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第9話 信じてくれた人たち


【9】


 そんなつもりはなかった。誰かを傷付けたかったわけじゃない。目の前の人に死んで欲しいわけじゃない。友達に死んで欲しくなかった。かと言って知らない他人ならいい、彼らなら死んでも構わない。そういう事が言いたいわけじゃない。


 俺はただ嫌な事が嫌なんだ。


 誰にも傷ついて欲しくなかった、俺だって傷つきたくなかった。

 失望して欲しくなかった、絶望したくなかった。嫌な事を避けたかっただけだ。


『それを逃げというんだ』


 起こって欲しくないと思いながら、起きてしまった事から目を背けた。


 出来上がった事実と真実から逃げ出して、俺は悪くないと言い聞かせて忘れようとした。

 その事実を、その地獄を、その事象を、自分のせいだと認めたくなかった。


 もしも認めてしまえは罪の意識は蠢き出す。そしてあの日のように苦しみ、罪の意識に耐えきれず忘れる以外に正気を保っていられる手段はない。


 だから向き合うなんてことは不可能、あれを乗り越えるなんて事は絶対にできない。謝って許されるようなものでもなければ、俺はあのとき謝る事からも逃げた。


 真っ白な病室でただ一人ベッドに横たわる久利を見て、彼の足がもう動かないと知って逃げ出した。

 あいつの夢を、未来を、俺が壊してしまった事実に耐えきれず、その場から逃げた。

 取り返しのつかない事をしてしまったと気づいて、周りの人達から犯罪者のレッテルを貼られて学校にもいかず部屋に塞ぎ込んだ。 


 彼に何を言えばいいのか、謝って許される問題じゃなかったから、俺は何もせず。何もする事なく時間を浪費した。ゲームで、アニメで、罪から逃げるために。


 顔を合わせない両親と誰もいない家の中で膝を抱えて俯いた。


 罪に押しつぶされそうだった。だからサブカルチャー逃げて、二次元に自分を投影して気を紛らせていた。常に考えるフリをして、目の前のことに手一杯なフリをして、今は忙しいからと、過去を遺物と化して封じ込めた。


 二度と起きないためにそんな事は知らない、俺とは関係ない、俺はそんなやつじゃないと否定して、誰かを真似て生きてきた。


 最善だと信じていたものが、正しいと信じてきたものが全てを破綻させた。

『特別』でなければ意味がない、『特別』でなければ認められない、そう言って行動した結果、俺は自分の存在価値を失った。唯一の才能を『特別』を失った。


『特別』であると自負し、それを肯定してくれる人間がいなくなったため、相手を下げる事で自分の価値を確立させようとした。


 その結果が『自分が特別で周りが劣っている』そんなねじ曲がった物の見方を生み出してしまった。監督はそこをしっかり見抜いていた。俺が他人を見下そうとする事を、そうする事でしか自分を持てないという事を知って、個人プレーに走る俺を拒絶した。


 彼はきっと俺がいつか気づいてくれると思っていたが、最後まで、俺はやらかしてからでしか気づけなかった。


「……俺が悪いんだ、全部、何もかも」


 俺で始まり俺で終わった。


 身勝手な男が全てを破壊して、その上で成り立っている物全てを一掃した。

 土台をなかったことにした。過去を全て払拭し罪から逃げ出した。

 始まりをなかったことにして、結末を存在しないことにした。


「それでいいのか」


 赤い目をした男が俺の腕を引っ張り上げ、胸ぐらを掴んで引き寄せた。

 彼の鋭い眼光が俺に突き刺さる。


「全部事実だ……俺が悪いんだよ、全部。何もかも全部! 俺のせいで傷ついた奴がいる、俺のせいで……失った奴がいる」


 王城で出会った黒い魔法使いもそうだった。あいつは俺達を呼ぶためだけに大量の命を生贄に捧げた。そして一人だけその命に見合わない奴がついてきたことに激怒した。


 だったらその分の魂を返してくれと、あのとき叫んでいた名前は召喚に使われた命の数。

 数えきれないほどの命を無駄にして、俺のせいで失われた。そんなもの取り返しなどつくはずない、失ったものは戻らない。

 俺が殺したその命は帰ってこない。


「お前はそれでいいのか。罪に押しつぶされて、下を向いて生き続けるのか」


 それでいい。それでいいんだ。


 俺が悪いんだから、俺が全ての元凶で人を壊した。そこは変わりようのない事実で。俺が積み上げてきた罪過だ。


「そうやってまた塞ぎ込んで、罪の意識から逃げることを繰り返す。また同じ事を繰り返す。人を壊し、そして逃げ、自分は関係ないと言いながら生きていく」


 嫌なんだよ、全部。


「罪から逃げる、全てを投げ出す。お前は──」

「嫌だって言ってるだろ! 俺だって嫌なんだよ! 怖いんだ! 俺のせいで傷ついた奴がいる、そいつらが何を言ってくるのかが怖い、たまらなく怖い。みんなに責められるのが怖い、嫌なんだよ。そんな事なら俺が死んだほうがよかったんだ……」


 俺は未来を奪った。命を殺した。

 それは変わりようのない現実。


「…………異世界に来て、逃げられたと、心のどこかで思っていた」


 少し遠くの高校を選んで中学時代のクラスメイトと会う事はなくなったが、俺を見る周りの目は変わらなかった。冷たく、関わりたくないという目、誰からも優しくされない。


 そんな中で本当に理想の形で現実から逃れられたはずだった。


 新しい世界で力を手に入れて、俺はまた『特別』になれると、勇者になれると思ってた。

 なのに何もなかった、俺は無力な俺のままだった。


 そう感じて怖くなった。『特別』じゃないから彼らに置いて行かれる、特別でない人間に価値はないように、俺には何も価値がない。


 だから必死になって努力した。自分の価値を付けなければ、彼らに見放される。無価値になった俺の友達でいてくれた輝樹にさえ見捨てられるんじゃないかと。そしてまた俺のせいで誰かが傷つくことに耐えきれなかった。


 また何か言われるんじゃないか、俺のせいで友達が死ぬかもしれない。


「俺が悪いんだ……俺が、俺が」


 もう嫌なんだ、何もかも全部。

 思い出したくない、考えたくない。耳を塞いで目を閉じて、何も感じなければいい、どこにも行かず、何も見なければ、聞かなければ、動かなければ。


「それでいいのかよ、本当にそれで満足ってかよ!」


 男は胸ぐらを掴んだまま俺を地面に叩きつける。


「それでお前が諦めて、残された奴はどうする」


 誰もいない、俺には誰もいない。全てが消えた。


「お前の帰りを待っている女はどうする! 今もお前を信じ続けている奴はどうするつもりだ! 答えろ! 水成」


 俺には誰もいない。

 家には誰もいない。

 父さんも母さんも帰ってこない。

 帰っても誰もいない、真っ暗な廊下に吸い込まれる声と冷たい床だけ。

 誰もいない、誰も待っていない。誰も俺を望んでいない。


『ふざけんな! お前のせいで』


『この犯罪者が!』


『人殺しが! 返せよ! 返せよ!』


 ああ、もう居場所なんてない。

 俺の帰りを待っている奴はどこにもいない。

 誰からも拒絶されて、誰からも否定されて、罪を抱いて死ぬ。それが全ての元凶にふさわしい末路だ。


「お前を信じている奴は、お前の帰りを待っている奴をお前自身の手で裏切るのか! また同じ事を繰り返し、誰かを傷つけて、それをなかったことにして後ろに進む。それで本当にいいのか!」

「黙れぇぇえ! 誰が……誰がいる? 誰もいないんだよ……誰も……いないんだ」


 あの全てを飲み込むような暗闇をいつも眺めていた。


 返ってくることのない返事はいつもそこに吸い込まれていく。相手はいない、あるのは孤独だけ。何もないから、誰もいないから、俺は辛かった。


「また忘れるのか! そうやってなかったことにするのか、辛い事が苦しい事があるから、全て、何もかもを無かったことにする気か!」

「黙れぇぇええええええ!」


 俺は要らない奴だ。誰かを傷つける奴だ。そんなやつを必要としてくれる者はいない。だからずっと一人で、これからも独りで、俺の横には誰もいない。

 いたはずのやつはいつの間にか消えている──はずだ。


 誰の声も聞こえない、誰も手を差し伸べてはくれない。誰一人として助けてくれない。


 俺はそうして独りだった。


『それでも私は許すし、必要とする』


 ──俺は独りじゃなかった。


 あの日、あのとき、あの場所で、もう救われてたんだ。


『生きててくれてありがとう』


 俺に手を差し伸べて必要としてくれた奴がいた。


 忘れていた、忘れようとしていた。この言葉を、俺はなかった事にしようとした。

 救いを差し伸べてくれた少女を、あいつと過ごした時間を、全て無かったことにしようとした。辛い事があったから、何もかもを忘れてしまおうとして消し去った。


 本当に大切なモノまでも失うところだった。


「答えろ水成! 逃げ出すのか! 立ち向かうのか! お前を信じて待っているやつを裏切るのか! 誰でもないお前を必要としてくれたやつを、お前は切り捨てるのか!」

「俺は………………」


 誰かに認めて欲しかった。誰かに褒めて欲しかった。


 何もなかったけど、それでも誰かと笑い合いたかった。


 そんな事は初めから無理で、俺にはできないかもしれない。


 けれど、それでも俺は──


「俺は…………初めて必要だって言われたんだ」


 他の誰かじゃない。サッカー選手としての栄光を持った水成じゃない。


 なんの色眼鏡もなく、俺自身を必要としてくれたから。他でもない俺を必要としてくれたから、どうしようもない俺を助けてくれたから。


「ユノがいる……誰もいない俺の横にいてくれたあいつが」


 返事の返ってこない家の中で、真っ暗な部屋でひとりぼっち。


 でももう違う。ただいまって言える奴がいる。

 おかえりって言ってくれる奴がいる。

 俺はもう独りじゃない。暗い部屋で膝を抱えて泣いているばかりのやつじゃない。


 一人で立って、いや、その必要すらもうない。


「俺はもう一人じゃない、辛い時に支えてくれる奴がいるから」


 あの日救われたのはユノじゃない、ようやく見つけた運命に争う希望、未来への鍵なんじゃない。救われたのは俺で、未来の鍵はユノだった。


 俺はもう、とっくにあの日から救われてたんだ。気づこうとしなかっただけで、もう独りじゃなかった。


「帰る理由ができた、俺は帰らなくちゃいけないから」


 俺は一人じゃない、あいつも独りにしない。


 まだやってない事が、やりたい事がある。


 料理を教えてない、戦いの技術を教わってない。それにまだ話したい事がある。


 だからこんなところで負けてなどいられない。折れるわけにはいかない。


「もう一人で立てるか?」


 立ち上がった俺に男は最後の質問を飛ばすが、その答えは身体で体現している。

 そして同じ目線になってようやく、この男が誰かを理解できた。 


 こいつはユノの家にあった本に載っていたやつの1人、あの5人の中の1人。


「……大丈夫。もう十分だ」

「ならもうこれは必要ないな」


 そいつはそう言って白い空間を閉じ始め、空間に亀裂が入って割れていく中で彼の姿に。


「悪かったな。変に当たり散らしたりなんかして。それに最後まで付き合ってくれて」

「……気にするな、それが俺の役目だったってことにしてやる」


 彼の姿は消えていき、黒いモヤが侵食を始める。


「最後にいいか?」

「なんだ」


 これだけは言っておきたかった。


「名前、なんて言うか教えてくれ」

「──ゼイン。それが俺の名だ」


【10】


 流れるのはあの記憶。そう、全てが終わった日の事。


 吐き出しはしない、泣き叫びはしない。


 なぜなら俺は一人ではないから、受け止めてくれる人がいるから、待っててくれる奴がいるから、抑え込んで仕舞い込む必要はもうない。


 辛いときに辛いと、苦しいと言える相手がいる。


 だから前を向ける、どんなに苦しい物だったとしても2人なら受け止められる。

 寄りかかる背中があるのだから。


「俺は独りじゃない、誰かと一緒にゆっくりでも前に進めばいい」


 あの地獄は忘れて、なかった事にしていい物ではない。

 いつまでも逃げ続けて、いつかは無くなるなんて事もない。


 あれはどこかで向き合って行かなくちゃいけない物。 


 だがそれを独りでやる必要はどこにもない。 


 何もかもに裏切られて絶望の淵で独り、死を待つだけだった俺の手を取って、進むべき道を示してくれたユノ。

 そして過去に潰れて塞ぎ込んだ俺を叱咤し、奮い立たせてくれたゼイン。


 何もかもに絶望して、存在意義すら見失った俺にもう一度立ち上がる機会をくれた。


 どれだけ折れようとも諦めずに引き戻してくれた彼に、忘れようとした彼女を思い出させてくれた事を、彼らが俺を見捨てなかったからこそ、今ここにいる。


 だから向き合おう。


「どんなに蔑まれても、どんなに恨まれても、それが謝って済む物じゃなかったとしても、俺は謝り続けよう」


 ここに誓う。


 逃げ続けてきた俺だけど。今度こそは、俺を信じてくれる彼らがいる限りもう逃げない。


 だからもう目を逸らしたりはしない、苦しくても見なければならない義務が俺にはある。


『久利の病室から逃げ出してしまった俺はその後すぐに塞ぎ込んだ』


 あいつと会うのが怖くて、何を言われるのかが怖くて逃げ出した。足が動かなくなってベッドで寝たきりの彼を前に自分の罪を自覚し、恐怖のあまり謝る事ができなかった。


『足が動かないと聞いた時、本当の意味で絶望した』


 俺が起こした身勝手のせいで、彼は二度とグラウンドに上がる事はない。自分が特別だと信じて、周りより自分を優先した事により彼の人生は崩壊した。


『塞ぎ込んだ後はゲームやアニメに熱中した』


 そうやって罪の意識をずらした。常に襲ってくる罪悪感を誤魔化すため、記憶を上書きして忘れる事に必死になった。辛い思い出を忘れて、何もかもをリセットしようとした。


 両親はそんな俺に何も言わなかった、もともと放置していたこともあって止める者は誰もいなかったから今に至る。


『異世界に来て、逃げ切ったと感じた』


 記憶を封印して罪の意識を感じなくなったとはいえ、心のどこかで生き辛かった。

 友達を作らなかったのもそのせい。

 人とのコミュニケーションが取れないのも、きっと怖かったからだろう。

 自分が誰かを壊してしまった事や、他人から犯罪者だと見られる事が。


『俺のせいでみんなを戦いに巻き込んだ』


 無知が故に巻き込んだ。異世界召喚に巻き込まれたとしても、戦いに巻き込んで死に追いやったのは俺だ。だから必ず助けなくちゃいけない。


 それは使命感とか、選ばれし者の宿命なんかじゃない。俺なりのケジメだ。


 ──ああ、この先は。


『いってらっしゃい』


 俺がずっと欲しかった、飢えていた言葉。


 返ってこない返事はない、ちゃんとそこには人がいる。 


 前に進むと決めたから。


 人の肩を借りて、こんなに不格好な奴がいるかと自分でも笑えるくらいだが、それでもいいんだ。俺はもう独りじゃない。


 真っ暗なこの空間でただ一つの光に向かって歩き出す。


【11】


 吹き抜けるそよ風がそっとカーテンを揺らした。隙間から差し込む日光は量を増して降り注ぐ。開かれた窓と揺れるカーテンを見やってから俺は足を止める。


 白く、儚く、この先に何があるのかを知って足を止めた。


 目の前にある扉を開く事がどれだけ辛い事なのか分かっている。


 一度逃げ出してしまった俺にもう一度なんてないのかもしれない。

 それでもあの時とは違う、罪と重さに押し潰されて逃げ出した俺ではない。たとえ何を言われようとも受け止める覚悟がある。


 真っ白な横引き扉の取っ手へと手を伸ばし、震えそうな手で掴んでゆっくりと開いた。

 すると開いた瞬間、正面の窓から風が強く吹いて髪が揺れた。


 その真っ白な個室の中には一つのベッドが置かれており、その横には風で揺れるピンク色のスイートピーの花が飾られていた。


 そしてずっと来れなかった場所へ、遅くなり過ぎてしまった友人へと言葉を交わすため、俺に与えられた最後の時間だと心に刻み込みながら、ベッドの脇にあったパイプ椅子に腰を下ろす。


 ベッドの上で全く動く気配のない久利を前にして、俺は前のめりに屈んだ。

 いつの日か思っていた病人のように白い肌は本当に病人になってしまった。

 伸びきって、切る機会さえなかったのだろうその髪は目にかかっていた。


 小さく吹き込むそよ風が俺達の髪を静かに揺らす、昔みたいに走っているかのように髪だけが揺れていた。もうそんな事はないと言うのに。


「……ひさしぶり、久利」


 気の利いた返事なんてできない。3年ぶりにあった友人だと言うのにかける言葉が見つからなかった。覚悟して、何を言うかなんて決めてきたはずなのに、彼を前にしたら思うように言葉にできなかった。


「3年ぶりだな。なんかこう……言い出しにくいけど、俺があのとき、あんな事をしなければお前はこんな事にはならなかったんだよな……」


 俺の身勝手だ。俺が我儘を通さなければ、彼を連れて行かなければ久利が怪我をする事はなかった。こんなふうに寝たきりになる事はなかった。


「お前の夢……昔言ってただろ。大会に出たいって……」


 あいつと話したことを今なら思い出せる。


 逃げ出して、いつまでもなかった事にしていたら彼の事なんて忘れたままだったかもしれない。思い出さないままで、ねじ曲がった道を歩んでいた。


「俺は…………お前が話してくれたこと全部! 忘れようとしてた……思い出さないまま、何もなかった事にして、自分だけ逃げようとしていた」


 こんな事を言いにきたのではないのに、抑えが効かなくなって叫んでしまう。

 こぼれ落ちる涙で視界が歪む。


 言う事は決まっていたはずで長く話すこともなかったのに、目の前に久利がいて、顔を合わせていると感情が暴れる。


「お前が友達だって言ってくれた事も忘れようとしていた! 一緒にやろうって……そう言ってくれたことさえ消し去ろうとしていた」


 嫌な事があったから、自分を責める出来事だったからと、楽しかった思い出も、覚えておかなければならない事まで全部、何もかもなかった事にしようとしていた。


「馬鹿だよな……楽しいことも嬉しいことも嫌な事があったから全部消して、俺はお前を蔑ろにした」


 たった一つの出来事で積み上げていた物全てを捨てようとした。いや、捨てたんだ。

 大切だったはずなのに違うと言い切って、目を閉じて耳を塞いで、そうして消した。


「友達だったのに……俺は…………俺は──」


 涙で前が見えない、嗚咽で口が回らない。


 言いたいことがあるのに口に出す事ができない。感情が、言葉がうまくまとまらなかった。背丈だけなら大人の高校生がみっともなく泣いていた。


「だから……ずっと言いたくて、でも言えなかった、言えるわけないって、そう思って」


 滲んだ視界の中でただ叫んだ。言いたかった事を、そして言えなかった事を。


「いいんです、もう。だから顔をあげてください」


 聞こえてきた懐かしい声に。いつの間にか下がっていた顔を上げた。

 忘れようとして、どんな声だったかなんて覚えていないはずなのに、彼の声が久利だとすぐに分かった。


「謝らないでください。僕が聞きたいのはそんなんじゃない」


 上半身を起こした久利がこちらを向いていた。


 肩まで伸びる長い髪、長い病人生活で痩せ細った体で、それでも優しく笑っていた。


「僕は幸せだった。水成先輩と出会えて、一緒に遊べた事が嬉しかった」


 だから大丈夫だと笑う彼の姿に「ならいいや」と言い出せる俺ではない。

 ここに来たのはそんな物のためではない。


「俺はお前の足を壊した……もう歩けないんだぞ。もう二度とグラウンドに上がる事はない、お前の夢は……」


 叶わない。

 そう言おうとした俺の前に久利は言葉をかぶせた。


「叶わない……か。分かっている。そんな事は初めから分かっていた」


 視線をずらして外の景色へと目をやった久利は、自らの細い腕を見てあの時のように諦める目をしていた。


「……なんでそう言い切れる。悔しくないのかよ、夢なんじゃなかったのかよ」


 悔しかった。そんなふうに諦めてしまう事が悔しかった。

 俺のためなのか、俺が罪悪感を感じないためにお前が諦めるのか。


「なんで──」

「あの時すでに僕にはもう時間がなかった。寿命が……ほとんどなかった。だから僕は向こうではもう死んでいる。これはある人が与えてくれた僕にとっての最後の時間」

「何言ってんだ……」

「病気だったんです。余命はあと2年。だからどうせ死ぬなら中学くらいは卒業したいと思って両親に無理言って、学校に来たんです。でも……僕は病人だった。たとえそれが学校でも変わりはしない。クラスメイト達や先生は僕を病人として遠ざけた。何かあったら困るってね」


 嘘だ、何かの間違いだ。

 そう思いたかったのに、あいつの白い肌と痩せ細った腕を見て何も言えなくなった。

 それに出会った場所はグラウンドではなく校舎。

 そして病人に部活をやらせられず。それが原因で入部を断られたのなら辻褄が合ってしまう。


「だから大会なんて初めから出られない。部活なんて出来るわけがない。僕は病人でみんなとは違う。みんなのようにはいかないんです」

「………………」

「だから嬉しかったんですよ、先輩だけが僕になんの隔たりもなく接してくれた。先輩が手を回したおかげで本来なら出れるはずのない僕はグラウンドに立つ事ができた。本当に感謝してるんですよ」


 俺は何も知らなかったから、本当はダメだったと知らなかったから、俺だけが知らなかったから彼を怪我させる原因を作った。


「先輩だけが……僕と対等な友でいてくれて、僕はそれに救われた」


 俺は救ってなんかいない、お前を傷つけた。

 お前から時間を奪ったんだ。憎まれるならまだしも感謝される覚えはない。

 俺はそんな奴じゃない。

 お前に、感謝されるようなことは何一つやっていない。

 だから俺はお前に謝らなくちゃいけないんだって──


「前を向け! ハルミスイセイ!」


 俯く俺を久利は怒鳴りつけた。


「お前が自分の名字を嫌っている事くらいは知っている。自分から言い出さないのも知っている。でも僕の友達はハルミスイセイだけだ。たった一人しかいない。だから下を向くな! 上をみろ! 天才なんだろ! そして……僕の友達なんだろ……」


 最後にかけて弱々しくなっていくその言葉に涙が溢れかえった。


 俺は家族との関わりが薄かったから自分の名字が嫌いだ。名前を聞かれたって言い出す事は絶対にない。


 だが俺が嫌いでも、こいつにとっては一人しかいない。

 俺は紛れもない久利の友達、ハルミスイセイなのだから。


「ごめんとか、謝るとか、僕が求めているのはそんなんじゃない」


 俺を唯一の友達だと言い張った男に何をしてやれる。

 きっと、かける言葉は同情や慰めなんかじゃない。


「ありがとう……俺の友達でいてくれて」

「こちらこそ……いや違うな。あたりまえだ」


 久利がゆっくりと拳をこちらに向けるのに対して、俺もそれに合わせる。

 そしてこれが最後になる。


「──行ってこい、水成! 僕が見れなかった世界を……水成が見てきてくれ」

「……ああ、分かった」


 待っている奴がいるから、帰る場所があるから。

 そして大切な友に託されたから、久利の代わりに俺が世界を見て、見た物全てを語ってやろう。俺が見たものを、感じたものを、いつか語り明かそう。


「約束だ。これは絶対に裏切ったりはしない」


 俺は前に進む、もう二度と間違えたりはしない。

 袖で涙を拭ってから立ち上がり、久利に背を向けて扉に向かう。

 ここで別れたらもう二度と会う事はできない、だから「さようなら」は言わない。言う必要なんてどこにもない。


「水成!」


 背を向けて歩く俺を呼び止める久利の声に振り返ると、彼はベッドの横に飾られてあった花を俺に向かって投げた。


「少し遅れたけど……18歳の誕生日おめでとう」


 無邪気に笑う彼と、俺の誕生日が過ぎていた事を知って受け取った花を強く握った。

 こっちの世界に来たときにはまだ半年以上先だったはずなのに。


「ああ……くそぅ、もう…………そんなにかよ」


 これ以上泣き顔を見せるのが嫌で病室を出る。

 そして最後に見た彼の顔は笑っていた。


【12】


 光の入ってこない塔の最上階。

 そこの室内にはたった一人だけ人間らしきモノがいた。

 セミロングほどの髪の長さを持ち、体格は成人男性より少し大きめ。

 そして何より限界まで引き締めた筋肉が邪魔にならぬようにその五体に締められていた。

 ただ奇妙なのはその人物には影しかない。その肌は常人より浅黒く、眼球でさえも黒みがかかっている。


 手も足も、爪の先まで全てにおいて一つシャドウがかかっているように見える。


 そしてその人物はある一点に向けて視線を向け、その方向へと足を動かした。


 視線の先には破壊された室内の入口である扉と、その奥の壁にめり込んでいる人間らしき者。

 視線を向けらた人物は頭部から流れ出る血のせいで顔は見えなくなっており、破れた服の隙間から見える範囲だけでも傷だらけ、先ほどから指の先一つ動かないところを見るに、生きているかどうかすら怪しい。


 するとその人物がめり込んでいた壁が少し決壊し、人間が外に排泄される。

 崩れていく瓦礫と共に階段の上に落ちる姿をみて、黒い彼は行動に映る。

 室内を取り囲むように置かれている鎧を着た騎士達のモニュメントのから槍を引き剥がし、2、3度ほど空中で振って感触を確かめた後に、倒れている人物へと投擲。


 高速で迫る槍。


 もしも先ほどの決壊がその人間による物ならば、その人物がまだ生きているなら、ここで取るべき行動は決まっている。


 だが黒い彼も分かっている。


 ここで、目の前の敵が簡単にくたばるはずはないと、もしもそうなら自分はこんな所にはいない。それは期待ではない、確固たる確信を持って感じている。


 2メートル、1メートル。


 高速で投擲された槍は迫っている。


 あと少し、あとほんの数センチで突き刺さるという瞬間、その鉄でできた槍は破裂した。

 槍の破片が地面に散らばり、半ばで折れた槍の柄の部分が地面に突き刺さる。


 そして右手を大きく横に上げ、今なお立ち上がろうとしている人間がいた。


 頭部から血を流し、見える範囲だけでも傷は酷い。今ここに真っ当な人間がいたのならすぐさま止めにかかっているだろうが、そんな者はここにはいない。


「後悔はある……無くしたい過去がある」


 その男は立ち上がる、大量の傷を負って敗北を受け入れても良いほど傷ついているというのに。ここで逃げ出しても彼を責めるような者は誰一人としていないのに、それでも立ち上がり、そして拳を握る。


 それがせめてもの償いのように。


「これは俺の戦い、俺自身への挑戦だ」


 一斉に魔力を放出。そして放出した魔力と体内を駆け巡る魔力が同調を始める。

 身体を駆け巡る魔力が肉体のリミッターを破壊し、外部に放出された魔力はその青年を魔力で展開された擬似筋肉ごと覆い尽くし、さながら魔力の鎧を完成させる。


「他の誰でもない、俺が成さなければならない戦い」


 魂から魔力は生成され、精神と魂は密接な関係にある。

 魔力適性を持ち、魔力そのものを生成するのが魂だが、それらを操作するのは精神力、つまりは精神こころが関与する。


 いくら魔力を生み出すことが可能だったとしても、それを操る担い手の心が分離、もしくは崩壊しているようでは魔力の操作などできるはずがない。 


 だからハルミスイセイは【凱殻】の発動ができなかった。


 魔力の精密なコントロールが要求されるその技に、彼の精神はついていけなかった。

 だが今は違う、自分自身と向き合い、それを乗り越えて前に進むと誓った今の彼ならばその技を、その真意を司ることができる。


「覚悟はいいな、ハルミスイセイ」


凱旋がいせんせよ、鑛の攻殻(あらがねのこうかく)


 魔力の鎧を纏った青年──水成は階段から飛び上がると室内へと着地。


 部屋の真ん中にいる自分と同じ顔をした人間らしき者に対峙して、一歩前に出る。


「ケリつけようぜ、俺と過去おまえの宿罪に」


頑張った、感想くれたら喜びます

次回はバトルパート、そして二章を終わらせにかかります

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