019 睡魔の呼声
ここでの目的を達した私はネブリーナ大森林を脱出すべく行動を開始する。
魄楊前の広場を離れる直前、ちらりと魄楊に目を向ける。
霧が濃く、さっきまでなんとか見えていたヌシの姿は見当たらない。
ヌシには本当に申し訳ないことをしてしまった。
私は無意味かもしれないとわかりつつもヌシ宛に「ごめんなさい」と短い謝罪の一文をしたためただけのメールを送った。
スキルを介した一方通行のメッセージ。
自己中心的な考えで今回の一件を自己完結させるための行動でしかないけれど、精神面の健全さを保つには必要なことだった。
いつまでも気持ちに折り合いをつけられず、引きずり続けていては心を病んでしまう。
だったら自己満足な行いであっても、胸の内に燻ったものを解消出来るのなら早急に解消してしまった方がいい。
そうやって抱いていた罪悪感に対して自身を納得させる言い訳を用意した私は、思考を切り替えて次の目的に集中することにした。
その第一歩として、閉塞感のある濃霧からの脱出を試みるべく、水を掻くように両手足を動かして霧の外を目指して月明かりの降り注ぐ上空を目指して浮上する。
手足で空気を掻く感覚は水中のそれと似ていたけれど、身体全体に受ける抵抗感は水と比べで遥かに薄く、普通に泳ぐよりも速度が出ているようだった。
ぐんぐんと加速し、上昇していく。
深い霧を抜けるまでに森の中では見かけなかったキラキラと宝石のように光るクラゲなどとすれ違う。
やがて霧を抜け、まばゆいくらいに輝く月の下に出た。
それまで感じていた閉塞感は消え失せ、開放感のある空の下で月明かりを浴びて一気に心が軽くなる。
スキルによる空中遊泳にもそこそこ慣れ、視界も開けたので泳ぎ方を平泳ぎからクロールに変えて速度を上げた。
霧の海の上をルートコンダクターの道標に従って高速で進んでいく、その速度は森の中を障害物を気にながら駆け回っていたときよりも明らかに速かった。
風を切って突き進む。
眼下に広がる霧の海には私の影が落ち、私と速度比べでもしているようだった。
そこへ乱入するように異物が混ざり込んだ。
私の影の後に続くように、サメやイルカのような背鰭がにょきりと霧から顔を見せた。
直後に特徴的な高音が鳴り渡る。
それは何かを訴えかける鳴き声のようだった。
数秒の間を置き、着信音が鳴る。
メールボックスを開くと新着メールに『仲間? 仲間だよね? 遊ぼう。遊ぼう』なんて冒頭の一文が記されているものが目に入った。
ログインボーナスのような文面ではない内容に驚きを覚える。
ずっと一方通行なやり取りしか出来ないものだとばかり思っていた。
私は受信したメールを開封して内容を確認してみると何故か『睡眠』が添付されていた。
何の意味があってそんなものが添付されているのか気になったので、送り主が何者なのかと宛先リストに新規登録された相手の名前を調べる。
そこには『ヒュプノスオルカ』とあった。
初めて私に宛てて送られて来たメッセージに対して、どう反応すべきか悩む。
泳ぐ速度を緩めずにいると再び特徴的な鳴き声が下から届く。
すると『待って、待って、置いて行かないで』なんて内容のメールが届いた。
そのメールにも意図のよくわからない『睡眠』ファイルが添付されていた。
どうしたものかと思っていると霧の中からひょこりと鳴き声の主が顔を見せる。
それはシャチの姿をしていた。
シャチはもう一度鳴き声を上げる。
悲痛な印象を受ける鳴き声に思わず手足を止めだけれど、水中と違って抵抗が余りないからか、速度が急に落ちたりすることはなく、風に流されるように身体は進み続けた。
『ねぇ、ねぇ、他に仲間はいるの? 一緒に連れてって』
新たなメールの内容に眉根を寄せる。
相手に私を攻撃する意思はないようだけれど、私の姿を目にした上で仲間だと思い込んでいるのはなんでだろう。
それに加えてまたしても『睡眠』が添付されていた。
送り主は私の真下を泳いでいる見た目シャチの魔獣なのは間違いないと思う。
もしかして私と同じ『メール』スキル持ちだったりするのかな?
それなら相互にメッセージのやり取り出来ても不思議じゃないよね。
試しに『鑑定』メールを送ってみるとシャチは戸惑うような仕草をしていた。
やがて返送されて来た鑑定結果に目を通すとシャチの保有していたスキルは『メール』ではなく、スキルランク4の『睡魔の呼声』というものだった。
ふとそこで引っ掛かりを覚える。
シャチは明らかに空中を泳いでいるのに、霧の中を泳いでいた他の魚たちのように『遊泳』スキルを持っていない。
同じく『遊泳』スキルを所持していなかったヌシは地面を移動していた。
なのに眼下のシャチはどうやって空中を泳いでいるんだろう。
持ってるスキルの名前からして空を泳げるようになるとは思えない。
一応確認のために『睡魔の呼声』ファイルを開いてみると強制睡眠効果のある声を発することを可能にするスキルだった。