67話 【呼び出し手】と【魔神】の軍勢
「しかし、どうして【魔神】はこの渓谷に……?」
「……多分、昔攻めてきた時と同じ理由じゃないかなって。力を付けるために、この渓谷にある地脈を狙っているんだと思うよ」
ローアの推察は、確かにと納得できるものがあった。
水だけでも他の土地よりずっと豊富な魔力を秘めているのが源竜渓谷だ。
その地下にある地脈から魔力を吸い上げることができれば、一体どれほど力を増せるのか。
「でも、あいつは渓谷の魔力をどう使うつもりなんだろうな。単に力を付けるだけにしては、前に攻めあぐねたこの渓谷をまた攻めるってのもおかしな気がする」
「今攻めてきている【魔神】は、クズノハが数えたら最後の一柱らしいからね。もしかしたら、他の【魔神】を復活させる手立てがあって、そのために膨大な魔力が必要とか?」
フィアナは自分で言いつつ首を傾げ、果たしてそんなことが可能なのかと半分訝っている様子だった。
けれど、自分としては十分あり得ると感じていた。
「……【魔神】が相手なら、何をし始めてもおかしくないからな。その気になれば、実際やりかねないと思う」
「いくら【魔神】でも、生と死まで超越されたら困るんだけどね」
不死鳥のフィアナがそれを言うのかと突っ込みかけたが、正面に見えてきた大規模な黒い靄が視界に入った途端、凍りつくような悪寒を覚えた。
「あんな大きな瘴気、見たことないぞ……!」
しかも次第に接近しつつある靄の中をよく見れば、何か巨大なものの輪郭が窺える。
一体何かと思った矢先、ローアが言った。
「あれ、お城……!」
「何、城だって……!?」
まさかとは思ったが、距離が近くにつれてローアの言葉が正しいと分かってくる。
靄の中には、黒を基調とした色彩の巨大な城が浮かんでいた。
しかもその城はこちらへ向かってきており、城の周囲は青空がひび割れ、黒ずんで浸食されているかのような有様だった。
……さらによく見れば、城の各所から瘴気が吹き出しているようにも見える。
次いで瘴気の通過により、城の下にあった青々とした木々が見る見るうちに朽ち果ててゆく。
アスモディルスの呪いにも似た何かを感じて、気味が悪かった。
「浮遊する城が通った後は、不毛の大地と化す……か」
思わず古い伝承にある言葉を口にしたが、まるであれは、その伝承に出てくる魔王城そのものだった。
……神獣の伝承が昔から伝わるように、世の中には【魔神】の伝承があったとしてもおかしくはない。
デスペラルドが、ある意味ではおとぎ話に出てくる【死神】によく似ていたように。
あの伝承も元を辿れば、今侵攻しに来ている【魔神】の居城が由来なのかもしれなかった。
「何にせよ、デスペラルドがダンジョンを構えていたように、今度の【魔神】は城を拠点にしてるってわけか……!」
空飛ぶ城で瘴気をばら撒き、空を侵食しながら迫る【魔神】……文字にすれば突飛さの塊だが、しかし事実で現実だ。
こうなればさっきフィアナが言っていた他の【魔神】の蘇生すら、十分な魔力があれば軽くやってのける気さえしてくる。
「ご主人さま、あの城の下!」
「何だ……!?」
フィアナの視線の先には、ぞろぞろとうごめく「ナニカ」があった。
陽光を遮る巨大な城の影と、瘴気の靄に隠れてよく見えなかったが、明らかに意思を持った動きをしている。
……赤い光を放ちながら、ゆっくりとこちらへ迫ってくるものの群れ。
奴らの先鋒が先行し、瘴気の薄い部分へ出たことで、次第にその姿が明らかになっていく。
爛々と赤く輝く瞳に、黒い骸骨に角や翼が生えているようなシルエット。
個体差はあるが、そいつらは剣や槍、斧に弓などの武装を携えている。
見た目はアンデッド型の魔物だが、感じられる魔力は明らかにアンデッドなどとは比較にならない。
「あれが銀龍の言っていた、悪魔か」
──悪魔、それは魔王の配下とされている存在。
伝承の中では魔王に付き従うとされていたが、まさかあれほどの数がいるとは。
「でも、あんな奴らはデスペラルドもアスモディルスも従えてなかった……」
なぜいきなり悪魔なんてものが【魔神】と共に現れたのか。
小考し、脳裏に閃きが駆け抜けた。
「……そうか、今攻めてきている【魔神】の能力。それがきっと、悪魔の軍勢と城そのものなんだ」
デスペラルドが瘴気の扱いに長けていたように。
アスモディルスが原初の魔術と言える呪いを自由自在に操っていたように。
今攻めてきている【魔神】は、浮遊する城と悪魔の軍勢そのものが固有能力なのだ。
そして大昔、悪魔の軍勢と漆黒の巨城を統べる【魔神】を見た人々や神獣は、きっとその者をこう呼んだのだろう。
悪魔の王──文字通りの『魔王』と。
……そして此の期に及んでは、恐らくそれが真実なのだろうと半ば確信めいた予感があった。
【呼び出し手】スキルも自分の考えに呼応するように、力を強めている。
「お兄ちゃん、どうしよう!? このままお城に突撃するか、それとも先に悪魔を蹴散らす……?」
「いいや、この後【魔神】との戦いが控えているのに、あんな数の悪魔を相手にする余裕もないぞ……!」
悪魔の軍勢は、優に千は超えている。
瘴気に隠れて全体は見えないが、少なく見積もっても二千から三千はいるだろう。
しかし空を飛んで悪魔の軍勢を突破しようにも、奴らは翼が生えているし、明らかに卓越した飛行能力がある。
でなければ、東洋最強と名高き銀龍が遅れを取るはずがない。
消耗は避けたいがどうするかと思案していると、真横にセイナーシスが現れた。
「【呼び出し手】殿、この場の露払いは我々にお任せを。あなたは姫さまたちと共に、【魔神】を直接叩いてください」
「でも、数の差は歴然だぞ。……本当に、大丈夫なのか?」
「我らドラゴンの底力を【魔神】に見せてやります。ですからあなたも、どうか姫さまのことを頼みます!」
「当然。ローアは勿論、全員無事に連れ帰ってみせる!」
力強く言い切ると、セイナーシスは大きく咆哮を上げた。
今のが何らかの号令だったようで、後方のドラゴンたちが一斉に口腔に魔力を溜めだした。
その直後、流星のような光の本流が数多、空に流れていく。
『『『GGGGGGGG!!??』』』
こちらを迎撃しようと飛び上がった悪魔の軍勢の先鋒が一瞬で爆ぜ消え、瘴気に大穴が開いた。
ドラゴン達がブレスを乱れ撃ち、俺たちの行く道を作り出してくれたのだ。
「ローア、行くなら今だ!」
「突っ切るよーっ! フィアナにリーサリナも、遅れないで!」
「誰に言っているのさ! 単純な速度なら、ローアより出せるよっ!」
「わたしもスピードなら自信ありです!」
ローア、フィアナ、リーサリナが一列となり、一つの矢のように鋭く空を突っ切っていく。
その背にいるこちらは吹き飛ばされないようローアにしがみついているが、恐らくこれがローアの出せる最高速に近いものなのだろう。
体が小さい分、飛行速度に関しては成体のドラゴンよりローアに分があると思わされるほどだった。
……しかし城が目前になった瞬間、直下から巨大な大顎が三つ、濃い瘴気の中から突き出してきた。
『『『GRRRRRRRR!!!!』』』
「きゃっ……!?」
神獣たちはそれぞれ、体を傾けたり急上昇して奇襲をやり過ごした。
けれどそのコンマ数秒後、逆立った蒼の鱗を纏った竜似の巨体が伸びてきた。
……天まで伸び、城さえ覆い隠す巨塔のような影に、思わず目を奪われた。
「この……瘴気で視界が悪いっ!」
「わたしもお手伝いします!」
クズノハは術で、リーサリナは天馬特有の風を操る能力で、あたりの瘴気をまとめて吹き飛ばした。
すると現れたのは、二体の巨大な……規格外なほどに巨大な魔物だった。
『『『GRRRRRR……』』』
片方の魔物には狼似の頭が三つ生えており、黒い体毛に覆われた筋肉質な体は獅子のようにも見える。
しかしその体高は成体のドラゴンの五倍以上はあった。
『……NNNNN……』
もう片方の魔物は、蒼い鱗の生えた巨大な水蛇のような体つきをしている。
こちらの魔物の体長については、最早あのベヒモスすら比較にならないほど。
樹齢数千年もの大樹を思わせる太さの体が、山に何周巻きつけるのかという体長と共に現れていた。
……ここまで見た目が強烈であれば、見間違える者などいないだろう。
並みの魔物すら超越し、神獣にすら匹敵するとされる生きる天災……【四大皇獣】。
「【四大皇獣】、ケルベロスにシーサーペントまで!?」
地の底に住まい、咆哮で世界を揺らすとされる三頭の獣、大獄獣ケルベロス。
大海を支配し大波を引き起こすと伝えられる、蒼海獣シーサーペント。
以前のベヒモスの厄介さを考えれば、ケルベロスだけでも十分以上に脅威だ。
その上まさか、【四大皇獣】屈指の巨体を誇るとされるシーサーペントまで現れるとは。
そしてこの場で現れるとなれば、この二体も【魔神】の軍勢の一員であると見て間違いない。
「シーサーペントまで繰り出してくるなんて。海の【四大皇獣】を陸揚げして十分活動できるようにさせる奇天烈さ……まさに【魔神】ね」
海に故郷を持つマイラは、かつてシーサーペントを見た経験があるのか。
苦い表情で、シーサーペントを見つめていた。
『『『GRRRRRRR!!!』』』
ケルベロスの怒れる三頭が吠え、上空のこちらまで飛びかかってくる。
「あんな大きな体で、滞空中のこっちにまで届くのか!?」
一体どんな筋力だと背筋が凍った須臾、視界の端でリーサリナが翼から旋風を巻き起こしてケルベロスに叩きつけ、奴を地に落とした。
『『『GRRRRR!?』』』
「マグさん、ここはケルベロスの相手はわたしと……」
「妾に任せよっ!!」
地に降りて九尾の姿に戻ったクズノハの放った狐火の術が、ケルベロスに炸裂して大爆発を起こした。
「二人とも……!」
だが、大丈夫なのか。
前のベヒモスでさえ五人がかりだったのに。
勢いのまま加勢しようとした矢先、爆炎が空を駆け抜け、シーサーペントの体表を焦がした。
『RRRRRRR!!!』
濁った咆哮を上げ、後ずさるシーサーペント。
その喉元に爆炎を集中させながら、フィアナが言った。
「だったら、あのデカいイモリはあたしたちだね!」
「ええ。同じ水を扱う者同士、シーサーペントとわたしの技量……どちらが上か、真っ向勝負よ!」
「フィアナにマイラまで……!?」
いくら四人が神獣でも、あんな化け物二体を無事に退けられるのか。
いや、やはり俺たちもと思った時、ケルベロスとシーサーペントの横っ面に深い濃紺の霧が炸裂し、二体を悶えさせた。
何事かと思った矢先、地面が隆起し、藍色の甲殻を纏った地竜が現れた。
「師匠、助太刀に参りましたわっ!」
「その声、アオノか!」
まさかの助っ人に声を上げると、アオノはこちらを見上げて言った。
「全く、修行の成果を見せに追ってくれば、またとんでもない状況ですわね……。状況は把握しています。援護は引き受けますので、師匠はそこのドラゴンと共に行ってくださいませ!」
「まさかヒュドラが助太刀しに来るなんてね。今はその英雄をも殺すって毒が、頼もしい限りだよっ!」
「ええ、ここならば毒を使っても問題ないでしょう。皆さん、全力を出すので、少々巻き込まれないようにしてくださいな!」
アオノはフィアナたちにそう言い、口から濃紺の霧……猛毒のブレスを放った。
その毒により、二体の【四大皇獣】は明らかに動きを鈍らせている。
見ようによっては、体の自由を少しずつ失っているかのような。
──この調子なら、俺とローアが抜けても押し切れるか……!?
アオノの参戦に期待を抱くと、フィアナはシーサーペントに爆炎を叩き込みながら、こちらへ向いた。
「ローア、何をぼさっとしてるのさ! 早くご主人さまを連れて行きなよ!」
「でも、フィアナたちが……!」
飛び去るべきか否か、迷いを露わにするローアに、フィアナは明るい声音で言った。
「何言っているのさ。ここがあんたの故郷で相手が【魔神】なら、こんなところで油売ってる暇なんてないでしょ?」
「フィアナ……!」
「今回ばかりは見せ場を譲ってあげる。だから……少しはあたしたちにも格好をつけさせなよね! 代わりにあんたも、きっちりご主人さまを守りなよ!」
じっと見つめてきたフィアナに、ローアも覚悟を決めたように答えた。
「分かった。……皆、気をつけてね!」
「それとご主人さま、頼んだよ!」
フィアナの言葉に続いて、周りの神獣たちも俺の方を向いた。
「【魔神】を倒して、必ず無事に戻ってきて!」
「ここで今生の別れなど、辛気臭いことになったら妾は承知せぬぞ!」
「また皆で集まりましょう!」
フィアナ、マイラ、クズノハ、リーサリナの言葉を受け、胸が熱くなっていく。
四人の言葉には強い信頼が篭っているのが、心で感じ取れて、それが覚悟を決める最後のきっかけとなった。
──だったら、俺も皆を信じないでどうする!
「ああ……約束だ! ローア、行ってくれ!!」
「お城に突入するよーっ!!」
ローアは目前に迫った【魔神】の城へと一直線に飛翔しながら、口元に魔力と共に光を充填。
一息の後にブレスとして放ち、城へと叩き込んだ。
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