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蓮血の劔  作者: 寒露
2/2

出逢い

ー知っているかい?「鬼の子」っていう奴がおってなあ、そいつぁ、実に非道で冷徹な奴なんだ。両の手にそれはそれはおっかねえぎらりとした刃を持ってな、人の胸から腹を深く裂き、内臓を抉り、鬼のように笑いながら人の胎内を蛻の殻にしちまうんだよ。ああ、おっかねえおっかねえ。黒い布に身を包んでいるが…ところどころ赤い刺繍があってな、それは今までの人の生き血を擦りつけたもんとも言われているさ。夜道には気をつけるんだよ。奴はばけもんかもしれねえからな。魑魅魍魎を引き連れてお前の元に現れるかもしれねえぞ…




とある、片田舎の、昼間から賑わう闇市。

その少年と少年の祖母らしき二人は、町民に鹿汁を売っていた。

「これこれ!いやあ、やっぱりトシさんの鹿汁はうまくてなあ」

農作業で疲れ切った男たちは優しい笑みを浮かべるトシエを褒め、美味しそうに汁を吸った。トシエは嬉しそうに目を細めた後、恥ずかしそうに声を大きく出して あらやだねえ、と返した。

「そちらこそありがとねえ、あんたたちがそんなうまそうに食うからこっちも頑張っていっぱい作っちまうよ」

「カネ坊もこれをいつも食ってるのか!羨ましいなあ、俺もトシさんの孫になりたかったよ」

いきなり声をかけられた孫のカネマルは顔を上げ、男を目を丸くしながら見た後、嬉しそうににんまり笑った。

「そうだろ!羨ましいだろ!ばっちゃんの鹿汁は世界一さ!」

「そうかいそうかい、嬉しいことを言ってくれるねえ」

トシエは嬉しそうにまた笑った。客の男たちも楽しそうにげらげら笑った。


カネマルは親を三つのときに亡くしていた。そのため、祖母のトシエが引き取りそれはそれは大事に育てられていた。優しいトシエの育てがあり、カネマルもまた優しく、正義感の強い、素直な子に育っていた。優しくまるで母のような安心感のあるトシエと、人懐っこいカネマルは闇市に訪れる町民たちに家族のように親しまれていた。




「カネマル、もう寝な。明日もはやいんだからね」

夜になるとこの田舎町は不気味な程に静かになる。虫の声が辛うじて聞こえるくらいで、あとは風に揺れる山の木々の音がするくらいだ。蝋燭の灯りが消えてしまえば部屋は何も見えない真っ暗闇に包まれる。月が出ているときくらいは月明かりが頼りになる。

布団がないくらい貧しいこの家では藁を編んだものが寝具であり、それを敷くと、カネマルはゴロンと横に

なって暫くの間大人しくしていた。

「ばっちゃんは寝ないの?」

台所に立つトシエにカネマルは聞いた。トシエは明日の鹿汁の下ごしらえをしていた。

「先に寝てな。もうすぐあたしも寝るよ」

「ばっちゃん、体壊しちまうよ、はやく寝ようよ」

賢いカネマルはトシエが苦労していることをよく分かっていた。トシエはカネマルの方に振り向くと真面目な顔でいきなり声色を変えて言い返した。

「カネマル…はやく寝ないと…狐がカネマルを襲いに来るぞ…!」

カネマルは一瞬怯んだがそのあとすぐに笑った。

「はははっ!ばっちゃんは嘘が下手だ!もしほんとに来たらそんなん俺が倒してやらあ!俺はばっちゃんを守るために強くならないといけねえからな!」

トシエは大人びたカネマルの答えに驚いた。昔はこのような嘘をつくと、カネマルは決まって怖がり泣いていたからだ。そして必ずトシエの言うことを守った。

もう、カネマルは立派に育っていた。まだ小さく、あどけない少年だが、心は成長しているのだ。トシエは嬉しそうに、しかし少し切なくほほえみ、「そりゃ楽しみだ」とだけ返した。

「分かったよ、寝る。おやすみ、ばっちゃん」

カネマルは素直に言うことを聞いて、目を閉じた。


トシエが言う「狐」とは、「鬼の子」と恐れられているある殺し屋のことだ。凄惨な事件が起きる度、町中は殺し屋の仕業だと噂した。あまりに悪逆非道な手口からその殺し屋は道徳心のない、「鬼の子」だと言われるようになった。また、あまりに人間離れした殺し方からトシエのように「狐」だと言う者もいた。それは「彼は人間に化けた狐だ」という憶測からだった。




朝が訪れた。村は活気付いて、夜の村がまるで嘘かのように賑やかになる。

「さあさあ、出来立ての鹿汁だよ!熱々で食べ応えある鹿肉の美味しい鹿汁だよ!」

トシエの声は衰えを感じないくらいに威勢がある。

「ばっちゃんの鹿汁だよ!うめえぞ!食ってけよ!」

カネマルも明るく活発な声を出す。

そのカネマルを見るや否や鹿汁そっちのけで声をかけてきた男たちがいた。その男たちもまた、常連客である。

「あらあ、また来てくれたのかい」

トシエが鹿汁を差し出そうとするが、男たちは困ったような顔をして「金がねえんだ」と断った。

「しかしなあ、いつもうまい鹿汁食わせてもらってんだ。どれ、カネ坊。ちょっと一緒に来ねえか?たまには俺たちの畑で採れたうめえもん譲ってあげるよ」

この言葉にカネマルもトシエも目を輝かせた。

「行く!ばっちゃん!いいよな!?」

「すまないねえ、じゃあお言葉に甘えさせていただくよ。カネマル、あたしは店があるから一人で行けるかい?」

「うん!待ってろよ、ばっちゃん!たっくさんもらってくるからな!」

「よし、じゃあカネ坊、ついてこい!トシさん、ちょっくら坊主借りるな」

「はいよ、いってらっしゃい」

カネマルは嬉しそうに走って男たちについて行った。トシエも楽しみにしながらまた商売を始めた。





畑が見えてきた。カネマルは男たちに手を引かれ楽しそうに鼻歌を歌っていた。しかし、その違和感に気づく。男たちは畑をまんまと通り過ぎ、自分たちの家にカネマルを入れたのだ。カネマルは不思議そうな顔した。

「え…?畑は?」

カネマルは訊ねたが、男たちは聞く耳を持たず戸を閉めた。部屋は薄暗くなる。立ち尽くしていたカネマルを見下ろした男たちはカネマルに怪しくほほえみ、いきなりカネマルの胸をその大きな手で突き飛ばした。

カネマルは簡単に後ろの壁まで吹っ飛び、しりもちをついた。奥で置いてあったバケツやら木の板がその衝撃で大きな音を立てて倒れる。

カネマルは驚きを隠せず、怯えながら彼らを見つめた。

男たちは口々に恐ろしいことを言い出した。

「やっぱりこいつだな…」

「ああ、こいつなら稼いでくれるだろうな。」

「可愛い顔してるし、人懐っこい。すぐに人気になるだろうよ」

カネマルは恐れながら小さい声できいた。

「な、なんだよ…?なにするんだ…?」

すると男たちは笑いながら寒気がするくらい優しい声でカネマルに答えた。

「なあに、怖がらなくて良いんだよ」

「これから良い所へ連れて行ってやるのさ」

「お前が好きなばっちゃんもこれで苦労しなくて済むんだよ…」

カネマルは騙されなかった。そして薄々感づいていた。最近、貧しい子供が失踪している。噂によると隣村で、その幼い体が売られているようだ。カネマルもそうされる一人になるに間違いない。しかし、カネマルは気づいていながらもどうすることも出来なかった。足が竦み、体も震え、声もろくに出せなかった。


その時だった。

「ぐふっ…!」

いきなり男たちのうちの一人がいきなり苦しそうに声をあげ、首から血を吹き出し倒れ込んだ。

カネマルは体をびくつかせ、目の前の現象に怯えた。

残りの男たちも怯えて思わず後ろを振り向く。しかし呆気なく胴体や頭を切られ絶命した。

それはあまりに静かで、一瞬の出来事だった。

カネマルは怯えながら顔を上げた。

薄暗い部屋の中、カネマルの目の前には冷たく光る、二振りの刃を持った、細身で女のようなシルエットがいた。

「…狐」

思わずカネマルは呟いた。トシエがよく言う「狐」は二刀流だと言う噂があったからだ。その瞬間、カネマルの視界はぐらついた。身体がぐわんと宙に浮いた。

カネマルはその、狐らしき人物に抱え上げられ、外に出された。明るい場所に出た瞬間、狐は男だということが分かった。

切れ長の目で、色白、艶やかな紫色の長髪を凛々しく結わえ、細くも逞しい片腕だけでカネマルを抱えていた。腰には二振りの短刀を携えていた。

カネマルは不思議と怖いとは感じなかった。相手はあの、「狐」かもしれないのに。自分は昔、あんなに恐れていたのに。その美貌と、自分が助けられたという事実で感覚が麻痺していた。

噂通りの黒に赤刺繍の着物ではなかったが、何故かカネマルは本能的に彼が「狐」だと確信した。




気がつくとトシエの店の前まで運ばれていた。トシエは担がれたカネマルと見たことのない青年を見て目を丸くした。カネマルは気まずそうに担がれたまま

「…ただいま」

と言うと、その身を下ろされた。

「その方は…?」

トシエは訊ねたが青年は何も言わずに去ってしまった。

「あっ…」

カネマルは礼を言おうとしたが、青年は足早に行ってしまった。



「ばっちゃん、あのね、俺たち騙されていたんだ。俺、もうすぐで売られちまう所だったんだよ。それをあの男が助けてくれたんだ。」

「へぇ…そうかい…そうだったのかい…」

トシエは残念そうな顔をした。

「ごめんな…ばっちゃん」

「あんたは悪くないさ。ばっちゃんが騙されたのが悪い。さ、あの青年にこの鹿汁を持ってっておやり。まだ遠くへは行ってないだろうさ。礼をしっかり言ってくるんだよ」

「うん、ありがとう、ばっちゃん」




青年は村に流れる少し大きい川を一人、見つめていた。

色々考えながら黙り込んでひたすらに見つめていた。

青年の眼中の右下あたりすれすれに見覚えのある少年がいつのまにかいた。

「っ!」

青年は声には出さず、地味に驚き身体をびくつかせた。そこには先程助けた少年が、なにやら美味しそうなものを持って立っていた。



カネマルはやっとこっちを見てくれた青年に鹿汁を差し出した。

「さっきはありがと。これ、ばっちゃんの鹿汁。さっきの礼だ」

青年は不思議そうにカネマルを見つめ、ゆっくりと鹿汁を受け取った。暫く鹿汁を見つめる。

「はやく飲まないと冷めるぞ」

カネマルは少し拗ねたように言った。

青年は言われた通り、片手で一口ずっ と飲んだ。

カネマルは青年の顔をうかがう。


青年は器から顔を離すと、それはそれは柔らかく優しく、静かに微笑んだ。


その微笑みはカネマルの固まっていた身体をほぐした。カネマルは自分で気づいていなかったが、どうやら先程の事件と目の前で殺された男たちに恐れ、身体が強張っていたようだった。その身体をほぐすほどの柔らかい笑顔。懐かしそうに微笑む青年はとても美しかった。

「…あ、えっと、俺、カネマルだ。あんたは?名前あんだろ?」

カネマルは思い出したように少し急ぎながら訊ねた。青年はまたカネマルのほうをちらっと見た。先程の笑みはもうない。

「?」

カネマルは青年の行動に疑問を覚えた。見つめ返すと青年はまた顔を真正面に戻し、暫く川を見つめ黙っていた。そして僅かに口を開いた。なんとか聞こえるくらいの決して大きくはない声。声変わりした低い、しかしあどけなさが残る声で青年は答えた。


「ミツルギ」


カネマルはあまりに簡単で素っ気ない返答で一瞬呆気に取られたがすぐに無邪気に笑った。

「そっか!よろしくな!ミツルギ!」


これが二人の出会いだった。そして二人はまだ知らない。この出会いが後に、残酷で儚く、壮絶な物語の始まりになるということを。



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