第10話 前に進め
「ケリつけようぜ、俺と過去の宿罪に」
【13】
この戦いに裏をかくというものは存在しない。
相手はおそらくあの真っ暗な空間で俺に過去を見せてきた俺自身、ならばやつは俺の知識、経験、そして努力の結果まで持っている。
体格は俺と同じ間合いも大して変わらないが、肉体的なスペックは【凱殻】を発動することのできた俺と互角と見ていいだろう。
そしてなにより、相手が俺の知識と経験を持っているのなら【共鳴止水】や培った数多くの武術をやつは会得している。そのため知らない技で圧倒することはできず、俺にとっての優位性はゼロ。
ただし相手が俺であるなら、俺が持っているものだけ持っている。俺が持っていない物は存在しない。奴には魔法は使えない、そうでなければ俺である意味はない。
だから倒す手段はただ一つ、正面から叩き潰す。
一歩、前に出る。
二歩、前に出る。
三歩、前に出た。
俺が前に出ることに倣うように相手もゆっくりと前に出る。
両者ともに前に歩くたびに間合いが詰められ、射程距離は後──1歩。
四歩目、二つの拳が交差する。
人間の出せる最大速度を超えたスピードでの拳で、両者ともに顔面を狙った。
人体の急所が多く集まる顔、その部位を俺達は正確に穿つ。
衝撃で仰反るも【凱殻】のおかげで鼻血を出す程度に収まり、詰まる血の匂いを無視して次なる拳を相手の顎先へとぶち込む。
だがその攻撃は見切られて受け止められるが、相手のカウンターとばかりは放たれる蹴りを【共鳴止水】で予測、そして蹴り上げる寸前に足を踏みつけて攻撃を未然に防ぐ。
相手の足を砕く勢いで踏みつけるが、受け止められていた腕に合気道──小手返しによって投げられる。
地面に叩きつけられてしまえば上からの優位性に負けてしまう、受け身をとることを諦めて回転途中に相手の首に足を引っ掛けてラリアットのような形で道連れにする。
腕を取ったままでは受け身が取れない。そのため完璧に逃げることができず、ダメージ回避の為に途中で中断せざるを得なくなった事に相手はイラついた顔で一旦距離を取った。
「お前は自分が幸せになれると思っているのか」
拳を構えて飛び込む準備をしていた俺に相手は両手首を振ってそう言った。
「罪を認める、だがそれだけでお前が許されるわけじゃない。逃げない覚悟などお前自身の問題だ。それで残された家族の気が晴れるわけでもない」
「ああ、そうだよ。お前の言ってる事だけは正しい、実際に俺はそれで心が折れかけた。俺がやらかした事態に責任を取ると言ったところで何かが返ってくるわけじゃない、失った物は返ってこない」
「ならば──」
「だからこそ、俺が逃げるわけにはいかない。たとえ俺がその犠牲に釣り合わなくても、彼らの命を無駄になんかにだけは絶対にしちゃいけない!」
両手を尖らせて、手刀のような動きで迫る敵にクロスカウンター待ちで回避。
高速で放たれる連撃を紙一重で回避して、もう一度顔面に拳を叩き込もうとするが、回避したはずの胸から血が吹き出す。
幸い右胸だったので心臓を取られたわけじゃない。それにたとえ折れていたとしても多少は肋骨が守ってくれるだろうがこの切り口は手刀ではない。抜き手……でもない。
おそらく蟷螂拳だろうが考えても仕方ないので、斬り裂くように振るわれる腕に合わせてサバット──回し蹴りを合わせて膝関節を破壊。
体勢を崩した相手の腕を掴んで引き寄せ、秘宗拳──檎拿術。
相手の関節、人体の点穴を攻撃する事によってより確実に人体の急所に攻撃を叩き込む事ができる中国武術の一種。
これにより追撃が可能だと拳を放つも、八極拳──肘撃が俺の腹に突き刺さる。
「がはっ!」
衝撃の瞬間、背後に大きく飛んで回避したと思っていたが、人体の急所である鳩尾に当たった事で口から血を吐きながら膝をつく。
「今のお前に『特別』などない、お前に絶対的な価値は存在していない。かつて持っていた天才ハルミスイセイとしての才能を失い、今こうして無力な人間として、お前が見下していた凡人としてここにいる」
そう言いながら建物の壁付近にあるモニュメントからロングソードを引き抜き、地面に這いつくばって血を吐いている俺へと剣を向ける。
「お前は勇者になり損なった」
地面を強く蹴り、刹那の合間に間合いを詰めたそいつは上段に構えて強く振り下ろす。
それに身体を捻って回避、そして俺もすぐ横にあるモニュメントから戦斧を引っ掴んで薙ぎ払う。
「お前は『特別』になんてなっていない。お前のずっと欲しかった『特別』は手に入っていないままだ」
高速で剣を振るう相手に戦斧の重さを使った回転の動きで対応するが、小回りの効かなさから間合いを詰められて斬り裂かれる。
【凱殻】の恩恵で致命傷には至らなかったが、何度も食らうと流石にやばい。
ここにくる前にすでに血を多く失いすぎているし、骨もそう無事ではない。
対処しきれず重い戦斧を前に放り投げ、槍を手にして構える。
「……確かにそうだ。俺は勇者に憧れていた。なりたいとすら思っていたよ……だがな、勇者になりたかったのは特別である保証が欲しかったから。特別で、誰かに認められたかったんだ」
ずっと追い求めていたのは俺の価値。
誰かが俺を必要としてくれる確証が欲しかった。
「だけどもうその必要はない。たとえ特別でなくても、俺が勇者でなくても、必要として、背中を押してくれる奴がいる。意思を伝えてくれる奴がいた! だったらもう──何もいらねぇだろ」
槍を前に構えて走り出し、剣の軌道よりも早く連続で突きを食らわせて開いた防御の蹴りを入れる。吹っ飛ぶ衝撃に耐え切って反撃に出る相手に槍をへし折って二刀流と化し、柄の部分で攻撃を防ぎ、刃渡りを肩に突き刺した。
剣は防がれ、肩には槍が突き刺さっている。両手を塞がれて次の一手を見失った相手に前蹴りをして吹っ飛ばし、そのまま蹴りを叩き込んで追い討ちをかける。
けれど蹴りを喰らわせる直前に足を掴まれ、壁に叩きつけられて血を吹き出す。
壁に擦り付けるような形で引き摺り回す相手に膝を曲げ、頭突きを喰らわせる事で拘束を逃れ、一旦距離をとった後に拳を構えて前に飛び出す。
両手を前に構え、殴打を放つよう地面を蹴り上げるが。
「なっ……」
前に踏み出すはずの右足に、俺が奴に刺した槍が深々と、地面に釘付けにするよう突き刺さっていた。
前に出るはずが足を地面に固定されてしまったために身動きが取れず、無理やり引き抜こうと手を伸ばすが。
そんな隙を与えてくれるやつではない。急所を狙う破壊力の高い拳──中高一本拳で破壊し、硬直した俺の身体を連続で貫いた。
頸椎を、胸椎を、上腕骨を、大腿骨を、脛骨を、腓骨を、肋骨を、瞬く間に破壊する。
「がぁぁあああああああああ!」
奴の拳が届く範囲内、すなわち俺の射程距離内でもある。
とにかく一撃叩き込んで体勢を整えなければと腕を振るうも即座に掴まれ、合気の動きで前に引っ張られて顎先から天空に拳が駆け上がる。
「お前には何も無い。あるのは積み重なった罪過だけだ。人を傷つけて、人を苦しめて、人々から奪った罪。いまさら綺麗事を抜かした所で何もない。お前には彼らの犠牲の上で成り立つ価値がない」
脳を揺らされた。
視界が歪み、立っていることすら困難になっていく。
地面が迫ってくるような感覚に陥りながら顔面を蹴り飛ばされた激痛に仰け反る。
鼻の骨を破壊され、吹っ飛ぶにも突き刺さった槍が逃してくれず、その場に倒れ込む。
「いい加減気づけ。お前は──」
足に刺さった槍を引き抜いたと思えば俺の腹に突き刺し、引き裂くように横に振るった。
「自分の価値を見誤っているだけだ。周りの人間のお世辞に耳を傾け、己がさも超人のように思っている。哀れで滑稽な糸人形だ」
俺はもう、特別な人間ではない。
こいつの言うように、俺にはもう他人より優れている点なんてない。
魔力も人より多いわけじゃない、魔力適性なんて言うまでもない。
肉体だって生まれつき少しだけ大きかっただけで、今は平均より少しデカいくらい、身体能力もこの世界でならそう秀でているわけじゃない。
『特別』を失って、得たものは罪だけ。
友人を壊し、殺そうとした。見ず知らずの他人を殺した。
「……もう…………死ね」
けれど、あいつらは違う。
俺を信じてくれた。こんな俺を必要としてくれたあいつに、俺の背中を押したあいつに、最後まで友達だと言ってくれたやつに、俺は彼らの言葉を裏切っていいものじゃない。
「約束したんだ……あいつの代わりに見てやるって、できなかった事全部やってみせるって。だから俺は……こんな所で……」
動かないはずはない。
たとえ痛みがあろうとも、この身が引き裂けようとも。
俺の背負った想いは、痛みなんかで止まるほど軽くねぇだろ。
「な……に……そんな……馬鹿な」
最後の止めとばかりに放たれた拳を受け止めて、今にも崩れそうな足で立ち上がる。
「負けるわけにはいかねぇんだッ!」
腹からの出血で意識が持っていかれそうになるが、それ以上に視界が歪んで立っているのもやっとだ。
真っ当に立っているわけじゃない。
足はぐちゃぐちゃに破壊され、腕はへし折れたを超えて歪な色になって腫れ上がっている。意識があるだけで痛い。今すぐにでも倒れて、負けを認めてしまえばこの地獄から解放される。
だがそれは今までと同じだ。
俺は今、前に進むためにここにいる。
もう逃げない、もう諦めない。
前に進むって決めたんだ。
「死に損ないガァァァ!」
一撃当てれば勝てる、たった一撃、少し触れるだけでこのボロ雑巾に勝てる。
そうやって振りかざした拳が届くより先に俺の拳が相手の顔面を捉えた。
よろける敵に向かってもう一度、踏み込んで拳を叩き込む。
「俺だから分かる……お前はもう動けない、その身体はもう動くことはできないはずだ」
「しらねぇよ、こうやって動けてんだからなあ!」
一度距離を取ろうとする相手の腕を掴んで引き寄せ、全力の頭突きを喰らわせる。
今ここで少しでも距離を離されてしまえば俺はもう追いつけない。
2メートル、いや、1メートル動けるかどうかすら怪しい。
だから。
あらかじめ次の攻撃を用意する、攻撃の後に何をするのかを組み立てておく。
行動を初めから指定し、一瞬の迷いなく動きに移せ。
防がれたらどうするかなど、防がられた時点で俺の敗北が決定する以上考えても仕方がない。
拳を、蹴りを、連続で──叩き込む。
「調子に乗るなぁあ!」
斬り裂かれた腹を蹴り飛ばされて吹っ飛ぶ。
宙を舞う、血飛沫が吹き出して血の雨が降る。
その中を上へと飛んでいく。
どこが地面か、天井か、そんなことすら分からなくなる。
だが一つだけ確かなことがある。
それは。
足場さえ、踏み込む地面があれば、俺は前に進むことができる。
そして前に踏み出しさえすれば、俺はお前に勝てる。
天井を持てる力の限りを尽くして蹴り飛ばし、足場が崩壊するのを感じながら、高速を超えて神速、遥か先の速度で敵を穿つ。
これで終わりだと高を括っていた敵に不意の一撃を叩き込み、衝撃で足場すらも崩壊する。それをうまく利用し、地面が落ちることで打撃の威力を減らすことに成功したヤツは俺の打撃の衝撃で先に落ちていく。
「もう動けないはずだ……この傷で、その身体で、動くことは不可能のはずだッ!」
高速で重力に引っ張られるやつを見て、ここで決めなければ次はない。
ここで逃せば俺は俺に敗北する。
落下する瓦礫を足場に膝を曲げ、目標地点を定めて跳躍の準備に入る。
足の痛みは激しくなっていき、殴った時の衝撃で腕は完全に破壊された。
靭帯はどうなっている。
痛みの先に俺の身体はついてこれるのか。
この攻撃をする事で、本当に身体が駄目になるかもしれない。
痛みで死ぬか、次の攻撃を打ち込む前にショック死することだってあるだろう。それほど痛い、泣きたいほど痛い。
だがもう、そんなことはどうでもいい。
俺はここで超えるんだ。
全部を捨ててしまったあの日のために、それすらも許して笑ってくれたもう一人の親友のために。そして最後まで信じ続けてくれた少女のために。
命を投げ出さなくて何になる
足場の瓦礫を粉砕、飛び散った破片が塔に穴を開ける速度を放ち跳躍、刹那の合間にして距離を詰め、限界まで引いた拳を叩き込む。
「まさか……【凱殻】の擬似筋肉を応用して動かない肉体を強制的に!」
射程距離内到達。
「俺が俺を超えるのに真っ当な手段で立ち向かっても勝てるわけがない。俺が俺を超えない限り、お前と言う過去を超えるには限界のその先が必要だった」
拳は放たれる。
「そこを退け、俺の未来だ」
防御を貫き拳は相手の顔面へと届く。
腕を掴んで攻撃を逸らそうとする相手に全力で争い、掴まれた腕が悲鳴を上げてへし曲がる。
それでも離さない、振り抜いてみせる。
こいつを確実に葬り去るのに、手加減も妥協も必要ない。
ただ全力でぶちのめすだけだ。
「ガァァァアアアアア!」
「グガァアアアアアア!」
重力によって加速を倍増し、勢いのまま地面に叩きつけて肉体を破裂。
俺の形だった黒いヘドロのようなものが血と共に拳にこびりつき、破裂と同時に舞い上がったヘドロが雨のように降り注ぐ。
「やっ……たぞ、俺は……」
そして俺も──力尽きた。




