ダークエネルギー
警報音を鳴らしながら、人工知能が室内に立体映像を映し出した。
「緊急対策を行使して下さい」
その音声と共に不自然に湾曲したグレートウォールの映像が映し出された。それは、全生命体の危機を示していた。
空間管理課の左隣、天体管理課の棟内があわただしくなった。
「ボイドの急激な膨張により、グレートウォールが崩壊しました」
アナウンスは無情にもそれだけを伝えてきていた。
京香の携帯端末が鳴る。携帯端末まで凍りつきそうだった。資料室の外へ出ると、彼女の銀色のネクタイピンは結露ではなく、凍結した。きれいな正六角形の枝が伸びていく。まるで雪の結晶のように見えた。
「京香」
裕嵩の声がする。彼は京香を迎えに来ていた。
「行こう」
彼女はそう言うと、裕嵩と共に現場へと向かった。
「今回のスペース・デブリは、ダークエネルギーです」
「え!?」
裕嵩は思わず、声に出して驚いた。
ダークエネルギーとは、宇宙空間全体に浸透しているエネルギーで、現在の宇宙空間の膨張を加速させているとされているエネルギーでもある。
今回はそんなダークエネルギーがスペース・デブリとなった。
「今回の被害としては、ダークエネルギーがボイドという空間に大量に不法投棄され、グレートウォールが影響を受けました」
ボイドとは、銀河や星間ガスなどの天体が存在しない、空とされている宇宙空間である。
一方、グレートウォールは、その銀河や星間ガスなどの天体が多数存在して形成されている泡状のものである。しかし、今回のダークエネルギーの不法投棄により、宇宙全体で濃度が一定のはずのダークエネルギーがそのボイドの部分で濃くなった。それにより、その中でダークエネルギーは周囲よりも急激に宇宙空間の膨張を加速させ、近くのグレートウォールが不自然に湾曲することとなった。
「今回のデータです」
ローはそう言うと、壁から立体映像を映し出した。
『不法投棄先 イッカクジュウ支部 第45地区
不法投棄元 アンドロメダ支部 第55地区
前方 2億年 後方 通報から1時間経過
備考 被害エリア 0.5光年から220光年へ膨張』
――被害エリアが1時間でこんなに膨張!?
裕嵩は驚いていた。
「裕嵩、前方へ行こう」
京香は裕嵩へ声をかける。すると。
「少々よろしいでしょうか?」
京香と裕嵩はその呼び声に足を止めた。
そこには、天体管理課の担当者二人が立っていた。
「お願いがあります」
――頼み?
天体管理課の担当者、キール・明津は二人をまっすぐ見る。
「今回はスペース・デブリの不法投棄の前に犯人を確保してもらえませんか?」
「お願いします」
隣のヒカリ・ゼインも加わる。天体管理課の二人はそう言って頼み込んできた。
「しかし、法律では……不法投棄の終了後となっていますし……」
裕嵩は困った。
彼らの言い分が生命体として正しいという部分もあるからだ。
今回のスペース・デブリはダークエネルギーである。このエネルギーは宇宙空間全体で濃度が一定である。その為、不法投棄されたものを回収するにはエネルギーの濃度を周囲と同じにするという方法しかない。しかし、ダークエネルギーは空間が拡大しても濃度は薄まらず、現場では濃い濃度のまま一定になってしまっているのだ。
「お分かりのように、今回のスペース・デブリの濃度を減らすには、相互作用が誕生した時の様な〈相転移〉が必要です。しかし、それはどれくらいの量・範囲のダークエネルギーが減少するのかが不明です。加えて、新しい相互作用が誕生してしまいます」
今度はヒカリ・ゼインが話し出した。
「もし、新たな相互作用が誕生してしまっては、現状の宇宙環境が激変してしまいます。私たち生命体も生きてはいけないでしょう」
「お願いします。不法投棄前、つまり、業者を未遂の容疑で確保してください」
キール・明津とヒカリ・ゼインは、より一層強く頼み込んできた。
「しかし未遂では、あの現象が……」
裕嵩は困りながら答えた。
「無理なのは分かっています。後方が混乱してしまうとういうタイムパラドックスの一種が起こってしまうのでしょう」
「えぇ、その通りです」
京香は冷静に答えていた。
「しかし、今回の不法投棄による被害でどれだけの生命体の生命に危機が訪れているのか、分かっていますよね」
「はい」
「それでもですか!?」
キール・明津は少し声を荒げた。
キール・明津のいる天体管理課は、個々の惑星の生命体の生命なども保護(管理)している。それにより、彼はいくつもの不法投棄による生命体への被害を見てきたのだった。
先日の重力子の件による被害も然りだ。
「どうか、お願いします。このままの法律では生命体たちの権利が」
ヒカリ・ゼインは眉間にしわをよせて、懇願した。
裕嵩は黙ってしまった。彼らと同じく、自身たち空間管理課にも決定権などないことを知っているからだ。
法律をつくるのは自分たちではない。自身はただその法律の中で循環している水のようだ。雪になり、海水になり、雲になる。姿は変えられてもルールは変えられない。
――だからだ。彼女は雪に執着している。
キール・明津は黙ってしまった裕嵩を見ていた。すると、この沈黙を破ったのは京香だった。
「こちらからもお願いです。法律通りにさせて下さい。後方での回収は私たち空間管理課も手伝います」
キール・明津は驚いているようだった。
「策はあるのですか?」
「えぇ」
京香は目を伏せてから、立ち去った。
前方。
ワームホール型ワープ後、漆黒の宇宙空間が広がった。ここはアンドロメダ支部 第55地区の2億年前だ。違法業者が不法投棄をしている現場だ。
スペース・シャトル内、京香は観測機からのデータが映し出されている立体映像を見ている。電子音が、等間隔で鳴り響いていた。それは、業者が不法投棄をしたスペース・デブリの増加率を示していた。
すると電子音が消えた。業者が不法投棄を終えたのだ。
「裕嵩、急ぎましょう」
彼女はそう言うと、裕嵩と共に小型機へと乗り込んだ。もちろん、その他の先行班であるアンドロイドもだ。
すると、スペース・シャトルからは、音もなく小型機がスペース・タンカーへ向けて、発射した。それらは一直線にスペース・タンカーへ向かう。それらはスペース・タンカーのもとへ到達すると、そのスペース・タンカーの外壁へ張り付いた。そして、そのタンカーにレーザーで切れ目を入れ、空気圧を加えた。
すると、空気圧でスペース・タンカーの外壁が吹き飛んだ。
――突入開始。
だいたいの場合、制圧には5分としてかからない。しかし、今回は違った。
スペース・タンカーの外壁はなくなり、小型機の搭乗口に合わせて穴が開いた状態になった。先行班は待ってましたというように小型機からスペース・タンカーの中へなだれ込む。
先行班が突入したのだ。
「裕嵩、私たちも行こう」
京香はそう言うと、裕嵩と共にスペース・タンカーへ突入した。すると、彼女たちにもレーザーの雨が降り注いだ。
――厄介な。
京香と裕嵩はシールドを張る。そのシールドによりレーザーの雨は、溶けていった。
――急ごう。
京香は、裕嵩の方へは振り返らずに走っていった。裕嵩も慌ててあとを走っていく。
――制御室はどこだろう?
裕嵩は京香のあとをついていきながら、辺りを見渡していた。
赤い飛沫血痕が飛んだ。
裕嵩は振り返る。
――どうして!?
彼はシールドを張っていたはずなのに、レーザーで攻撃された。それにより、左頬を切ってしまった。
「裕嵩!?」
京香も振り返った。すると、そこには先行班として先を急いでいたはずのアンドロイドの姿があった。
――一体、何が!?
裕嵩は立ち尽くしていた。すると。
「裕嵩!! 急ぐよ」
京香が裕嵩の右腕を掴み、走り出した。
「相手にしないで!! 先を急ごう。あの制御室の業者さえ確保すれば、あの先行班も操られていたのがもとに戻るはず」
「分かった」
彼はそう返事をすると、後方を少し気にした。
京香と裕嵩は制御室へ向かって走っていた。しかし、一向に確保された業者の姿が見えなかった。
向こうから、先行班のアンドロイドが二人現れた。
「大丈夫ですか?」
裕嵩の頬の傷を見た先行班のアンドロイドが尋ねて来た。
「大丈夫です」
裕嵩は少し緊張を緩めた。
「こちらからのルートには誰もいませんでした」
すると、後方からもアンドロイドが二人やって来た。
「あれ?」
彼らの一人が首を傾げた。
「私たちのルートにもいませんでした」
もう一人が答えた。
「本当に?」
京香が聞き返す。
「はい」
アンドロイドの彼はもう一度答えた。
――まさか、業者は制御室の一人?
京香は考えを巡らせた。
「京香、あのアンドロイドどうなったんだろう?」
裕嵩は自身の左頬を傷つけたあのアンドロイドのことが気になった。
「そうよね、なぜあのアンドロイドだけ操られていたの?」
――しかも、あの時以降、姿を現さない。
「もしかして……」
「?」
裕嵩はきょとんとしている。
「業者が直接、あのアンドロイドを乗っ取っていたんだ」
「え? どういうこと?」
裕嵩は首を傾げた。
「体長の小さな生命体の業者があのアンドロイドの中に入って直接、彼をコントロールしていたのかもしれない。制御室にいなくても、スペース・タンカー内のレーザーはコントロールできるし」
「それじゃ、急いで探さないと。逃げられてしまう」
「えぇ、行こう」
京香たちは来た道を戻り始めた。
アンドロイドの彼は、先行班のいなくなった小型機へと向かっていた。その小型機を乗っ取ってそのまま逃走するのだ。
――このまま行けば……。
「全アンドロイドに告ぐ。システム・エラーのアンドロイドを確保しなさい!!」
京香は携帯端末でアンドロイドの皆に指示を送った。すると、ある一人のアンドロイドから指示確認の返信がなかった。
――いた。
京香はその彼こそが業者に操られているアンドロイドだと判断した。
「アンドロイド051を確保しなさい。彼の体内に業者が同乗している可能性があります。気を付けて」
京香はもう一度、全アンドロイドへ指示を出す。すると、前方のT字路からアンドロイドが現れた。彼の首の左部分から少々、出血を確認できた。
――まさか、彼が!?
京香たちは身構える。
銃声が聞こえた。その音の直後に銃が地面を滑っていく音が続いた。目の前の彼が倒れていた。
京香と裕嵩の後方で任務をしていたアンドロイドの044が彼を撃ったのだ。
「深黒氏、彼が051です」
目の前の倒れた彼は、機能停止状態になっていた。京香と裕嵩は銃を構える。しかし、業者は一向に出てこなかった。
――業者はどこ!?
京香は焦った。すると。
「破壊許可を下さい」
044が京香へ許可を求めてきた。京香は一瞬、ためらったが、許可を出した。
次の瞬間、出血を確認できた首元から業者が飛び出て来た。そして、そのまま逃走を開始しようとした。
もう一度、銃声が鳴った。京香が威嚇射撃をしたのだった。
「動くな!!」
業者はあまりの恐怖で固まってしまった。すると、京香の後方にいたアンドロイドたちが彼を確保した。
京香はそれを確認すると、銃を下ろして安堵した。
後方回収現場。
京香と裕嵩は業者を連行していた。
「このまま、警察ですか?」
業者が京香へ尋ねる。
「いいえ、警察へ引き渡す前にやってもらいたいことがあります」
「え……?」
業者は意外だとでも言うかのようにその後、黙っていた。
「これは?」
業者は回収現場へと連れて来られた。窓の外には湾曲してしまったグレートウォールと、勢いをとどめないボイドの膨張が見られた。
「このボイドにあなたが投棄したダークエネルギーが濃度を濃くして存在しています」
「え、えぇ……」
「それをあなたの持っている技術で回収してほしいのです」
京香は業者の方へ視線をやる。
「え……?」
業者は意外な申し出に、少し言葉につまっていた。
「捨てられたのだから、拾えるでしょう? あなたたちの会社はその技術を持っているはず、ダークエネルギーを薄めるという技術」
この業者は、物流を担う運搬会社の中のひとつだった。彼らは新たな物流のエネルギーとして、重力の〈引き寄せるエネルギー〉から、ダークエネルギーの〈押し出すエネルギー〉を開発していた。しかし、採算が取れず、その計画がとん挫していた。それにより、今までの研究で取り出したダークエネルギーが邪魔になり、元々の少し薄くなった広範囲の区域ではなく、不法投棄するのに楽な狭範囲に大量に捨てていたのだった。
「研究で取り出していた区域にきれいに戻してもらいます」
京香は業者に淡々と言い放つ。
「はい、分かっています」
業者はうつむいていた。
裕嵩はそのやり取りを京香の横で黙って見ていた。
空間管理課 その室内。
「ありがとうございました」
キール・明津は微笑んで京香たちにお礼を言った。
「これでグレートウォールの被害を回復できます」
「ありがとう」
ヒカリ・ゼインは安堵で苦笑した。
天体管理課は、業者のとん挫していた技術を使用して、グレートウォールの湾曲とボイドの大きさをもとに戻す目途が立ったのだ。
「では、私たちはこれで失礼します。あなたたちと共同捜査できて良かったです。では、失礼」
ヒカリ・ゼインはそう言うと、キール・明津と共に自室のある隣の棟へ戻って行った。
――これも、一期一会かな。
京香は裕嵩の隣で立ち尽くした。
この果て無い宇宙の中で、一期一会もできない相手がいる。そのことに。