観測できないスペース・デブリ
可視光線の世界は、有限だった。
無限の宇宙には、きっと敵わないのだろう。先へ進めば進むほど、その先の光は全て過去からの産物だったから。
遥か昔の太陽でも8分前の世界の光なのだから。きっと、絶対に見えない、観測出来ない。
遠くの景色を見ようと可視光線を観測しても、宇宙の晴れ上がり以降に光が進んだ分の距離の位置までしか観測できない。それに加え、観測地点から離れれば離れる程、景色は過去のものになっていく。球状の観測可能な宇宙の外へと続く宇宙を見れない。
どうしようもない。同じ時空のもとにいるのに、一期一会もできない人たちがいる。
1.観測できないスペース・デブリ
深黒京香は凍りついた空を見上げる。きれいな快晴となった淡い青空を。
ここは、宇宙を漂う宇宙コロニー(スペース・コロニー)の一角、資料室だ。この部屋では資料を体感できる。例えば、彼女が見ている席に降り積もる雪も、その一つだ。
――晴れているのに、雪。
彼女は手のひらを差し出す。そして、雪が溶ける。
――冷たい。
いつものように、休憩終了のアラームが携帯用の情報端末から聞こえてきた。彼女は、手元の立体映像のアイコンを押す。すると、体感型の資料が閉じていった。彼女は毎回、ここへ来ては地球の資料を開いていた。日本の冬の景色を。
資料室を出ると、金属だったネクタイピンが結露した。
――しまった、長居しすぎたかも。
触ると冷たかった。
――急ごう。
彼女は走り出す。今の時間帯、この周辺の廊下には誰もいなかった。休憩時間まで職場の、しかも資料室で過ごす人物なども。
カーブする廊下を進む。反対側には窓があり宇宙空間がそのまま見えていた。
彼女は駆け足を緩めた。
「深黒?」
声の方へと視線をやる。すると、同僚の白和泉裕嵩がいた。少し臆病な、でも心優しい彼は笑顔で彼女の名を呼んでいた。
「迎えに来たよ。直接、現場へ行こう」
「えぇ、分かった。今行くわ」
「うん」
彼は、京香の半歩後ろを歩いて行った。
「現場は、アンドロメダ銀河M31の第385地区です。回収エリアの直径は、約4光年です」
現場担当の人工知能、ローは廊下の向こうからやって来た京香と裕嵩の二人に話しかけた。
「報告ありがとう」
「いいえ」
ローはその言葉を返すと、立体映像を自分で収納し、消えていった。
「比較的、狭い範囲のようだね」
裕嵩は資料を見ながら、首から下げているパスカードを壁のパネルにかざし、話した。京香も反対の壁に同じことをする。
すると、両側それぞれの人工知能がclearを示し、管理ゲートが開いた。ここには、対になった二人の人工知能、歩龍と歩烏が設置されている。彼らはここの管理ゲートを管理しており、身分証明書でスタッフの通過を確認している。
ここからは、スペース・シャトルで移動をする。現場までは数分もかからない。
「搭乗確認しました」
そのアナウンス後、人工知能が安全を確認し、二人を乗せたスペース・シャトルは出国した。
「これから、ワープ・エリアに入ります」
京香はスペース・シャトルの窓から外を確認する。窓の外では、大量のスペース・シャトルが対消滅・対生成をしているかのように行き来している。
――ここで、あの現象が起きたら大変ね。
「3.2.1.0… ワープいたします」
「完了いたしました」
窓の外の景色は、一瞬で入れ替わり、現場となる宇宙空間が見えて来た。そこには大量の産業廃棄物が浮遊していた。
――今度は、いつの時代に不法投棄されていたんだろう?
裕嵩は窓の外を見た。
彼女たちは宇宙環境省空間管理課に所属している公務員である。通称、スペース・デブリ取締官。宇宙空間に不法投棄された産業廃棄物を回収し、不法投棄を行った業者を突き止め、警察に引き渡す仕事をしている。
スペース・デブリ取締官には2つの種類がある。
1つ目は、時空を移動せずにそのままの現在地点に不法投棄する業者を追跡する部署。
2つ目は、過去を遡り、様々な地点に不法投棄して行く業者を追跡する部署である。
後者の場合、不法投棄を行う業者は投棄した産業廃棄物が見つかりにくく、投棄した業者を特定しにくく、しかも、なるべく取り締まっている省の管轄を広くして捜査をしにくくしようとする為に、すり鉢状で表示された宇宙図のしずく型となっている光円錐の内側へと産業廃棄物を不法投棄している。
その過去の地点からは、産業廃棄物の姿を映し出した可視光線が未来へと進んでいく。しかし、その産業廃棄物が、そのしずく型の光円錐の内側に不法投棄されると、その放った光はもう既に宇宙図の中心軸に到達しており、現在では観測できない。なので、不法投棄された産業廃棄物は永遠に見えなくなるのだ。
しかし、別の地点(=遠く離れた場所)では、光が到達し観測される。よって、スペース・デブリ取締官たちは、過去の何時・何処で産業廃棄物が不法投棄されたかを割り出すことが出来、追跡を始める事ができるのだ。
京香と裕嵩は、この後者の場合のスペース・デブリ取締官だ。
――今回も、大変そうだな。
裕嵩は資料を見て、いつもながら焦っている。臆病ながら、小心者でもあるようだ。
「今回はエリダヌス座棒渦巻銀河NGC1300を中心としたエリダヌス本部と合同捜査です」
「そうなの?」
裕嵩は現場担当のローの説明にきょとんと聞き返す。
「不法投棄〈元〉は、アンドロメダ銀河M31を中心とした〈アンドロメダ支部〉ですが、不法投棄〈先〉は、ここ〈エリダヌス本部〉です」
ローの立体映像が瞬きをする。
不法投棄元は、実際にスペース・デブリが存在している地点である。しかし、不法投棄先というのは、そのスペース・デブリが過去のどこの位置から不法投棄されたかを観測できる地点である。
「いつから不法投棄されていましたか?」
京香がローに尋ねる。
「5000年程、時間軸を遡っています」
「では、出現してからは?」
「1時間程経過しています」
「分かった、ありがとう」
京香がそう言うと、人工知能のローは立体映像を元の位置に戻し、待機した。
不法投棄されたスペース・デブリは、基本、突如観測される。不法投棄を行う業者が時間軸を移動してスペース・デブリを放置するからである。彼らが不法投棄を始めた瞬間にスペース・デブリは出現するのだ。
「スペース・デブリは、放射性物質を含む重金属です」
どうやら、今回は何かの物体というより、元素そのものだった。
この時代、リサイクルはほぼ100%。しかも、元素単位で行われている。物体を元素まで分解し、再構築するのだ。
京香は回収本部の窓から、外で浮遊しているスペース・デブリを見つめる。
電子音が鳴る。人工知能のローが担当者たちからの連絡を受けていた。
「たった今、連絡が入りました。今回のスペース・デブリと判断された重金属ですが、成分が1ヵ月前、廃棄されたはずの人工恒星の中心核の部分だと判明しました」
ここの地域で先月廃棄された人工恒星は、50ある。しかし、破棄直前の中心核の元素の割合に似ているものは、10に絞られた。
「私たちは、〈前方〉の方へ向かいます。〈後方〉の方では、スペース・デブリの回収をお願いします」
京香はそう言うと、スペース・シャトルのターミナルへと向かった。
「いってきます」
裕嵩はローの作った笑顔の画面に小さく手を振った。
京香と裕嵩の二人は、時間軸の前方、要するに業者が不法投棄した時代へと遡ることになった。現行犯逮捕の為である。
現行犯で逮捕する時には、その業者の人たちに彼らが不法投棄する全てのスペース・デブリをその場に捨て終えさせてから、身柄確保へと移る。理由は、不法投棄したスペース・デブリの種類と量をごまかせないようにする為と、時間軸の後方の混乱を防ぐ為である。
一方、後方では現在進行形でスペース・デブリの回収が行われているのであった。
「現場へ到着いたしました」
簡易人工知能が知らせる。京香は、窓の外を目視した。何も見えないが、もう既に業者によるスペース・デブリの不法投棄が始まっていた。一切の光もなく、音もなく、重金属が広がっていく。
電子音が一定の間隔で、増加していくそれの質量を知らせる。
電子音が停止する。
――終わった。
京香は裕嵩と共に小型機へ。そして、その他の機械たちと共に業者のスペース・タンカーへと突撃する。
それぞれの小型機はスペース・タンカーへ接触すると、接地面からレーザーで侵入経路の確保を開始した。
数秒後、スペース・タンカーの外壁と内壁が圧縮空気により、吹き飛ばされた。他の小型機の機械たちが先行する。業者の抵抗は想定していた。
京香たちは、業者の確保と共に現場での証拠確認をする。京香たちを乗せた小型機が接触したのは、ちょうどスペース・タンカーの移動通路だったようだ。相手は、大型のスペース・タンカーだ。
「制御室へ向かいます」
「はい」
裕嵩は京香の指示に返事を返した。
防犯システムが攻撃をしてくる。
京香たちは用意していたシールドを操る。レーザーの照射に合わせて、円形のシールドが時計回りで姿を現す。まるで、水面に雨粒が落ちていくようだった。
レーザーの中を走り抜けると、目前に迫っていた区間を隔離する為の防火壁が閉じようとしていた。
――制御室に誰かが残っている!!
火災は、発生していない。要するに、監視カメラを通して、スペース・デブリ取締官たちの侵入を阻止している誰かがいるのだ。
先行していた機械たちの一人が防火壁の閉鎖を食い止める。
「ありがとう」
京香と裕嵩は彼へ礼を言うと、滑り抜ける。
防火壁が地面まで下がった。
「彼が……」
「大丈夫だから、急ごう」
裕嵩が心配そうに後ろを振り返ろうとしたので、京香は彼の右腕を掴んだ。
レーザーの雨が音もなく叩きつける。
――諦めの悪い!!
容赦ない業者による抵抗が続いていた。
長い通路。その先に目を凝らす。機械たちの先行班が業者を取り押さえている姿が確認できた。その先は、制御室へと続いている。
2つ目の防火壁を潜り抜ける。二人の機械たちが押さえている。
「同行して下さい」
「はい」
機械たちは、返事をして防火壁を共にかいくぐる。
制御室の扉は、開かない。
機械たちは幾度か扉を蹴破ろうとする。しかし、時間だけが過ぎる。
――既に突入から、5分。
制圧に時間はかけられない。
「おそらく、中から圧力がかかっています」
機械の一人が分析する。
「裕嵩、離れてて」
京香は裕嵩にそう言うと、装備銃を取り出した。レーザーの他に電気を一直線に〈照射〉出来る。レーザーは破壊目的であり、通電は犯人の確保用である。
「うん」
裕嵩は少し離れた。京香はそれを確認すると、レーザー・モードで扉の破壊を開始した。
レーザーは鋭く、扉と扉の接合部分、一点へと集中照射される。接合部分は、2回の瞬きだけで破壊された。
扉は、手前に吹き飛んだ。そして、それは京香の頬をかすめる。
「京香!」
裕嵩が心配する。
「大丈夫だから」
彼女は彼のために、口角を上げる。そして、部屋の奥を見た。裕嵩は、彼女の目線の先を見る。
「あの人物……」
一人の宇宙生命体がいた。
「確保」
京香が二人の機械たちへと指示を送る。
「はい」
彼らは、返事と共に室内へ突入する。業者は、身に着けていた銃を取り出す。しかし、先行班の彼らもレーザーに対応できている。レーザーはシールドを通れない。
「確保しました」
抵抗も空しく、業者は確保された。先行班の機械たち二人は業者を連れて小型機へ向かう。すると、後行して、先行班とは別の機械たちの鑑識班がやって来た。
「現場の確認をします」
彼らは、空中を浮遊して全てをデータ化して記録する。
一方、京香たちはこのスペース・タンカーのメインコンピュータへアクセスする。スペース・デブリのデータは消されてはいなかった。
――これで、前方の証拠は完璧。
「後方からの報告です」
元の時間軸の本部へ戻ると、担当のローからの報告があった。
「今回のスペース・デブリは、2時間58分で、全て回収し終えました」
今回の不法投棄をした業者は、人工恒星の解体業者だった。人工恒星の解体・リサイクルは、元素単位で行われているが、やはり、核融合によるエネルギーの生成を行っていた中心核の解体は、手間と費用がかかってしまう。それが動機だった。
「分かりました」
京香は報告を受けると、裕嵩と共に職場の自席へと向かった。その廊下で……。
「頬、大丈夫だった?」
裕嵩が京香を心配していた。
「え?」
京香が彼の方を見た。
「機械じゃなくて、一応、生命体なんだし……その……」
彼は語尾が小さくなる。内気で、会話が少し苦手だった。
「大丈夫。ありがとう」
京香は珍しく笑顔を見せた。
「お疲れ様」
小御湯景子が廊下の向こう側から声をかけて来た。京香と裕嵩の二人は、そちらへ振り返る。
「景子もお疲れ様」
小御湯景子は京香の言葉に笑顔になる。彼女は、京香の友人である。広報課に所属しており、〈現宇宙〉の外、未知の宇宙生命体からのスペース・デブリの対策担当である。
「何か、あったの?」
京香は小御湯景子に尋ねる。この棟に広報課はない。この空間管理課のひとつ隣の棟にある。
理由は、だいたいひとつ。
「現宇宙の外からのスペース・デブリの可能性が高くて」
小御湯景子は答えた。
ヘルクレス支部の空間に現れたスペース・デブリが前方と後方で一部、種類と量が異なっていた。未知の宇宙生命体たちのスペース・デブリが混ざっている可能性があるのだ。
「これからは、この空間管理課の区域を行き来する回数、かなり増えるかも。じゃ」
彼女はそう言うと、仕事へと戻っていった。
「……宇宙の外……」
京香はつぶやく。
それを、隣で裕嵩が聞いていた。