第12話 500年越しの約束
【2】
眼が見えなかった。
真っ赤に染まった視界に所々明るく光る場所があるだけで、それ以外の何もかもが見えなかった。きっと影になっているのだろうと、見えない視界の中で【共鳴止水】すら使う魔力もないまま悟った。
魔力はない、戦う力は残っていない。
最後に奴を倒してからどれくらいの時間が経っているのか、床を何の躊躇もなく破壊してしまったが魔物とかはいるのだろうか。
もしそうなら立たないと、戦わないと、せっかく生きているんだ。
激痛で引き千切られそうな身体を酷使して上体を起こそうと身体を上げると、誰かの手が俺の顔に覆いかぶさった。
「動かないで」
厳しい声がピシャリと通ったのに、その声は優しく感じた。
「もう少しで死ぬところだったのよ……負けそうになったら逃げればいいって、なんで気付かなかったの…………逃げたって誰も責めない、ここで死ぬよりは絶対に……」
頬に水が垂れた。
顔は手で覆われて視界は無いが、その隙間から水が垂れてくるのだけは分かった。
「ここで死んだら! 何も……なくなっちゃうじゃない…………」
姿は見えないが彼女が、ユノがどうしているか分かった。
愛する家族に自身を助けるためとはいえ置いていかれ、そして何もかもを失った。
だから戦えない辛さを、待っているだけの怖さを、誰よりも知っている。
『ユノを頼む』
そんな彼の声が俺の中で響いた。
痛みで動かない腕をなんとか持ち上げて、そこにあるはずの物へと手を伸ばす。
視界が無いため手探りで、そこにあるだろうと何度も迷いながらようやくたどり着いた。
「…………大丈夫……だ。俺は……死なない…………どこにも行きゃしない」
泣いている彼女の頰に手を当てて、その涙を拭った。
「俺はここに来て……この場所で、何度も心が折れた。もう二度と立ち上がれないくらい苦しんで、何もかも投げ出して一度は死のうとした。でも俺の中にはお前がいた、俺を信じてくれたお前が、あの日手を差し伸べてくれたお前が俺を助けてくれた。だから──」
ずっとあの時から決めていた。
ゼインに助けられて久利に背中を押された。
その時からずっと、これだけは言っておこうと、生きて、帰ってきて、そして今。
「ただいま、ユノ」
だから泣くなよ、俺はお前に救われたのだから。
「帰ろう、俺達の家に」
俺にはまだやらなくちゃならない事がある。
まだ終わっていない、これからが始まりだ。
「……うん」
限界まで酷使した身体は起き上がる事はできたが、真っ当に立つことも歩くことさえできずに倒れそうになるけれど、ユノがそれを支えてくれた。
自分より小さい少女に肩を貸してもらいながら、薄らと戻っていく視力の中で崩れ落ちてしまった塔の入り口へと歩いた。
そのとき。
『あの子を頼みます、強がっているけど本当はさびしがり屋なんですよ』
横から通り抜ける声に振り返ると、そこには白い髪をした長身の男が立っていた。
破壊された塔の隙間から差し込む一筋の光が彼を照らして、なんとも言えない存在感を放っていたが、それ以上にその男がここにいる事に驚いて足を止めた。
ゼインの記憶で見た彼らの先生。
死んだはずの彼が何故ここにいるのか、その意味を知りたくて引き返そうとするも痛みがそれを遮った。
体勢を崩して倒れそうになる俺を支えるユノに慌てた様子はない、彼女には見えていないのか。
『10年……100年……500年、私は待ち続けた。あの子を救ってくれる者を、あの子を助けてくれる者を待ち続けた。けれどもう……その必要はなさそうですね』
優しく笑った彼は薄れていく。
もうここにいる意味は無いと、役目を終えた顔をして消えていく。
『因果、運命。それを超えてこそ人間だろう』
そう力強く言い切った後、ゆっくりと俺へと指を指して。
『君は過去を乗り越えた、私の試練を乗り越えた。だから託せる。あの子を……私達が付けてしまった呪いから助けてあげてください。今の君にならあの子を託せる』
ああ、そうだったのか。
過去とは乗り越える物、引きずる物では無い。
過去を認めて、受け入れて、背負って前に進む。それが人間のあり方で生き方だ。
それを知って欲しかった。いや、それを伝えたかったのだろう。
俺と……そしてユノに。
「分かった……必ず──」
聞こえていたかは分からない、喉が腫れて潰れて上手く発音できていなかったかもしれない。だが彼は微笑んで消えていった。
その横にもう一人の影を引き連れて光の中へと歩くように消えていった。
「なんか言った?」
「いいや……なんでもない」
言わなくていい、それはきっと望んでいない。
【3】
日が傾き、月が昇る頃になるとユノは独りでどこかに向かう。
それはいつものことで、何をしているかなんて踏み込めるはずもなかった。
俺が一言、何をしているのかと尋ねてしまえば、何かが変わってしまうような気がした。
俯いたユノの顔を見て、手を伸ばす事ができなかった。
歩み寄る勇気がなかったのだ。
要らない椅子も、不自然な部屋数も、大きすぎる机も、いつだって察することはできたはずなのに、俺は見ていないフリを続けた。
それは知らない方がいいと目を閉じた。
いつものように出ていくユノへ声をかけず、目で追うことすらせず、彼女の姿が見えるはずの窓に背を向けて、そういう物だと逃げてきた。
だがもうやめだ。
ユノを頼むと、あいつの兄貴分と先生から託された。
もう目を逸らすことはしない。
暗い玄関へ駆け出して一層重く感じる扉を開ける。
そして小さな背中を追いかけて走った。
姿が見えなくても、月明かりを頼りにして後を追った。
月が雲に隠れたとしてもここら一帯は訓練で使っているため転びはしない、場所も道も把握している。草木を掻き分けて、川の間を飛び越えて、木々を飛び移って探した。
なのに息が切れるまで探しても見つからない、ユノの姿はどこにもなかった。
どれくらい走ったかなんて分からない、いつの間にか肩で息をするようになり、口の中に血の味がするようになって、流れ出る汗を拭ってでも走り続けた。
見つけなければ、追いつかなければ、今ここで追いつかなければ二度と追いつくことはできなくなると感じられた。
体力の限界が近い事を感じながら、もう一度深く探してみようと顔を上げたとき、まだ一度も探しに行っていない場所があると思い出す。
それは迷宮への道のり、あそこは今日知ったばかりの場所で今まで気づかなかった所だ。
見つけられてないのならそこだけ。あそこにユノがいると、彼女が家に帰ってしまう前に行かなければと思い、急いで走った。
足場は普段から走っている場所とは違って不安定で道らしい道はない。
酷くうねる木の根っこに足を取られて泥をつけて転がるが、その木と根が彼の記憶で見たものと同一だった事を思い出し、ここが間違っていないと確信する。
この先にユノがいる。
それだけを思って転びかけながらも前に走って迷宮にたどり着き、そのまま足を止めずにその奥にある森を超えた先へと進んだ。
すると木々が生えていない小さな平原のような場所に出て、少し奥は崖になっていた。
「…………水成」
背後にやってきた俺に気付いて名前を呟くユノ。けれどその言葉に力はこもっていない。
そして彼女の目の前に突き刺さっている縦長の石を見て、それが何かを瞬時に理解した。
「………………」
「ついてきたの? 明日も早いんだから寝ないと──」
弱いところを見せまいと目元を袖で拭って誤魔化すユノに胸が締め付けられた。
さっきから一度も振り返ってくれない彼女に、そしてそのやり方が俺のよく知る彼と同じだった事に。
「俺は……お前に渡さなきゃいけないものがある」
振り返ってくれない彼女の後ろ姿に近づいて、唯一この場に持ってきたある物をジャケットのポケットの中から取り出した。
「元々これはお前の物で、お前が気づかなかったから俺の手元にある。だから──」
本当に偶然だったかなんて分からない、彼らはここまで計算していたのかもしれない。
だがそんな物を考えたところで答えが出るわけじゃない。
大切なのは心だ。
思いだ。
意識だ。
だから、
「これはユノ──お前に返す。これはお前が持ってなくちゃいけない物だ」
彼らの物語を終わりに挟まっていた物を、彼らの理想を写した写真をユノに手渡した。
「大事な物……なんだろ」
それを目にしてユノが崩れる。
ユノという女神を形作っていた仮面が崩壊した。
表に出さないよう、決して見せないようにしていた彼女の本心が溢れかえった。
──ある時の、彼らが望んだあの日撮った家族写真によって解き放たれた。
「うぁぁぁあああああああああ」
ゼイン達が生きていた頃にきっとどこかで撮っていた。
だから彼はここに挟んだ。あの本の続きを書くために、これを力にするために、自分の目的はこれなんだと再確認し続けるために、彼はずっと持っていた。
だがそれはユノにとっては後悔でしかなかったのだろう。
帰ってくると約束した人間は死体になって、回収できたのは遺品だけ。
ずっと孤独に耐えて、罪悪感を抱えて、何もできないことに苦しんで、移り変わる景色をたった一人で眺め続けた。
誰もいなくなった家の中を一人で過ごし、誰かがいた軌跡に縋って、あいつはずっと我慢していた。泣きたかっただろうし逃げたかったのだろう。
だがそれは自分のために戦った彼らの冒涜だと、彼らの代わりに女神として戦わなくてはならない、そう思って生かされていた。
「私は……何もできなかった。ここで待ってろって、必ず帰ってくるからって言ったから、ずっと待ってた。なのに……なんで……どうしてみんないなくなっちゃうの……帰ってくるって言ったのに、また一緒にって約束したのに……」
ユノという人間は神になった。
十数歳の幼い少女に与えられたのは万能の力ではない、未来永劫の時を生き続けるだけの苦痛。自らは何も出来ず、ただ人の死を見続けるだけ、それが彼女に与えられた未来。
「まだ何も………………伝えてないのに」
ユノを生かすために彼らは戦った。
その結果ユノは後悔に囚われた。
自分のせいで彼らが死んでしまったと、知っていたはずなのに何も出来なかった自身を責めた。なのに仇討ちをするにも彼らの犠牲を無駄にもできず、溜まった気持ちを吐き出せる人間はもういない。
孤独だった。なによりも深い孤独を500年間ずっと耐え続けた。
「………………」
ならば託された俺は何をする。
今の俺に何ができる。
泣いてるユノを黙って見ていることか?
違うだろう、そうじゃないだろ。
「あいつはお前を責めてなんかない。最後まで愛していたと言っていた。だからお前が苦しむ必要はどこにもない………………ああくそっ、なんで出てこねぇんだ」
なのに言葉が出てこない。
かける言葉が見当たらない。
俺には無理だ、誰かを立ち直られる言葉を、誰かを慰められる言葉は持ち合わせていない。人を奮い立たせるだけの知識も、人生を説くような経験も何一つない。
だけど託されたんだ。
あいつらに頼まれた。俺がやるしかないんだよ。
人に何かを言えるくらい立派な人間なら苦労はしない、スラスラと言葉が出てくるような文豪でもない。俺には俺しかない。だからを俺はこうする事しかできない。
「ユノ!」
言葉が出てくるような人間じゃないから、言葉でなんか人を説けない。
「俺は死なない! 絶対に! お前を置いて何処にも行きはしない!」
震える少女を抱き抱えた、冷たい手を取った。
「継いだんだ……あいつらの意思を、最後まで格好つけて兄貴ずらしやがった馬鹿野郎からお前の事を託された。……だからあいつらの分まで俺がいてやる、叶わなかった約束なら俺が果たしてやる」
「……私は……私は…………」
「だから笑え……俺達はそれを望んだんだ」
彼が望んだあの日の事を、あって欲しいと願った光景。
それを成し遂げるのが俺の役目。
今俺がここにいる意味。
「本当に? 一人にしないって、死なないって、約束できるの?」
耳元で鳴る彼女の声に首を縦に振って。
「できる、約束する。俺はずっとここにいる」
待ち続けるだけの廊下はもうない。
誰もいない室内はもうない。
姿がなくても意思だけはちゃんとある。
独りじゃないと教えてくれた彼らのためにも、俺がお前に教えよう。
「帰ろう……俺達の家に、お前の夢に、みんなが待ってる」
泣き終えた彼女は俺の腕の中から出ていき墓標の前に立った。
そして泣き腫らした目のまま大きく息を吸って。
「私はみんなより凄い人間になるって、一番すごい子になるんだって……もう誰もいなくなっちゃったけど、みんないなくなっちゃったけど、私は……みんなが自慢できるくらいすごい子になって見せるから!」
渇望した世界は過去だったかもしれない、二度と手に入らない夢だったのかもしれない。
だがそれをいつまでも引きずっているのは誰も望んじゃいない。
向ける顔は後悔ではなく笑顔であって欲しいと、そう思っているはずだから。
「だから……ありがとう…………」
『ああ、頑張れよ』
聞こえるはずのない誰かの声がした。
なのにそこにいない誰かは笑っていたと思う。
そんな気がした。
そろそろ二章終わり
とりあえず三章のアレコレは終わったからこのまま直進
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