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恋するくじらさん

作者: アビゲイル・アビー



 もうずっと長いこと、僕は独りだった。晴れ渡る空。太陽に照らされてきらきらと輝く澄み切った紺碧の海。星と月の他にはなにも存在を許されないような真っ暗な空。昏い昏い海の底。海の神の怒りを表すが如く荒れ狂う暗雲に包まれた空と灰の海。激しい雨風。そのすべてを、僕は独りで過ごしてきた。

 疲弊は感じなかった。はぐれた同胞たちと再会する。その一心で広い広い海を泳ぎ続けた。だって、疲れた、なんて思ってしまったら、きっともう泳げなくなってしまう。僕はもう泳げない。泳ぎたくない、と動けなくなってしまう。一度ヒレを止めてしまえば、そうして海の藻屑となる運命さだめに違いないと。だけど……本当は判っていたんだ。諦めないで泳ぎ続けても報われることなどないのだと。だから、これが最後。

 海面から顔を出せば、煌めく星空が眩しくて目を細めた。独りぼっちの孤独を癒してくれていたのはこの星たちだったのかもしれない。夜毎、涙を流しそうになる僕を、彼らは優しく慰め、励ましてくれていた。でも。どうしてだろう。今夜は涙が止まらない。星々の輝きも、この伽藍堂がらんどうのこころを埋めることなどできはしないのだ。そっと、静かに瞼を閉じる。ああ――このまま消えてしまってもいい。


「――――――」


 静寂の中、歌を聴いた。それは風に紛れて運ばれてきた小さな声。美しく儚い、今まで聴いたこともないような歌声だった。あれだけ重たかった体は不思議と軽くなって。長いこと凪のように静かだったこころが弾むのを感じながら、導かれるように、吸い寄せられるように、歌声を辿っていく。気が付けば、歌声はすぐ傍に在った。僕は期待と、少しの不安を抱えながら、ゆっくりと海面から顔を覗かせた。


 それは――――息を呑むような光景だった。


 金色に輝く冠。豊かに波打つ長い砂金の髪。蒼とみどりが混じり合ったような不思議な色の眼。透き通る肌。薄紅の貝殻みたいな色のドレス。歌声を紡ぐ珊瑚のような唇。


 生まれて初めて、僕は他者に見惚れていた。

 種族の違いなんて関係ない。

 海辺に座って歌う少女は、ただただ美しかったのだ。




♢♦♢




「ごきげんよう、くじらさん。わたくしの歌を聴いてくれてありがとう」

 歌うように、彼女は言った。微笑む彼女のまわりにふわりと花が咲くのを幻視した。

「気が付いてたんだ……」

 自分でも訳が分からない照れ臭さに襲われて、少しだけ顔を海に沈める。

「あら。お顔を隠すことはないのよ?私は生まれて初めて私の歌を聴いてくれた貴方のお顔をちゃんと見たいわ」

 言葉とともに、少女はこちらを覗き込んできた。近くで見れば見るほど綺麗で、恥ずかしくなってどんどん海に顔を沈めてしまう。聞き捨てならない言葉に、僕はつい訊き返していた。

「生まれて初めて?君は今まで誰にも歌を聴かせたことがなかったの?」

「ええ。そうよ。なにか問題でもあるかしら?」

 あの歌声を知っているのが自分だけだと思うと、僕は何故だか無性に嬉しくなった。ひょっこりと顔を出して笑みを浮かべる。

「ううん。それは光栄だなって」

「ふふふ」

「ねえ、くじらさん。良かったら私のお友達になってくださらない?」

「え?」

 予想外の言葉にうろたえてしまう。”友達 ”独りぼっちだった僕にとっては喉から手が出るほど欲しかった存在。そんな存在に、彼女はなってくれると言ってくれた。こみあげそうになるものを押し堪えて、僕は首を横に振った。

「冗談だろ?君が友達に困っているようには見えないけどね」

「どうして?私はずっと独りぼっちよ。お友達と言えるひとなんて、いままで一度たりともできたことなんてない」

 少女のかんばせが曇る。悲哀に沈んだその表情でさえ美しいのだから、中々に罪だとため息を吐く。

「くじらさんはお友達は要らない……?」

 懇願するように大きな青碧の瞳を潤ませて、少女は僕に訴えかける。こんな表情で見つめられて断ることができる存在などこの世にいるのだろうか。

「君の名前を聞いてもいい?」

「私? 私はナルキッソスと言います」

「ナルキッソス……良い名前だね。生憎と、僕には名がないんだ。名付けられる前に親とはぐれちゃってね。だから、くじらさんって呼んでね」

「ひょっとして、くじらさん……」

「うん。僕で良ければ、君の友達になるよ」

 笑顔で頷くと、ナルキッソスは満面の笑みを浮かべてくれた。

「ありがとう!くじらさん!」



 そうして、その夜から毎夜、僕たちはお喋りするようになった。

 立場も違えば、種族も違う。流れる時でさえ同じではない。

 それでも。譬え、ほんの瞬きのような時間だとしても。

 僕は彼女の笑顔を傍で見ていたかったんだ。

 

 その結末おわりがどんなに残酷なものでも。



♢♦♢




「へえ。君は一国のお姫様なんだ」

 ある夜、ナルキッソスはいままでの生い立ちや自分の血について語ってくれた。僕も、その同胞も、彼女、ヒトのような国、という概念はない。あるのは仲間か、そうでないかだけ。当然、王様や姫君、と聞いても僕がぴんと来るはずがないのだけれど。王家の血を継ぐ彼女はヒトたちにとって偉い存在なのだとか。

「そうよ。でも、嬉しいわ。私の身分を言っても態度を変えないでいてくれたのは貴方だけよ。くじらさん」

「そりゃ、ね。僕らには身分とかそういうめんどくさそうなのないから」

「いいわね。私もくじらに生まれるべきだったかしら。もしくは、くじらさんが人間だったらよかったのに」

「ヒトは、話を聞いているだけでもうんざりしそうだ。僕は遠慮しておくよ」

「そうね。私も人間になるのはお勧めしないわ」

 僕の頭を撫でながら、ナルキッソスは寂し気に微笑んだ。少しだけ、胸が痛んだ。もしも本当に僕がヒトになる術があるのならば、きっと彼女にこんな顔をさせなくても良くなるはずなのに……。

 僕たちは互いに独りぼっちだった。だからかもしれない。こんなにも強く惹かれ合ったのは。毎晩少しの時間お喋りして、お互いのことを聞き合ったり、互いの生まれ育った場所の違い、文化の違いを教え合ったりしていた。彼女は愛を知らない少女だった。こころの中では孤独に泣き叫んでいるのに、愛されることを恐れている。そんな哀しい少女。彼女に倖せになってほしい。いっぱい笑って欲しい。その一心で僕は明るく、優しく彼女に接した。

 彼女と別れたあと、孤独に襲われながらも眠りに就いて、朝起きればはやく夜にならないかと願う。赤く染まる空に、彼女への恋しさが募る。ようやく日が暮れた頃には待ちくたびれてへとへと。でも、「ごきげんよう。くじらさん」彼女が呼んでいる。ただそれだけで、さっきまでの疲れなんてどこかに吹き飛んでしまう。

「こんばんは。ナルキッソス」

 僕の姿を見つけるなり、ナルキッソスは嬉しそうに笑った。その笑顔に、胸が満たされる。


「今日はなんの話をしようか?」

「私は貴方と話せるのならなんでもいいわ。でもそうね、たまには貴方のお話が聞きたいかな」

「いいよ。じゃあ、迷子になった話はこの前もしたから、次は僕の家族の話をしよう」

「ええ!」

「あれは僕がうんと小さい頃のことだ――――その時の僕はまだ」


 お互いに解っていた。この逢瀬は、そう長く続くものではない。僕たちの過ごす時はいつ終わるともしれぬ、うたかたの夢。それでも、ただ共に星を眺めるだけでしあわせだった。


 星が降るこんな夜に、独りぼっちがふたり。

 抱えた痛みを分け合うように、寄り添い合う。


「あ!見てくじらさん!流れ星!」


 流れ星がきらりと光って消えて行く。


「綺麗だったね」

「くじらさんはなにかお願いした?」

「お願い?」

「ああ、そっか。知らないのね……私たち人間は、流れ星に願いをかけると叶うと信じているのよ。三回願いをかけるの」

「へえ。ヒトっていうのは不思議なことを考えるものだね。信じてるの?それ」

「ふふふ、ええ。だって、信じたほうが面白いじゃない?」

「君はなにを願ったの?」

「秘密。教えてしまうと叶わなくなりそうだから」

「ふーん、そうか」

 つぎは、なにかお願いしてみよう。彼女の楽しそうな横顔を見つめながら、そう思う。願い事はもう決まっている。あとは次の流れ星を待つだけ。



♢♦♢



 僕らが出逢ってから一ヶ月目の夜。空に満月が輝く美しい日。その夜のナルキッソスはなんだか変だった。やけにソワソワして、僕と目があったと思ったらすぐ逸らして。僕はなにかあったのか、と尋ねた。彼女は難しそうな顔をして、うろうろと辺りを歩き回る。僕が辛抱強く彼女の言葉を待つと、観念したのか、ため息を吐いたあと、意を決したように青碧の瞳を見開いた。

「私ね、くじらさん。どうやら貴方に恋をしてしまったらしいの」

 真剣な眼差しでそうのたまった彼女に、僕はこの夢の終わりを悟った。長いようで短かった夢の終わりに名残惜しさを感じないと言えば嘘になる。だが――――。

「ナルキッソス。落ち着いて聴いてね」

「ええ、なに?くじらさん」

「君のそれは、恋ではないと思う」

「……どうして?」

「君はずっと独りだった。ずっと誰かに心の底から愛されたいと願っていた。そこに現れたのが僕だ。偏見を持つことなく君と接し、君に優しくして、君を慰め、君の孤独を埋めた」

「…………」

「だけどね。きっと君は、君の孤独を癒してくれる存在なら――――君を愛してくれる人なら誰でも良いんだよ」

「……くじらさん」

「だから言おう。君のその恋は、間違いだ。偽物だ」

「貴方は、貴方はいったい、私のことをどう思っているの?」

 今にも泣きだしてしまいそうなナルキッソスの瞳を真っ直ぐに見据えて、僕は我が恋に別れを告げた。

「僕には君を倖せにしてあげることはできない」

「っ!!」

 そう言ったきり、彼女はドレスの裾を翻して駆け出していった。あとに残された僕は、独り頬を温かなものが伝うのを感じながら呟く。


「さようなら我が恋」

 

 きらり。

 流れ星が真っ暗な空を横切る。


 ああ、ひとつだけ祈りが届くのならば、あの流れ星に願いをかけよう――彼女が倖せでありますようにと。



♢♦♢



「おい、そこのあんた」



「あんただよ」



「あんた、今、どうしても手に入れたいモノがあるだろ」



「どうしてわかるんだって?あたしには判るんだよ。ぜーんぶね」



「あんたは欲しいもんを手に入れるチャンスがある。このあたしの取り引きにのるならね」



「代償?それはね――――」



♢♦♢



 季節は廻り、三年もの月日が流れた。私は少女から女性へと変わりつつあった。城から見る外の景色も、季節ごとに変わる庭の花々も、定期的に私のために開かれる豪勢な茶会も、舞踏会も、私の心の慰めにはならなかった。彼とはあれきり、一度も会っていない。私は海には二度と近寄らない。思い出してしまうから。楽しかった日々。彼の笑顔。ずっと終わらないでほしかった夢の結末を。人間がくじらに恋をするだなんて馬鹿だと思うかもしれない。けれど、私にとってあの恋は紛れもなく本物だった。優しくされたから、愛されたから、彼を好きになったのではない。誰でもいいはずなんてない。彼だからこそ、私は恋をしたのだ。彼だからこそ、一緒にいたいと望んだのだ。この恋心は彼を苦しめるだけだと解っていた。それでも、私は縋るしかなかった。愛するしか他に選択肢がなかったのだ。

 このままずっと夜が明けなければ良いのに……明日は私の最初にして最後の結婚式。隣国との同盟を結ぶための政略結婚だ。豪奢な純白の花嫁衣裳をそっと、手でなぞる。心は踊ることなく、いっそこのまま花嫁衣裳をビリビリに裂いてしまえばいいのではないか、そんな不謹慎な考えが頭を巡る。そんなことできはしないのだけれど。私には逃げることなどできない。してはいけない。ああ。それなのに。どうして。

 気が付けば、私は三年前、いつもそうしていたように城を抜け出して夜の海辺にたたずんでいた。二度と海には近づかないと決めていたのに、なんて脆弱な意志なのだろう、と自嘲してしまう。もう彼は私に会ってくれないに違いない。そう頭では解っているのに、せめて最後に一目でも彼の顔を見たいとあさましくも願ってしまっていた。昏い海に彼の姿はない。ああ、やっぱりもう私とは会ってくれないんだ。

「さようなら、私の恋」

 流れ星に願ったのは、貴方の倖せだったんだよ?

 何故だかわからないけれど、涙が溢れて止まらなかった。

「こんばんは」

「!?」

 背後から話しかけられて私は勢いよく振り返る。

 そこに立っていたのは――――優しい顔立ちをした背の高い青年だった。

 彼はにっこりと微笑んで、

「なにか辛いことでもあったのかい?」

「…………」

 その笑みがどこか懐かしくて、何度も瞬きをする。どこも似ていないはずなのに、くじらさんの笑顔と彼の笑顔を重ねてしまう。きっと、この場所がそうさせるのだろう。私は早々にここを立ち去ろう、と軽く会釈だけして、彼の横を通り過ぎようとした。

「――――鳥よ、風よ、運んでおくれ。私の愛を」

「――――!?」

 青年の低い声が口ずさんだ歌に、私は足を止める。だって。だってこの歌は。

「どこで、その歌を……?」

「僕も、どこでこの歌を知ったのか覚えていないんだ。きっと酒場かなにかで旅人が口ずさんでいたのを耳にしたんじゃないかな。海を見ると、この歌を歌いたくなるんだよ。この歌を歌っている時は、とても優しい気持ちになるんだ。胸がぽかぽかする。だから、君もこの歌を聴けば元気が出るんじゃないかな、って……へへっ、その様子だと逆効果だったかな?ごめんね」

「…………」

「ねえ。笑わないで聞いてくれるかな?」

「ええ、もちろんです」

 青年はおどけたように笑って、

「僕はね、三年前までくじらだったんだ」

「――――!!」

「魔女と取引をしてね。でも困ったことになんで人間になりたいと思ったのか、まるで憶えていないんだ。可笑しいよね」

「貴方は……何を代償にしたのですか?」

「僕にとって最も大切なもの。それが取引の代償」

 ああ。なんてこと。私は絶望に打ちひしがれる。きっと、きっと、私がくじらさんに自己の在り方さえも変えさせてしまったのだ。彼は魔女と取引して人間になり、彼にとって最も大切なものを失った。彼にとって最も大切なもの。それがなんなのか、私は薄々気が付いていた。

「海を見るとね、なんだかとても懐かしくなるんだ。くじらだった頃の記憶を思い出すんじゃなくて、もっと大切な、もっと暖かな思い出がある気がして……けど、思い出そうとしても記憶に靄がかかってるみたいに何も見えなくなってしまうんだ。あとに残されるのは、どうしようもない空虚感と、この歌だけ」

「そう、ですか…………」

 ……これでいいのだ。私はこれ以上彼を傷つけてはいけない。もしも彼が私を思い出しても、私は彼と一緒にはなれないのだから。

「さようなら。私、明日隣国に嫁ぎますの。だから貴方とはもう会うこともありませんね」

「それは残念だ」

「あら。どうして?」

「もし良かったら友達になってくれないかな、って言おうと思ってたから」

「っ……」

 喉元まででかかった言葉を飲み込んで、私は努めて穏やかに微笑んだ。

「ふふふ。ご冗談を。貴方はお友達に困っているようには見えないけれど」

 かつて、彼に初めて逢った時に言われた言葉をそのまま返す。彼は目を丸くして、

「へえ、ずいぶん意地悪なことを言うんだな……お生憎あいにく様、僕はくじらの時も、人間になってからも、ずっと独りだよ。友達と呼べる存在は……確か、いなかったと思う……」

 友達、というワードになにかが引っ掛かるのか、彼は眉をしかめた。私はこれ以上ここにいてはいけない。そう悟って、今度こそきびすを返す。

「待って。どうして逃げるんだい?」

「っ……!!逃げたのは貴方のほうよ!!!」

 叫んでしまってから、しまった、と思った。彼は戸惑いの表情を浮かべていた。せきを切ったように私の唇は止まってくれない。

「貴方だって私のことを好きだったくせに!貴方は私から逃げた!!」

「待ってくれ、君はいったい何をいって……」

「孤独を癒してくれる存在なら、愛してくれる人なら誰でもいいですって!?見くびらないでよ!!」

 途方に暮れる彼に構わず私は叫び続ける。こんなに叫ぶのは生まれて初めてだ。

「私は貴方だから良いと思った。貴方だから、譬え種族が違っても、ずっと一緒にいたいと思った。愛したいと思った!”くじらさん”、貴方となら倖せになれる。そう信じてたのよ!!」

「”くじら、さん”……?……君は……」

 彼――くじらさんはその黒い瞳から大粒の涙を流して私を見つめていた。その純粋な瞳の色は、変わらないな、と少しだけ嬉しい気持ちになる。泣かないで、と言おうとして、私も泣いていることに気が付いた。自分も涙でぐしゃぐしゃなはずなのに、私の頬を伝う涙を彼の指が優しく拭う。ああ、この夜が永遠に明けなければ良いのに。離れ離れになってしまうくらいなら、涙と共に恋も、愛も、すべて流れて消えてしまえばいいのに……。


♢♦♢


 今目の前で泣いているヒトは……僕の愛おしいヒトだ。失われていた記憶が、彼女のおかげで少しだけ蘇った。僕の最も大切なもの。それは、彼女との記憶だった。ニンゲンになれば彼女を倖せにできると思ったんだ。馬鹿な話だ。記憶がないのでは元も子もないし、僕では彼女を倖せにできないかもしれないのに。それでも、魔女に取引を持ち掛けられたとき、なんの迷いもなく、僕は頷いていた。これはエゴだ。僕が、彼女を倖せにしたい、というエゴ。自分から突き放したくせに。自分から手放そうとしたくせに。僕はどうしようもなく彼女を愛してしまっていた。別離を覚悟して尚、離れられないくらいに。


 だから、今度こそ逃げずに向き合おう。

 君を愛そう。心の底から。


「ナルキッソス、ごめん。僕はもう君の友達ではいられない」

「くじら、さん……」

 止まりかけていた彼女の涙が、また溢れ出してくる。僕は目を逸らすことなく、

「君は、僕だけのお姫様になってくれるかい?」

「それって……」

「ナルキッソス、君を――――愛している」


 彼女は瞳をまん丸お月さまのように見開いたあと、出逢った時のように、花が咲くようなあの笑顔を浮かべてくれた。




 星が瞬く夜に、独りぼっちのふたりは手を取り合い、孤独を癒す。


 この先、彼らが倖せになれるかは誰にも解らない。


 ただこれだけは言える。

 

 人がふたりをわかとうと、

 

 病がふたりを別とうと、

 

 時がふたりを別とうと、


 彼らは今この時、倖せだったのだと。



『ねえ、くじらさん?』



『なんだい、ナルキッソス』



『私ね、今、とっても倖せだよ』



『ああ。僕もだよ』




おしまい。

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