超対称性粒子
空間管理課。そこの天井付近の壁に取り付けられているパネルから音声が流れる。
「緊急警戒体制を実行します。緊急警戒体制を実行します」
――え?
京香と裕嵩は、携帯端末にも送られてきていた情報を立体映像で開いた。
どうやら、緊急要請のようだった。
京香と裕嵩は速足で廊下を進んでいく。
出国ターミナルへ向かう為だ。
『緊急要請
至急アンドロメダ支部第50地区へ向かって下さい。
スペース・デブリの回収を急いで下さい』
携帯端末の画面にはそう書かれてあった。今回のスペース・デブリについての記載はされていなかった。京香と裕嵩の二人は急いで現場へ向かった。
「お待ちしておりました」
担当人工知能のローが姿を現した。
「今回のスペース・デブリは、超対称性粒子です」
超対称性粒子とは、既存の粒子の角運動量が1/2ずれただけの粒子である。
どうやら今回はそれが全種類、不法投棄されたようだ。
「それに加え、今回は前方がありません。現在へ直接、移動させています」
――移動? 不法投棄ではなく?
京香が疑問に思っていると、後方から声がした。
「アンドロメダ支部の方々ですか?」
京香と裕嵩の二人は振り返る。すると、そこには〈警察省〉のペガスス支部の担当者がいた。
「私はヤスユキ・モーリスといいます。今回の事件の担当となりました。よろしく」
「事件?」
京香は聞き返す。
「今回の件は、不法投棄ではなく、抗議テロです。インターネット上に犯行声明がありました」
「え!?」
裕嵩は驚いていた。
「それなので、犯人の確保は私たち公安部が担います」
ヤスユキ・モーリスが言い切る。すると。
「一般人の避難は、私たち警備部がいたします」
ヤスユキ・モーリスの半歩後ろで待機していたイチイ・ススキが礼儀正しく伝えてきた。
「あなたたちには、この超対称性粒子の回収をしていただきたいのです」
ヤスユキ・モーリスは京香の目を見てきた。まっすぐ視線をそらさずに。
「分かりました」
京香がそう答えると、二人は軽く会釈をし、去っていった。
――さて、どうするか。
京香は一面窓の外に見える現場を見ながら考えた。
「超対称性粒子なんて不法投棄したら大変なことになるのに……」
裕嵩は心配そうに言った。
「だから、抗議テロの材料にしたのでしょう」
京香はまだ外を見ていた。
「そうだね」
裕嵩も外を見た。そして、これから回収する超対称性粒子が過度に存在している現場のことを心配していた。
今回のスペース・デブリである超対称性粒子は、エネルギーの転移を抑えているという。それにより、その超対称性粒子が過度にあったり、少なかったりとバランスが崩れていると、そのエネルギーが転移してしまう可能性がある。
「深黒氏」
人工知能のローが姿を現した。
「今回の抗議テロですが、どうやら別の場所にあった超対称性粒子をここの現場へ移動してきたようです。それにより、元々超対称性粒子があった向こうの現場も危機に瀕していると連絡がありました」
ローは回収のいち早い実行を進めようとしていた。
「でも、この超対称性粒子ってレベル4操作研究所の協力が必要なんじゃ……」
裕嵩が戸惑って答えた。
このレベル4操作研究所とは、生命体の手によって操作すると危険な事態が引き起こされてしまう重要な素粒子を扱うための研究所である。
ここの協力がないと素粒子の移動も、回収も出来ないのだ。
「レベル4操作研究所の使用許可申請をしに行こう。そこの研究員の方々の協力が必要だから」
京香は裕嵩の方へ話しかけた。
「うん、分かった」
裕嵩はそう返事すると、京香のあとをついていった。
一方、ペガスス支部 警備部。
「ススキ部長」
「どうしましたか?」
「アンドロメダ支部第50地区の第1~100銀河群の避難が完了いたしました」
セキユ・リーは少し目線を下げて、報告をしていた。
「分かりました。それでは残りの銀河群、銀河団の避難指示をお願いします」
イチイ・ススキは丁寧に伝えた。すると、セキユ・リーは一礼をして、去っていった。
「大丈夫ですかね」
警備部担当の人工知能、素羽が姿を現した。彼は、イチイ・ススキの補佐としてペガスス支部に常駐している。
「大丈夫だ。今のところ誰ひとり被害は出ていない」
イチイ・ススキは堂々と言っていた。しかし、素羽は嫌疑の目で隣の彼を見ていた。
「だと、いいのですが」
素羽は、疑り深い。それにより、最悪のシナリオの際の対応が完璧であるという一面がある。昔は別の部署にいたのだが、その一面をかわれ、最悪の出来事が起きてはいけない警備部へと配属された。
ペガスス支部 公安部。
――犯人は既に赤手配済みだ。あとは確保のみ。
ヤスユキ・モーリスは情報端末のデジタル時計から、一面窓の向こうの現場へと視線を移した。その隣には立体映像と化した人工知能の担当補佐のカイがいた。
「大変ですね。空間管理課の方々も」
カイがぽつりと呟く。
「どうしたというのだ、そんなことをいきなり言うとは?」
ヤスユキ・モーリスは口角を少し上げて彼に尋ねた。
「いいえ、ただ抗議テロにレベル4操作研究所の使用が必要な素粒子を扱ってくるとは思ってもいなかったので」
「なるほど。そこは私も気付かなかったな。連絡はもう既に捜査員へ?」
「はい。送信済みです」
カイは目を伏せた。
「確保は時間の問題だな」
「えぇ、まったくです」
アンドロメダ支部 空間管理課。室内からは資料や書類を作るためのタイピング音が絶え間なく響いていた。
――急がなければ。
京香と裕嵩はレベル4操作研究所を使用するために必要な書類を急いで仕上げていた。しかし、まだしばらく時間はかかりそうだった。一方、人工知能のローは、あわただしく宇宙空間を光速で飛び回り、書類作りに必要な情報をかき集めていた。
そんな中、京香は手を止める。書類をすべて仕上げ終えたのだ。
「裕嵩、終わった?」
彼ははまだ手を止めていない。
「えーっと……」
裕嵩は焦ってタイピングミスをした。
「終わっていない資料、こっちへ」
「うん」
裕嵩は京香の情報端末へ送信する。そして、再びタイピング音のみの空間が続いた。
1時間後。
二人は白い甲を描いた廊下を速足で歩いていた。書類を作り終えたのだ。
スペース・デブリの出現から2時間が経過していた。現場での避難は完了している。犯人も確保された。残るは回収のみ。
「失礼します」
京香はノックの後、課長室へ入っていった。裕嵩もそのあとに続く。
「課長、レベル4操作研究所使用申請の書類ができました」
京香は書類のデータが入ったUSBメモリを渡す。
課長のロイド・アンドーバーはそれを受け取ると確認をし、確認済のパネルボタンを押した。
すると、その確認ボタンを押した瞬間に各部署へそのデータが送信されていった。
「これで申請は終了だ。現場で待機してくれ」
「はい」
京香と裕嵩は部屋を出て行った。
再び二人は白い甲を描いた廊下を歩いている。今度は出国ターミナルへ向かっているのだ。現場での待機のためだ。
すると、担当人工知能のローが立体映像で姿を現した。
「こんにちは」
「どうしたの?」
京香は歩きながら尋ねる。
「抗議テロの共犯者が逮捕されたようですよ」
ローは目線をそらす。
「それで?」
京香は続きを尋ねる。
「それで、レベル4操作研究所の関係者だったそうです」
「なるほど」
冷静な京香に対し、彼女の半歩後ろを歩く裕嵩は言葉もなく驚いていた。
「その共犯者の男性は、自身の勤める研究所のシステムを使用したそうで」
「それで?」
京香は再び同じ言葉で尋ねる。
「超対称性粒子を使用したのは、自身のアイディアだと自供しているようです」
ローは立体映像の画面で笑顔を作った。
「そうだったの」
「えぇ」
すると、彼がその返事をした瞬間、彼の人工知能に情報が送信されて来た。
「今、メールが届きました。レベル4操作研究所の使用許可が出たそうです」
ローは情報を読み上げた。
「分かりました。行きましょう」
京香と裕嵩、そして、ローは現場へ向かった。
漆黒の真空に漂う宇宙ステーション。そこの一面窓から京香と裕嵩は現場を見ていた。レベル4操作研究所の技術により、次第に現場の危険度が下がっていく。隣のモニターパネルには超対称性粒子の割合が徐々に均等化されていくグラフが示されていた。
電子音が数秒鳴った。回収が終わったのだ。
これにより、現場は、エネルギーの転移が起こる危険度はなくなり、空間は安定した。
「終了ね」
京香は裕嵩へ微笑みかける。すると、裕嵩の方は安堵の表情で返事をした。
「うん」
二人は、ローと共にアンドロメダ支部へと戻っていった。
空間管理課へ向かい、京香と裕嵩の二人は白い廊下を進む。右側にある長く続く一面窓の外には、宇宙空間がきれいな漆黒を表現していた。
――彼らとも一期一会な気がする。
裕嵩は、きっともう二度と会うことのないペガスス支部の二人のことを考えていた。
そして、一期一会も出来ない程、広い現宇宙のこととその広い現宇宙の外の生命体たちのことを。