015 霧の正体
霧が濃さを増すと私の追跡をしていたナイトハウンドたちが足を止めたのか、次第に気配が遠ざかっていった。
もう彼らからの襲撃を警戒する必要はなくなったかと思った矢先、音もなく背後から何かが迫るのを感じた。
追いつかれるのも時間の問題だろう。
そんなことはわかっていても私に出来るのは、速度を緩めることなくただただ足を動かし続けることだけ。
背後を振り返って相手の正体を探る余裕なんて微塵もない。
やがて大量の何かが私の身体を避けるように上下左右を次々と追い抜いていった。
彼らは私を害するつもりはないらしく、私を単なる障害物のひとつとして擦り抜けるように前へ前へと先を争うように空中を泳いで行く。
その光景は私の常識からはあり得ないものだった。
私の側をスレスレの距離で追い抜いて行った者の正体は、空中を泳ぐ小魚の群れだった。
何かから逃げていたような小魚の群れのうちの1匹が私の身体をかすめたのか、短く一度だけ通知音が鳴って宛先にクラウドサーディンというものが追加されていた。
数百匹はいそうなクラウドサーディンの群れが私を抜き去った数秒後、背中の一点に強い衝撃を受けて吹き飛ばされた。
何事かと思う間もなく、地面にへばりつくようにして転けた私の上を猛スピードで巨大な魚が通過して行った。
どうやらクラウドサーディンたちは、あれから逃げていたらしい。
宛先にはスラストマーリンという新規の宛名が増えていた。
スラストマーリンは私を餌とは認識していなかったようで、最初の追突以降なにかして来るようなことはなかった。
全力疾走していたところを背後から突き飛ばされたことで、地面の上をずざりと滑るように吹き飛んだ私の制服は土と枯葉でひどいことになっていた。
立ち上がり軽く汚れを払いながら周囲を見渡し、別の魚が付近にいないのを確かめてから目的地へ向けて再出発した。
さらに森の奥へ進むと視界は真っ白に染まったけれど、開きっぱなしになっていた添付リストに『霧』が追加されたので、手早く除去に登録したことで多少はマシになった。
それでも木が目の前まで迫るまで視認出来ないレベルなので、ここから先は全力疾走するのは危険かもしれないと速度を緩める。
たったったと一定のリズムを刻んで走っていると私の足音に合わせるようにカチカチカチと何かが打ち鳴らされるような音が響く。
今度は何なのかと気にはなったけれど、実害はなさそうだったので無視を決め込んで先を急ぐ。
やがて音は止んだかと思うと今度は目の前に迫っていた枝のない細く短い立ち木がくにゃりと折れ曲がり、私に襲いかかって来た。
慌ててそれを避け難を逃れたのも束の間、同様の状態で生えていた立ち木に次々と襲撃を仕掛けられ、何度か噛み付かれることになった。
けれど力負けする程ではなかったので、噛み付かれたままでも強引に突き進んで事なきを得た。
木に擬態していたらしい彼らはウッドイールという魚だったらしい。
ウッドイールの巣を抜けて目的地まで10㎞を切ったところにまで至ると、これ以上ないくらいに霧が濃くなると同時にガスの噴出音のようなものがあちこちから聞こえるようになってきた。
毒ガスだったりしないだろうかと思いもしたけれど、添付リストにそれらしいものが追加されることはなかった。
それでも何かあるのは確実なので目を凝らして音の出所探りながら進んでいると、木の枝の付け根や木の根元にゴツゴツとした赤い果実というか卵のようなものが取り付くようにたくさん実っていた。
その実は先端部からスプレーのようにぷしゅーっと音を立てながら霧を絶え間なく噴出し続けていた。
ネブリーナ大森林を覆う濃霧の正体は、この実が原因らしい。
赤い実のひとつに軽く触れると添付リストにではなく、宛先にミストスクァートというものが登録された。
宛先に登録されたということは生物なんだろうか?
収穫後の野菜類ならともかく、まだ生えている植物に関してはどうだったか検証していなかったので判断に迷った。
ただ森の中を駆けている最中いろんな草木が肌をかすめても登録されてはいなかった。
それでも試しにミストスクァートが実っている樹に触れると新たな宛名が登録された。
何が違うのかわからなかったけれど、今はそういうものかと思うことにしてミストスクァートをひとつもぎとってみた。
ぶちぶちと音を立て、ミストスクァートの根が引き千切れる。
すると霧の噴出は徐々に弱まり、やがて止まった。
霧の噴出が止まると宛先に名を連ねていたミストスクァートは、いつの間にか添付リストに名前を移していた。
霧の原因でもあるし、私は新規メールにそれを添付して保管した。
ひとつあれば充分なので、あちこちで大量に実っている残りはそのままにして先へと進む。
視界が悪いので進みは遅くなったけれど、順調に目的地へと近付いていった。
途中でライトニングスナッパーとかいう全身からバチバチと電気を迸らせる赤い魚に遭遇したけれど、接触時に添付リスト入りした『電撃』を除去に登録したらただの魚と変わらなくなったので特に問題なくやり過ごせた。
そこからは奇妙な生き物に襲撃されることもなく目的地までの距離を縮め、残り500mを切ったところで閉塞感が薄れた。
濃霧で視界は晴れないのは変わらないけれど、さっきまで暗かった景色とは違い頭上からほのかに青い光が降り注いでいた。
その中を慎重に進むと鉱石のような質感をした葉の一切ない真っ白な大樹が、大きく枝を広げて鎮座していた。