71話 【神獣使い】vs最後の【魔神】その4
「……ッ!」
覚悟を決めて目を見開き、アオノからもらったネックレスを握り込んで腕を振り、そこから毒霧をファルヴードへと解き放つ。
『これは、ヒュドラの? ……悪あがきを』
ファルヴードはまとわりつく毒霧を振り払おうと、大鎌を大きく振るった。
その隙に、沈みそうな意識を引き止めながら、俺はローアに言った。
「……ローア、そのまま聞いてほしい」
「……?」
目の端に涙を浮かべ、小さく顔を上げてきたローア。
その小さな体を包み込むようにして、努めて静かな声音で伝えた。
「ローア……本当にありがとう。ローアがいなかったら今頃俺は生きちゃいないし、皆にも会えなかった。これまでの生活は全部全部、ローアがいたから始まったんだ」
「……」
ローアはただ静かに、俺の言葉を聞いてくれた。
その暖かな体温を感じながら、話を続ける。
「俺は最初、ただ生きていたいって思ってた。訳の分からないスキルのせいで故郷を追い出されて、そのまま死んでたまるかって。……でもそれはいつしか、皆と一緒に生きていたいって願いに変わっていった。……皆、暖かくて。早くに両親を、家族を亡くして故郷もなくした俺には、皆との生活が救いになっていたよ」
「……。…………」
「そして今は……皆に、ただ無事に生きていて欲しいって思うんだ。大切な皆に、俺なんかを信じて力を貸してくれた皆に、ずっとずっと」
「お……お兄ちゃん……? ……どうして、今、そんなこと言うの?」
震えるローアの頭を軽く撫でる。
「ローア。ドラゴンの姿になって、少し離れててくれ」
「で、でも……!」
「じゃあ、後でな」
微笑みかけ、手を離して下へ送ると、ローアはドラゴンの姿になって、翼を庇い滑空するように飛行していった。
毒霧を払い切ったファルヴードは、肩を揺らして、呻くような嗤い声をあげた。
『私の隙を突き、足手まといを捨てましたか。よい判断です。私と君が戦を愉しむにあたり、不純物は不要。さあ、もっともっと愉しみましょう。その呪いで蝕まれた体でどこまでやれるのか、実に興味深い』
「……足手まとい、不純物だと? ……ふざけるな」
ファルヴードの言葉を受けた俺の声音は、自分でも信じられないくらいに冷え切っていた。
そのくせに心の中はかつてないほど、溶岩のように煮えたぎっている。
胸に渦巻いて、膨れ上がって仕方がない激情を……俺は奴へ、叩きつけるように吐き出した。
「……黙れ」
『むっ?』
「それ以上、俺の相棒を馬鹿にするなよ、【魔神】ファルヴードッ!! お前なんぞにローアを殺させやしない……やらせてたまるかッ!!!」
本当に自分のものかと感じるほどの怒声を喉奥から張り上げ、全身に力を込めると、張り付いている壁に大きくヒビが入っていく。
──激しい怒りと、必ずローアを守り抜くという強固な覚悟。
それが俺の中に熱く、力強く混ざり合って渦巻いているモノの正体。
それこそが限界を迎えつつある体と意識を、辛うじて保ち、突き動かしているもの。
あんな面白半分な声音で……怯え、震えるローアを傷つけ、手にかけようとしたファルヴードに対する怒りが。
まんまとあそこまで追い詰められ、ローアを泣かせてしまった不甲斐ない自分に対する怒りが。
何より、これ以上は絶対にローアを傷つけさせない、たとえこの身が砕けても奴を止めるという覚悟が。
胸の中で一秒ごとに倍加して、体と心を、魂を熱くしていく。
家族同然に過ごしてきたローアを殺されかけて、その最中で冷静に反撃の算段を立てられるほど、俺も人間ができている訳ではない。
──けれど……それでいい。今はこの怒りと覚悟が、奴を滅する力になる、ローアを守る力に変わる!
「ウオォッ!!!」
周囲空間の魔力全てを消費し尽くす限界を超えた魔力噴射と、火事場の馬鹿力で、長剣から手を離して壁を蹴り上げ跳躍。
ローアの力がこもった短剣を再度引き抜き、刺突の構えを取る。
体がバラバラになりそうな超加速の中、ファルヴードが空間制御を行うその直前に、短剣を奴の胸部に叩き込んだ。
奴から逃げきれない以上、魔力切れはもう狙えない。
こちらの体も、出血と呪いでじきに動かなくなる。
──最後の意地だ、ここで決着をつけてやる!
「何が【魔神】だ! 隙ありだファルヴード!!」
『……愚かな。勝機を捨て、無策で我が領域に踏み込んでくるとは。人間の感情というものはつくづく理解しがたい。ですが……呪いに蝕まれた身でその動き、驚嘆に値します』
ファルヴードは喀血しながら口を動かし、背から闇色の……星のない夜空にも似た魔力を展開していく。
それは、光なき虚無の空間、悪魔を統べる魔王にして【魔神】の領域。
『さあ、これで終わりです。君の最後の輝きとあがきを、ぜひ見せていただきたい』
領域内の魔力の圧力が、爆発的に増加していく。
ファルヴードは効果範囲内に入っている全ての物体の動きを、あらゆる方向から大魔力で押し潰すようにして止めにかかる……だが。
「う……おおおおおおあああああああああ!!!!」
この怒りと覚悟までは、奴の力で止まらない、決して止められない。
奴を睨んで絶叫しながら、強引に血塗れの体を動かす。
感覚が失血と呪いで鈍くなり、体はファルヴードの能力で不動の鋼のようになってしまっている。
……それでも、諦めずに短剣を押し込む。
気合いと根性だけで、腕を前へ、少しでも前へと……!
『……馬鹿な、こんなはずがない。私の空間内で、死にかけの人間如きが何故動ける……?』
ジリジリと体に押し込まれていく短剣を見つめ、ファルヴードは瞠目しているが、そんなに驚くことでもない。
空間制御の超現象は、あくまで奴の魔力で行われている。
であれば……短時間かつ局所的にでも、奴の魔力以上に強力な魔力を用意できれば、跳ね除けられるはずなのだ。
魔力はより強い魔力に抗えない、単純な力比べと同様、それがこの世の法則。
しかしこの身は人間、魔力の塊である神獣でもなく、素の状態では【魔神】の足元にも及ばない。
だからこそ、足りない分は……!
──俺の心……いや、魂で補う。怒りで燃える魂、その全てで!
魔力が神獣の力と同様に生命力だと言うのなら、俺の魂すら、魔力として変換できる。
確実にできる……初代から魔力の扱いを学び、感じ取る方法を覚えた今ならば。
決死の覚悟を決め、ローアを守るためにも、今この瞬間に奴を討つと決めた今ならば!
「うおおおおおおおお!!!」
魔力噴射の際に周囲の微弱な魔力を感じ取るのとは逆に、俺の中にある魂を感じ、ただ燃やすだけでいい。
実際、俺は魂だけの存在だった初代の魔力を感じ取っていたのだから、要は似たことを自分自身を対象にして行えばいいだけの話。
燃えて消える薪のように、薄れゆく魂……そして【呼び出し手】スキルの効力が弱まるのを感じながらも、吠えるように声を張り上げた。
「思い知れ……! この怒りも、覚悟も! お前如きの力じゃ止まらないぞ、ファルヴードッ!!!」
短剣に正真正銘、残るありったけの魔力と神獣の力を集約し、虹の極光を発生させて刀身を伸ばして奴を貫く。
するとファルヴードの体が端から砕け始め、闇に還るように散り散りになっていく。
『ああ……認めましょう。我が力に慢心があったことを』
散りゆく己の身を見つめながら、ファルヴードはゆっくりと声を漏らした。
『けれど呪いに蝕まれようとも、君の輝きは色褪せない。その輝きで、原初の【神獣使い】ですら成し得なかった私の討伐を目前としている。……三柱の【魔神】の融合体を倒しきる君は紛れもなく、【世界最強の神獣使い】。戦神たる【魔神】としては、その力を賞賛したいほど』
どこか達観したような表情で、けれどどこか惚れ惚れとしているような声音で、ファルヴードは続けた。
『ですが、やはりただでは消えられない。私にも矜持がある。今度こそ逃げおおせることも叶わず、同胞同様に消え去る定めでも。それは君も、同じこと』
「お兄ちゃん、そいつから離れてっ!! だめっ……だめーーー!!」
ローアの悲鳴が耳に届いたが、今離れればこいつを逃してしまう。
初代すら倒しきれなかったこいつを逃せば、今度こそ取り返しがつかなくなってしまう。
……それにこちらも深い裂傷と出血、何より呪いの侵食で、これ以上まともに動けそうにない。
──それでも、こいつだけは必ず倒しきる。
俺の魂が燃え尽きようとも、絶対に仕留める!!
意地だけでファルヴードに食らいついていると、奴は右腕を半透明にして伸ばし、俺の左胸……心臓のあたりへゆっくりと侵入させてきた。
これが初代を死に追いやった、魂を剥がすという絶技。
冷たい氷で内臓を貫かれたような感覚。
体中に凍りつくような痛みが走り、体中の傷と合わせて一瞬意識が飛びそうになる。
「がっ、あぁっ……!?」
……だが、極光でひび割れた顔で、ファルヴードは固まった。
『ない。掴めるほどの魂が、もう……?』
「……言っただろ? 魂を燃やすって。……曲がりなりにも、ローアたち神獣が気に入ってくれた俺の魂……心をだ! 全部燃やし尽くして、お前を倒す力に変えてやる!!」
ファルヴードの体はもう、完全崩壊まで秒読みだ。
奴はそんな最中、薄ら笑いではなく……初めて感情をむき出しにし、自嘲するような笑みを浮かべた。
『かかっ……魂を捧げるほどの自己犠牲……否、他者への愛情ですか。なるほど、それが君の輝きの原動力なら、確かに私は勝てない。そんなものに無縁なこの身では、君に砕かれるのも必定だったのかもしれない……されど』
ファルヴードは半分まで体を崩してから、最後に哄笑した。
『ああ……素晴らしい戦でした! 望みは叶わなくとも、実に、実に有意義な……! 生を実感できるものだった。最後は【魔神】らしく戦いに生き、戦いに殉じられる! ああ、望む世界は取り戻せずとも、私は今……!』
……ファルヴードの語る言葉の意味は、最後までこちらが理解できないものばかりだった。
いいや、それは恐らく、俺が人間として生きている以上は理解できないものだったのだろう。
人間と【魔神】の心の違い、根本的な部分で決して交われない何かがあるのだと悟る。
──だからこそ……最後まで容赦なく、俺はこいつを叩き斬れる。
迷いなど、一片たりとも存在しなかった。
「……【魔神】ファルヴード。お前も、還れ。あるべき……場所へと!!」
魂を魔力としてさらに燃やし、刃に最後の魔力と閃光を集約。
瞬間的にはローアのブレスをも容易に上回る魔力を顕現させる。
「──光鱗竜醒ッ!!!」
そのまま最後の力を振り絞って、ファルヴードの体深くに押し込んだ剣を斬り上げると、奴の体は天へと向かう極光に飲まれて粉々に爆ぜ飛んだ。
『は、ははァ……ぁ……』
最後の【魔神】は潔く、それでいて満足感すら感じさせる吐息と共に、粉々になって消滅していく。
同時、極大の極光による衝撃波の余波で城の天井と床が抜け、瘴気の消え去った青空と陽光が視界いっぱいに広がった。
悪魔の軍勢も、魔力源だった瘴気とファルヴードを失っては活動できないのか、次々に地に落ちて行くのが視界の端に映り込む。
それから俺も力を……魂の大半を使い果たして、崩壊する城と共に地へと向かっていく。
深手に出血、それに呪いの侵食も深く……もう腕どころか指一本すら、動かせない。
けれどローアが飛んできて、前脚で俺の体を受け止め、城の瓦礫から救い出してくれた。
「お、お兄ちゃん! 待ってて、今すぐ皆のところに連れて行くから! だから……!!」
「……なあ……ローア……」
ドラゴンの姿であるローアの前脚の中、朧げな意識と冷たく硬直しつつある口で……それでも確かに、俺は伝えた。
最後の最後に、一番伝えたい言葉を。
「……俺、ローアと皆が……大好きだったよ」
「──! ──!!」
ローアが何か言っているが、もうよくは聞こえない。
視界も意識も、白い空間に閉ざされていく。
何はともあれ、最後の【魔神】は倒せたのだ。
これでローアや皆も、源竜渓谷も、きっと……きっと。




