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第2話 罪と罰と背負うべきもの



 あの時、どうすればよかったのか。


 宙に舞うベッドから引き裂かれた羽毛が床に横たわる俺の目の前に落ちる。

 真っ白で、吹けば飛んでいきそうなその羽を、ただ見つめるだけで何もしなかった。

 勇者召喚と言う儀式に巻き込まれ、人類を救う英雄となった輝樹。


 そして巻き込まれたが特別な力を持っていた事が発覚した奈美や花凛は後から大々的に国に迎え入れられてこの城のどこかにいる。


 俺のいるような隅の端ではない、輝樹がいるような中央部分なのだろう。

 あれから彼女達とは俺がここにきて1ヶ月以上経つ中、あれ以来一度も顔を合わせることはなかった。

 特別な力を得て、輝樹のサポートをするべく今も頑張っているのだろう彼女達は、俺とはもう住む世界が違いすぎる。


 剣と魔法の世界にやってきて、もう間違えたりはしないのだと。

 心のどこかで全てがうまく行くんじゃないのかと、そう思っていた。


 だが実際は違う、俺には何の力もなかった。

 戦う力も、誰かを助ける力も、自分の身さえ守る力も無い。俺には何もなかった。


 変わることのない自分を見て、今も前に進んでいこうとする彼らの姿を、俺は後ろから眺めていることしかできない。


 異世界に来たから、目の前で特別な人間が褒め称えられている姿を見て、俺は舞い上がっていた。俺がそうなのだとは限らないはずなのに、きっと特別な力が自分にもあるのだろうと疑いもせず、そして理想に裏切られた。


 何もかもが嫌になって投げ出した、俺だけ何も得られなかったこの世界が嫌だった。

 物語の主人公のような特別な力なんてない、俺は特別な人間ではなかったのだ。


 俺は選ばれなかったからみんなに置いていかれた。


 魔族との戦いに備えて朝から昼まで剣を振るう輝樹、彼のサポートのために魔法を覚える花凛と奈美。

 彼らは俺が何もできなかった2ヶ月の間に遠く、二度と手の届かないところまで行ってしまった。

 俺の事など過去の遺物だと言うように置いていった。


 この部屋から見える訓練場で輝樹が何度も剣を振っている姿がよく見え、そのたびに嫌になった。

 だがそれは当て付けだ、何得られなかった俺の嫉妬だ。

 分かっている、そんな事は分かっている。


 友達を嫌って面と向かって罵倒する事は俺にはできず、行き場のなくなった感情を物に当たる事でしか解決できないやつだ。


 変わることのない現実に、変えることのできない事実に悪態をつきながら、今日を無駄に過ごす。何もできないから特別の後ろを見ている。


 特別だから、あいつらには力があったから、縋っていられるものがあったから前に進める。

 魔法を放ち、的に当たるたびに喜んで、いろんな人たちに教えてもらって、話して、笑って、励まし合いたかった。

 一緒に戦おうって、言って欲しかった。


 ──そこに俺はいない。


 剣を振るう輝樹と共に模擬戦なんかをして、戦術や剣の話を語り明かして、愚直に剣を振っていたかった。

 でもできない、剣の重さに耐えきれず持ち上げることすらままならない。

 俺はそんなやつだ、力がない、何も得られなかった。


 背中を合わして一緒に戦いたかった。それが理想、叶わない淡い理想。


「でもさ、本当ならそこに俺がいたはずなんだよ」


 ──そこに俺はいない。


「知らない奴じゃない! 俺だったんだ……友達の横に俺がいて、笑い合って励まし合って共に肩を並べて戦っていたんだ!」


 ──そこに俺はいない、俺じゃない誰かがいる。


「俺は…………独りだ……」


 あいつらの中に俺はいない、俺じゃない誰かがと共に戦っている。

 そいつはきっと魔力適性があって、輝樹と剣を撃ち合って、いろんな人から信頼されて、戦場で助け合って人類を救う。


 そんな俺の理想のようなモノが、俺の事を忘れさせるには十分すぎるやつがそこにいる。


「ふざけるな! ふざけるな! ふざけるなぁぁぁあああ!」


 思い出が燃えていく、俺じゃない誰かがそこに入っていく。

 俺の場所に、俺の居場所に、知らない誰がが立っている。

 俺の思い出の中に俺じゃない誰かがいる。

 俺たちの未来に、俺はいない。代わりのやつがみんなに囲まれている。

 じゃあ俺は……何なんだ。




『お前は必要なかった。俺の代わりにさようなら』




 突き落とされた気がした。


 奈落の底に、終わりのない暗闇へと落とされる感覚。もう何も届かない、手を伸ばしても届くものは何もない、ただ落ちるだけ、帰ってくることはできない


 ──そこに俺はいない、俺じゃない誰かがいる。俺以外のみんながあいつを支えている。


「何で………………」


 室内に物らしき物は一つも残っていない。何もかもが破壊されて残っているのは何かだった物の破片のみ。

 手に刺さった木の破片の痛みなど感じずに、力の入らない身体をもたれ掛からせて、後悔ばかりを想起する。

 それから何時間だったのだろうか、日は暮れて室内が真っ暗になったとき、決して開かないはずの扉が開いて中から複数の人間が入ってきた。


 本来なら人の部屋に無断で入ってきた事に文句を言うべきなんだろうが、そんな気力はとっくに尽きていた。


「大罪人スイセイ、貴様の処罰が決まった。抵抗するなら手足の一本や二本は容赦なく斬ると思え」


 真っ暗な室内で誰かも分からない人達に意識を奪われ、最後に紐で縛り上げられたところで意識は落ちた。


【8】


「今更俺に何をしろってんだよ」


 手足の自由を奪われて、唯一自由だった口を動かした。

 顔も知らない誰かに真っ暗な部屋に担ぎ込まれ、ロウソクの一つもないこの室内は闇に包まれていた。見える範囲は自分を含めてほんの少し、手足を縛られて床に倒れている俺の前に、誰か一人そこにあるだろう椅子に座っているとだけ分かった。


「ようやく気が付いたか、無能のくせによく食べてよく寝るのだな」


 そいつは嘲笑うかのようにそう言った、顔は見えないが笑っていると理解できた。


「前置きはいい。俺をこうしたって事は何か理由があるんだろ」


 俺には何もなかった。輝樹のような力も、奈美や花凛のような魔法の才能もない。

 だから何も求められなかった。


 何もできない俺には、誰も言うことはなかった。

 そうして2ヶ月の間存在していない者として扱われ、不可侵を気取っていたはずだ。

 だがこうして俺の前に出てきたと言うことは、彼らが俺を無視できなくなった。

 けれどそれはいい方向に転ぶことは決してない。


「……まあいい、本題に入るとしよう」


 そう前置きしてから。


「この城から出ていけ」

 彼らの切り出したかった答えを突きつけてきた。

 おそらくこの城にいる全ての人間が思っている事だろうが、誰もそれを言えなかった。

 城に在住しているのは国の主権である王族と呼ばれる一族と、離れにある騎士団の詰所にいる騎士、そして召使や書庫の秘書。


 どれも仕事のためにいる者達ばかりたが、俺はその限りには入っていない。

 選ばれた勇者の友達というだけで置いている居候、一刻も早く追い出したくて仕方ないが勇者の反感を買うから誰もできなかっただけ。


 裏を返せばいつでも追い出す準備だけはできている。


「魔力適性がない。下民のクズでさえ一つはあるというのに貴様ときたら何もない、人類史上初のゴミ。同じ勇者の仲間を見習ったらどうだ? 彼らは我が国に大きな利益を生み出すだろう……貴様と違ってな」


 椅子から立ち上がったそいつは俺の目の前までやってきては覗き込むようにしゃがんだ、暗いのと体勢のせいで顔は見えないままだが、それでも高らかに笑う相手の愉悦に怒りを覚えると同時に、それが事実なんだと虚しくもあった。


 力があると信じてた。もてはやされる彼らの横で自分もそうなのだろうと、俺にも特別な力があるのだろうと、勘違いをしていた。


 いや、そうじゃない。特別であって欲しかったんだ。


「いい見せ物だったぞ? 何の力も持たないただのゴミが、勇者と共に戦うだと? 確かそんなことを口走っていたよなぁ?」


 戦えるのだと思っていた。みんなでずっと一緒にいるもんだと勘違いしていた。

 俺だけが必要ない存在だったなんて、考えられるはずはないだろ。


「俺は……必要なかったのか…………いらなかったのか……」

「当たり前だ。貴様の維持費はもったいなさすぎるからな」


 維持費が何かは分からない、けれど彼の声がとても大事な物だと言っているように聞こえた。 


「俺の……維持費……?」


 大切だと言っている彼に対して、何を維持しているのか理解できない。

 戦争前だから食材が足りない?

 俺に出される物は乾ききったパンのみ、それは国家に使える下級の兵士の食べるような簡素な飯にも劣る。

 それに窓の外から見える城下街の景色は戦時中を感じさせない平穏さだったはずだ。

 今日の朝だっていつもと同じ賑わいと、そしてまた同じ日々を繰り返すのだろう。


 何もできない俺が誰かに迷惑をかけられるわけがない、出される食費に俺が圧迫する容量はない、誰にも迷惑などかけていない。


「貴様がよく知っている言葉を伝える魔道具。無意味にも本を読もうとした貴様ならその存在をよく理解しているはずだろう?」


 言葉にかかる意味を伝える、という魔道具のおかげで俺達はこの世界の言葉を理解できるようになった。

 当然ながら魔道具というため魔力を喰らい、それによって効果を発揮する。

 けれどそれを俺が破壊したわけでも、盗んだわけでもないはずなのに。


「言葉が通じないのは貴様だけだ、欠陥品」


 ──何も、持っていなかった。


 本当の意味で何もなかった。

 与えられる物は何一つとしてない。言葉も、居場所も、全て最初から存在しなかった。

 俺だけが一人だった。


「貴様は部屋から出てこないから分からなかっただろうが、あるとき魔道具の効力が切れた時があってな、そのとき勇者とは普段通り会話ができた。ついでにその仲間もだ」


 その意味を俺は知っていた。


「ならばどうして魔道具を起動させる必要がある? 言葉が通じるのに翻訳機など使って何になるというのか? 本来ならこんな物はいらないはずだが、勇者を迎えに行ったときに姫と兵士が証言していてな『言葉が通じなかった』と。だからもう一度調べ直すことになった」


 その理由を俺は知っていた。


「あのとき、あの場所で、一番最初に口を開いたのが、他でもない貴様だったからだ!」


 エルティーナが最初に何か言ったとき、俺は聞き取れずに恐怖を抱いた。


 だから声に出して「来るな」と叫んだが、どうして俺以外の奴が何も言わなかった。


 いや、何か言っていた。


『異世界……ここは異世界なの?』


 この言葉があったから俺はここが異世界なんじゃないかと思った。

 それを認識してから話はスムーズに進んだ。本来なら絶対におかしいはずなのに、知らない場所に放り出されて、あんな風に落ち着いてられるわけがない。


 取り乱してもいいはずだ、むしろそれが普通の反応だ。なのに誰もあの場で取り乱すようなやつはいなかった。誰も騒ぎ立てなかった。


 それじゃあ、まるで、まさか、そんな……。


 ──知っていたのか。


 最悪の仮定が頭によぎるが、これ以上に辻褄が合うように説明できるものが何もない。


『状況も飲み込めていなければ、僕たちはここに来てまだ何の説明を受けていません。僕の仲間のためにも十分な説明をお願いします。話はそこからです』


 それが異世界に呼び出された事への説明ではなく、自分以外の人間がいる状況についてだったとしたら。

 最後まで『僕たち』を通した彼の言葉は、あくまで自分に対する物ではなく、何も知らないであろう俺たちに向けた物だったとしたら。


 彼は戦うと宣言したとき笑っていたか、意気揚々と言っていたか?


『輝樹が勇者なら大丈夫よね』


 輝樹が勇者ならとは何だ、花凛は何を持ってそんなことを言っていた。

 少なくとも彼らはあの状況を楽しもうなんて思ってはいなかった。奈美なんて怖がってすらいた。

 輝樹はどうして召喚されてすぐに立ち上がり周りを見渡し始めた。


「ここはどこだろう」それがまともな返事ではないとなぜ分からなかった。移動しようとする俺を無理にでも止めた彼は切羽詰まっていたんじゃないのか、最初から彼がなすべき事は全て伝え終わった後だったんじゃないのか。


 だから誰も自分から戦うなんて言葉は言わなかった、周りの大人達が勇者として戦えと言おうとも輝樹は頷かなかった。あの場にいた誰もは自分から戦おうなんて思わず、俺が背中を押したから戦いを決意した。


『何も知らないのか……ならば説明してやれ』


 前々からの会話もおかしかった、まるで予備知識がある奴と話しているような、結論だけ聞きにきただけ、そう言ったものが感じ取れたのは初めから戦うか戦わないかを選ぶための場だったから。

 それ以上はもう終えているのが前提だった。


 そして輝樹は俺たちにそれを伝える事でこれから起こる地獄を回避して欲しいとさえ思っていたんじゃないのか?


 彼はどんな思いで戦うと言った、俺の見た輝樹はどうだった。

 彼の背中は、いつもより小さかったんじゃないのか。


「俺は最初から呼ばれるべき存在じゃなかった。初めから枠外で、必要なかったのかパーツではない。なのに、それな俺が、あいつらに戦う理由をこじ付けた」


 全ての合点がいった。

 俺以外の誰もが知っていることを今知った。

 そして俺が無知だったが故に巻き込んだ。

 これから起こる戦いや、悲劇をあらかじめ知っていたあいつらとは違う、俺が巻き込んだんだ。


 巻き込まれたのは俺じゃない、輝樹達だ。


「輝樹達をどうするつもりだ」


 勇者だから戦う、世界を救うために戦う。そんな契りではなかった。

 俺達を死なせたくなかったから、あいつは魔族を殺す道を選んだ。


「無論、魔族と戦ってもらう。そのために呼んだのだからな」

「あいつらを……捨て駒にするつもりか」

「貴様とは違う、丁重に扱うさ」


 自らの失態と、それに付け込んだ彼らのやり口に腹が立つ。

 歯軋りの音が大きくなり、縛った紐を全力で引きちぎろうと力を込める。


「……話が脱線しすぎたか。とにかく城から出ろと言ったが別に死ねとは言わん。貴様が死んだら勇者が怒るからな」

「何を言っている……ふざけてんのか?」

「辺境の村に送ってやろう、ついでに女だって付けてやる。そこで邪魔をせずに過ごせばいい。貴様にはもったいないくらいだ」

「ふざけてんのかって聞いてんだよ……クソ野郎っ!」


 この先の顛末がわかってしまった。この後どうなるか予想がついた。


「お前らが言ってんだよ、俺には利用価値がないゴミだって。だから最初は殺すもんだと思ってたさ……でもな。理解したんだよ、俺が何やらかしたってな。俺がおまえ達にとってどこまで都合のいい存在かって」


 要らないなら殺せばよかった、最初に城から追い出せばよかった。

 なのにそれをしなかった、理由は単純、勇者の仲間だったから手を出せなかった。


 勇者を頼ることになるこの国で勇者の逆鱗に触れるような事は避けるしかない。

 その結果勇者の友人という立場の俺には不干渉を貫くしかなかった、たとえそれがどんなクズだとしても。

 だが輝樹達が戦う理由が戦えない俺を守るためだったと発覚した今。


「お前達にとって俺は人質、勇者が黙って言うこと聞くように調教するにはいいエサだよなぁクソ野郎ッ! 適当なところの辺境に飛ばして、もう二度と会えなくすれば俺の無事を確かめる手段がない。勇者が反旗を翻したときのための人質として、友達である俺を利用しようってんだろ」


 俺が勇者の近くに居れば今日みたいに会うことがある。


 そのときに食事を与えられず、暴行を受けていることが発覚すれば勇者は国と縁を切る可能性がある。対して勇者が俺の無事を確認できないほど遠くにいれば、俺に対してのみ何をしてもいい、死なない程度に暴行してもいい、強制的な肉体労働を敷いてもいい、俺の存在価値は生きているだけでいい。


 それだけで勇者の足枷としては十分に機能する。


「あいつらに人殺しさせて! あくどい手口で勇者を丸め込んで、そんで俺を使って戦わせるってのかよ。テメェら全員死んじまえ! 何が魔族だ! 何が平和だ! あいつらから幸せを奪っておいて今更人類がどうとか言ってんじゃ……」


 俺が全てをいい終わる前に顔面に蹴りが叩き込まれる。


「さっきから黙っていれば、あんまり被害者ヅラするなよ。既に30万人の命奪っておいて今更ぐだぐだ俺は不幸だと言ってんじゃねぇよ!」


 何程度でも叩きつけられる衝撃に血を撒き散らし、痛みのあまりにうずくまる。

 そして先ほどとは打って変わって憎悪のこもった声で俺を罵倒し続ける。


「知ってるか? 知るわけねぇだろうがな! 貴様ら勇者御一行様を呼ぶためにこの国では120万もの魂が生贄にされた。この意味が分かるか? 俺が一番不幸だって顔するなよ? 人の命犠牲にしてまでやってきたのがこんなクズだとはな! 勇者を戦わせるな? ふざけてるのは貴様の方だ! どれだけの人達が家族を失ったと思っている、愛するものを失ったと思っている!」


 蹴るのをやめたそいつは拳を強く握りしめる、それは手に爪が食い込んで血が流れるほど強く、後悔の念を込めて。


「こんなクズを呼ぶためだけに王国では命の選別が行われた。最初は囚人を使っていたがそれでも数が足りなかったから徴収したのさ、無理やりなぁ!」


 今までだったら耐えられた、お前達が悪いと、俺は悪には屈しないのだと歯を食いしばることができだ。だがこれは違う、悪なんかじゃないと分かっている


 俺と同じなんだと分かるから、何もできずに蹴られ続ける。


「俺の家族も奪われた……先短いからと言う理由でお爺様を奪われた、幼い妹を奪われた。その気持ちが貴様に分かるか!」


 そいつは俺の胸ぐらを掴んで引き寄せる。

 するとようやく目の前にいた人物の顔が見えて、その姿は謁見の間にいた黒いローブの魔法使いだった。

 俺たちに値段でもつけるかのような目を向けていた彼は、今では全く違う形相になって俺を睨みつけている。


「答えろ! 貴様が求めた答えだろ!」

「違う……俺は、来たくてきたんじゃない」

「こっちだって貴様みたいなクズは願い下げだ!」


 掴む力は強くなり、締め上げる力も強くなる。


「お爺様はもう直ぐ死んでしまうかもしれなかった、それでも俺の家族だった! 生きて欲しかった! 妹だってそうだ、身体が不自由で結婚できる歳まで生きてられるかどうか分からなかったとしても……生きて欲しかった! 死んで欲しくなかった! ジェファだって! ライアスだって、ギースだってペトラだって生きて欲しかった、死んで良い命なんてなかったんだ」


 壁に勢いよく叩きつけられる、息の上がったそいつは再び俺を蹴り飛ばす。失った大切な者の名を嘆きながら俺を蹴り飛ばす。俺が奪った命の名前を、俺が消費した魂のツケを払わせに来ていた。


 ──無実の人々を大量虐殺した殺人者は今日ものうのうと生きている。自分の事を不幸だと、世間のせいにしながら俺は悪くないと連呼する。奪った命を踏みにじる。


「何でだよ……」


 ──それではまるで、俺が悪者じゃないか。


「俺は貴様が憎い……」


『大罪人スイセイ。その罪は、殺した人の上に立っていながら、自身の罪を認めなかったこと』


 全部の合点がいってしまったから反論の余地がない。

 俺は紛れもない咎人。


「貴様をこれから辺境に飛ばす。もう二度と仲間と会うことのない場所で、永遠に罪から逃げ続ければ良い」


 そいつの「連れていけ」と言う言葉に知らない誰かに引きずられ、外まで運び出されると、用意してあった馬車の上に放り投げられる。


 硬い床に転がり、冷え込む夜に凍えている。

 そして月明かりに反射し、一瞬だけ見えた刃物が振り下ろされた。


【9】


『いやだ、やめろ。俺はまだ死にたくない…………』


 頬に垂れた水滴に目を覚ます。

 だだっ広い平原の中で倒れていた俺に薄暗い雲が覆いかぶさって雨を降らせる。最初は弱い小雨だったのが、次第に強くなっていくので湿った地面に手をついて立ち上がる。

 地平線の奥には何もない、ただ茂った木々とどこまでも続く雨だけだ。


 服が濡れて髪が滴る。


 そして泥を跳ねながらどこへいくまでもなく歩き始める。

 帰る場所はもうない。否、初めから存在していない。

 強く打ち付ける雨の中を歩き続け、ようやく雨宿りできそうな森へと辿り着いて、木々にもたれ掛かるように倒れ込んだ。


 幸い大量に生えている木々のおかげで雨に濡れることはなくなったが、それでも今まで濡れた分と日陰によって奪われていく体温のせいで体調は最悪だ。


 自分がどうしてこんな場所にいるのかさえ分からないまま、濡れたシャツを木の枝に引っ掛けて止むのを待っていた。


「これからどうするか……決まるわけないのにな」


 激しく降り注ぐ篠突く雨を前にして、迫り上がった気の根っこに腰を下ろしたまま眺めていた。何もないのに、どこへもいけないから、眺めていた。

 すると突然、カランと音がした。


 金属の何かが当たるような音がして反射的に立ち上がる。


「誰かいるのか……」


 反射的に立ち上がって枝にかけていたシャツを引っ張り出したのは良いが、よく考えてみると、俺はこの世界の言葉がもう喋れない。


 あの魔道具の効果範囲は王城だけ、それにあれが勇者に必要ないものだと分かって、俺を追い出した時点で役目は終えている。


 今更誰かに会おうとした所で俺は会話すらできない。

 行ったところで無意味なんじゃないのか。


「……いや、ここにいたって何も変わらない。拒絶されるならそこまで、これ以上悪い状況なんてないんだろ」


 未だ濡れたままのシャツを着て森の奥深くに足を踏み入れる。


 何か起これば幸運。何もなければ、拒絶されれば今まで通り。

 負ける事がないなら挑んだって良い。

 そうやって雑草と邪魔な木々を乗り越えて、ぬかるんだ地面を踏み越えて歩く。

 足に細かい石のようなものが当たるが蹴り飛ばし、森特有の悪臭をそういう物だと受け入れて、下を向いたまま、俯いたまま歩いていた。


 こんなところで下を向くべきではないと分かっていなかった、分かっていてもできたかは分からない。


「ああ、あああああ……」


 目の前で、見覚えのある人たちが狼に捕食される光景を見るまで気づかなかった。

 恐怖のあまり後退すると、何か細かい物を踏んで、恐怖に駆られながらも足を退けると、そこには人間の骨があった。


 黒い狼が一心不乱に人間を捕食する光景、部外者である俺なんかに気を留めもしないで、食い散らかしている。


「─……─……─」


 足を怪我して走ることのできない誰かは俺に向かって手を伸ばす。

 血だらけの手を伸ばして何もできないヤツに縋ろうとしていた。


「────」


 聞きたくない、見たくない。

 なのに目を逸らす事ができなかった。今ここで目を逸らして逃げ出そうとすれば、あの獣達の標的が俺に切り替わって襲いかかってくるかもしれない。


 一刻も早く逃げ出したい、今すぐにでもここから立ち去りたい。


『タスケテ』


 なのに手を伸ばして助けを求める声がする。言葉が通じないはずなのに、そんなことは一言も言っていないはずなのに、意味だけは伝わってしまう。


 足を怪我して動けずに、次に食われるのは自分だと理解している少女はこの場に現れた俺に対して助けて欲しいと目を向ける。


「………………っ」


 だが俺は逃げ出した。

 振り返れば取り返しのつかないことになるんじゃないのか、もう二度と戻って来れなくなるんじゃないのかと感じた。


 助けを求める少女の目に吸い込まれてしまう気がした。そのまま手を伸ばしてしまう気がした。そうすれば死ぬのは俺になる。だから行ってはいけない、助けてはいけない。


 幸いあの狼達は追ってくることはなく、ずっと奥の森の中で今も死体を食らっているのだ。あの場にいた人達を殺して食っているだけだ。


「……そうだ、馬車だ。俺が荷台に乗せられた馬車にあいつらはいた。魔物に襲われたからって俺になすりつけようと車から放り出したんじゃねぇか…………」


 少しずつ思い出してくる。


 魔物が出てきて、追いつかれそうになったから誰か一人を犠牲にして、みんなで生き残るため、言葉がわからない俺を標的にして全員で承諾した。


 そしてあの少女だって何の異議も異論も唱えることなく俺を馬車から放り出した。

 結局一人より大勢いた方がいいと判断した魔物達はターゲットを変えることなくそのまま突っ込んでいった。

 それが真実。俺が平原に倒れていた真実で、今この状況に陥っている理由だ。


「自業自得じゃねぇか! 勝手に人を放り出しといて、上手くいかなかったから死んでやがる! お前らの言う仕方がなかったってヤツだよ!」


 大きく高笑いしたはずなのに、頬を伝って手のひらに雨が落ちる。


「ふざけんなよ……こんな所に雨が落ちるわけねぇだろ」


 手のひらに乗った雨水を握り潰して近くにあった木を殴りつける。すると拳から血が流れ、葉っぱの上に載っていた雨粒達が降り注ぎ全てを洗い流した。


「じゃあ何だよ、俺があいつらをかわいそうだって言いたいのか。俺を見殺しにすることを良しとしたあいつらを、自分たちが助かるためだけに人を殺そうとしたクズ供を、俺は助けようってのかよ」


 俺はあいつらの犠牲にされた、助かるために生贄にされた。それが今立場が逆転しただけのこと、俺があいつらを見殺しにして助かろうとしているだけ、それに助けてほしいと言うのはあまりにもおかしい事だ。

 勝手な都合で殺そうとした相手に助けを求める。


 それに応えてやるなんて漫画のヒーローでさえもしない。


 あいつらが死んで、俺が生きてる。それが一番いい構図だろう。


「何が嫌なんだ! この状況のどこが不満だ!」


 ただ一回会っただけのやつ、友達でもなければ知り合いでもない。助ける理由は何一つないのに、見捨てる理由はいくらでも出てくる。だから動くなよ腕、引き返そうとする足。


 ──こんな俺に何ができる。


 見殺しにしなくちゃいけないって分かれよ、助けに行って何になる。

 何もできないのに行って何になる。

 また同じ過ちを繰り返すつもりか、見殺しにすればいいって理解できるだろ。


「俺は輝樹じゃない、みんなを助けられる力は持ち合わせていない。俺は誰よりも無力なんだよ……こんな、こんなところで簡単にくたばっちまうくらい弱いんだよ」


 目を瞑ればいい、耳を塞げばいい。そうするだけでいいはずなのに。


「こんな事は間違っている……絶対に間違っている」


 それでも──俺のなりたかった勇者なら、輝樹あいつならこの場面で見捨てたりはしない。


「退けよクソ犬」


 死体を食い終わり、次に生きている少女へと顔を向けた狼の横腹を蹴り飛ばした。


「──」


 帰ってきた馬鹿野郎の姿を見て何かを言う少女の姿に目立った外傷はない。

 足が少し怪我をしていて走る事はできないが、木々を支えにするならまだ歩けるだろう。


「早く逃げろ! そんでどうせ聞こえないから言ってやる! さっさと失せろクソ野郎ッ、ぶっ殺されてぇのかッ!」


 怒鳴りつけてさっさと追い出したところで蹴り飛ばされたはずの獣は起き上がり、俺を食事を邪魔した敵として認識する。


「あんたのその剣、少し借りるぞ」


 共に飯を食っていた狼二人を呼び寄せて総勢三匹になる。そして俺は食われてもう原型をとどめていない人間の手から握りしめていたであろう剣を借り受ける。


 見様見真似の、輝樹がやってきたように正面に構えて敵を見据える。


「やってやる! やってやるぞクソ野郎! どうせ戦ってやるつもりだったんだよ! 力があったら戦ってた、お前らみたいな化物と渡り合ってやるつもりだった!」


 勇者じゃない。みんなを救えるような力も奇跡も魔法もない。

 けれど目の前のやつくらいは助けてやってもバチは当たらないだろ。


「来いよクソ犬供が……テメェらまとめてぶっ殺してやる」


どんどんいこうぜ、このままクラマックスじゃ

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