成だ。
小学校の時にすでにそこそこの知名度があって、監督が追放したとしてもサッカー部に所属していない人間からするとまだ俺は『サッカー選手としての水成』のままだった。
何も知らない教師から褒め称えられ、特別であるから近寄ってくる友人達に崇められた。
そして一年が経った頃。ウチの学校は大会で一回戦落ちをくらっていた。
当たり前だ、あんなカス共を寄せ集めただけの奴らで勝てる訳がない、そうやって校舎から無様に練習している部員達を眺めていると。
「水成先輩ですね」
知らない後輩に声をかけられた。
見た目はおそらく年齢の平均身長よりいくらか低く、色白で不健康そうなやつ。
その校舎内での彼との出会いが俺の人生を加速させる、それが彼を終わらせるのに。
【7】
彼の名前は久利。少し長めのストートの髪と色白の肌が特徴的だった。
俺の一個下の後輩で、身長は低かったがサッカーは俺ほどではないにしろ、かなりの物だったが、何故か部活に入れてもらえなかったらしい。
それに対してあの監督がいる限りきっと上手いプレイヤーは消されるのだろうと予測した。ダラダラと球遊びをしたいがために上手なやつを排除してゴミを育成する。
それが奴のやり方なのだ。
そう久利に言ってみるも、彼はもう諦めている様子で仕方がないと言っていた。
「悔しくないのか、あんなやつに人生邪魔されて」
二人で公園でボールを蹴っているときにそんな質問を投げかけた。
俺の質問に仕方がないと言いつつも、そう言った彼の目はどこか悲しそうだった。
「僕は大丈夫ですよ、でも先輩が追い出されるのはちょっと分かんないですけど」
自分は良いと、俺を認めてくれた友は笑ってみせた。
「僕は全国大会に行きたい、でもきっとそれはできない。だから先輩が叶えてくれませんか? 僕の代わりに上に進んでください」
ゆっくりとボール蹴った。
沈みゆく夕日からの逆光でおかげで彼の表情がよく見えた。
そしてそれは今にも消えそうだったのを覚えている。
「お前もなれよ。俺はもっと上に行くかもしれないが、お前だって届かないわけじゃない。それは天才の俺が保証してやるよ、お前は絶対凄いやつになる」
俺もこいつも凄い才能がある、他のやつより優遇される権利がある。
だから全てを差し置いてでも俺達の才能が、特別が正しい。
「だから俺と一緒に出てみようぜ」
そうして俺は選手表を書き換えた。
ちょうど邪魔になる監督が消え、代わりに教師が顧問を務めた時なら簡単にできる。
それに監督は俺たちの事を自分の中だけで完結していたため、外部には何も言っていなかったのも功を奏した。
今までの一回戦落ちのクズどもを俺たちの力でどうにかする。
俺たちは特別だからできるはずだと、疑いもしなかった。
【8】
『そしてどうなった』
建物などない、風景などない、光なんて一つも届かない暗闇の中で、誰かの声は俺を責め立てる。
目の前で見せられる過去の記憶を、今まで封じ込めていた過ちを、ひたすらに見せられ続ける。何度も、何度も、やめてくれて叫んでも、目を瞑っても、それは見える。
なぜならそれが俺だから、切っても切り離すことのできない事実だから、逃げることのできない罪を何度だって見せつける。
「お前は……誰だ……こんなもの見せやがって、いったい何がしたい!」
真っ暗な、どこでもない場所で、永遠に見せ続けられる罪に倒れそうになりながらも持ち堪えて、目の前にいるはずの誰かの胸ぐらを掴んで引き寄せて殴りかかったが。
『お前の方こそ何を言っている。人から人生も未来も全て奪っておいて、今更自分のために未来を作ります──か。そんなもの都合がいいにも程がある』
そこにいたのは俺だった。
そして曲げようのない真実だった。
『久利を壊して、彼から未来を奪ったのはお前だろ。周りを騙し、自分のためだけに行動した結果、彼を地獄に突き落とした』
掴んだ腕から力が抜けて、背後へと後退する。
『もう思い出しただろう。俺が記憶を呼び覚ましたんだからな』
あの時の悪夢が蘇る。
『大量の点差をつけて息巻いていたお前に逆上した相手が、せめてお前だけは潰してやろうとボールを蹴る瞬間に要となる軸足を破壊。そして軸足を破壊され、コントロールを失ったボールは久利へと当たる』
あの時の光景が、俺の足が破壊された光景が、痛みが、そしてその後に起こった悲劇が呼び覚まされる。
『背中にボールを強打した久利は体勢を崩した。それだけならよかった』
最悪の光景が、悲劇の始まりがここに開かれる。
『相手は中学生だ。負ければムカつくし、何より彼らには高校のスカウトが待っている。下手な試合はできないのにお前達のせいで全てが破綻した。だからやったんだよ、お前が小学生の時に起こったような腹いせの攻撃が』
人為的な衝突事故。倒れる彼を蹴り飛ばした。
走っているように見せて、今までの恨みを、努力を踏みにじられた憎しみを抱いて。
『それだけならよかった。ただの衝突事故で終わればよかったが──』
彼は背骨と首の骨を折った。
そして下半身はもう、動かない。
『お前のせいであいつは、二度とコートに上がることはない。未来も夢も全部お前が壊した、もう二度歩けないようにしたのはお前なんだよ、俺達なんだよ、スイセイなんだよ』
久利は下半身が動かなくなり、俺は軸足を破壊した事によって今までのようなボールを蹴ることはできなくなった。そのうえ膝を治すリハビリと医師の診断結果としてもう二度とスポーツをする事はない。
俺はこの時、唯一の『特別』を失った。
俺の価値はなくなった。
「俺だって……やりたくてやったわけじゃないんだ…………」
そうなるとは思わなかった、こんな事になるなら初めから理想なんて抱かなかった。
『忘れる事が許されるとでも? 過去をなかった事にして、知らない顔して生きていく事が許されるとでも? 傷つけた人から目を背けてのうのうと生きていけるとでも?』
「俺は………………」
返す言葉がなくなった。
『僕はスイセイ、友達を壊した。けど仕方ない、忘れればいいんだ』
『僕はスイセイ、みんなに合わせる顔がない。けど仕方ない、忘れればいいんだ』
『僕はスイセイ、意味もなく誰かを壊した。けど仕方ない、忘れればいいんだ』
『僕はスイセイ、人の気持ちを踏みにじった。けど仕方ない、忘れればいいんだ』
『僕はスイセイ、誰かの未来を奪った。けど仕方ない、忘れればいいんだ』
みんなが責め立てる。今までの罪を蔑ろにした俺に罪過の精算を求めている。
『僕はスイセイ、親友とその仲間を殺した。でも仕方ない、忘れればいいんだ』
その先が地獄だったと知らなかった、先にあるものを知らなかった。だがそんな事が許されるはずはない。失った命は戻らない、破壊した未来は取り戻せない。
『僕はスイセイ、何十万という命を無駄にした。殺したも同然だけど仕方ない、忘れればいいんだ。何もかも忘れて、なかった事にすればいい。そうだろ? スイセイ』
『俺はスイセイ、友を殺し、見ず知らずの誰かを殺した。人々から未来を奪い、絶望を叩きつけ、挙句に自分で被害者ぶって忘れる事に努力した。考えるフリをして、目先のことに囚われる格好をして、過去の出来事から目を逸らすように誘導した。今が忙しい、仕方ないと、目の前のことに必死になる演技をして過去を蔑ろにした』
『本当の自分を認めるのが嫌で逃げ出した。全てをなかったことにして新しい自分を作り出し、関係ないと忘れた。自分の軌跡を捨てて誰かに寄生した』
『目先のことから逃げ出して、ゲームに没頭して現実から目を背けた。何かに熱中することで記憶を上書きし続けた』
「違う……違う……俺は……そんな」
『違わないだろ。お前がゲームを始めたのも、新しいお前になったのも、全てを失った3年前。病室で歩けないお前はゲームをして現実から目を背け始めた、それが事実だ』
否定できなかった。
こいつの話は正しくて、俺が間違っている。
「……がぁっああ」
全ての元凶を始末する。
それ以外にこの罪を償う手段はない。
罪人の首を締める。こいつさえいなければ誰かが傷つく事はなく、誰も不幸にはならなかった。こんな過去を見せられることなんてない、苦しい思いをする事はない。
死ね。死んでくれ。頼むから死んでくれよ。
お前さえいなければ誰も不幸になんかならなかった。
誰も傷付かなくて済んだ、誰も悲しまなくて済んだんだよ。
だから黙って死んでくれ。
そうして首を絞め続ける。
俺が死ねば、俺がいなければ。
初めからそれが正解だったんだ。
力を込めて命を絶とうとすると、
「その辺にしとけ」
真横から聞こえてくる男の声と同時に俺の腕はその男に掴まれて引き離された。
「ここは俺の領域だ、たとえあんたのやつでも好き勝手されたら困るんでな」
短い金髪にオッドアイの眼を持つ男はそう言って俺を別の空間へと放り投げた。