第3話 初めての勝利
獲物を狙い、牙を剥き出しにして飛びかかる獣に対して両手で握った片手剣を力の限り叩きつける。
実際のところ圧倒的な力で切り伏せるだけの身体能力がなければ、人間サイズの動物を切ることなどできない。
だがそれをどうにかするのかこの世界の魔法であり、輝樹の持っている勇者の力。
けれどそんな物は無い。目の前に襲いかかる魔物を斬り伏せるだけの力も技量も俺には無い。だから難しいことを何も考えず、ただ力強く握って鈍器としてぶん殴った。
相手の頭骨に重さ数キロの鉄の塊、そしてそれに加えられた破壊のエネルギーが突き刺さる。
腕を振り抜き魔物をぶっ飛ばす。
斬るという剣の能力を捨てる代償で確かにダメージを与えることができた。
頭骨に衝撃をやられて立ち上がることが困難になっている魔物から一旦目を離し、次に食い殺しに来ている魔物へと剣を振るった。
だがド素人のフルスイングくらいは難なく対応して回避、そして野生の本能通りに喉笛を食い破るために大きく口を開いたそいつの下顎へと膝蹴りを喰らわせる。
開いた口を強制的に閉じさせ、今更引き戻すことのできない剣を諦めてスイングを加速させ、勢いの乗った剣を正面から叩きつける。
すると手に伝わる刃物が肉を切る感触。
ここでようやく相手の肉を切り裂いた。
大量の血飛沫を上げて倒れていく魔物に対し、ダメ押しにかかと落としを喰らわせて完全に息の根を止める。
突き刺さったままの剣を回収して残りの2匹へ目を向ける。
「あと2匹……って言っても、こっちの息が切れてちゃザマァねえよな」
たった1匹殺すだけでこちらは息を切らしているが、相手はそうではない。片方は俺が脳天に鉄の塊を叩きつけたおかげで今までは動けずにいたらしいが、もうそんな物の回復は終わっている。
そしてもう片方はこちらを睨みつけて食い殺そうとしてくる。
そんな相手を前にして限界まで地面を踏み込み、全力を持って剣を振るう。
裏に回れる速さも無い、知恵を利かせて状況を打開できる策もない。俺にできる事は正面からぶっ殺すことだけだ。
だがそんな子供の喧嘩のような低俗な事を甘んじて受け入れよう、そんな事を言ってくれる奴がどこの世界にいる。
もちろん魔物だってそんなものに対抗するはずもなく、斬りかかる直前にその巨体で俺を突き飛ばす。
肺から全ての空気が押し出され、肋骨はミシミシと音を立てる。
正面からかかる衝撃に引きずられながら、もう一度来る衝撃に身体を硬直させて全身に防御を命じる。
それで防げるわけがないと分かってはいた。最初の攻撃の時点で俺は何の反応を示す事なく吹っ飛ばされているのだ。次に魔物が攻撃を仕掛けたときが死ぬと理解できていた。
高速で宙を飛び、木々に叩きつけられる度に内臓が破壊されて口から血を吐く。
ぶつかった木々に溜まっていた雨水が衝撃と共に突き立てるように降り注ぎ、消えかけた意識を叩き起こしてくれる。
くたばるならコイツに勝ってからだ。
そうして剣を地面に突き立て、なんとか支えにして立ち上がるが相手は2匹いる。
彼らの連携の前には攻撃をする以前の問題だ。
一瞬でいい、奴らを引き離せ、そうすれば後は勝手に離れていく。
剣を水平に、形作るは霞の構え。
古流剣術の一種にして剣を水平に構え、相手の両眼を斬り払うことに由来する物。
本来なら剣を振るって目を潰すのがセオリーなのだが、俺には相手の間合いに入り込んで攻撃をする速度がない。だから遠くから、相手が一足で届かない距離から。
水平に剣を振るう。
そして振るい終わりと同時に地面に踏み込み、突きの体勢を持って脳天を剣を突き刺す。
相手の魔物は理解できない。
片方の動きが止まっている事に、自分がなぜ刺されているのかを。
俺がやったのは純粋な霞の構えではない、俺が木々に叩きつけられた時の衝撃で降ってきた雨水を乗せた剣を振るっただけ。
言うなれば目潰し。
直接間合いに入る事なく相手の視界を奪う。物を認識させると同時に瞬き、もしくは内部に入れることができるのならその瞬間、視界という情報源を失うことに他ならない。
犬には狼と同じく嗅覚が発達しているためにそれが効かないとも考えたが、もしそうなら俺はあの時、彼らの姿を見つけてしまったときに発見されている。
それにより奴らの嗅覚がそこまで高いものではない、もしくはこの森の臭いのせいで把握し切れていない。ついでに言うと今の俺には雨と泥で森に紛れるくらいの臭いはある。
「1匹……仕留めたぞ」
そう思った矢先、魔物はまだ死んでおらず、虚を突かれて地面に叩きつけられる。
地面に転がった俺の腕に噛みつき骨をへし折る。
「がぁぁぁぁあああああああああああああ」
なんで、剣は確実に突き刺さった。それに今もなお突き刺さったままだ。
噛みつかれて骨が砕けていく右腕を我慢して空いている左腕で剣を掴み、力の限り奥へと突き刺す。だが痛みのあまり離れると思っていたのに相手は一向に離れない。
「脳自体には……痛覚を感じる物がないのかよ」
剣を離して相手の目へと拳を叩き込み、地面に転がっている尖った石を眼球に叩きつけてなんとか脱出するも右腕は限界だった。
大量の血が流れて、今も動くかどうかわからない。ただ分かるのはすごく痛いとだけ。
そしてゲームとかの知識で今まで勘違いしていたが、ヘッドショットは即死じゃない。
脳天に弾丸を食らって生きているなんて事例はザラだ。
何より運動能力を司る小脳を確実に破壊しない限りクソ犬は闘争本能で必ず動く。
単純な脳構造が魔物と人間でどれだけ違うか分からないが、硬い頭蓋をかち割って大脳に進出している今、もっと奥に行けば小脳がある。
だから俺のできる事はあの剣をより深く、もっと奥へと差し込む事。
それだけがあいつを倒す手段だ。
「ガルゥゥウ」
分かっているか、自分が倒される事を。
ここで俺を殺さない限り、自分の命が脅かされるのではないかと言う事を。
そしてそれは──俺も同じだ。
前足で殴りかかってくる魔物の攻撃を回転をかけて回避、そして最強と言われる蹴り技、回し蹴りを剣の柄に叩きつける。
少し剣が内部に進んだとはいえ、まだ足りない。
まだこいつは倒れていない、死んでいない。もう一度あの柄に打撃を当てて内部へと進ませる、それだけを思って前に踏み込むが、二度目はない。
当てられるのなら先に当ててやればいいと言わんばかりに、強烈なタックルに見舞われて遥か後方に吹っ飛ばされた。
「がっはぁあ!」
そして立ち上がるよりも前に魔物のその爪は人体を抉る。
肉が削ぎ落とされて噴出する血液、倒れている俺を捕食しよう開く口を前に。
「そこを退けぇぇえええ!」
全力の頭突きを喰らわせる。
牙をへし折り、拳を握る。引いた拳を前に突き出して顔面をぶん殴る。
よろけた魔物に対して飛び蹴りを喰らわせ、着地と同時に後ろ回し蹴り。
剣の柄に衝撃を与え、回転を止める事なくそのまま拳で殴りつける。
そしていつしか倒れかかっている魔物を殴り始めた時に相手が死んでいると知った。
「除け者にされて焼いたか? まあ……これで一対一だ」
死んだ魔物を見下ろしていると、いつしか背後には置いてきた最後の魔物が立っていた。
「すぐにテメェもぶっ殺してやるから、俺に先を生きさせろ」
剣は突き刺さってもう抜けず、身体はもう限界だ。
デカイの一発食らえってしまえばおそらくもう二度と立ち上がれない、そんな弱気な事を考えるくらいは疲弊していた。
「ケリつけようぜ、俺とお前の生存に」
【11】
拳を前に構え、全身の筋組織を総動員して前に踏み込む。
だがそれは相手も同じ事、敵を排除しようとする思惑は俺も魔物も同じで、踏み込みはほぼ同時だった。だから圧倒的に俺が不利だ。
正面から拳を叩きつけると同時に、魔物のタックルが骨をへし折る。
強烈な打撃を食らって衝撃のあまりに地面を転がる。その隙にもう一度タックルを決めにかかる魔物に対してなんとか回避するも、何度もやればこちらが不利になる。
回避できないタイミングで飛びかかってくる魔物に対して、もう使い物になりそうの無い右腕を前に出した。
言ってしまうが所詮は獣だ。目の前に罠がかけられていてもそれを判断する知能はない。何度も同じ事をすれば学習するのかもしれないが、目の前に血の匂いを漂わせた餌が出てきてそれを無視できるほど畜生は頭が良く無い。
「……右腕はくれてやる。だから、お前の命、もらうぞ」
右腕が噛みつかれると同時にズボンに巻いているベルトを外した。
そして俺の腕に食いついている魔物の首に引っ掛け、金具を通して引っ張る。
するとベルトのおかげでうまく首を締める事に成功し、全力で頸動脈を締め上げる。
人間も犬も首のあたりに頸動脈があって、それを締められて無事でいられるわけがない。当然暴れ始め、首を絞めている俺を殺そうと躍起になって前足でなぎ払おうとするが。
「もうおせぇよ、俺はお前の……死角に入った」
ベルトを頼りに魔物の背中に飛び移り、そこからしがみついて締め上げる。
木々に向かって背中にしがみ付く俺を叩きつけるように暴れる魔物の攻撃に必死に耐えながら、この紐だけは離すまいと歯を食いしばる。
「衝撃か? そんなに驚いたか? 自分の口の中にまだ腕があるから、俺がそこにいると思っていたのなら所詮お前は畜生だ」
俺は腕を捨てた。
さっき噛みつかれたときに腕の神経は切れていた。
手を開いたり閉じたりする事はもうできない、何かを持つこともできないのなら、いっそのこと囮にでもしよう。
そう思って食らいついている腕を引きちぎって上に乗った。
幸い神経がなくなってたし、痛みなんかは無い。
魔物は自分の口の中から俺の腕だった物を吐き出して止まった。
こいつはようやく俺が腕を捨てた事を認識した。
だがそんな一瞬があれば、あとは十分だ。
叩きつけられる衝撃と、無数にさらされる枝木の切り傷を負いながらも手放さなかった。
背中の肉が削ぎ落とされようと、全身を襲う打撃に疲れ切った腕が解けてしまうのを我慢して、最後まで引き続けた。
最後、自身の命の終わりを予感した魔物は本能なのか、それとも単純に俺を道連れにしようとしたのか定かでは無いが空中へと飛び上がり、落下の衝撃で道連れをしようとしたのだろうが、脳に酸素はなく、首を長時間締められてまともに動ける肉体ではなかった。
最後の攻撃は何一つ起こることなく、魔物は膝から崩れ去った。
命を終えた魔物の背中から転げ落ち、血だらけで限界の腕を地面に下ろす。
そして失った利き腕と痛みが長引く身体を大の字に投げだして仰向けになった。
「ははっ……やったぞ! 勝った!」
こんな勝ち方を勝利とは呼べない、もっとスマートに勝つべきだと、この勝負を見ていた奴は言うのだろう。
だがそれでも、俺にとってはこんなボロボロになって死にかかけでも勝ちを得たものが何よりも嬉しかった。
けれどここは特設リングの中でも、決められた舞台の上でもない。ここにいる何匹の獣を倒したらあなたの勝ちですとはならない。
だから当然血の匂いにつられてやってきた新たな獣が存在する。
その数総勢21匹。
獰猛な狼、ライオンのような獣。手の長いサルのような魔物。巨大な甲虫。
どれもが俺の敵う相手ではなかった。たった3匹の、それもここにいる魔物と比べればカスのようなやつに負けかけた俺に太刀打ちできるはずがない。
今までの戦いは無駄だったのか。あの場で逃げていれば、あの場で大人しく死んでいればこんな地獄を味合わなくてよかったのか。
戦っている途中に森の奥までやってきてしまい、倒れている俺を伺うような獣の視線。絶対に勝てない敵からの捕食宣言。
「やってやるよ……勝てないとかそんなもんじゃない。ここで戦わなくちゃ! 生き残れねぇってんなら、やってやるよ」
それでもまだ死にたくなかった。
狼の魔物に引っかかっているベルトを外し、食いちぎられた右腕へと縛る。
剣もない、拳はすり減って限界だ。足だって走れるかどうかすら危うい。
それでも、戦わなくちゃいけない。生き残るためにはこいつらを皆殺しにしてでも俺は生きた──
「がっぁぁぁぁぁあああああああああああああああ!」
俺には何もない。本当は隠された力があったとか、秘めたる力が覚醒するとか、そんなものは当然無い。本当は強くて城の人間たちが勘違いしていたとかならよかった。
けれど俺は踏み込みと同時に目に見えない攻撃によって腹を裂かれた、脇腹をえぐられた。
肉体の内部を損傷し、倒れゆく姿に追い討ちをかけられてまた一つ何かを失った。
無残に倒れている俺を食べようとよってくる魔物たちに何もできずに殺され、生きたまま肉を引きちぎられた。
もっと上手くできなかったのか、どこで間違えたのだろうか。
輝樹たちはどうなった、俺が居なくなって悲しんでくれてるといいな。
あの少女は生きているのか、俺がここまでしたんだ死んだら絶対呪ってやる。
……ああ、恨みはある。
俺を追い出した城の連中の苦しみを知ったから、あいつらが正当性のある理屈から俺を嫌っているのなら、それはもうしょうがない。
仕方のないこと。ここで死ぬ運命なのだと受け入れよう
涙を流したって無駄だ。
俺が死ぬことは他の大勢に取っていいことなんだ。
生贄に釣り合わなかった俺は恨まれて当然、誰からも生きて欲しいなんて思われない。
しょうがない。
しょうがないよな。
だってさ、
俺はよくやったんだぜ。
先に向こうで待ってるから……
「あ゛あ゛…………あああああああああ」
そう思えば楽なのに、そう割り切ってしまえばもうこんな辛い思いをせずに済むのに。
俺は、それでもまだ──死にたくない。
どんなに恨まれようと、辛い思いをしたって生きたかった。
まだ死にたくない。
天に向かって手を伸ばした。
いつのまにか日が暮れていたのか、木々の向こう側には月がある。
それに手を伸ばした、どうせ誰もとってくれないこの腕を、ただの人殺しになった俺の手を何かに縋るように無造作に伸ばし続けた。
「…………………………助けて」
魔物に喰われて途切れゆく意識の中、たった一つの声がした。
長い感想も、前置きも、表現も、俺には思いつかないから言える事はただ一つ。
『やっと見つけた』
綺麗だった。