56話 【呼び出し手】ととある一晩
セイナーシスと話した後、俺たちは彼女の寝床らしい洞窟の中で一晩休むこととなった。
フィアナたちが少し離れたところで食事をしている間、クズノハが魔術で作成した寝具の上に、少し先にローアはころんと寝転がっていた。
「はぁ〜、疲れたぁ……まさかセイナーシスと会うなんて」
「そんなに言うほどか? セイナーシスも悪いドラゴンじゃないと思うけど」
ローアのすぐそばに座り込むと、ローアはこちらを見つめて言った。
「それはそうだけど……。わたし、ドキドキだったもん。下手をしたらまた口うるさく言われて、わたしだけ連れ戻されるんじゃないかって。最悪お兄ちゃんも危ないかもって思ってたから……もっと、もーっと迂回して行けばよかったかも」
柔らかな頬をぷくーと膨らませるローア。
聞けばセイナーシスはローアの教育係も勤めていたようだったので、確かにあれこれ口うるさく言われたりもしたのだろう。
「でも、ローアがドラゴンのお姫さまだったなんてな。……もしかして、今からでも姫さまとか呼んだ方がいいか?」
茶化しながら言うと、ローアは怒ったとも困ったともつかない表情を浮かべた。
「……お兄ちゃん、そんなよそよそしい呼び方はやめてよ。わたしはそんな柄じゃないし、お兄ちゃんや家の皆にまでそう呼ばれたらちょっと嫌」
「分かった、なら今まで通りに呼ぶ。……でもやっぱり、お姫さまって立場が嫌で外の世界に出たのか?」
問いかけると、ローアは首肯した。
「うん。ドラゴンのお姫さまは、一族の中だとわたしだけじゃないんだけどね。でもあそこでの生活は伝統とか気品とか、そういうのもいーっぱいうるさく言われちゃって。知識は増えたけど、毎日とってもつまらなくて。わたしも他のドラゴンみたいに世界を巡って、気に入った縄張りを持って自由気ままに生きたいなーって。……それで、出てきちゃった」
「……そっか」
王族には王族で、あれこれ嫌なこともあると。
単純に言ってしまえば、そんな話なんだろう。
ローアはふと表情を曇らせた。
「……お兄ちゃんは、今の話を聞いてどう思う? やっぱり悪い子だーって、怒る?」
ふと、不安げにそう聞いてきたローアの頭を、俺は普段通りに優しく撫でた。
「いや、それはないよ。ローアにはローアなりの考えがあって故郷を抜けてきたんだろうし。それにローアがいなかったら俺も死んでただろうから、怒るどころか感謝してる」
「ふふっ……そっか。うん、お兄ちゃんにそう言ってもらえるなら、いいかなーって……」
それからローアを撫で続けると、いつの間にかローアは寝息を立てて寝てしまっていた。
きっと、一日の疲れが出てしまったんだろう。
その時に、後ろから誰かがやってくる気配があった。
「姫さまは寝てしまわれましたか?」
「ああ、今ちょうど。話とかあったか?」
振り向くと、セイナーシスがやってきていた。
セイナーシスは横に腰を下ろして、ローアの頬を撫でた。
「……ご両親以外に、こんなにも懐く姫さまを見るのは初めてです」
「えっ……?」
ローアって、故郷でも基本的にこんな感じでもなかったのか。
元気が良くて甘えん坊で、興味がある方へするすると向かっていくような。
首をかしげると、セイナーシスは続けた。
「この方は自由奔放気味……なのはよくご存知かと思いますが、身分ゆえの堅苦しい故郷での生活を嫌い、出て行ってしまったのですよ。姫という立場では多くの制約も多くつきますし、外に縄張りを持ちづらいですから」
セイナーシスは洞窟の出入り口から、星々の輝く夜空を見つめて「……しかし」と懐かしげに続けた。
「姫さまは己が力を外界に示して自由に生きたいと、ある日そんな書き置きを残して……。そのような生い立ちと行動力を持つ方なので、誰かにここまでべったりになるのはあまり考えられなかったのですが」
セイナーシスは俺の方をちらりと見た。
「……いいえ、あなたならあり得るでしょう。指輪を外した時に感じたあなたの心、魂は……そう。穏やかでありながら、強かったのです」
「穏やかで、強かった?」
矛盾している気がして、思わず聞き返す。
それに俺は聖人君子でもないし、そこまで褒められるような心根でもないと思うが……。
するとセイナーシスは柔らかく微笑んで、頷いた。
「はい。失礼ながら……人間という非力な種族の出でありながら、あなたは【魔神】と相対し、恐れずにこれを討ち滅ぼした。ドラゴンでさえなかなか立ち向かえる者はいないでしょう。しかし、あなたは成し遂げた」
「……」
「姫さまを見ていれば分かりますが、あなた方の生活は、基本的には穏やかなようですね。……そう。穏やかな日々を好む心根でありながら、あなたの心には強い芯が通っている。姫さまは聡い方です。だからこそ、きっと姫さまはあなたの心の有り様を見抜き、好いているのでしょう」
セイナーシスの話を聞き、俺にも思うことがあった。
最初からローアは俺に、とても友好的だった。
正直「どうしてそこまで」と思ったことはある。
今までは、ローアがあまりに優しい子だからとばかり思っていたが……。
「……でも、そっか」
ローアが俺の心を、セイナーシスが言ったように認めてくれて、その上で信頼できると判断してくれていたからなのか。
【呼び出し手】スキルを通して、俺の心の声がどんな形でローアに届いていたのかは分からない。
けれど、誤魔化しようのない心の有り様を見抜いた上で俺を受け入れてくれたのなら、それはとても嬉しいことだ。
……それにもしかしたら、他の神獣たちもそこは同様なのかもしれない。
そうやって暖かな気持ちになっていると、ふとセイナーシスが寄ってきた。
大人びた綺麗な顔が近くなり、思わずどきりとした。
「ええ、姫さまのお気持ちはわたしにも分かります。だって……あなたの心は、ドラゴン好みですから。平時は穏やかに暮らしつつ、大切な縄張りや仲間を害されれば誰より苛烈に敵を討つ。……ドラゴンに近しい性質、好感が持てます。姫さまが選んでさえいなければ、わたしがあなたの相棒になりたかったと思えるほどに」
「い、いやいや、そんな冗談を……」
苦笑しながら下がろうとするが、後ろはローアの寝る寝具があるので下がれない。
セイナーシスはまっすぐにこちらを見つめてくる。
……今の言葉はかなり本気だったらしいと、その瞳から察した。
「【呼び出し手】殿、よく覚えておいてください。姫さまは姫さまなりに、あなたなら信頼できると確信しているからこそ……昼間のようにあなたを背に乗せ、今もあなたのそばで、こうして静かに寝息を立てているのですよ」
「……うみゃ……」
ふと見れば、ローアの小さな手が俺の服の裾を掴んでいた。
そんな様子に微笑ましくなりながら、この日の晩は更けていった。




