第5話 異世界も崖っぷち
【1】
「マジか……本当に治った」
ユノが傷口に手をかざすと光が現れ、それが全身を包み込む。
すると高速で傷口は塞がり初め、魔物に食いちぎられた腕と大量の打撲痕や切り傷などが瞬く間に完治した。
その異様な奇跡とさえ言える光景を目の当たりにして、失ったはずの右腕がちゃんと動くかどうかを確信し、そのまま左足を曲げてみたりして治癒魔法の凄さを思い知らされる。
傷が完治したので立ち上がろうとしてみるも、失った血液までは補充できるわけでもないらしく、一瞬だけフラついて倒れかけるがなんとか踏みとどまる。
すると俺を治してからずっと待っていたユノが自分のを手を眺めた後に口を開く。
「やっぱり……こちら側はダメね」
そう言って彼女が手を広げると、足元から全く別の草木が生え始め、あたりの景色が物理的に移り変わっていく。
今までいた暗くて湿度の高い森の中とは打って変わって広々とした草原に切り替わる。そして森の奥深くには入ってこない風までもが吹いており、ここが幻覚や眼の錯覚ではなく、現実なのだと教えていた。
「ここは私の世界、私の領域」
「…………世界?」
ユノの世界、その意味は全く理解できないし分からない。
だがそれ以上に、なんで俺は彼女と会話が成り立っているんだろうか?
出来るだけ言葉を覚えようとしたがめぼしい成果は全くなく、実際に馬車で言葉が通じないからと言う理由もあって投げ出されているのだ。
彼女と話ができているのもよく考えるとおかしい、ご都合主義にも程度というものある。
ユノが特別なのか? それともこの彼女の言う世界とやらが関係しているのか?
辺りを見回すと同時に彼女へと視線をじっと向けた。
「私に聞きたいことがいっぱいあるだろうけど、まずはついてきて」
聞くタイミングを逃してしまったが、後から聞く機会はとってもらえるらしい。
日が落ちている平原の中を歩くユノの後ろ姿について行く事にして足を動かした。
そしてついて行くこと少し、ユノが足を止めるとそこには木と石やコンクリートでできた中世風の家がたった一つ立っていた。
その家の焦げ茶色の木でてきた扉をユノが押して開けると少し引きずるような音がしたが、そのまま中に入っていく彼女の姿を目で追い、奥にある真っ暗な廊下を見つめながら中に入った。
家の中は全くと言っていいほど人気がなく、部屋の隅に溜まっているホコリから長年手入れされていないのだと分かった。
そしてユノが『ただいま』と言わない所からこの家には彼女以外の人間はいない。いるのだとしたらそれはもう習慣になっていなくても口走ってしまうものだ。
だからいない、彼女は独りだ。
「少し待ってて、いまお茶を用意するから」
キッチンへと歩いていくユノに、いつのまにか止めてしまっていた足を動かしてダイニングのような部屋のテーブルにあった椅子へと座る。6つあった椅子が気持ち悪かった。
場の雰囲気が悪かったわけではない、ただ初めてくる人の家で寛げと言うのが無理なものだ。家主に全部任せて足を伸ばすことはできそうもなかったので席を立ち、キッチンでお茶を入れようと悪戦苦闘しているユノからポットを取り上げてコップの中に注ぐ。
「手慣れているの?」
「まあ、人並みには出来るってくらいだ。誇れるものじゃない」
ただそうやっていた期間が長かっただけで、誰かに自慢できるものではない。
「すごいね、私はずっとできなかったから」
顔を俯いて湯気のたっているコップへと視線を向けるユノに感情が顔に出やすい人間なんだと思ったが、きっとそれを言うことはない。
少しずつ伝わってくる彼女の現状に唇を噛んだ。
「これは向こうに持っていくから、先に座っててくれ」
食器棚の中にあった盆にコップを載せ、先にユノをテーブルへと着くように促してからキッチンを出る。そして湯気が立ったままのお茶を置いて俺も向かい側の席に座った。
「俺もいくつか聞きたい事があるが、その前に何か話さなきゃいけない事があるんだろ」
聞きたい事は山ほどある。
俺を助けてくれたことや、今こうして話せていること。それは俺にとって幸運以外の何者でもないが、それでも理由は知っておきたい。
熱を保っているコップに手を当てて湯気を見つめていたユノはようやく決心をつける。
「私があなたを求めた理由、それは運命を変えるため」
運命。運命の相手や運命の赤い糸などと言った言葉はよく耳にするが、きっとそれではない。彼女の言いたいことは。
「運命論、決定論の話か……」
俺自身も運命論や決定論に関して深く知っているわけではない、だがそれらが大体何を示しているかくらいは知っている。
細かい差異は存在するが、どちらも『物事の結末は既に決まっている』と言うものだ。
「知っているなら話が早いけど、運命論の方ね。全ての物事は運命によって決まっていて、それを変えることはできない。それが世界のルール」
いわゆる因果律というやつに似ている。結末は既に決まっていてそれに沿って人生は進んでいく、それが運命論の提唱する人生観。
「そして今運命という世界を円滑に進める世界のルールによって終わりが決まった」
唇の奥で歯を食いしばっているユノの姿が見えた。
理由は分からない。けれどただの好奇心で突いていいような物には感じられなかったので黙って話を聞くことにした。
「だけどそれはこの世界を基盤としたルールであって、異物はそこには含まれない」
異物、それが異世界から来た人間であることは容易に想像できた。
そして彼女が俺を求めた辻褄も合う。この世界が運命によって決められていたとしても、異世界から来た人間はその運命に囚われることなく行動ができる。
そのために運命の影響を受けない人間を呼び寄せるのは理にかなっている。
運命に争い、未来を切り開く者こそが勇者。勇者はそこから来ていたのか。
「そのための勇者召喚、だからわざわざ勇者なんて者を呼んだのか……」
でも待て、そうなれば俺じゃなくてもいい。むしろ俺以外の人間の方がいい。
魔力適性を持っている花凛や奈美の方が運命に抗うとすれば戦力になる、そして何より戦力を求めるのなら勇者がいる。彼に助けを求めた方が確実だ。
「それは違う。勇者に運命に抗う力は存在しない」
ユノはキッパリとそう言ったが、勇者が運命に対抗できないとすれば全てが無意味になるのではないか。勇者召喚も、異世界人が運命の影響を受けないのも今までの会話が頓挫する。
「まず勇者という物は【勇者召喚】の儀式によって連れてこられる異世界の人間。そして勇者を呼ぶために使われた生贄の魂と魔力を一身に受ける事で魂の統合が始まる。そのせいで生贄となった魂に存在する魔力適性、魂の記憶を受け継ぐことができる」
勇者は全ての適性を持っているのではなく、全ての適性を持っている魂を受け取ったということ。そしてもう一つ、魂の記憶というのは。
「もしかして異世界に来た時、輝樹が状況を把握していたのは……」
「勇者には魂の記憶が受け継がれているから、あの場面で彼は自分が勇者で魔族との戦争がある事は知っていたのでしょうね。そして巻き込まれた仲間達にも勇者に与えられるはずだった魂の一部を受け取って同じように記憶を見た」
彼女達の持っている魔力適性は生贄に使われた人達の物、そして彼女達も魂の記憶を見た。そしてそれが国王の言った『知らないのか』の本当の意味。
「ずっと気になってたんでしょうけど、私達がこうして話せているのは言葉を伝える魔法。勇者達のような魂の記憶による言語の付与とは違う、翻訳機のような魔法によるものね」
記憶を植え付けられるという事はもちろん言語に関わる物だってある。そして彼らは見せられたのではなく記憶を与えられた、言うなれば『知っている』事にされた。
「勇者の力ってのは分かったが、それと運命がどうやって繋がるのか未だに分からないんだけど……」
「さっき言ったように異世界人は異物として認識される。だから勇者召喚されるときには『その世界に最適化されてからやってくる』一度分解されてからこっちの世界用に作り替えられているのよ。そして分解されてから再構築される際に晒される膨大な濃い魔力によって肉体が変質し、高い身体能力を得ることができる……これが異世界召喚の正体で、異世界人はこの世界にやってくる時に『こちら側に最適化される』の一部分だけに目を向けるのなら『運命に繋がれる』ってこと」
勇者としての身体能力は、異世界からこっちの世界にやってくる際に一度分解されて再構築される。こっちの世界に最適化されるからそのときに運命に繋がれる。
簡単に言うと『異世界人を原住民と同じにする作業』が行われていたということ。
だから彼らは運命に繋がれる。初めからそうであったかのように、運命の力が関与する。
だからこそ。
「俺はなんだ? 少なくとも魂の記憶をとやらはないし、魔力適性はゼロ。あいつらのような高い身体能力は無い」
その答えは分かっている。
この話で俺がどんな人間なのか理解しているつもりだ。けれどまだ確証が欲しい。
「あなたは運命の影響を受けないただ一人の人間」
既に決まっている結末を、初めから沿うことを義務付けられている運命に対して、俺は何の影響も受けない。
「世界はあなたを認識することなくこの世界に落としてしまった。おそらくこの世界に来るときに座標のブレがあっただろうけど、そのせいね」
──俺は何も得なかった。だからこそ何かを得るための力を手に入れることができた。
俺は文字通り何の力もなかった。魔力適性も勇者のような身体能力も何一つなかった。
それは今も変わらない事実だが、その代わりにこれからを掴む力を得た。
「私は女神として、この託された世界を救わなくちゃいけいない。だからそのためにあなたの力を貸して、水成」
真っ直ぐな目で俺を見るユノに、視線をずらしてコップの水面に映る自分の顔を見た。
傷は全て治っているが流れた血はそのままこびりついている。
運命を変えるというのがどれだけ大変な物なのかは分からない。だがこの世界に来て、初めて必要とされたのだ、俺はそれに応えたい。
「任せろ、俺が運命を変えてやる!」
俺がそう宣言するとユノは席を立ってテーブルを強く叩いた。
「一番最初のターニングポイントは一年後にある第一次人魔大戦時の勇者の死、これは絶対に阻止する」
期限は一年後、勇者の死を必ず阻止する。
【2】
いなくなってしまう家族を前にして、少女は一度は飲み込んだはずの言葉を吐き出した。
「……本当に行っちゃうの?」
薄暗い玄関の前。
日が昇る前の時刻にひっそりと出て行こうとした家族を前にして、仕方ない事だと理解していながらも、承諾できるはずがなかった。
「俺達はやらなくちゃいけない事があるんだ、それはとっても大事な、俺たちがやらなくちゃいけない大事な事が」
金髪の青年は「行かないで」と言いたくても言えない小さな少女へ、少しでも安心させられればと、優しく頭を撫でてから諭すように口を開いた。
「絶対にこの戦いは避けられない、お前が生きていくためにはそうするしかないんだ」
「私は良いよ、でもみんながいなくなっちゃうのはやだよ」
衣服の袖を強く握りしめ、唇を噛み締めている。
今にも泣きそうな顔をして、それでも何とか踏み止まっているその姿に、青年の後ろにいる2人は胸の締め付けを無視して歩いていく。
見たくなかった。これ以上は覚悟が鈍ってしまうと、顔を合わせずに逃げるように去っていく事を決めた。
後ろの2人が先に行った事を見て、もう行かなくてはならないのだと立ち上がる。
そして最後に最愛の妹に向かって。
「俺達は死なない。必ずまたここに戻ってくる」
「……本当に? 嘘じゃない?」
「ああ、本当だ。だから何の心配もいらねぇ、全てが終わったらまた昔みたいに笑えるだろうよ」
最後だから、笑って見せた。
それが叶わないと誰よりも知っていながら、誰よりもそれを望んだ。
この先の戦いで自分が生き残れない事など、彼の魔眼が既に分かっていたはずなのに、強がって、別れの挨拶ができなかった。
「じゃあ私はずっと待ってる。みんなが帰ってくるのをずっと待ってる」
ようやく顔を上げてくれた少女に「約束だ」と言って、彼を見送る少女の姿を一度も振り返る事なく目の前から去った。
そして青年──ゼインは死んだ。
ただ一人の妹に何一つ残してやれないまま生涯を終えた。
ずっと帰ってくるはずの返事を待って、今も彼女はそこにいる。