002 ログインボーナス
突然現れたウィンドウには『宛先』『受信』『除去』『保護』『削除』『複写』『転送』『添付』『予約』『送信』の10項目があり、メールの操作画面のようだった。
私は取り敢えず新着1件のバッヂが付いている『受信』の項目にタッチして受信メールボックスらしきものを開くと1通だけリストに表示されていた。
念のため新着メールには触れずに内容に目をやると差出人の表示はなく、件名か本文冒頭の一文として『今日のログインボーナスだよ』とだけ記されていた。
それだけでは余りにも情報が不足していたので仕方なくメールを開封する。
状態:開封済
添付:大銀貨2・小銀貨8・大銅貨18・小銅貨20
本文:今日のログインボーナスだよ。
メールの内容はそれだけだった。
添付されている物と本文の内容からこれがお給金の3万円なんだろうと当たりを付けることは出来るけれど、字面だけで記されても実物をどうやって受け渡すつもりなのだろう。
もしかして電子マネーなのかな?
それなら怪しげな添付ファイルを開けばチャージされるのかもしれないと思った私は、貨幣価値が1000円くらいだと思われる小銀貨ファイルに触れてみた。
すると何もない空間にいきなり8枚の銀貨が出現した。
なんとも奇怪で非現実的な現象に目を丸くしたけれど、こういうものだと受け入れて落下する銀貨を慌てて両手で受け止める。
じゃらじゃらと鳴る銀貨は現代の硬貨と比べると嵩張る上にそこそこ重いので、財布に入れて持ち運ぶには少々困り物だった。
どうしたものかと考えた私は銀貨がメールに添付されていたのを思い出し、新規メール作成の画面を呼び出す。
宛先は未設定のまま本文に小銀貨8枚とだけ記入して『添付』の項目をタップする。
新たなウィンドウで添付可能品目のリストが開かれ、その中に小銀貨8があったので選択すると添付枚数の設定表示された。
私は最大値の8枚で添付すると手の中にあった銀貨は、設定完了と同時に姿を消した。
便利なものだと感心しながら下手な操作をしてお金を添付したメールを削除してしたりしてしまわないようにログインボーナスメール共々『保護』してウィンドウを閉じた。
その後すぐに再度ウィンドウを開き直して添付リストの中に手提鞄もあったので追加で添付した。
両手が自由になった私は、軽く伸びをして新鮮な空気を肺いっぱいに吸って吐いてを2、3度行ってから周囲を見渡す。
周囲には舗装された道なんて見渡せる範囲には見当たらず、人の手が入っている様子すらない。
突然のことに混乱して優先順位を見失ってたけれど、時間が経つにつれて冷静になってくるとひとまず人が住んでいるところを探さないことにはどうにもならないという気持ちが高まってくる。
行方不明になりたいだとか、誰も知らないどこか遠くに行きたいだとか思っていたけれど、別に遭難したいとか思っていたわけではないので今現在置かれている状況にちょっとした焦りを覚えた。
闇雲に歩いても迷うだけなのがわかり切っていても森の中で夜を明かすのも危険だとびしばし肌に伝わってくる。
空を見上げてみても生茂る樹々の枝葉に遮られて星空もまともに見えない。
北極星みたいな目印でも見つけられれば、多少はマシだっただろうにどうしたものだろう。
などと悠長に考える時間は与えて貰えなかった。
辺りからがさがさと藪を掻き分けて何かが近付いて来る。
その音の出所はどうもひとつやふたつではないらしく、あちこちから聞こえ、それらは全て私に向かってきているようだった。
警戒する私の前に、やがてがさりと音を立てて藪の中から姿を現したのは体高が1メートル半はありそうな大きなオオカミだった。
私の身長とそう変わらない大きさの野生動物を前に恐怖する。
今まで生きて来た中で人間を害するような動物と遭遇したことのなかった私には、大自然の中での危険が頭の中から完全に抜け落ちていた。
圧倒的に危機感が足りてなかった。
これまで私が生活して来た街でならこんな事態に陥ることはなかっただけに、非現実的な世界に飛ばされたらしいというのに問題ないとばかりに楽観視していた。
ひとりで生活するのに困らないだけのお金があるなら人里にまでたどり着けさえすれば、どうとでもなると思っていた私はあまりにも浅はかだったのだと思い知らされる。
他に人が居なければ、私はひとりではどうすることも出来ない。
サバイバル技能など一切持ち合わせていないのだから。
じりじりと後退る。
オオカミは鋭い牙を見せて威嚇するように唸りながらのしのしと私との距離を縮める。
今にも飛び掛かって来そうな気配が私を萎縮させた。
さらに別の方向から近付いて来ていた音がして、ちらりとそっちに目を向けると新たなオオカミが藪から現れていた。
そこから次々に3匹4匹と後続のオオカミが続き、扇状に群れを展開した状態で私の逃げ道を塞ぐように追い詰めていた。
襲いかかるタイミングを見計らっていた群れの中で一際大きな1匹目のオオカミが、恐怖で今にも膝が抜けそうな私がさらに一歩後退った瞬間躍り掛かって来た。
私は声にならない悲鳴を上げ、尻餅をつくように転けた。
オオカミは私を押し倒すように両肩を前脚で押さえ付けると大口を開け、獲物を絶命させようと容赦なく首筋に牙を突き立てた。
生きることを諦めたからだろうか、なぜか痛みは感じなかった。
不満だらけの現実とおさらばしたばかりだというのに、こうもあっさりと喰い殺されて終わるなんてと諦めの気持ちが胸中に溢れ返る中で場違いな音が脳裏に響いた。
それはこの世界に放り出されてすぐに聞いたメールの着信音だった。